2013年 5月

おひるごはん

2013/05/31

園にいるときは、できるだけお昼ご飯を子どもたちと一緒に食べるようにしています。なぜかいつもバタバタしていて食べ始めるのが遅くなってしまいます。そうするとゆっくり食事する子どもたちと一緒に食べることになります。食が細かったり、野菜が苦手だったりしてなかなか食べられない子もいます。できるだけ、その子が食べようと思って食べられるようなことばがけであったり、一緒に食べることであったり、待ったり、食材について話したり、時には笑い合ったりしながら共に食べています。

当園の昼食はセミバイキング形式をとっています。それは配膳の時に子どもが、その時おなかのすき具合やおかずの内容、自分がどれくらい食べられるかということから判断して、どの料理をどれくらい食べるのかを自己申告してお皿に盛りつけてもらっているのです。午前中にいっぱい身体を動かしておなかがすいていたら、「たくさん」と申告してたくさん盛りつけてもらうことができますし、今日はあまり食べられないかなと思ったら、「少し」と申告することができます。もしも、大好きなメニューであればたくさんを通り越して大盛りということもできますし、自分の苦手な食材があったときには「少し」と申告することも可能です。ただし、全く食べないという選択肢はありません。

そんなことをしていたら、好き嫌いの多い子になってしまう。バランス良く全部食べないといけないのに。と思われるかもしれません。

それならなおさら、自分から「食べよう」「食べたい」と思って食べる子に育ってほしいのです。野菜を食べないからと言って無理矢理口に詰め込んだり、強制して食べさせれば、子どもはいやでも我慢して食べるかもしれません。しかし、強制的に食べさせることをしなくなれば、食べなくなるどころか、ますます野菜が嫌いになってしまいます。

よく保育園で「頑張って食べて」と言いますが、そもそも食事は頑張って食べるものなのでしょうか。

では、自分から食べたいと思うようになるにはどうすれば良いのでしょうか。

コミュニケーションの基礎

2013/05/30

英語で話す必要性に迫られたり、英語を使ってコミュニケーションを取りたいという思いが英語の習得には大切なことです。

もちろん、小さい頃から英語に慣れ親しんでおけば、習得は早くなるでしょう。小学校で教科になるということで、すべての子どもが、英語に親しむことができれば良いのですが、かえって英語嫌いの子どもが増えてしまっては困ります。どれくらい子どもの興味関心を引き出し、学ぶ意欲を高めるかが重要だと思います。必要に迫られなくても、英語を学びたいという意欲が高ければ、学ぼうとします。

前にも書きましたが、英語を流暢に話すことができるようになったとしても、伝えたいこと、伝えたい中身がないとコミュニケーションをとることはできません。どんなことでもそうですが、基本には「人間を育てる」という目的がないことには、いくら知識や技術やスキルを身につけても、それを本当に活かすことは難しいと思います。

コミュニケーションと言えば、自分の生まれ育った地域(国)のことばや文化について理解し、知っていることが大切です。留学中、日本のことをたくさん尋ねられましたが、うまく答えられなくて困った思い出があります。例えば、日本語で「○○は△△です」「○○が△△です」といった「は」と「が」の使い分けを日本語を勉強している友だちに尋ねられて困ってしまいました。実はこれはとても難しことで、何も知らない高校生の私が答えられるはずがないのですが、意識することもなかったとに気付かされました。また、「活け花」について教えてほしいといわれて、答えることができず、日本のことについてなにも知らない自分を思い知らされましたし、他にもこういった経験をたくさんしました。

自分の所属について知ることは、自分を知ることに繋がります。自分自身のことってわかっているようで実は一番わかっていません。自分の思いや考えを表明し、誰かの意見を聞き、話し合う中で自分について自分を知ることができますし、相手の想いに心を運ぶこともできます。自らを知り、相手の気持ちをわかろうとする。コミュニケーションに大切なことではないでしょうか。

探求心や、自ら環境に働きかけて主体的に学びたいという意欲、そして、自らを知り、自分は自分のままで良いのだと認める事ができる経験、相手をわかろうとする気持ちがコミュニケーションの基礎になります。

コミュニケーションのために英語が必要であれば、自ら意欲を持って英語を学ぶことができる人に育てることが大切だと思います。

伝えたい

2013/05/29

グローバルな人材の育成のために、コミュニケーションツールとしての英語はとても有効な手段です。英語を自在に操ることができれば、コミュニケーションの幅は確実に広がります。確かに小学校から英語に慣れ親しんでいれば、海外から来られた旅行者に英語で道を聞かれたときなどもわかりやすく答えることもできます。

コミュニケーションツールとして英語は有用ですが、そのツールを使いこなせなくては、いくら英語をうまく操ることができても宝の持ち腐れです。

話題が尽きなかったり、ユーモアのセンスがあったり、誰かとはなしをするのがとても上手な人がいます。一方で、何を話して良いかわからない、何か話さなくてはと思って緊張するなど、人と話すのが得意ではない人もいます。通常の日本語の会話でもそうなのです。その話すのが得意ではない人がいくら英語での会話をマスターしても、話すのが得意になるとは思えません。しかし、話すのが得意ではない人も、何か伝えたいことがあったり、話したいと思うことがあると、話をします。

外国語の習得の近道の一つに恋愛があると聞いたことがあります。「好きな人と話をしたい。」という気持ちが、コミュニケーションツールとしての外国語習得の原動力となるのです。

私の場合は恋愛ではありませんでしたが、高校生の時、留学していたニュージーランドで自動車の運転免許を取りたくて、一生懸命英語を勉強しました。運転免許の試験は英語が母語ではない人にもわかりやすいように使われているので、英語は簡単ですし交通ルールもかなりシンプルなのでそれほど難しくないのですが、もともと英語が大の苦手科目だった私にとっては挑戦のしがいがありました。試験は筆記と口述と実技があります。4択の筆記は問題と答えを覚えれば何とかなるのですが、口述は英語で聞かれた質問に英語で答えなければなりません。英語が苦手だった私でも、免許を取りたい一心で勉強しました。それ以来、英語を勉強することが、楽しくなりました。少し難しい表現に挑戦してみたら、その言い方は固すぎるからこういう言い方が良いよとアドバイスしてくれる友だちもいたこともあって、いろいろな言い方やニュアンスの違いを試したり、参考書を見て知った内容を実際に試してみると通じることがわかるようになったのを覚えています。

「何かをしたい」という強い気持ちが、問題を乗り越える原動力となります。だからこそ、子どもが、いろいろなことに「挑戦したい」「やってみたい」という気持ちがたくさん持てるような働きかけをしてゆく事が大切です。そうすれば、子どもは自分が必要だと思ったことに積極的に取り組み習得してゆく力を発揮することができるのです。英語もその中の一つなのだと思います。

グローバルな人材

2013/05/28

久しぶりに雨が降って、乾ききっていた地面が少しずつ潤ってゆき、濃さを増した緑が、しっとりと深い美しさを見せてくれています。今年は鳴き声が聞こえなかったカエルの声もようやく聞こえるようになりました。お寺の池の上にはモリアオガエルが、卵塊をいくつも産み付けています。気象庁によると、近畿地方は平年より11日早く、今日梅雨入りしたそうです。雨の季節がはじまります。雨の日は外に出るのが億劫になりますが、いつもと違った楽しさを見つけに、敢えて雨の日に子どもたちと外に出かけてみるのもおもしろいかもしれません。いつもとは少し違った自然の姿に、「なんだろう?」「なぜだろう?」と興味を持つ子がいるかもしれません

政府の教育再生実行会議が「これからの大学教育などのあり方」に関する提言をまとめたと報道されていました。海外で活躍する人材育成のため、国際化に取り組む大学の支援や、英語を小学校の正式教科にすることなどが盛り込まれたそうです。

英語でコミュニケーションがとれるようになることは、すばらしいことだと思います。しかし、国際的な人材の育成イコール英語教育の強化という単純な図式だけが一人歩きするのもいかがなものかと思います。

コミュニケーションツールとしては言語はとても有効な手段だと思いますが、どれだけ流暢に英語が話せても、自分自身の心の中に「伝えたい」なにかがなかったら、何も伝えることはできません。「聞きたい」という気持ちがなければ、聞こうとはしません。

興味関心や「なぜだろう」「知りたい」という意欲や探求心が大前提だと思います。意欲や探求心を育むにはどうすれば良いのでしょう?

自然が教えてくれること

2013/05/27

畑で作物を育てるのはもちろんですが、畑を通して、さまざまな生き物がそれぞれに役割を果たし、助け合って生きている。いろいろな生き物が繋がって生きていることを学べる場でもあります。

学ぶことができるのはそれだけではありません。作物にはできるだけ自然に育ってほしいと思っているので、手を加えないよいうにもしています。他の草が生えてきたときには、少しは苅ることもありますが、基本的にはそのままにしています。水だってできるだけやらないようにしているのです。自然の雨だけで成長してゆくのです。そんなときに役に立つのが、地面を覆っている落ち葉や枯れ草です。土が直射日光にあたると、乾きすぎることだってありますし、水をやると不必要な水までやってしまう可能性が高いので、自然に任せているのです。

芽を出したばかりのかわいらしい双葉には、ついつい水をあげたくなるものです。しかし、そうすることが、かえって双葉の成長を妨げることになりかねません。ついつい、何かをしたくなってしまうところをぐっと我慢して、成長を願いながらも、信じて見守るしかないのです。

子どもに接するときの姿勢と似ています。ついつい「あーしなさい!こーしなさい!」「それはだめ!これもだめ!」と子どもに干渉しすぎてしまうことがありますが、そうすると、子どもが自ら育つ力を削いでしまいます。

畑の自然はいろいろなことを教えてくれるのです。

      ともろこし

       トマト

畑で学ぶ

2013/05/27

畑に蒔いた種が無事に芽を出したのはとても嬉しいことです。種まきした翌日にしっかりと雨が降ったのが良かったのかもしれません。畑は全く耕していなくて、育てようとしている作物以外の植物もたくさん生えています。さすがに種を蒔くときは、他の草に移動してもらいますが、種を蒔き終わったら、また草をのせておきます。そうすることで、草が地面を覆っているので、保湿効果もありますし、そこにいろいろな生き物が生活できる場が生まれます。昆虫やミミズをはじめ、目に見えない菌類などがそれぞれに関わり合いながら生きているはずです。そのバランスがうまくとれていると、そこが生き物にとって生活しやすい場、生き物が「楽しい」場になるのです。楽しいというのが変なら、それぞれが存分に生きることができる。という言い方をした方が良いかもしれません。そのことによって、落ち葉や草などが土に還る過程をそれぞれに担っているのです。枯れ草を食べる動物や虫がいたり、分解する菌類や、細菌などがいます。つまり、それぞれが自分の役割をしっかりと果たす事で、落ち葉や枯れ草を土に還すという仕事ができるわけです。その仕事は、昆虫だけではできませんし、細菌だけでもできません。みんなが、自分の役割をしっかりと果たすことが大切なのです。

人間だって同じだと思います。一つの仕事をするのに、全員が同じことをしていてはなかなかうまく行きません。それぞれが、自分の役割をしっかりと果たして、目的のために貢献することが必要です。多様性と言われますが、みんなが違うことに意味があるのだと思います。ちがうからこそ役割が果たせるし、それができると全体としてより良くなることができるのです。

私が使わせてもらっている畑は、もちろん作物を育て収穫するという目的はありますが、それだけではありません。できるだけ手を加えない自然のままの状態にしておき、その姿から様々なことを学ぶ場、自然の姿から人間のあり方を学ぶ場として機能しているのです。

2013/05/25

先日、このブログで畑に様々な種を蒔いたことを取り上げました。昨年、この畑で育った作物から取った種なので、本当に芽が出るのかどうか不安でした。例えば、大豆は収穫するのが早すぎたようにも思うので、十分熟していたのかどうかわかりませんでした。大豆は2年経つと発芽しないと言われているので、毎年蒔いて毎年収穫し、そしてまた次の年に蒔かないと、代を重ねてゆく事はできません。そうして、毎年代を重ねてゆくことでその土地の大豆になってゆくのです。どこかで失敗したら、もう一度新しい種を入手するところからやり直さなければなりません。ですから、昨年収穫した種が発芽するかどうかはかなり重要なことなのです。トマトにしてもトウモロコシにしても、どうなるのかとちょっと心配していました。

種を蒔いてから10日ほどして畑に行って種まきした辺りを見てみると、黒い帽子をかぶった厚ぼったい双葉が、頭をもたげています。「あー!黒豆が芽を出してる!」と一人で言ってしまいました。このときの嬉しさは、なんと言えば良いのでしょう。ことばが見つかりません。思わず他にも芽を出していないか探しました。一定の間隔で種を蒔いたので、場所の見当をつけてを見てみると、隣もその隣も、結構たくさん出ていました。大豆や黒豆の双葉がどんなのかも知りませんでしたし、トウモロコシやトマトだって、よくわかりません。特に私が使っている畑の場合、草を抜いたり耕したりしないので、どれが種まきした植物なのかはよくわからないのです。一定間隔に蒔いて良かったと思います。等間隔で似たような芽が出ていたら、それが種まきした植物です。トウモロコシもトマトも芽を出したばかりの姿はわからないので、そうして探したら、トウモロコシはほとんどが発芽していましたし、トマトも小さな芽がいくつか集まって出ているので、それとわかりました。

      黒豆

     よいしょ!

つなぐ

2013/05/24

なぜ、いちいちロープを引っ張らないとボールが落ちてこないバスケットゴールにしたのか?作った先生に聞くとこう答えてくれました。

バケツの底を抜いてしまうと、子どもがボールを入れたらそのまま落ちてきてしまう、そしたらそれを拾ってまた入れる。バスケットの練習ならそれで良いのかもしれないが、子どもの遊びとなると、遊びが一人で完結してしまっておもしろくない。敢えて
誰かがロープを引っ張らないとボールが落ちてこないようにすることで、2人の子どもが一緒に遊ぶことができる。例えば「ボールが入ったらロープを引っ張って落としてね。」「うん!わかった!次は交替してね。」というように、バケツのバスケットゴールが子どもたちを繋げてくれることを狙って、そういう構造にしたというのです。
そんな話を聞いていたら、とても嬉しくなりました。

子どもたちも嬉しいのでしょう、よく遊んでいます。ロープがぶら下がっていたら引っ張りたくなるのは、当然のことで、1歳や2歳の子も引っ張りたくなります。幼児がバケツにボールを入れようとしているのに、小さい子がわからないで引っ張ってしまうこともしばしばです。そうすると、せっかくゴールしようとしていた子はそれができなくなるので、「もー!引っ張らないで!」と怒っていたので、小さい子でも丁寧に説明してお願いすればわかってくれるんじゃないかな。と提案すると、ちゃんと説明してお互い納得して、2人で一緒に遊んでいました。

こういった子ども同士が自分の想いを伝え、相手の気持ちも受けとめる。そんなきっかけになればとバスケットゴールを作った先生のねらいはみごとです。

子どもは、環境や条件さえ整えてあげれば、ちゃんとできる力を持っているのに、ついつい、ああでもないこうでもない、そうしちゃダメ、こうしなさいと口を出しすぎてしまうのはなぜなのでしょうか。

第2の人生

2013/05/23

園庭に椿の木が2本並んでいます。今年はたくさん花をつけたので、子どもたちは花を取っては密を味わっていたのですが、低いところに花は少なくて、花を取ろうと思うと木に登らなければなりませんでした。花を取りたい一心で一生懸命工夫して木に登っている姿がついこの間まで見られました。

もう花は散ってしまいましたが、先日二本の木のあいだにバケツがぶらさがっていました。子どもに「あれは何?」と聞くと「先生が作ってくれはった。ボールをいれるんや。」と教えてくれました。どうやら職員の誰かがバスケットゴールのつもりで作ったようでした。

作った先生に、バスケットゴールのつもりで作ったのかと聞いたら、取っ手もとれてしまったし、水も漏れるようになってしまったのだけれど、そのまま捨てるのも忍びなく、バケツに第2の人生を歩んでもらおうとバスケットゴールにしてみた。と言っていました。なるほど、物を大切に使おうとしているのだなと、嬉しくなりました。

バスケットゴールならバケツの底を抜いたのかと重ねて尋ねたら、敢えて底を抜くことはせずに、ボールが入ったらそのままでは落ちてこないようにしたと答えてくれました。

では、どうしてボールを取り出すのかというと、バケツの底に細いロープが繋がっていて、少し高いところにある枝の上をそのロープが通り、子どもの背の高さくらいまでぶら下がっています。子どもが下からこのロープを引っ張るとバケツの底が持ち上げられて、バケツが逆さになり、ボールが出てくるようにしたそうです。

どうして、敢えてこんなに面倒なことをしたのか、皆さんにはわかりますか?私は理由を聞いて感心しました。

親子遠足 2

2013/05/22

親子遠足の日は晴れた空に太陽が輝き、気温はぐんぐん上がってゆきました、この日、京都の最高気温は30度を超えて、真夏日になったそうです。それでも、京都御苑の中は緑がいっぱい。特に活動の中心としていた出水の小川周辺は、木が繁って、優しい木陰を作ってくれていてとても心地よく過ごせました。日向を5分も歩けば、木陰のありがたさが、よくわかります。

  何があるの? へんなきのこ!

4つの活動を参加者が選んで行う方法は、みんなが自分のペースで思い思いに楽しめるので、みなさんとてもゆったりと取り組んでくださっていました。

探索コーナーでは、少し離れた草むらで、花や虫を探したり、高い枝にくっついたセミの抜け殻をお父さんにとってもらったり、きのこを見つけて持参の虫眼鏡で見たりしていましたし、1歳児も思い思いに歩きまわったり、何かを見つけてはじっと見入ったりしていました。

顕微鏡コーナーは小さい子には少し難しいのですが、

    つめたくてきもちい!

ひろってきた葉っぱや、みつけた生き物の小さな世界を楽しみました。子どもそっちのけで、実態顕微鏡の中の小さな世界に没頭していらっしゃる保護者もいらっしゃったとか。

水遊びコーナーでは、大人の足首くらいの深さの小川にはいって、思い思いに遊ぶ子どもたちを、岸辺で見守りながらゆったりとおしゃべりしていらっしゃる保護者の姿がありました。葉っぱの舟が流れて行く様子を観察したり、しぶきを上げて走ってみたり、ポリ袋に水を入れてみたりして遊ぶ子どもたちの姿を見ていると、

   なにができるのかなー?

子どもって環境を通して学んでいるのだろうなと感じます。

製作コーナーでは、心地よい風が流れる木陰で落ち葉や小枝、摘んできたたんぽぽなどいろいろな素材を使ったコラージュであったり、葉っぱでフロッタージュしてみたり、親子で作るステキな作品がたくさんできあがっていました。

どのコーナーでも、子どもも保護者も楽しむことができ、そこから保護者同士の会話も弾んでいたようです。

普段の園での子どもたちの活動と同じように、参加者が自ら選んで行うからこそ、小さな子から大きな子まで、子どもも大人も楽しめたのだと思います。企画してくれた先生方に感謝です。

翌日、口々に「きのうのえんそくたのしかったなー!」という子どもたちの顔がいきいきと輝いていました。

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