2012年 9月

きょうのごはん

2012/09/03

・ごはん

・だしふりかけ

・肉じゃが

・ツナサラダ

・具沢山汁

くうしんさい

2012/09/03

先日、保護者の方から、ご実家の畑で収穫された「空心菜」という野菜をいただきました。

「ぜひ給食で使ってください。」とのことでしたので、翌日の給食に使うことにしました。

給食の時間になり、職員が「空心菜」の説明を子どもたちにしたところ、ほとんどの子どもたちが「空心菜」が初耳だっだ様子で、「ぼくのところに、くうしんさい入ってた!」「あ!あたしのところにも!!」等々と、ランチルームは「くうしんさい」の声でいっぱいになりました(^^)

防災訓練

2012/09/03

防災の日の9月1日、京都市総合防災訓練が左京区全域で行われ、参加しました。

花折断層を震源とする震度7の直下型地震が発生し、大きな被害が出たという想定で、約5,000人が参加する大規模なものです。岩倉の洛北中学校や岩倉東公園が主な会場となり、洛北中学校では避難所設置訓練と、ボランティアセンター設置訓練が行われ、岩倉東公園では防災関係機関による総合的な救出救助、医療救護、生活支援などの訓練が行われました。

また、左京区北部の久多地区や広河原地区は、福井県のおおい町にある大飯原発から半径30キロの緊急防護措置区域に入るため、原発事故を想定した訓練が行われました。震災による大飯原発事故を受けて国が原子力緊急事態宣言、市が避難指示をそれぞれ出したとの想定です。

私は、左京区社会福祉協議会が主体となって行った災害ボランティアセンター設置訓練に参加しました。災害ボランティアセンターは、被災者のニーズに応じて、集まってくださったボランティア希望者に作業を依頼し現場に案内したり、資機材を貸し出したり、ボランティアの心構えを伝えます。また、作業を終えて戻ってきたボランティアから、作業の進捗状況の報告を受けたり、ボランティアのケアを行うなど、多くの役割があります。

私は、被災者のニーズに応じてボランティアを集め、作業内容や現場への経路を伝えるなどの役割を果たすマッチング係りの担当になりました。事前に研修をして、何をするのかある程度わかっているとはいっても、いざ実際にやってみると、細かなところがどうするとスムーズに行くのか、様々な問題が現れてきます。どんな方法を取ると良いのか、そこに集まったメンバーで話し合って改善しながら進めましたが、こんな時に大切になるのが、いかに人の意見に耳を傾け、心をつくして聴くことができるかということだと思います。ついついみんなが、自分の考えを出すことだけに一生懸命になりがちですが、傾聴することを心がけないと、意見がぶつかるだけになってしまいます。皆で何かを行うためには話し合いが欠かせませんが、話し合う姿勢、特に話を聴く姿勢に注意を払っている必要があると思いました。

実際にやってみること、行動しないことには問題点も見えてきませんし、話し合い聴き合う姿勢がないとみんなで力を合わせることはできません。

いろいろなことを、実際に行動する中で改善をしてゆくことの大切さと、みんなで話し合うこと、中でも相手の意見を誠意を持って受け止めようと傾聴する心構えを保つことの大切さをを突きつけられました。

赤ちゃん学

2012/09/02

日本赤ちゃん学会理事長の小西行郎先生のお話をうかがう機会がありました。小西先生は赤ちゃん学会「設立にあたってのメッセージ」(赤ちゃん学会ホームページに掲載)において、20世紀末の子どもをめぐる状況は、これまで私たちが持ってきた「子ども観」の見直しを我々に迫っているとの見地から、こんなことを述べておられます。

(以下引用)

 一方、最近の神経科学の進歩は、「神経ダ-ウイニズム」という、脳は遺伝子で作られた粗い組織から無駄なものを削り取る2つの過程を経て成長するのではないかという概念を生み出し、また、発達心理や複雑系の研究では周囲からの刺激によって動くという原始反射は決して、新生児の行動の基本ではなく、新生児を自ら自発的に周囲に働きかける存在として捉えるべきではないかという研究が増えています。
こうしたいくつかの新しい考え方や所見は21世紀の「子ども観」を新たに構築するのに十分な可能性を持っていると考えられるのです。
(引用ここまで)

近年顕著化している子どもをめぐる問題が、これまでの「子ども観」の結果だとしたら、それを早急に見直し、21世紀の新たな「子ども観」を構築しなければならず、そのためには子どもに関係する研究を行なうすべてのものが一同に介し、研究協力や討論を行なうべきだとおっしゃっています。

ここで「子どもに関する研究を行うすべてのものが一同に介し」とあるように、赤ちゃん学は、小児科学、発達認知心理学、発達神経学、脳科学、ロボット工学、物理学、教育学、霊長類学などの異分野研究の融合による新しい学問領域であり、21世紀最大の謎といわれる赤ちゃんの運動・認知・言語および社会性の発達とその障害メカニズムの解明から、ヒトの心の発達までを対象とする学問で、赤ちゃんを総合的に多面的な観点からとらえる、赤ちゃんを中心とした学問なのです。

様々な研究成果からわかる赤ちゃんの姿から、もう一度保育を考える必要があるかもしれません。

自然から学ぶ 〜見守る2〜

2012/09/01

畑の作物は育つ環境さえ整えておけば、自分の力でしっかりと育つことができます。そのための最適な環境は、他の様々な植物や昆虫も一緒に生活している自然に近い環境です。もちろん、そこで育つ作物は、大きくて形も味も良い人間にとって都合の良いものではありません。小さいし、味にも多少クセがあります。まだトウモロコシしか食べていませんが、甘いだけではない多少渋みやクセのある濃い味でした。自然に育つからでしょう。

そうやって環境さえ整えてあげれば、人間がそれほど手を出さなくてもちゃんと育つのに、畑を見にいくとつい何かをしたくなります。なぜでしょう?

そう思うと作物を育てるのは、子どもを育てるのと似ています。もちろん人間の子どもは植物ではありませんが、適切な環境さえ用意してあげれば、自分で育ってゆく力を持っているはずです。

それは赤ちゃんからそうだと思います。もちろんその時々で適切な環境は異なります。赤ちゃんはお母さんのお腹の中にいる時から、触覚などを通して自分と他者を知り、自分を取り巻く環境に自ら働きかけて発達しています。

もちろん生まれてからもその時々に応じて、必要な環境を選んで自ら関わることで、発達してゆくのです。

その環境の中でも大切なのは、安心基地としての大人の存在という環境ではないでしょうか。赤ちゃんの時であれば、無防備な赤ちゃんをしっかりと守り、授乳をしたりお世話をする、母親に代表される大人の存在でしょう。少し大きくなると、他の大人の存在も大切になってきます。父親であったり、他の家族であったり、保育者であったりします。

もっと大きくなっても、心の安心基地としての誰かの存在は必要なのではないでしょうか。それは、たとえ大人になっても話を聞いてくれたり励ましてくれる存在としての誰かが必要だと思います。

特に子どもの時は安心基地としての大人の存在が必要です。安心基地は決して、ああしろ!こうしろ!とうるさく言いませんし、必要以上の手出しをすることはありません。安心基地が自分の思う通りに子どもを動かそうとしたら、安心基地ではなくなってしまいます。

どんどん外へ出て行こうとする子どもが不安になって振り返った時に、しっかりと見守ってもらっていることを感じられると、不安が安心に変わってまた外へ向かって挑戦できるのです。

保育者は子どもにとってそういう存在であるべきだと思います。決して何かを教え込むのではなく、まして、自分の思うとおりにさせようとするのではありません。この子にとって今本当に必要なことや環境はなにかを深く考え、そのための環境を用意することが必要なのではないでしょうか。

きゅうり2

2012/09/01

最近すみれ、たんぽぽで育てているキュウリが・・・

こんな感じになりました。
すごく自由に伸びています。
もはや、わけわからなくなってます。
でも、キュウリにちゃんとなってくれます。
自然って、不思議!!

 

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