2012年 8月

「天国へ行けはりますように」

2012/08/17

ある日の夕方、年少のSちゃんが

「せんせー、むしさん、死んでた」と

手のひらにあるコガネムシの死骸を見せてくれました。

すると、そこへ年長のSくんが来て

「みんなで、おはか作ってあげよ!」と提案してくれました。

場所は、園庭にある木の下。

おもちゃのスコップで小さな穴を掘り、

そこに、Sちゃんがむしさんをそっと置くと、

Sくんがやさしく土をかぶせてくれました。

そしてSくんが「天国へ行けはりますように」と

おはかの上に小さな木の枝を立て、

Sちゃんは「天国でおなかがすいたら食べてください」と

おはかの上に小さな葉っぱをおいてくれました。

 

最後に「天国へ行けはりますように」とみんなで手を合わせました。

 

偶有性

2012/08/16

未来を創造する存在である子どもたちが、どんな力を身につけると良いのか、どう育つと良いのかは、常に私の頭な中のどこかにあります。というより、いつも考えていることのかなりの部分を占めています。ですから『プレジデント』(2012.4.16号)の茂木健一郎氏と津坂純氏との対談に興味をもちました。

教える側から教えられる側へと一方通行で知識を伝える教育か、対話をしながらより良い結論に至るプロセスを大切にする教育か。もちろん学ぶ内容によって方法はいろいろあって良いと思いますし、どちらか一方だけが良くて、もう一方は良くないという気も全くありません。しかし、結果や正解を覚え込むだけではなく、多くの人と意見を交換しあってより良い答えに向かうという要素が多い方が良いように思います。特に現在のような、今までの価値観だけでは時代の変化に対応できにくくなっている転換期には、対話することが大切になってくると考えます。

変化の時代、転換の時代の要素の一つとしてインターネットがありますが、茂木健一郎氏はインターネットの本質を「contingency(偶有性)」という言葉を使って表し「必然と偶然が混ざり合う状態」「規則性はあるが、ランダムな要素もあるため、何が起きるのかわからない」と説明したうえで、「正解を覚え込ませる教育は偶有生を扱えない。」としています。

私には「偶有性」の意味が正確にはわからないのですが、予測することが難しい偶発性や偶然性に近い意味としてとらえました。茂木健一郎氏は、「クオリア日記」というご自身のブログの中で、「偶有性」について記していらっしゃいます。それを読むと、遠いところで起こっている自分の周りにはまったく関係もなさそうな現象が、実は様々に響き合って影響を及ぼしてくる。この遠くで起こっていることが、どんな形で、身近なことに影響してくるかは予測し難いという意味に解釈できるように思います。少し長くなりますが、茂木健一郎氏のクオリア日記 必然化する偶有性より、引用してみようと思います。

偶有性に向き合うことは、人間の脳の本来の働きに適う。もともと、脳の中の神経ネットワークの性質は、数個のシナプスを通してすべてのニューロンどうしが結び合う「スモール・ワールド・ネットワーク」性を持っていると考えられている。「スモール・ワールド・ネットワーク」においては、局所的な計算に加えて、遠くの回路どうしを結ぶ情報伝達も重要な意味を持つ。局所的な計算に比べて、遠くの回路で行われている計算は予測可能性が低い。

脳は、もともと、容易には予想できない要素が本質的な役割を果たすという「偶有性」を前提にその動作が設計されている。そのことは、認識のメカニズムや、意識と無意識の関係、記憶の定着や想起などのプロセスに反映されている。偶有性に適応するからこそ、脳は創造的であり得る。グローバル化に伴う「偶有性」の増大に適応することは、脳本来の潜在的力を発揮することに、必ず資するはずなのである。『クオリア日記 必然化する偶有性』より

どのように感じますか?

必要な力

2012/08/15

雑誌『プレジデント』で見つけた脳科学者の茂木健一郎氏とTPGキャピタル代表の津坂純氏の対談記事、私が一番興味を惹かれたのが、東京大学とハーバード大学の話です。

茂木氏は東京大学の理学部を卒業後、東京大学法学部に学士入学されました。一方、津坂氏はハーバード大学を卒業後ハーバードビジネススクールでMBAを取得されています。

津坂氏は「ハーバードの教育のすべてが良いと言うつもりはないのですが」と前置きをした上で「ハーバードではほとんどの授業が議論の中で進められます。正解は何かを求めるのではなく、より良い結論にいたるプロセスが学びの中心に据えられているからです」といっています。

それに対して茂木氏はこういいます。「日本の教育システムでは、正解を覚え込むのが勉強とされてきました。日本の文系エリートを養成してきた東大法学部では、いまだに多くの教授達が90分間しゃべり続け、学生達はそれをノートにとり続けている。情報のやりとりは一方的で、学生は、教師が言ったことを覚えることを求められるわけです」

偏差値というヒエラルキーのトップとしての東京大学、受験生の人間としての総合力で判断するハーバード。詰め込み形で正解を覚え込む東京大学、より良い結論に至るためのプロセスを大切にする対話型のハーバード大学。学び方や考え方に随分差があるものです。

津坂氏は、今、世界は転換期にあるという見方をしています。その中で日本は失われた20年を過ごしたけれど、これから新しい「100年勝負」がはじまるところともいえるととらえています。それにはインターネットの普及が大きな影響を与えるそうです。

そんな変化の時代に必要なのはどんな教育でしょうか。

私は、みんなで話し合う、意見を交換するということが、大切になってくると思います。もちろんその基礎となる基本的な能力(学力と言っても良いかもしれません)は身につけておく必要があることはいうまでもありません。その基本的な能力にしても、自ら学び取る意欲を持って学ぶのが良いと思います。

意欲を持って学ぶ姿勢も皆で話し合うことも、その基礎は乳幼児期に培われると思います。乳幼児期に旺盛な探求心を原動力として、興味、関心、意欲を持って熱中してものごと(遊び)にとりくむ経験をするからこそ、自ら学ぶ姿勢が育ちます。また、そのなかで友達と話し合って遊びを展開させたり、課題を解決してゆくことの楽しさやうれしさを幼児期にこそ体験することが必要だと思います。トラブルも、暴力や攻撃ではなく話し合って解決することが幼児期に習慣なっていれば良いのではないでしょうか。

子どもたちがそういう力をつけることができるように環境を整える事が保育なのではないでしょうか。

ジャパンパッシング

2012/08/14

ある日、どこかの会社の営業の方が『プレジデント』という雑誌(2012.4.16号)を置いていったので、パラパラとめくっていたら目を惹かれた記事がありました。脳科学者の茂木健一郎氏とTPGキャピタル代表の津坂純氏の対談記事です。

世界の日本に対する関心が低下し続けている状況を危惧する話しから対談が始まります。
80年代、貿易摩擦などから「ジャパンバッシング(日本叩き)」の時代がありました。その後日本のバブル経済が崩壊し、失われた10年を経て、今ではそれが「ジャパンパッシング(日本外し)」にかわっているそうです。

なぜそうなったのか。その原因の一つとして、日本のエリートと呼ばれる人たちが、リスクを取ることを恐れて変化を避けてしまう傾向にあることがあげられていました。

今のように、変化が激しい時には、従来の枠にとらわれない発想でものごとにとりくむこと、言い換えれば既存の秩序を壊してゆかなければならないのに、日本のエリートと呼ばれる人たちが全くリスクを取ろうとしないこと、リスクを取らないことが最大のリスクなのに、そこから目を背けている。だから世界の変化に取り残され、日本に対する関心が低下しているのだというのです。

これを読んで次のようなことを考えました。

変化を恐れるのは、失敗は良くないことだという価値観で、失敗をしないという結果のみを評価する考え方の中で育ってしまったのではないかということです。もしくは、誰かの失敗を、まるで上げ足を取るかのようにバッシングする、批判する。そんな風潮が小さな失敗を恐れてリスクを取らない思考や姿勢を産んできたのかもしれません。

失敗から学んだり、失敗を活かして更に良くしようと挑戦する。常にそういう姿勢でいることと、誰かの失敗を批判しないこと、誰かの悪いところばかりを見ないことを心がけようということです。

オリンピック

2012/08/13

暑い夏をもっと熱くしたロンドンオリンピックの閉会式の様子が8月13日の朝テレビに映し出されていました。17日間にわたった大会のファイナルです。連日、テレビやラジオはオリンピックの話題で持ちきりでした。大会は終わってもしばらくオリンピックの話題は続くでしょう。

テレビでよく取り上げられている水泳や陸上、柔道、バレーボール、サッカーなどの競技が行われているのは知っていますが、他はあまりよく知りませんでした。オリンピックでは何種類くらいの競技があるのかと思って、日本オリンピック委員会のホームページを見ると、競技一覧というページに33の競技が紹介されていました。私が知らないだけかもしれませんが、あまりテレビでとりあげられない競技も見てみたいと思いました。個人的にはセーリングなどをじっくり見てみたい気がします。

オリンピックというと、どうしても、日本の選手が金メダルを取ったかということに関心が向いてしまいますが、メダルは結果です。もちろん結果も大切ですし、選手達はそのために努力を重ねていると言っても良いと思いますが、私などはどうしても目に見える結果ばかりを見てしまいます。そこに至るまでの努力の積み重ねはどれほどのものなのかなど、想像しようと思ってもできるものではありません。

ロンドン大会での日本のメダル数は、金7個、銀14個、銅17個の合計38個と史上最多だそうです。日本の選手の活躍に元気づけられます。

何となく感じたのですが、今回はチームで獲得したメダルが多かったように思います。個人のがんばりの結果としてのメダルもすばらしいと思いますが、チームのみんなで力を合わせ、ひとり一人が自分にしかできないことで、チームの勝利に貢献するという姿が多かったように感じました。

お互いが認め合い、信じ合い、力を合わせる。そんなチームはすばらしいですね。

きょうのごはん

2012/08/13

・ごはん

・だしふりかけ

・五色きんぴら

・おかか和え

・みそ汁

すいかの種

2012/08/13

先日、おやつにすいかが出ました。

子ども達も大好きなようで、少しでも量が多いのがいいなーと選ぶ目はキラキラしておりました。

そんな中、年長組の男の子が「すいかの種食べたら死ぬで」と一言。

その場にいた年中さん、年少さんは「うそやー」とリアクションしたり、中には「えっ・・・」という顏をした子もいたり・・・(笑)

すいかの種食べたら・・・そんな事になるなんて、なんてハイリスクなんでしょう(・_・;)

きょうのごはん

2012/08/12

8月11日(土)の献立です。アップが遅れてすみません。

・スパゲッティ

・ミモザサラダ

・トマトスープ

・スイカ

学童保育 6

2012/08/12

学童保育には、平均12人〜13人の小学生が通ってきています。そして、園から1人、お寺から1人の合計2人のスタッフが、保育にあたっています。スタッフが2人いれば、子どもたちに提示できる選択肢も増えますし、安全管理の面でも安心です。しかし、様々な事情で2人が揃わないこともあり、そんなときは、私が担当することもあります。先日始めてそんな機会が訪れて、何をしてみようかと久しぶりにちょっとドキドキしました。

その日は参加者が20人と多かったのですが、できるだけ子どもたちに任せてみようと思い、朝一番にみんなで今日の自分の予定を発表してもらってから、そのままそれぞれの活動に移りました。

しかし、何か一つくらい選べるメニューが用意してあっても良いと思って、「色探し」をすることにしました。色探しは、印刷の色見本帳から好きな色を選び、散歩をしながら選んだ色と同じ色のものを探すゲームです。本当はある程度色を限定して、自然物を見つけるのが良いのですが、その日は、色見本の色の種類が少なかったので、自然物、人工物を問わず同じ色を見つけることにしました。

たとえば、「みどり」と一言でいってもいろいろな「みどり」があります。実際に色見本を持って散歩してみると、それがよくわかります。選んだ色によっては似たものがなかなか見つからないこともあります。

まず、保育園に行くと、水色を選んだ女の子達が、プールに使っているビニールシートが自分たちの持っている色に近いことを見つけました。他にもフウセンカズラの実や誰かの靴の色、砂場の砂などいろいろなものを見つけていました。

お寺の本殿まで行きたいというので、ケーブルに乗って行ってみました。何度か同じ色や近い色を見つけた子の興味は他の遊びに移ってゆきましたが、1年生の女の子2人が選んだ「わかみどり」という色に近い色がなかなか見つかりません。緑というと葉っぱだと思いがちです。いろいろな葉っぱと比べてみますが、どうも違います。「これ似てる」といって見つけたのが青銅の灯籠についた緑青の色でした。緑と言えば葉っぱと思う固定概念にとらわれないで細かなところまで見ることができる子どもの目に感心しました。私は、かなり近い色だと思ったのですが、2人は納得がいかなかったのか、山麓まで歩いて下りる間もずっと緑を探していました。その根気にも感心させられました。

おたまじゃくしの成長

2012/08/11

ついにおたまじゃくしに足が生えました!

中には手の生えているものもいます。

大きなタライの中で泳ぐおたまじゃくし達。

今日帰り際に見てみると、

なんと手足の生えたものが今にも逃げ出しそうな所まで登っていました。

まだしっぽのある、おたまじゃくしともカエルともなんとも言えないような生き物。

明日どんな顔で子ども達が覗くだろう?ワクワクします!

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