2014年 3月

隠れ家

2014/03/11

昨年の秋、学童保育に来ている子どもたちが、ダンボールを使って何やら作っていました。私の姿を見ると、「大きなダンボールない?たくさん欲しいんやけど。」というので、何をするのか聞いてみると、どうやらダンボールを使って自分たちの隠れ家を作りたかったようです。そういうことならと、いろいろなところから大きめのダンボールを集めてきたら、喜んでああでもないこうでもないと試行錯誤しながら作っていました。
私は、しばらくその場を離れて仕事をしていたのですが、子どもたちの隠れ家がどうなったのか、気になってしょうがないので様子を見に行ってみました。

ダンボールを使った壁は随分とできていて、絵を描くなど、装飾もしていました。子どもたちは屋根を作ることは考えていなかったのか、最初から作らないつもりだったのかはわかりませんが、屋根を作ろうとはしていないようでした。屋根があったら面白そうだと思ったので、「屋根は作らないの?」と聞いてみたら、作りたいという思いはあるものの、どうやって作るのが良いのか、アイデアが浮かばないようでした。

天井にフックをつけられるようにしてあったことを思い出したので、天井から吊り下げて屋根を作ってはどうかと子どもたちに提案してみました。そうなると私自身の中で屋根のイメージが出来上がってしまい、自分がやってみたくなってしまいます。ダンボールの強度を増す為に細い角材で補強して、紐で天井から吊り下げてみると、なんとか屋根らしくなりました。子どもたちは喜んでいましたが、どうすれば、子どもたちが相談しあって自分たちで形にできるかをもっと考えて、それなりのことばがけやアプローチをすればよかったと、反省しました。一つ作って、もう一つ分の材料を用意しておいたら、子どもたちは自分たちで作っていました。

お役に立つ

2014/03/10

3月も中旬になったというのに、まるで真冬に逆戻りしたかのような寒さです。先日の朝の気温は氷点下4度。最近では真冬でも時々しか経験しない気温です。昨夜から降り続いた雪が木々を真っ白にしてしまいました。朝日があたると、とても美しくキラキラと輝いていました。

私たちの心も、本来はキラキラと輝いて美しいのだと思いますが、貪りや、瞋り、愚かさによって表面が曇り薄汚れてゆきます。懺悔によってその汚れを取り除いてゆけば良いのだと思いますが、知らないうちに曇りが増して汚れがたまってゆくので、常に懺悔する必要があります。本来の素直な自分の心が、貪りや瞋り、愚かさによって汚れ、謙虚さや感謝の気持ちが薄らぎ、何もわからないのに何でもわかったような気になって傲慢に、わがままになってゆくのかもしれません。

わかった気になって傲慢になっている自分に気付かず、いい気になっていると、神仏が「いい加減にしなさい!」といって知らせてくださいます。たいていは、ショックなことだったり、痛い目にあうことが多いのです。そんな神仏からのメッセージを最近受け取ることがありました。

かなりショックで落ち込みましたが、そのときにしみじみと感じたことが、多くの方々に支えられているということです。職員の皆さんも全力で支えてくださいましたし、保護者の皆さんも、たくさんの方が心配して励ましたり勇気づけてくださいました。

多くの方々がこれほどまでに支えてくださっているのに、自分はどれほど皆様のお役に立つことができているのだろうと、ふり返らずにはいられませんでした。

まだまだお役に立つ事なんてできていない。そんな思いが広がります。皆様のお役に立てるように、どれだけ心を尽くし、力を尽くすことができるのか、いつも謙虚に自分自身をふり返ることを忘れずに努力しなくては、皆様のご恩に報いることはできません。
これほどまでにすばらしいご縁をいただいていることに感謝せずにはいられません。

懺悔(さんげ)

2014/03/09

私(たち)は意識しなくても意識していても、多かれ少なかれ、何かしら罪を犯しながら生きています。だからこそ、いつもいつも、心から「ごめんなさい」の気持ちを忘れないようにしたいものです。ことばを代えれば、いつも懺悔(さんげ)から始まる。罪ばかり犯してしまっている自分を省みて、「ごめんなさい」から始めることを忘れずにいたいと思います。それは、いつも至らない自分だということを意識に留めて、わかった気になって、思い上がっていないかを確認することでもあります。謙虚に謹み深く生きているかを常に省みるということです。ふりかえると、まったくそうできていない自分がいることに気付きます。何回懺悔しても、また罪を犯してしまう。そしてまた懺悔する。その繰り返しなのかもしれません。しかし、懺悔をしなければ罪はどんどん深まってゆきそうです。

勤行や法要で唱える懺悔文(さんげもん)というのがあります。

(偈文)
我昔所造諸悪業

皆由無始貪瞋癡

従身語意之所生

一切我今皆懺悔

(意味)
私は、昔からたくさんの悪い業を作ってきました。
ずっとずっと昔から、貪り(欲望)と瞋り(いかり)と愚痴(愚かさ)により、
身体と言葉と心によって作ってきたものです。
私は今、それらの全てを懺悔します。

心の深いところでこの文を噛みしめて感じ、心の底からそう思って懺悔しても、犯してしまった深い罪はなかなか消えそうにありません。懺悔し続けるしかありません。

クスミリンゴガイ

2014/03/08

    クスミリンゴガイ

子どもたちが琵琶湖岸で見つけた比較的大きな巻き貝の貝殻、なんていう名前の貝なのかわからなかったので、琵琶湖博物館で聞くことにしました。質問コーナーで専門の先生が教えてくださったのは、クスミリンゴガイという貝だということです。

クスミリンゴガイはジャンボタニシとも呼ばれるそうですが、タニシとは別の種類なのだそうです。南アメリカのラプラタ川周辺が原産です。エスカルゴのように食用にしようと輸入、養殖されたけれども、需要が少なく、ビジネスは成り立たず、養殖場から逃げたり、廃棄されたクスミリンゴガイは野生化して分布を広げているそうです。

  真剣に説明を聞く子どもたち


ただ住み着いただけなら良いのですが、稲に食害をするので害虫になっています。こういった話はよく聞きますが、そのたびに人間って勝手だという思いを強くします。輸入していらなくなったら廃棄、外来種は天敵が少なかったり、繁殖力が強かったりして、生態系に影響を及ぼす。そうすると害を為すといって駆除の対象にされる。こういう類いの話を聞くたびにどこか身勝手な気がしてしょうがないのです。

クスミリンゴガイは、水陸両棲で水中でえら呼吸ができるうえに、肺呼吸もできるそうです。ですからいろいろなところに移動してひろがってゆくし駆除もしにくいと聞きました。また、年に10回から30回も産卵し、1回に200個から700個も卵を産みます。その卵の写真を見せていただいたのですが、とてもあざやかなピンク色で、毒々しさすら感じてしまいます。この卵を食する天敵もいないので、多くの卵がかえるのですから増えるのはあたりまえです。

水生植物を食べますが、稲の幼苗、柔ら合い時期のれんこんなどの農作物を食べるので害虫と言われるのです。もちろんキャベツやレタスなどの野菜も食べますし、時には死んだ魚を食べたり、共食いすることもあるそうです。説明してくださった先生は「何でも食べる」とおっしゃっていました。水面に逆さまになって浮かんで、身体を広げて、水面に浮かんだ餌を集めて食べたりもするそうです。

ひとりの子どもが、「どうして貝殻は割れているのですか」と質問していましたが、ザリガニやイタチ、その他の動物に食べられることがあるので、その時に割れたのではないかと先生はおっしゃっていました。

いろいろと説明してくださる先生のお話を、子どもたちは真剣に聞き入っていましたし、一緒に行った保育士の先生も、私もとても興味深く、時々質問もしながら聞かせていただきました。とても良い経験ができたと思います。

貝殻

2014/03/07

琵琶湖博物館に遠足に行った5歳児たちは、琵琶湖を中心とした淡水魚の水族展示を存分に楽しみました。もっと時間があれば、もっと楽しめたと思います。比較的暖かな日和だったので、琵琶湖の近くでおべんとうをいただきました。

おべんとうを食べ終わってから、しばらくのあいだ芝生の上で遊び、斜面を転がったり、つくしを見つけたりしていましたが、突然1人が、「これなに?」と何かを見つけたようでした。見てみると、拳くらいはありそうな巻き貝の貝殻です。そんな大きな巻き貝の貝殻を琵琶湖周辺で見たことはなかったので、おもちゃか何か人工物かと思いました。よく見てみると、貝殻が割れた断面などは本物の貝殻のようです。これなんの貝殻かな?とみんなで不思議がっていたら、「こっちにもある」「あっちにも転がってる。」と3つ〜4つの貝殻を見つけました。ますます不思議になって、なんだろうと思案していたら、「琵琶湖博物館で聞いてみたら?」と提案してくれる子がいました。確かに良い考えです。淡水で暮らす生物の研究者、専門家が大勢いらっしゃるのですから、聞かない手はありません。もちろん琵琶湖博物館の図書館で図鑑を使って調べるという方法もありましたが、子どもたちは専門家に聞くという方法を思いついたようです。

そうと決まれば、早速博物館にもどります。もともと午後も見学をする予定だったので、その前にこの貝について尋ねてみることにしたのです。博物館の図書館には質問コーナーというコーナーがあり、質問できるようになっていました。今まで何度も訪れていますが、ここで質問するというのは初めての経験です。質問コーナーを訪れたときは、どなたもいらっしゃらなかったのですが、すぐにもどってこられた担当の方を待ちかねた子どもたちが、「これなんですか?」と貝殻を見せると、貝がご専門の方を呼んでくださいました。立派な白いおひげを湛えたまるで仙人のような先生が、その貝を一目見て、「これは、スクミリンゴガイですね。」とおっしゃいました。スクミリンゴガイ、聞いたことのない名前です。

お別れ遠足 2014

2014/03/06

   なにを話しているのかな?

毎年、3月になると5歳児が卒園前のお別れ遠足に出かけます。毎年、滋賀県の琵琶湖博物館を訪れていて、今年もみんなで出かけました。琵琶湖博物館については、前にも書いたので詳しくは書きませんが、1階の淡水魚の水族館で、子どもたちはビワコナマズの大きさに驚いたり、ビワマスの群れが美しい模様を描いて泳いでいるのをじっと見つめていたり、魚がこちらに向かって口をぱくぱくさせているのを見て、「何か話しているよ。なんて言っているのかなー?」とイメージを膨らませたり、カイツブリが鳥なのに上手に水中を泳ぐのを長い時間じっくり見ていました。

   きれいに並んで泳いでいるね!


子どもたちはそれぞれ興味のあることが少しずつ違うので、みんなで一つの水槽を一斉に見る事もあれば、それぞれの興味に従って、ある程度の幅の中で自由に興味のあるものを見学していました。あまりにじっくりと見すぎて、お弁当の時間が遅くなってしまったくらいです。

前日は少し寒かったのですが、当日はお天気にも恵まれ、戸外でじっとしていると少し寒いものの、

   鳥なのに、上手に泳ぐね!


琵琶湖岸の芝生の上でお弁当を広げました。みんな、手作りの弁当を見せ合いながら、おいしく楽しく、いただくことができました。子どもたちのお弁当のかわいらしいこと。お母さん方の子どもに喜んで食べてほしいという願いが伝わってきます。それにしても、最近のお弁当はとても凝ったものが多くて驚きます。お弁当を持って出かけたときには、子どもたちが自分のお弁当を見せてくれるのが楽しみです。                                                                                      

オオサンショウウオって大きいんだね。

左右

2014/03/05

男雛女雛の左右は良く話題にされます。ひな祭りの日にラジオでも取り上げられていました。前回も書いたように、有職と呼ばれるひな人形は男雛が向かって右女雛が向かって左に飾られますが、それは昭和天皇の即位の礼の時に、西洋式に倣って天皇が向かって左、皇后が向かって右に立たれたれました。そのときに関東地方を中心に男雛、女雛の並び方が変わったようです。ところが、天皇が向かって左、皇后が向かって右の西洋式の並び方になったのは明治時代だともいわれています。文明開化の時代の中でいろいろなことが西洋化したのかもしれません。

上座、下座というのは良くないのでしょうけれども、向かって右が上座ということはあるようです。ひな人形でも左大臣、右大臣がありますが、ひな人形では老人の姿をしている左大臣は天皇の左手側(向かって右側)に飾り、右大臣るのが一般的なようです。そういえば、お寺で行われる法要でも、本尊に向かって右側に法臈の長い、つまり先輩の僧侶が座ることが多いです。

「左近の桜、右近の橘」といいますが、御所紫宸殿の左近の桜は、南を向いて建物の東側、建物の中にいらっしゃるであろう天皇の左手側に植えられ、右近の橘は西側、天皇の右手側に植えられています。ひな人形でも桜が向かって右、橘が向かって右に飾られる方が多いのではないでしょうか。

ですから、関東式といわれる、男雛が向かって左、女雛が向かって右の飾り方は、男雛女雛の位置だけが違っていて、他のならびは変わっていないようです。

左右を決めているのは、中国の陰陽説によるとも言われています。陰陽説は、全ての成り立ち陰と陽とは互いに対立する属性を持った二つの気であり、万物の生成消滅といった変化はこの二つの気によって起こるとされています。太陽は陽、月は陰、天は陽、地は陰、性別で言えば男性は陽女性は陰、左右で言えば左が陽、右が陰なのだそうです。それも関係ありそうです。

いろいろなことは、時代とともに移り変わってゆくものですね。

ひな人形

2014/03/04

ひなまつりは「上巳の節句」です。「上巳」ということばが示すように、もともとは3月上旬の巳の日に、川で禊ぎを行い汚れを祓うことが中国ではおこなわれていたようです。
平安時代には、この日に人形(ひとがた)で身体を撫でて、人形に穢れを移して川や海に流すとことが行われました。流し雛として今でも行われているところがあります。一方で貴族の子女が、人形を使って日常生活を真似た「雛遊び」が行われていました。おままごとやごっこ遊びです。やはり昔の子どもも、日常生活の中で大人のしていることをまねる、おままごとやごっこ遊びをしていたのですね。そうやって生活する術を身につけてゆくことは、発達の普遍性として、私たちの遺伝子に組み込まれているのでしょう。
この、汚れを祓うための人形とおままごとの雛遊びが融合して雛人形になったようで、室町時代ごろには男女一対の人形を飾るようになり、現在のような段飾りが行われるようになったのは江戸時代の中期以降、それも武家や商家のことなのだそうです。今、あたりまえのように飾っている段飾りのひな人形にもこんな歴史があるのですね。

ところで、ひな人形を飾るときに良く話題になるのが、男雛と女雛を左右どちらに飾るかということです。京都では男雛が向かって右、女雛が左という飾り方が多いようです。京都というより「有職」とよばれる、宮廷で育まれた文化を受け継ぐといわれる雛人形が、男雛を向かって右に飾るようです。京都の人形を作っている会社のホームページには「多様な様式をもつ節句人形の中でも、宮廷で育まれた文化を受け継ぐものを「有職ひな人形」と称します。」(京都島津HP)とあり、宮中の儀式、行事、祭礼などにおける衣裳、調度、用具、飲食などをしきたりに基づいて執り行うことを「有職」と言います。宮中のしきたりでは、天皇、皇后が並ぶ場合は皇后が天皇の右手側ということです。その理由には「天子南面」という中国の思想があるともいわれます。皇帝や天皇は、南を向くということです。そして、太陽が昇ってくる東側が最も位の高い方向とされ、天子は南の方を向いて東側にいらっしゃるという説です。そうすると皇后が西側にいることになり、向かい合っている家臣からみると、天皇は向かって右、皇后は向かって左です。

節句

2014/03/03

3月3日はひなまつり、桃の節句です。上巳(じょうし)の節句とも言います。節句とは季節の変わり目と言うことですが、もともとは竹の節という意味だった「節」という文字が、ものの取扱などの規定を定めた「節度」礼儀や作法を定める「礼節」、そして一定の次第や順序のあること「季節」に使われたそうです。また、「句」の字には「まがる」という意味があり、文章の意味の切れ目にまがった「、」を印としてつけたので、文章中のひと区切りのことばを「句」というのだそうです。(白川 静 著『常用字解』より一部抜粋)ですから、季節の区切りが節句なのでしょう。漢字の由来を調べてみましたが、他の説として「節供」と書いて、節日という季節の変わり目の日に天皇に捧げた供御(飲食物)という意味で、節日に供した供御で「節供」と書くという説ものもあります。広辞苑の「節供」の項には「節日に供する供御(くご)。元日の膳、正月15日(上元)の粥(かゆ)、3月3日(上巳)の草餅、5月5日(端午)の粽(ちまき)、7月7日(七夕)の索餅(さくべい)、10月初の亥の日の亥子餅(いのこもち)の類。せく。おせち。せちごと。」(広辞苑 第六版)と説明されています。

また、節会ということばもあります。広辞苑には「古代、朝廷で、節日その他公事(くじ)のある日に行われた宴会。この日、天皇が出御して酒食を群臣に賜った。元日・白馬(あおうま)・踏歌(とうか)・端午(たんご)・重陽(ちょうよう)・豊明(とよのあかり)・任大臣など。せち」(広辞苑 第六版)とあります。

「節日その他公事(くじ)のある日に行われた宴会」が節会、「節日に供する供御(くご)」が節供、節句は節日とほぼ同じ意味と理解してよいでしょうか。言葉の持つ意味の範囲は時代によっても異なり難しいと思います。

1月7日の人日(じんじつ)、3月3日の上巳(じょうし)、5月5日の端午(たんご)、7月7日の七夕、9月9日の重陽(ちょうよう)が五節句となったのは、江戸時代に幕府が式日として定めてからなのだそうです。

噛む

2014/03/02

人間の身体って不思議です。歯はそんなに変化するものではないと思っていますが、歯も動きます。だから、矯正ができるのですが、歯の位置や高さが、考えている以上に早く変わります。前にも書きましたが、1本の歯を失うと、その隣の歯が傾いていきますし、かみ合っていた歯は長くなるそうです。

実は私も、かみ合わせが悪くて治療中なのですが、その治療方法が樹脂製のマウスピースを上顎に装着して、少しずつ歯を動かしてゆくのです。マウスピースは取り外し可能なので、食事の時に取り外して、着けるのを忘れてしまうことがあります。そのまま寝てしまって、翌朝マウスピースを装着すると、少し入りにくく違和感を伴います。マウスピースを外している間に自分の歯が動いているということなのだと思います。たった一晩で変わってしまうのには驚きます。マウスピースをしばらく着けていた後は、安定して噛むことができます。噛んだときに同じところで噛んでいる感覚というか、意識しないで口を閉じたときに、上の歯と下の歯の同じところが当たっているという感じです。治療を始める前は、噛んだときにどこで噛んで良いのかわからない感じでした。このマウスピースを少しずつ調整しながら治療を進めてゆきます。

うまく噛めなくなった原因には、ついつい歯をくいしばってしまったり、寝ている間に強く歯ぎしりをしているからだそうです。歯を食いしばることは大切なことですが、常にそういう状態だと、かみ合わせのバランスが崩れます。自分の口がどうなっているか、時々意識をしてみると、思わぬ時に強めに噛んでいることが多いのです。例えば、パソコンをさわっているとき、本を読んでいるとき、軽い力でできる事なのに、強めに噛んでいることがあります。それに気がついたときは力を抜くようにしていますが、かなり頻繁に噛んでいます。寝ている間の歯ぎしりはどうしようもありませんが、人は自分の体重くらいの力で噛んでいるそうなので、そんな力で噛みながら歯ぎしりすれば、固い歯もすり減ってしまうのはわかりますね。

もちろんくいしばるのが悪いことではありません。椅子に腰掛けた状態で、口を開けたまま立ち上がるのは、力が入らない気がします。力を出すとき、がんばるときは歯を食いしばらなくてはならないのです。しっかりとくいしばって力が出せるように、がんばれるように、歯も整えておくのが良いと思います。

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