2011年 11月

石清水八幡宮

2011/11/30

先日、京都府八幡市の男山にある石清水八幡宮にお参りしてきました。京阪電車の八幡市駅から、同じく京阪電車が運営する男山ケーブルに乗ること約3分で男山山上駅に到着します。ケーブルを降りてなだらかな参道をしばらく登ると本殿に続く石畳の参道へ出ます。手水舎で手水を使ったあと南総門をくぐって本殿に参拝します。

石清水八幡宮の歴史は古く、貞観元年(859年)大安寺の僧行教が宇佐神宮で神託を受け、八幡神を男山に勧請したことが起源です。男山は京都の南西に位置し、都の裏鬼門にあたることから、石清水八幡宮は都の裏鬼門を守る王城守護、鎮護国家の神社とされてきました。対する都の北東、表鬼門を守護するのは比叡山延暦寺です。江戸時代までは神仏習合の宮寺で、男山48坊といわれるほど多くの宿坊があったようです。

日本人はもともと神社とお寺、神と仏を今ほど厳然と区別することなくお参りしていました。八百万の神々といわれるように万物に神を見るとともに、外来思想である仏教を受け入れ、神仏習合という信仰形態を形作ってきました。

お宮参りや七五三は神社にお参りし、結婚式は教会で行い、お葬式はお寺だったりすることをとらえて、日本人には宗教がないと欧米の方から言われたり、不思議がられたりすることがあるようです。一神教型の宗教ではないだけで、もともと日本人には様々なものを受け入れる性質があるのです。AかBかの二項対立だけで物事をとらえずに、AもBもうまく受容してそれぞれの良いところを活かすことをしてきました。そういったことが得意なのでしょう。現代は科学の名の下に様々な事象を切り分け、分析してきました。もちろんそれも大切なことですが、切り分けて一方を取りもう一方を排除するのではなく、AもBも受けとめて活かすことができる。そんな考え方が混迷の時代を切り開く鍵にならないものかと思います。もともとそういうことが得意な日本がそれをリードできないものでしょうか。お参りをしながらそんなことを考えてしまいました。

石清水八幡宮は、七五三のお参りで着物を着せてもらったかわいらしい女の子や凛々しい男の子で賑わっていました。なかにはお宮参りの小さな赤ちゃんもいらっしゃいました。この子たちが大きくなる頃には、憎しみや争いのない、みんなが認め合い活かし合える、そんな世界になっていていますように、この子たちがそういう社会を生きていますように、とお祈りしました。

祈るだけではなく、子どもたちがそういう社会を築くために、私たち大人が今すぐにでもしなくてはいけないことがたくさんあるはずです。

 

石清水八幡宮 南総門

石清水八幡宮 本殿

平和

2011/11/29

毎年11月23日には鞍馬寺で平和の祈りが行われており、今年が26回目にります。もともとは、世界の平和を願って活動されていたニュージーランドの方と、一緒に平和を祈りましょうということから始まった行事だと聞いています。

以前、ブログで紹介したスリランカ日本教育文化センターのチャンダシリ師も、毎年祈りの輪に加わっていらっしゃいますが、今年はいらしていませんでした。他には信徒の皆さんをはじめ、コーラスグループの歌やお琴や胡弓の演奏、フォルクローレの奉納演奏、様々な国からの留学生の皆さん、いろいろなご縁で集まった方々が本殿での法要に参加し、みなで共に平和を祈ります。参加者が丸く輪になって平和を祈ることばを唱えるところがあり、参加者の心がひとつになるように感じられて感動的です。

法要の後は、会場を移して平和の集いが行われ、毎年貫主様、チャンダシリ師の法話をはじめ、コーラスグループの歌声やお琴の演奏なども行われます。今年はタイと韓国からそれぞれ日本に留学されていたり、日本の大学で教鞭を執っていらっしゃる僧侶も参加されていて、それぞれにお経を唱えてお祈りあれました。韓国の方が唱えてくださった韓国語の般若心経は初めて聞きました。昨年は中国からの留学生がスピーチをされ、とても感動的だったのを覚えています。ご自身が留学を通じて経験された、人と人との温かなつながりや心の交流は、話すことばや、住んでいる国、人種が違っても同じだといった内容で、流ちょうな日本語でスピーチしてくださいました。

今年は、新たな試みで参加者一人ひとりが平和についてのメッセージを紙に書き、世界地図に貼り付け、世界を平和のメッセージで埋め尽くそうということがありました。「あなたにとって平和とは」「平和って何ですか」という問いにそれぞれが自分の思いを書きます。改めて「平和って何ですか」と聞かれると考えてしまいました。

近年、平和や平安、やすらぎといったこととは反対のことがたくさん起こっています。世界各地で紛争は絶えないどころか広がっていますし、世界的な経済不安もあります。日本も震災と原発だけでなく、不安だらけです。私は「子どもが育つことが難しい」状況が危機的だと感じます。

多くの人が「なにかおかしい!」「このままではだめだ!」「何とか方向転換しなくては!」と考えています。今こそ、これまでの価値観を問い直し、何を大切にするか考え直す時なのだと思います。とはいえ日常は今までのように流れています。特別な何かでも大きな運動でもなく、一人ひとりが「毎日をどう生きるのか?」真剣に考え、自分ができることを実践してゆくことが必要なのだと思います。

おみせやさんごっこ

2011/11/28

メニューにはカレー・からあげなどがあります。なににしますか?

先日、子どもたちが大々的にお店屋さんごっこをしていました。普段はお店屋さんを常設しておくスペースがないので、お店屋さんごっこをしたい子は仮店舗を開設して楽しんでいるくらいです。そんな子どもたちが半日だけでも、思いっきりお店屋さんごっこができる日が設けられました。おたのしみかいで保護者と一緒にお店を開店していたので、どんなお店を出すかと、誰がどのお店を担当するかはおたのしみかいとほぼ同じになりました。しかし、内容は全て子どもたちの手作りです。ストライクアウト・射的・メロンころがし・マッサージ・食べ物屋さんでした。4・5歳児が中心となってお店を作ったり、お店でサービスを受けるためのチケットを作って店員さんになり、3歳児以下の子がお客さんになってお店を訪れるという設定です。事前準備から4・5歳児はとても楽しんでいました。それぞれのお店をどう作るか、チケットはどんなデザインにするか、子どもどうしでいろいろと話し合って作り上げました。

「メロンころがし」メロンの形をした容器を転がしどこに入ったかで景品が決まります

当日、9時前から準備を始め、10時前には開店してお客さんをもてなしていました。3歳児は簡単な説明を受けて好きなように遊んでいました。0・1・2歳児の子どもたちには、4・5歳児たちが年齢に応じて懇切丁寧に説明してあげたり一緒にやって見せてあげたり、それぞれに合わせた対応をしていたので感心しました。普段はどんどん自分を前に出したい様子の男の子たちが、0歳や1歳の子どもたちに手取り足取りといった感じでとてもやさしく丁寧に接している姿が印象的でした。

子どもたちが一通りお店屋さんを訪れ、店員をしていた4・5歳児が交代で他のお店を回っている頃、私もお客さんになっておみせを巡りました。食べ物屋さんでは、丁寧にカレーを作ってくれましたし、各ゲームもやってみるといろいろと子どもの工夫が凝らされているのがわかります。個人的な好みで言えばマッサージ屋さんが気に入りました。子どもたちが肩や背中や足の先まで自作の様々な道具や自分の手を使いながらマッサージしてくれます。これがとっても気持ちよく、しばらく続けて欲しいと思うほどでした。

3人がかりでマッサージ 本当に気持ちいいんですよ!

こんな対応どこで覚えたの?本当の店員さんみたい。と思せる子どもたちの言葉づかいや立ち居振る舞いに感心します。それだけつぶさに観察しているということです。

準備時間も含めると9時から12時ごろまでの長い時間、子どもたちはとても楽しそうに、かつ真剣にお店屋さんごっこを楽しんでいました。

 

 

びわの花

2011/11/27

園庭の門を入った所にびわの木があります。20年近く前になるでしょうか、私が保育の仕事に関わりはじめた頃、当時一緒に仕事をした保育士がびわの種を植えたものが芽を出して、育っていったのです。当時は園児が20名ほどしか在籍せず、保育士も3〜4名しかいない、とてものんびりした小さな保育園でした。保育園というより、大きな家族のようだったかもしれません。少ない人数でいろいろな仕事をしなくてはならならず、休みも取りにくくて職員はずいぶん大変だったと思います。当時の園児たちはもう成人してそれぞれの道で活躍しています。時の経つのは早いものです。びわの木を見るとそんなことを思い出します。

そのびわの木も今では高さ3メートルくらいになりました。毎年夏にはたくさんの実をつけ、素朴な甘さで子どもたちの味覚を満足させてくれています。先頃、びわに木のまわりにたくさんハチがいるというので見に行くと、スズメバチがたくさん飛び回っています。よく見てみるとびわの木がたくさん花をつけていて、そこにスズメバチや小さな虫がたくさん集まっています。近づいて刺激をしなければ危険もなさそうなので、保育士たちにはハチが集まっているので気をつけるように伝えました。

毎年実が実っているので、この時期に花が咲いているのだと思いますが、実際に花が咲いているのを見たのは初めてでした。今まで気をつけていなくて、見過ごしていたのです。人間の感覚って不思議です。見ようと思うものだけが見えて意識を向けていないと目に入っていても見えていないのです。ハチがたくさん集まってきてくれたおかげで花に気がつきました。この花すべてが実になったら大変な数です。来年の夏はどうなるのでしょう。

輪になって

2011/11/26

お昼ごはんを食べ終わって、お当番の子どもたちがきれいに掃除を終えたランチルーム。少し静かな時間です。3・4歳児はお昼寝しにいったのかな、お昼寝をしなくなった5歳児は散歩に行ったのかな・・・

そう思っていたら、4・5歳児がみんなで丸く輪になって座っていました。保育士は少し離れたところに座っていて、時々何か言っていますが、どこかいつもと雰囲気が違います。何をしているのだろう?なにかやらかして叱られているのかな?気になったので、しばらく話しを聞いていました。どうやら、生活発表会で歌ったり、合奏する曲を何にするか相談しているようです。子どもたちに自分で曲を決めて欲しいと保育士は思ったようです。それも全員が、自分のこととして「この曲を歌い演奏する」と決めて欲しいと。

子どもたちを前に、「どんな曲にする?」と聞いてみると、よく話しをする子、自分の思いをどんどん前に出す子が大きな声で自分の好きな曲名を言い、発言をするのが苦手な子は何も言えず、そのままその曲に決まってしまう。ゆっくり考えたい子が自分の考えをまとめて発言する前に決まってしまう。ということがよくあります。

そうではなくて、みんなが自分の思いを伝えて欲しい。そして、一人ひとりの思いをお互いに知り合い、受けとめ合って欲しい。保育士はそう考えたのだと思います。

声の大きい人の意見ばかりが通る。人の意見も聞かず自分の思いばかりを人に押し付けようとする。大人の世界でもありがちなことですが、そうならずにみんなで意見を出し合い、それぞれの意見を尊重しあいながら、みんなが納得できるように考えることを大切にしたいのです。

そのためには、話し合う人みんなが自分の意見を出しやすい雰囲気が大切です。みんなが丸くなって座るというのはそんな雰囲気作りに有効です。みんながお互いの顔を見やすいということもありますし、なにより対等に話ができます。当園ではときどき職員が丸くなって座り、話しあう機会を持つようにしています。これを始めてから、お互いが少しずつ心を開いて話し合うことができるようになってきました。互いに心を開いて認め合う。子どもたちにこそそんな体験をして欲しいと思います。

子どもたちはといえば、ずいぶん長い時間をかけ、かなり真剣になって話し合っていました。これからもこんな体験を積み重ねて行ってくれると良いと思います。

まねる

2011/11/25

保育園では昼食をいただいた後、お昼寝するまでの間には少し時間があり、その間に4・5歳児の掃除当番の子どもたちが、ランチルームを掃除します。机やイスを片付けて、食べこぼしがあれば小さなほうきとちりとりで掃き集め、ぞうきんがけをします。子どもたちはずいぶん手際よくできるようになりました。机は倒して足を折りたたみ所定の位置に運びます。これは5歳児が担当しています。結構重いので自分の足をはさんだりけがをしないかと少し心配になりますが、二人で息を合わせてうまくやっています。ぞうきんがけも年度当初に比べたら、ずいぶん上手になりました。ぞうきんがうまく絞れず、床をびしょびしょにしていた子も今ではきれいに拭いています。

子どもたちは、良いことでも、好ましくないことでも何でもすぐに身につけるものです。どこからそれを学ぶのでしょう。周りにいる大人や子どもからそれを学ぶのです。よく知られているように学ぶということばには「まねてする。ならって行う。」という意味があります。いつも悪いところを注意されてばかりいたら人の悪いところばかり見るようになります。やさしい気持ちで接してもらった子は優しい気持ちを持てるようになります。お母さんが料理をしている姿を見て、おままごとで料理をつくります。子どもの口調が、近くで接している保育士の口調に似てきます。ですから、子どもたちにこうして欲しいこうなって欲しいと思えば、ガミガミ言ってそうさせるのではなく、自分自身がそうするしかないのです。今、口から出そうになっていることば、行っていること、行い方、もしかしたら気持ちの持ち方まで、「これって子どもに真似をされてもよい態度や言葉づかいかな」ことばにする前、行動にする前に自分自身を振り返りたいと思います。

保育園の玄関前にいらっしゃる童形六体地蔵尊のそばにこんなことばが書かれています。

子どもはみんなほとけの子

子どもは天からの預かりもの

子どもは親の心をうつす鏡

紅葉

2011/11/24

急に気温が低くなり、日の出の前の気温が4度くらいになりました。寒くなったと感じます。今年は特に11月が暖かかったので余計に寒さを感じます。

ぐっと冷え込んだおかげで、木々の紅葉が美しくなりました。木によっては色づく前に枯れて落葉してしまったものもありますが、美しく色づいている木もたくさんあります。1本の木でも緑のまま残っている部分、黄色くなった部分、赤くなった部分に分かれていたりします。山を見ても筆で様々な色を置いたような美しさです。大きな木が色づくと、辺りが赤や黄色につつまれて、その空間全体がはなやかな雰囲気になります。そんな美しさや雰囲気を求め、たくさんの方が鞍馬にいらっしゃいます。自然の美しさは、人を魅了するのですね。

どうして紅葉するのでしょう?そのメカニズムはある程度わかっているようです。緑色の葉に含まれる葉緑素が分解される。葉の付け根に離層というのができて、水分や葉で作られた養分が枝との間で行き来しなくなり、葉にたまった糖分などが化学変化を起こしてアントシアニンやカロテノイドなど赤や黄色に見える物質を作り出すからだそうです。

でも、なぜ紅葉するのでしょう。なんのために紅葉するのでしょうか。紅葉は木にとってどんな意味があるのでしょうか、それとも意味はないのでしょうか。このことはあまりよくわかっていないようです。

子どもは、大人が当たり前と思っていることに疑問を持って質問してきます。その質問がとても本質をついていたり、ユニークな視点だったりします。子どもがこんな質問をしてきたときは、ごまかしたりしないで、一緒に考えたいものです。答えがわかっていてもすぐに答えずに、できるだけ子どもが自分で答えにたどり着けるように支えたり一緒に調べたりすると大人も楽しいと思います。いろいろなことに疑問を持つという子どもの姿勢を大人も見習うべきだと思います。あたりまえと思っていることをもう一度見直したいものです。

ムクノキ 子どもたちも

2011/11/23

組み立て途中の砂場枠

子どもたちを見守っていたムクノキが姿を変え、役割を変えて子どもたちの砂場になったこと、そうなるまでには多くの人が関わってくださったことを紹介してきました。園児の中にも積極的に興味を示して関わってくれた子もいました。保護者に手伝ってもらって本格的に砂場を掘る前日、保育士が試し堀りをしていると、興味を持って集まってきたのは5歳児のRくんとSくん。一緒にやりたくてしょうがない様子。子ども用のスコップを持ってきて掘り始めました。石混じりの土はとても掘りにくく、子ども用のスコップでは歯が立たないとわかると保育士が使っていたスコップを借りてやってみます。私は怪我をしないかと少し心配しながら見ていましたが、保育士はじっと見守るだけで、必要最小限の声がけにとどめています。

みんなで土を掘ります

子どもたちは意外と器用にスコップを使い、たまには足も使って上手に掘ります。最初は二人とも大きなスコップが使いたくて、お互いに貸してほしいと言い合っていましたが、そのうち役割分担ができ、ひとりがスコップを使って石を掘り起こすと、もう一人がうまく取り出していました。大人が何も言わなくても子どもたちはちゃんと考え、話し合ってやっているのですね。Sくんはお母さんがお迎えにいらしてもまだまだやりたそうで、お母さんもしばらく待っていてくださいましたが、興味は尽きないようです。

竹酢液を枠に塗ります

子どもがやりたいことに取り組んでいるときの集中力はものすごいものがあります。それはその子の発達にとって何かしら意味のあることだからなのです。もちろん子どもひとりひとり、そのときどきに興味の対象が異なります。(同じ時もあります)ですから、その子が今興味のあることを選べる環境を用意しておく必要があるのです。それぞれに異なる一人ひとりを大切にしたいからです。

砂場づくり当日、参加予定のなかったSくんとお母さんが来園してくださいました。Sくんのやりたい!をお母さんが大切にしてくださったのです。なんだか嬉しくなりました。

大人がたくさん動いている中で、家族の方々と一緒に参加してくれた子どもたちに保育士はいろいろな仕事を任せていました。子どもたちがいきいきとその仕事に取り組んでいたのはいうまでもありません。

砂が入って完成

 

ムクノキ みんなの力

2011/11/22

仕方なく切ってしまわなくてはならなかったムクノキの幹、しばらくはそのまま園庭で遊具の一つになっていました。そして次には砂場の枠へと姿を変えて子どもたちを楽しませてくれることになりました。ムクノキもいろいろな役割を果たし、そのいのちを輝かせてくれたのではないかと思います。

そうなるまでには、いろいろな人が関わってくださいました。木を切ってくださった方、大工さん、お寺のみなさん。そうしてできあがった砂場の枠が、その役割存分に果たすために大きな力になってくださったのが、保護者のみなさんです。

せっかくできあがった枠をそのまま置いておいてもなんにもならないので、早く穴を掘る必要がありました。保護者と一緒になって作り上げたい!という思いが強くその機会を作ろうと考えました。保護者に来園願って作業をしていただくなら、お仕事が休みの方が多い日曜日ですが、候補となる日が少なく、卒園生が集まった同窓会の日の午後に行うことにしました。

急な依頼になったにもかかわらず、お父様方が何人かの方が集まってくださいました。案内文はお父様方に宛てたものでしたが、力仕事だからといって男性に限ることはないと思い「お母さんで参加していただける方はどうぞ」という一文を加えたら、参加してくださったお母様もいらっしゃいました。

いよいよ作業開始です。先ずはお父様方と男性職員、お手伝いをお願いしていたお寺の方で穴を掘ります。そのあいだ、お母様方、一緒に参加した園児たち、同窓会のあと園に残って遊んでいた小学生が枠に竹酢液を塗ります。園児達も喜んでやっていました。

20センチくらいの深さまでは砂なので、穴掘りは簡単に掘り進めることができましたが、そこから下は石混じりの土で、少し手強くなりました。何人かで同時に作業をするとなぜかペースが上がって疲れやすいので、交替で少しずつ行います。竹酢液を塗り終わったお母様もスコップを持って加わってくださいました。保育士も同窓会の片付けが終わった人から参加してくれました。みんなの力が合わさるというのはすごいものです。どんどん穴が深くなってゆきます。こうして50センチくらいの深さまで掘ることができました。水はけが良いように底に砂利を敷き詰めます。最後に枠を10センチほど埋め込むために所定の位置に置いたあと枠の下にある土を少しずつ堀り崩して枠を沈めます。水平になっているかどうか見ながら、少しずつ沈めて予定していた高さに落ち着きました。完成です。皆で汗を流した後はとても気持ちがよいものです。

片付け始める頃には辺りは薄暗くなっていました。砂場づくりに参加し力を貸してくださった保護者のみなさんありがとうございました。当日参加したくてもできなかった保護者もいらっしゃると思います。また次の機会や違う形で関わっていただければありがたいです。できる人が、できるときに、できるようにやる。無理をしない方が良いと思います。

ムクノキのいのちが輝くことをきっかけに、関わった人々のいのちも輝いたのではないでしょうか・・・

ムクノキ 変身

2011/11/21

砂場の枠に変身してもらうことになったムクノキの幹、そのままでは使えないので、知り合いの大工さんに相談してまずは製材することになりました。そのためには大きな丸太を園庭から運び出して製材所に持ってゆかなくてはなりません。保育園の職員ではとても手に負えないので、お寺の管理部のみなさんにお願いしました。どうして園庭の外に引き出してトラックに積むのかと思っていると、まず幹を少し持ち上げて下にコロと呼ぶ細い丸太を何本か入れ、幹に掛けたワイヤロープを軽トラックで少しずつ引っ張ると、細い丸太が転がって上に乗った幹が動く、という方法でうまく園庭の外に出してくださいました。パワーシャベルで吊り上げてトラックの荷台に積まれた幹はそのまま製材所へ。2時間ほどしてもどってきたときには、細長い材になっていました。大工さんによるとこのままでは使えないのでしばらく乾燥させないといけないとのこと。1年以上も園庭に置いておいたので、ある程度乾燥しているかと思ったら、そんなことはないようです。

製材されたムクノキ

約1ヶ月乾燥させると、ひび割れができたり反ったり製材したときとは随分形が変わっていました。枠になるように加工するのですがその前にもう一度製材所へ運んで反りを修正してからでないとうまく行かないということで、再度製材所で修正してもらった後に、加工を大工さんに依頼しました。

2週間ほどして各パーツに加工できたので、それを園庭に運んで四角く組み立てます。加工された材料を見て驚きました。きれいに磨かれまるで家具のようになっているのです。色もオイルステンかニスを塗ったような味わいのある色になっています。これは、防腐作用のあるものを塗っておいた方が良いと思って塗ってもらった柿渋の色でした。強力な防腐剤はいろいろとあるのだと思いますが、子どもがさわることを考えて天然の材料からできたものをということで柿渋を塗ってもらったのです。外に置いてしまうのはもったいないような仕上がりです。

美しく加工された部品を園庭に運んで、組み立てです。完成したときに、角が丸くなるように加工してあり、組み立て方もなるほどと思うやり方でした。日曜日の午前中かかって組み上げた砂場の枠はとても立派なものになりました。翌日登園してきた子どもたちは、大きな木枠を見て、「これなにー」といいながら上に登ったり、中に入ったりして遊んでいました。あとは穴を掘って砂を入れるだけです。

スクロール