2014年 6月

聞く 5

2014/06/30

ラジオや音楽を聴きながら勉強できる人とそうでない人がいるように、人はひとり1人みんな違います。
ときどき、我慢できないほど大きな音がしているわけでもないのに、両手で耳を塞いでしまう子がいます。きっとその子には、大多数の他の人よりも、音がとても大きく聞こえたり、他の人よりも選択的聴取がとても苦手で、同時にたくさんの音が聞こえてきてしまい、混乱するのかもしれません。

それが、大多数の人とは異なっているから良いとか悪いとかいうのではなく、その人の一つの特徴なのです。だから音が大きく聞こえすぎるのなら、大きな音を立てないように配慮するとか、いろいろな音が同時に聞こえてしまうなら、伝えたいことはできるだけ静かな環境で伝えるとか、その人が生きにくくならないような配慮や工夫をするしくみがあれば、その人は困らずにすみます。

ついつい私たちは大多数の人と大きく異なる特徴を持った人を特別視しがちですが、なにか特徴を持っているということは、当然のことです。みんなひとり1人違うのですから。ちがうことを同じにしようとするのではなく、ちがうことを活かしてみんなの役に立つことを考えた方が、みんながハッピーになれそうじゃありませんか。

音が大きく聞こえる人は、小さい音でも聞こえるのかもしれませんし、いろいろな音が同時に聞こえてしまう人は、同時に何人もの話を聞く力を持っているのかもしれません。(あくまでも私の単純な想像ですので、気にしないでください。失礼があればお詫びします)

ひとり1人のいいところを認め合い、そのいいところをみんなのために役立てる。みんながそんな関係になれるといいですね。

聞く 4

2014/06/29

いろいろな音が耳に入ってきても、その中から取捨選択して自分に必要な音だけを聞くことができるのです。ところが、選択的注意、選択的聴取も人によって差があります。

皆さんはラジオや音楽を聴きながら勉強できますか。私はできません。

家では良くFMラジオを聞いているのですが、なにか他のことをしながら聞いていても、私にはパーソナリティの言っていることが良く聞こえてきます。あるときパーソナリティがおもしろいことを言ったので、同じ場所で同じことをしている妻に、「今の話おもしろかったよね。」と同意を求めると、「えっ!何の話?」と聞き返されました。「ラジオでおもしろいことを言ってたじゃない。」というと「聞いていなかった。」と返ってくるのです。「なんで、ラジオを聞いているのに、聞いていないの?」と変な質問をしてしまうことがありました。

家内は自分のやっていることに集中しているのでしょうけれども、私はどうも何かをやっていても、聴覚から入ってくることには敏感に反応してしまいそっちが気になって集中力が途切れてしまうことが多いのです。家内は選択聴取がうまくできていて、私はそれが苦手なのかもしれません。

聞く 3

2014/06/28

私たちはあまり意識こそしていませんが、聞きたい音を他の音と区別して聞き分けて生活しています。

私たちはもちろん音だけではなく他の様々な情報も自分に必要なものを選択して取り入れています。視覚情報も注意を向けていなければ、有効な情報として取り扱うことはできません。

つい先日まで、そこにあった木が植え替えられたとします。ところが、その木に注意を払っていなければ、今までそこにあった木が無くなっていることにさえ気づかないでしょう。目に入っていても見えていないのです。そんな経験はありませんか。

赤ちゃんについていろいろなことを調べる実験では、この選択的注意、特に選好注視ということが用いられます。赤ちゃんはまだことばによる会話ができないので、赤ちゃんが何を見ているのか(視線)を調べることで、何に興味を持っているのか、見えなくても予測ができるのかなどを調べる研究が行われていますし、何を見ているのかを簡単に計測できる機材なども開発されています。

聞く 2

2014/06/27

普段、私たちはあまり意識をすることなくいろいろな音を聞いています。耳には様々な音が同時に入ってきているはずですが、私たちは、同時に聞こえてくる音の中から、興味のあることや注意を向けたこと、自分に関係のありそうな情報を選び取って聞いています。このことを「カクテルパーティー効果」と呼ぶそうです。

カクテルパーティーでは多くの人が様々な会話をしていますが、その様々な会話の中から自分が会話している相手の声だけを主に選択して聞いたり、自分に関係のありそうな話しをしている人の声だけを聞き取ることができます。

たとえ、目の前で面と向かって話している人がいたとしても、他の人が自分の興味のある話をしているのが聞こえてくると、目の前の人のことは見ていても、その人の話は聞こえないで、隣の会話が聞こえてくることさえあるかもしれません。

私たちはそうやって何を聞くかを選んで聞いているのです。これを選択的聴取といって、1953年に心理学者のチェリーによって提唱されたそうです。

聞く 1

2014/06/26

目を閉じて視覚を使わずに、他の感覚を使ってみよう、とくに音を聞くこと、聴覚を意識して使ってみようという思いから、山の中で子どもたちと目を閉じて、どんな音が聞こえてくるかに意識を集中してみました。

簡単に聞くことに意識を集中するといいましたが、聞くこと自体が取捨選択しているのだということを改めて思い直しました。

静かな山の中で、鳥のさえずり、遠くから聞こえる飛行機の音、木々が風にそよぐ音などが順番に聞こえました。それらの音は、音波としては同時に私の鼓膜を振動させているのでしょうけれども、音の聞こえ方としては、最初に鳥のさえずりが良く聞こえました。次に飛行機の飛んでいる音、そして風にそよぐ木々の音です。最初に鳥のさえずりが聞こえたのは甲高く注意を向けやすい音だったからかもしれませんし、山に登ってくる途中でオオルリらしきさえずりを聞いていたので、オオルリが鳴いているのかな?と興味を持っていたからかもしれません。ある程度鳥の声を聞いて、それに慣れてくる(飽きてくる?)と今度は飛行機の音が聞こえてきました。せっかく自然の中にいるのだから、人工的な音はあまり聞こえて欲しくないという意味で注意を払ったので、それが聞こえてきたのでしょう。その飛行機の音も、まあしょうがないかと思っているうちに、木々の風にそよぐ音が心地よく聞こえ出しました。さやさやというさわやかな音に安らぎを覚えたからでしょう。

音の波は、同じように鼓膜に届いているはずなのに、聞こえ方が異なっているのはどうしてなのでしょうか。また、どうして鳥の声、飛行機の音、木々が風にそよぐ音の順に聞こえたのでしょうか。

おべんとう day 6

2014/06/25

静かな山の中、みんなで目を閉じて耳を澄ませると、どんな音が聞こえてくるのか。子どもたちが五感のうちの聴覚を意識して使ってみると良いと思い

私も同じようにやってみました。まず聞こえてきたのが、鳥たちのさえずりです。鳥の声に意識を集中すると、2〜3種類のさえずりが聞こえてきます。何という名前の鳥なのか私にはよくわかりませんが、鳥たちは何を話しているのかな?などと思いながらしばらく聞いていました。しばらくすると今度は違う音が気になりました。遠くの空を飛行機が飛んでいる音です。ゴーという音ですが、遠いので大きな音ではありません。山の中だから人工的な音が少ないだろうと思っていましたが、空から飛行機の音が聞こえてきました。そうしているうちに、木々の枝が風にゆれる音がしていることに気づきました。さやさやと葉っぱたちがゆれて、強く弱くリズミカルにまるで音楽を奏でているようです。目を閉じて風を見ているような感覚になりました。

2〜3分の短い時間ですが、聞くことに集中すると、いろいろな音に気付く事ができました。そして、目を閉じていることにより、音から様々なイメージが浮かんでくることにも改めて気づくことができて、おもしろいものです。

いろいろな音を聞いて、子どもたちのこころには、何が浮かんできたのでしょう。

おべんとう day 5

2014/06/24

「ありがとうございました。」手をあわせて一礼する子どもたち。龍神様にモリアオガエルのたまごを観察させていただいたお礼をいって、池を後にしようとしました時、私はあることを思いつきました。せっかくここまで観察に集中してきて、子どもたちの心も落ち着き、静かにする雰囲気にもなっているのだから、この機会に静かだからこそできる「聞くこと」に集中する機会を作ってみても良いかもしれないということです。特に人工的な音が少ない場所に来ているので、他の場所よりやってみる価値はあります。
普段私たちは、多くの情報を視覚から得ています。時には、敢えて視覚情報を使わずに他の感覚を意識して使うことも必要かもしれません。

そこで、子どもたちに「目を閉じて、音を立てずに、どんな音がするか耳を澄ませて聞いてみてくれる。」と頼んでみました。子どもたちはすぐに目を閉じて聞いていました。もちろん話をする子は1人もいませんでした。

おべんとう day 4

2014/06/23

      たくさんあるね

龍神様にご挨拶をしてから、モリアオガエルのたまごを探して池の周りを歩き始めました。早速、モリアオガエルのたまごが枝にくっついているのを見つけた子が、思わず「あっ!」と声をあげるみんな一斉に「しー!」 静かに!という合図を送ります。声を出した子は慌てて口を押さえていました。

たまごがいくつあるか数えようとしましたが、多すぎて数えられません。子どもたちの目はするどくて、たまごによって色や大きさが違うことなどに疑問を持ちながら観察していました。そのうちたまごって固いのかな?やわらかいのかな?と言いだしたので、

    白い花が咲いたようです

子どもが触れる高さにたまごがないか探すと、枝を少し引っ張れば触れるのをみつけました。子どもたちと触ってみると、表面は少し乾燥してパサパサした触感になっています。

こんなにかたいのにたまごはどうやって出るのだろう?と疑問を投げかける子がいると、みんな頭の中は???だらけになってしまいました。いろんな疑問が上がったところで、それらを整理して園に帰って図鑑や解説書で調べてみることにしました。

もちろん大人が知っていることを教えてあげることもできるのですが、今回はできるだけ自分たちで調べて欲しいと思ったので保育園に帰って調べることにして観察終了。

30分くらい池の周りにいましたが、その間子どもたちはずっと静かにしていました。普段はおしゃべりが大好きなみんなですが、このときばかりは必要なこと以外は話さずに観察に集中していた様子でした。

おべんとう day 3

2014/06/22

山の上にある池にモリアオガエルのたまごを見に行こうと、意気揚々と出かけた5歳児たち。池には龍神さんがいるかもしれないと聞いて、少し顔つきが変わりました。決して怖がっているわけではなく、少し神妙な面持ちになったのです。そして池に向けて、最後の坂を登ります。抜き足差し足といった感じで、声も出さずに一歩ずつ歩みを進めます。聞こえるのは土を踏みしめる音だけ。

長い坂を登り切ると池が見えてきました。もう一度立ち止まり、子どもたちと口に人差し指を当てて「しー」と合図をしあってから、池の近くに進みます。先ずは龍神さまをお祀りしているお社の前で「龍神さま龍神さま、これから鞍馬山保育園のゆりぐみの子どもたちがモリアオガエルのたまごを観察させていただきます。よろしくお願いします。」と言って一礼すると子どもたちも深々と頭を下げていました。

龍神様にご挨拶をしたら、いよいよ観察です。

おべんとう day 2

2014/06/21

モリアオガエルのたまごの観察に行くことになった5歳児たち、事前にいろいろと調べたり、話を聞いたりして想像や期待が膨らんでいることに加えて、おべんとうを食べて午後も活動するということ自体がいつもと違うことなので、かなり興奮気味です。山を歩いている途中もおしゃべりが止まりません。

このままモリアオガエルのたまごを見に行っても、観察に集中できないかもしれないなー。と少し心配になったので、子どもたちに気持ちを切り替えて落ち着くきっかけになることはないかと考えました。

まずは池に近づく少し手前で立ち止まり、子どもたちに池のことを説明します。今から行く池は、龍神池といって龍の神様がいらっしゃると言われている池です。もしかしたら龍の神様が寝ているかもしれないから、大騒ぎすると起こしてしまう。といった意味のことを説明して、「龍の神様を邪魔しないようにするにはどうすれば良いかな?」とたずねると「静かにす!」「大きな声を出さない!」「(音を立てないように)ゆっくり歩く!」と子どもたちが小声で答えてくれました。もちろん私も小声で質問しています。

保育者には大きな声が必要だと思われがちですが、子どもの声が大きいからと言って、大人がさらに大きな声をかぶせて話すと、子どもの声は、更に大きくなることがよくあります。ですから、敢えて小さな声で話すことで、子どもは耳を澄ませて聞いてくれることがあります。もちろんいつもそうだとは限らないのですが・・・
小声で話すことで、みんなが気持ちを集中して聞こうとするので、ちょっとした一体感が感じられることもあるのです。

子どもに何かを伝えるときもいろいろな方法があります。大きな声で、子どもに聞かせようとするのではなく、小さな声で子どもが聞きたくなるように話したいな。と心がけています。子どもが「聞きたい」と思っているときが、一番聞いてくれると思うからです。

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