2011年 10月

おたのしみかい 1

2011/10/31

当園の基本コンセプトは「みんなのいのち輝く」です。どんな人でも一人ひとりがステキなところ、その人にしかできないこと(私はこれを「得意技」と呼んでいます)を持っています。得意技ですから、基本的にそのことが好きです。好きなことをしているときって、時間を忘れて没頭してしまいます。まわりからは、我慢をして辛い努力をしているように見えても、本人は結構楽しんでいたりします。もちろん努力は努力で厳しいことも辛いこともあるのですが、あまり苦にならずにできてしまう。それほどまでにエネルギーを注ぎ込むことができる好きなこと。そんなことをしているとき、その人はは「いきいき」としています。こんな「いきいき」できるときがその人の「いのち輝く」ときだと思います。

そして、自分がいきいきとできて楽しいこと、自分の得意技を発揮すること、そのことによって誰かが喜んでくれたり、誰かの役に立つことができる。そうなると、そのうれしさも、いきいき度もグンとアップし、その人のいのちがさらに輝きます。その人だけではありません。うれしさをもらった人も輝けるのです。そういう関係性が「みんなのいのち輝く」なのです。みんながそれぞれの良いところを活かし合うことで、みんなが楽しくなれる、いきいきできる。と言ってもいいですね。

関係性ですから「君のそこがステキだね」とお互いがお互いを認め合うことが前提となります。1人の人には良いところも悪いところもあります。人の悪いところばかりを見て、責めたり否定したりするところからは、不平不満しか生まれません。自分も相手も輝くことなんてできないのです。誰かのステキな部分をしっかり見つめて、そこからその人のすべてを尊敬できるようになれたら、自分自身どんなに幸せでしょう。自分もうれしくて輝けるし、相手もうれしくなります。いつもそうだとといいですね。でもそれは待っていても誰もしてくれません。自分がそう感じられるようになるしかないのです。

灯火が一つともると、周りを明るくします。その明るさに照らされて別の灯火もともる。そしてまた別の灯火が・・・ 多くの灯火が互いを照らしあい、互いに明々と輝くことで全体が明るくなる。そんなイメージでしょうか。

保育園にはいろいろな人が関わっています。子ども・保護者・保育者・地域の人々と書き上げたらきりがありません。ですから、子どもをまん中にして、いろいろな人たちが、それぞれのいのちを輝かせることができる保育園でありたいと願っています。その中で最も直接的な関係にいるのが、子ども・保護者・保育者です。この人たちのいのちが互いに輝き合い照らし合うことが大切なのです。「子どものより良いそだち」という大きな目標に向かって、子ども自身と保護者と保育者が力を合わせる関係でいたいと思っています。

なにか一つのことにみんなで一緒に取り組むこと、お互いに課題を共有し力を合わせて乗り越えることが、お互いに輝き合える関係を形にしてゆくには重要です。保護者と保育者が力を合わせて共にイベントを企画し実行することをを通して輝き合えることを目的に昨年から「おたのしみかい」を復活しました。

そんな「おたのしみかい」についてお伝えしてゆきます。

こーちゃんとあそぼう 2

2011/10/30

こーちゃんとあそぼう当日は全園児があつまって、こーちゃん(浦中さんのことをこう呼びます)と一緒に歌をうたったり、身体を動かしたりして遊びました。2歳児3歳児が動物園に遠足に行く前後によく歌った「どうぶつえん」がこーちゃんの作詞作曲だと子どもたちに伝えると、いつもより喜んで歌っていました。歌って踊って楽しんで、みんなすっかりこーちゃんと仲良くなりました。

楽しい時間はすぐに過ぎて、あっという間に予定の時間。「えー!もっと遊びたい」の声もありましたが、一旦終了して3歳児以下はそれぞれ園庭などに遊びに行き、4歳児5歳児が残って次の遊びへ移ります。

新聞紙を1人1束ずつ持ち、大きく広げた新聞紙に自分のクレパスを使って好きな色で好きなように線を描きます。そのときに「自分が失敗したと思ったら、次の新聞紙使って良いからね。」のことばがけで、子どもたちは失敗を恐れなくていいんだと安心できます。

こーちゃんから、「好きな色で好きなように線を描いてみて」といわれて、すぐに描き出す子、きょろきょろと周りを見回してばかりで手が動かない子、少し描いたら紙を取り替えている子、一枚の紙にじっくりと描いている子、いろいろなアイデアが浮かんで試している子、線を描くよりも新聞の記事(写真)に興味が行ってしまう子。本当に様々です。

「できるだけいろいろな色を使ってね」のこーちゃんのことばに、色を違えて一本の線を描いている子もいましたし、クレパスを横に使うと太い線が描けるというヒントをもらうと早速それに挑戦している子もいました。

 いろんな線があっていいんだよね

  好きなところは? 全部!

ある、年長の女の子は最初から最後まで1枚の紙、端から端までいっぱいに、いろいろな色を使って丁寧にしっかりと縦にも横にも線を描いていました。

あっという間に時間がきて、最後に子どもたちが今日描いた中から自分の一番好きな作品を選んで、気に入っているところ、苦労したところなどを発表し、1人終わる度にみんなで拍手をしていました。

今回は、子どもたちが「描くって楽しい!」と感じるきっかけとなればという目的で、このような形のワークショップを開催しました。子どもたちはどう感じたでしょう。

最後に年長児が、お礼に運動会でおどった「まつりだわっしょい」を披露し、こーちゃんにまた来てね!とお願いして終わりました。

こーちゃんとあそぼう 1

2011/10/29

今年の10月後半は子どもたちにとって楽しいことだらけです。遠足、今日行うおたのしみかい、先日は講師を招いて子どもたちと楽しく遊ぶ会を開きました。今まではあまり講師を招いて子どもと遊ぶという機会はなかったのですが、保育をもう一度見つめなおす中で、少し疑問に思ったことについてのヒントがあればと考えたのです。

来ていただいたのは、浦中 こういち さん。保育士として現場を経験した後、現在はフリーのイラストレーター・遊び作家として活躍されている方です。当園の保育士の知り合いなのですが、偶然もう一人の保育士の学生時代の友人、というご縁もあって講師をお願いすることにしました。

私が漠然と抱えていたのはこんな思いです。保育の中で子どもたちが絵を描くことがありますが、そんなときに子どもが心の底から「描いてみたい!」と思っているのだろうか?「描くのが楽しい!」という経験をしているのだろうか。運動会の後には運動会の絵を、おいもほりの後にはおいもほりの絵を、大人が半ば義務的に描かせていないだろうか。先生が描こうというから描くのでは、楽しくないかもしれない。もちろん、きっかけとして大人が誘うことも必要ですが、基本的には子どもの中の「描きたい!」という気持ちが出発点です。もう一つ、子どもが、どこか上手に描かなくては!失敗したらどうしよう。という思いをもっていないだろうか。

絵を描くのが好きな子はそんなことはないかもしれませんが、描くことに苦手意識をもってしまっている子や、あまり好きではない子のなかに「もしかして、絵って楽しいかも!」と思える子がいればいい。「そんなに構えなくても自由にすればいいんだよ。」ということを感じてほしいな。と思ったのでした。

子どもの発達は、全体的なもので、絵が苦手だから訓練してうまくなるというものではありません。まずは自分が今の自分でいて大丈夫!という安心感、肯定感、そして自信が土台です。安心して心が満たされている子はいろいろなことに意欲的に取り組めますし、遊び込むことができます。絵を描くのが好きな子は絵を描くことで自分を発揮する。それがさらなる肯定感や自信につながり、他のことにも意欲が持てるのです。だからこそ、子どもは生活全てが大切なのです。

こんな思いで行った「こーちゃんとあそぼう」どうなるのでしょうか・・・

浦中こういちさんのCD

おいも

2011/10/28

2歳児がみんなでお散歩に行きました。お寺の方から庫裏の裏に植えたさつまいもが実ったので、良かったら取りに来ないかと誘っていたあいたので行ってきました。この日、10月26日は朝から晴れたり曇ったりのまずまずのお天気でしたが、冷たい風が吹き寒い一日でしたが、子どもたちはスコップを持って元気に出発です。

山の中腹にある本殿や庫裏まで行く方法は、約1キロメートルの参道を歩くか、途中までケーブルカーを使うかの2通りあります。2歳児たちもしっかり歩けるようになってきて、歩いてでも簡単に上れるのですが、お寺でゆっくりしたかったので、この日はケーブルカーに乗せていただきました。ケーブルカーを降りてからしばらく歩き、100段あまりの石段もさっさと登って本殿に到着。「おはようございます」とご本尊に手を合わせてから、おいもの植わっている畑へ。

事前にお寺の方が蔓を刈ったり、半分掘り起こしたりしてくださっていたので、ところどころにきれいな紫色が顔をのぞかせています。子どもたちは、早くとりたくてしかたがないという様子で、早速畑に入ります。とりやすいようにしてあったので、引っ張っただけでもおもしろいようにとれるのもありますが、少し掘らないといけないのもあります。土に埋まっている部分はどうなってるのだろう。もっとおいもが出てくるかもしれない。という様子で土を掘っている子もいる一方で、あまり土に触りたがらない子もいます。いろいろな感触を経験してほしいと思うのですが、無理にさせてもしょうがないので、やってみたくなるのを待ちます。もちろんただ、待っているだけではなく、やってみたいと思えるような環境を用意することが必要です。ともだちが楽しそうにやっているのを見ることもそうですし、大人が楽しそうにやるのも大切です。

子どもは育ってくる環境からいろいろな価値観を身につけてゆくのです。「汚れるから土に触らないで。」とおとなが言い続ければ、汚れることや土に触ることが良くないこと、いやなことだというイメージを子どもは持ちます。虫が怖いとか、気持ち悪いとかいう人が多い中で育てば、虫は嫌いになります。ですから大人がいろいろなことに楽しんで取り組む。一緒にやって、「おもしろいね!たのしいね!」と共感することも必要になってきます。

みんながたくさんおいもがとったあとは、時間があったので本殿の前で遊んで帰りました。石段の脇の斜面を滑り台がわりに滑ったり、色づいた桜の葉っぱや、風で落ちてくる松葉を拾ったり、子どもの遊びは無限に広がります。カマキリをつかまえて見せに来てくれた女の子もいました。石段などで遊んでいる子どもを見ていると私などは内心ハラハラしてしまいますが、保育士は余裕です。毎日一緒に生活している子どもたちのことをよく理解していて、どのくらいまでが大丈夫なのかをよくわかっているので、子どもを信じることができるのですね。

大きく見守られる中で思いっきり遊ぶ子どもたちはとっても楽しそうでした。

「同じ葉なし」

2011/10/27

少し前のことです。大きな箱が保育園に届きました。どこから何が送られてきたのだろうと思って送り状を見てみると、知り合いの会社社長が梨を送ってくださったのでした。昨年もいただいた「新高」という種類の大きめの梨で、高い香りと深い味わいが思い出されます。早速箱を開けると手紙が入っていて、ご親戚の方がご自身の梨園で心を込めて育てていらっしゃる梨を新鮮さにこだわって、朝摘みを直送したものだという説明と、今まで、当たり前だと思っていたことが如何に有難いことであるかを深く噛みしめ、「より善く転じる」ことを人の道として、真心を籠めて日々の社業に取り組んでゆくという旨の決意が書かれています。その手紙に梨の葉だと思いますが、一枚の葉っぱが貼り付けてあり、「同じ葉なし」と書かれていました。一本の木の葉でも全く同じ物はないという意味だと思います。同じように見えても一枚一枚が異なり、それぞれが役割を果たしてこそ木が育って立派な実を結ぶのです。大きな葉小さな葉いろいろありますが、それぞれに役割を果たしているのです。

私たち人間にもいろいろな人がいます。ひとりひとり顔や姿が違うように、好きなことや得意なことが異なり、それぞれに役割があるのです。それがその人の「いのち」だと思います。ですから、あまりにも幅の狭い単一の価値観だけで人を判断するのはいかがなものでしょうか。

勝ち組負け組ということが言われましたが、お金を儲けるのがうまい人だけが「勝ち組」で、使い切れないほどのお金を得る一方で、そうでない人は「負け組」といわれて、日々の生活にも困る人も出てくる。大きな格差を生んでいるのです。どこか歪んでいます。これはどこか変だ。なんとかしなくては。と思っている人はたくさんいるはずです。

人間は弱くなることで進化してきたということを以前ブログで書きましたが、弱くなることで社会を形成し、一番弱い人を真ん中にして皆が助け合って生きてゆくという道を選んで進化してきたということです。ですから、社会が機能しなくなっては、人は生きてゆくことが難しくなってしまいます。そうならないためにも、ひとりひとりがそれぞれの良いところを活かすことができるよう、みんながお互いを認め合う、違いを認める、多様性を認める、という方向に進むのが理にかなっているのではないでしょうか。だって、みんなが幸せに暮らせるようになりたいですもの。

梨と一緒に届いた手紙と一枚の葉っぱがそんなことを考えさせてくれました。もちろん梨もとってもおいしく、口にも心にもおいしいごちそうをいただくことができました。これも社長さんが心をつかって、真心を籠めて、梨を届けてくださったからです。ありがとうございます。

防災センター

2011/10/26

災害が起こったときに被害を最小限に抑えるため、災害時に必要な防災知識や行動を「見る、聴く、触れる、感じる」などの体験を通じて学ぶことのできる施設、京都市市民防災センターが京都市南区にあります。

4歳児と5歳児が、この市民防災センターに行って、地震の揺れ、台風の風、火災現場からの避難を体験してきました。防災センターに到着した子どもたちは少々緊張気味ながらも係の人の説明をしっかりと聞きます。センター利用時の約束として「お・は・し」の約束がありますが、「お・は・し」ってなにかわかりますか。と聞かれ、私が少し考えていたら、子どもは「押さない・走らない・静かにする」と即座に答えていたのには感心しました。

       震度7

まずは地震体験、震度3から7の揺れを体験できる部屋に入ります。前室で部屋が様々な強さで揺れる様子を見て、地震が起こったらまず自分の身体を守る。特に頭を守るために机の下に入ることを聞いた後、5人ずつくらいで体験します。このときに一番強い震度7を体験したい人、中くらいの揺れの震度5を体験したい人、弱い揺れの震度3を体験したい人と3つの選択肢から、子どもたちが自分で選べるようになっていました。私たちが普段の保育で行っている選択制と同じです。あらかじめ自分の目でどのくらいの揺れかを見て、子どもたちが自分で選んで決める。そうしないと強い揺れでも平気な子もいれば弱い揺れでも怖いと思う子もいるので、「5歳児は強い揺れ」などと大人が一律に決めるのはおかしいですよね。子どもはちゃんと自分で判断して強さを選んで体験していました。事前に説明を聞き、どうなるかを知って体験しているので、遊園地の乗り物にでも乗った気分になって楽しみすぎていた子もいたかもしれませんが・・・

     風速32メートル

次は台風の風体験です。これも風速32メートル、22メートル、15メートルから選びます。地震の震度7を体験してみるという子は多かったのですが、32メートルの風を選ぶ子は少なく、22メートルもほとんどいなくて、多くの子が15メートルを選んでいました。私も子どもたちと15メートルを体験しましたが、体験時間が長いこともあって結構強く感じます。よく32メートルを体験したものだと思いました。台風は地震と違っていつ来るのか、どれくらいの強さなのかなどがわかるので、できるだけ情報を集めることと、不必要に外に出ないことなどを学んでいました。

最後に煙の充満した建物から脱出する体験です。暗くて煙の充満したところを誘導灯を頼りにドアを開けたり、炎をよけたりして出口に向かいます。普段園の避難訓練で口にハンカチをあてること、姿勢を低くすることの意味が体験を通して理解できたようです。初めて宿泊するホテルなどでは事前に避難経路を確認しておくことで、パニックに陥る危険性が低くすることも学んでいました。子どもたちはどの体験にも真剣に取り組み、それぞれに得たものは大きかったことと思います。

全ての体験が終わる頃にはお昼を過ぎていたので、梅小路公園まで移動してお弁当にしました。曇り空で風が強く少し寒かったものの、前日に作ったてるてる坊主のおかげか、心配していた雨に降られることもなく、お弁当を食べた後は、遊具などで思いっきり遊んで帰ってきました。

鞍馬の火祭り3

2011/10/25

    少しこつがつかめたかな

鞍馬街道を行き来する松明の数も増え、大人のかつぐ大松明も動き始めます。大松明は、甲斐性松明(かいしょまつ)といわれ、長さは4メートル、重さは100キログラムを超えます。中学生がかついでいた小ぶりのものでも70〜80キログラムはあるそうです。昔の人はよく肩に荷物を担いで運びましたが、今は肩に何かを担ぐ機会はあまりありません。特に中学生は普段そんな経験はほとんどしませんから、大きくて重い松明をかつぐのはずいぶん大変なようです。最初はかつぎ方がわからず四苦八苦していますが、大人にアドバイスしてもらったり、自分で工夫したりするうちに少しずつこつが飲み込めてくるのだと思います。それも自分でかつぎたいという気持ちがあってこそできるのです。また、3人くらいで松明をかつぎますが、皆の息が合わないとなかなかうまくいきません。肩に乗せる角度やその角度を得るためのそれぞれの身体の向き、先端を持つ人が上手く松明の角度を調整して、後ろの2人の負担が均等になるようにしてあげないと大変です。それぞれがこつをつかみ、その上にチームワークがあってこそ上手く行くのでしょうね。私が見ていた中学生も最初は苦労していましたが、後半になってくるとずいぶん楽にかつげるようになったようです。

      鉾

     立ち並ぶ松明

鞍馬には古くから七仲間という代々受け継がれている住民組織があり、祭祀を掌握しています。この仲間に鉾があり、鉾を先頭に松明が進みんで各仲間が所定の場所で他の仲間と合流する諸礼という儀式を行った後、御神輿のある山門前に進みます。そのときには石段に燃えさかる松明が何本もたちならび、壮観です。見ている方は壮観ですが、松明を支えている方は大変です。重い松明を立てて支えているだけでもむずかしいのに、頭の上から火の粉や燃えている柴が降ってくるのですから。

立ち並ぶ松明が徐々に一カ所に集められ、大きな炎となる頃に注連が切られてお祭りは御神輿の渡御へとうつってゆきます。この御神輿が石段を下りる際に御神輿をかつぐための棒の前方に若者が足を開いてぶら下がる「チョッペン」という儀式があり、鞍馬の成人式の名残だと言われています。また、御神輿が階段を下りる際に御神輿の後ろにつけた綱を持つ綱方という役があり、女性がその役を担います。

御神輿の渡御

御神輿が町中を渡御して御旅所に安置されて、この日のお祭りはフィナーレを迎えるころには日付が変わっています。

祭りの中にいると、鞍馬の人々にとって火祭りがとても特別なものであるのがよくわかります。火祭りの後に登園してきた年長の男の子は背中にやけどをしていました。「松明でやけどしたん?」ときくと、誇らしげに「うん!」と答えていました。その笑顔は、よくぞ聞いてくれたという満足と自信に満ちあふれていました。

 

鞍馬の火祭り2

2011/10/24

昼間、京都市内では時代祭が、夜は鞍馬で火祭りが行われるというのに、天気予報は雨、時間によっては激しく降るという予報でした。時代祭は早々に順延が決まりましたが、火祭りはよほどのことがない限り雨が降っても行われます。昼間は曇っていて時々薄日がさすまずますの天気だったのですが、午後4時頃に突然大きな雷鳴と共に土砂降りの雨、その後も雨が続きました。この雨で火祭り見物の方も少なくなり、翌日の新聞には8000人とありました。それでも狭い山里にたくさんの人が集まるので、混雑は必至です。火祭り保存会をはじめ関係者の皆様も警察の方々も事故防止に苦慮していらっしゃるようです。

  みんなに手伝ってもらって

     子どもの松明

午後6時「神事ぶれ」とよばれる祭りの始まりを知らせる「神事にまいらっしゃーれ」の声を合図に各家のエジ(かがり火)に火が灯され、子ども用の「トックリ」とよばれる松明を持った子どもたちが鞍馬街道を行き来します。生まれたばかりの小さな赤ちゃんにも松明を作って家族の人がそれを持ち、赤ちゃんをだっこしてその後をついて歩いています。赤ちゃんもちゃんと松明を用意してもらってお祭りに参加しているのです。お父さんや家族の人々と松明を担いで「サイレーやサイリョー」とかけ声をかけながら歩いている園児何人かに出会いました。時間がたつにつれて、徐々に大きな松明も点灯されます。

中学生にもなると、一人前に装束を着けて松明をぎます。松明をかつぐ正装姿は、頭に向こうはちまき、肩から腕にかけて被う船頭籠手をつけ、松明の重さから肩を守る肩当てをつけ、締め込みにさがりという力士のような姿、背中には難を転じるという意味で、南天の小枝を締め込みにはさみ、足には黒足袋と武者草履をはき、脚絆をつけるというものです。小さな子どもは、前垂れとよばれる化粧まわしのようなものをつけ、美しい柄の長襦袢を羽織ります。衣装一つとっても珍しいお祭りです。

    がんばる中学生

     大人の大きな松明

鞍馬の火祭り

2011/10/23

鞍馬の火祭りが行われました。鞍馬火祭りは、鞍馬の氏神様である由岐神社の例祭で、毎年10月22日に行われています。

天慶3年(940)に御所にお祀りされていた由岐大明神を、世の平安を祈って御所の北方にある鞍馬に遷宮され、その行列は、手には松明を持ち、道中にかがり火を焚き矛を先頭に進みました。この儀式と由岐明神の霊験を後世に伝え守ってきたのが鞍馬の住民であり、鞍馬の火祭りの起源だといわれています。

由岐神社は、園から参道を5分ほど登ったところにあります。10月22日の朝9時から由岐神社で神幸祭が行われ、由岐明神と八所明神のご神体が二基の神輿にお移りになります。その御神輿が鞍馬寺山門前までおりてこられるのですが、園児たちは毎年その様子を見学していています。結構時間がかかるのですが、子どもたちは興味をもって見ています。

おみこしさんが来はったよ!

園児の中でも鞍馬に縁のある園児は、火祭りに参加するなどお祭りがより身近なので、お祭り当日は楽しみでしょうがないのでしょう。朝から気もそぞろ、どこか落ち着かない様子です。「もう、おみこしさんおりていかはった?」「はよ見に行こ!」としきりに御神輿を気にしていました。

鞍馬の人たちにとって火祭りは特別な意味を持ちます。鞍馬の1年は13ヶ月、祭礼を迎えるために1ヶ月分多く働いて準備をするといわれるほど、鞍馬の人々の火祭りに対する思い入れは並大抵ではありません。その年の祭が終わったら、次日から翌年の祭の準備が始まるともいわれています。確かに準備はとても大変そうで、特に松明を作るための材料である柴を確保するのが大変なようで、山林を借り受けて柴を育てる取り組みをされていますし、松明を結ぶ藤の蔓(根)も、いつもどこかに藤がないかと気にかけていると聞いたことがあります。

火祭り保存会の皆さんを中心に鞍馬の人々の熱い思いと、努力があってこそ初めて成り立つお祭りなのです。ですから、小さな頃からその様子を見聞きし、経験することが、伝統を継承してゆくためには大切なことなのかと思います。

伝統や文化の継承という意味からも、地域の乳幼児が集まる保育園が地域で果たす役割ということも考える必要があります。

 

 

遠足

2011/10/22

2歳児3歳児が待ちに待った、動物園への遠足の日がやってきました。みんなの作ったてるてる坊主のおかげか、お天気は朝から申し分の無い快晴。9時にはみんなそろって、バスに乗り込みいざ出発。このバスに乗るというのも子どもたちの楽しみのひとつです。子どもたちが積み木で作っていた動物園にも駐車場があってバスが駐まっていました。

行き先の京都市動物園は東京の上野動物園に次いで古く、明治36年に開園しました。市民の寄付など、市民の手によってつくられた動物園です。以前ブログに書いた小学校もそうですが、京都は室町時代からの町衆の流れか、市民の力が強いようです。新京都市動物園構想が平成21年に策定され、平成27年までの7年間でリニューアルが行われている最中です。

新京都市動物園構想の展示コンセプトのひとつに「動物を間近で観察できる」があります。昭和30年に開設された「おとぎのくに」というエリアがあり、家畜を近くで見たり、ウサギやモルモットに触れる体験が行われていましたが、そのエリアが今回の施設整備では「いのちの尊さ、いのちのつながり」をテーマに2.5倍の広さになり、見学者が自由に柵を開けて中に入ってヤギやヒツジなどにふれあえるようになっていました。ヤギが人の通る通路の上にかけられた橋を渡って反対側へ行けるような、ヤギの高いところに登りたがる習性を知る展示の工夫もされていました。当日は残念ながらヤギは橋を渡っていませんでしたが、『三匹のやぎのがらがらどん』の絵本を思い出します。

  ちょっとこわいな・・・

  こんにちは!やぎさん!

最初、子どもたちはちょっとおっかなびっくりヤギに触れていましたが、慣れてくるとかわいいといって、背中や頭をなでていました。ヤギがおしっこをしているのをじっと見ていたり、近くで寝ていたヒツジとさわり比べて感触の違いを感じている探求心旺盛な子もいました。ずいぶん長い時間ヤギやヒツジとふれあっていましたが、ずっとそこにいるわけにもいかないので、ゾウやカバなど子どもたちが見たがっていた動物を見に行きます。

おしっこしてるよ

園内を歩くのですが、他の保育園、幼稚園や小学校からもたくさんの子どもたちが見学に来ていて、うっかりすると迷子になりそうです。当園では、あまり手をつないで二列になって行進するような歩き方はしないので、混雑している中でも、ゆるやかなひとかたまりになって移動していました。私は内心、誰かが迷子になるのではないかと心配していましたが、子どもたちはよくわかっていて、バラバラに突拍子もないところに行ってしまうような子はいませんでした。もちろん保育士たちが見ていないようでしっかり見ているということもあるのですが、子どもたちがお友達や先生が見えるところにいた方が良いとわかっているからそれができるのだと思います。

ゾウをゆっくり見ていたい子、隣にいるハクチョウに興味を持ってそっちが見たい子、いろいろなのですから少しくらい離れても全く問題ありません。

子どもたちがちゃんと自分たちのことをわかり、今どうするのが良いのかわきまえている。自立と自律が少しずつできてきているのかなと、ちょっとうれしくなりました。

スクロール