2014年 3月

もちつもたれつ

2014/03/21

春分の日というのに、冷たい北風が冬を連れ戻してきたかのような寒さになりました。
強い風が向かいの山との間に雪のカーテンを引いてゆくかのような雪の降り方でした。しばらくすると、そのカーテンがこちらまでやってきて、激しく雪が降りだします。しばらくふると止んで、また同じよう降り出すというを何度も繰り返していました。そんな状態が夕方まで続いたら向かいの山の上の方だけが白くなっていました。お彼岸の中日だというのにまるで冬です。春のお彼岸中に寒の戻りがあって雪が降ることはときどきあります。
山で暮らす動物たちもこの雪の中にいます。寒くないのかなと思ってしまいます。前にも書きましたが、お寺の参道に半分になったツバキのつぼみがたくさん落ちていました。ムササビが花の芯のところを食べているのです。この時期にはよく見られる光景です。夜のあいだにムササビがやって来て、つばきのつぼみを食べているのですが、半分にして、芯のところだけを食べて後は食べ散らかしています。お寺の自然の調査研究をしていらっしゃる方に聞いたのですが、ムササビを観察しようと、暗くなってから参道を歩いていると、鹿が石畳の上で何かをむしゃむしゃと食べているようだったので、何を食べているのだろうと近づいて見たら、鹿は口をもぐもぐさせながら立ち去り、その後にはムササビが落とした葉っぱやツバキのつぼみが残っていたそうです。つまり、鹿はムササビのおこぼれに預かっていて、ムササビが食べ散らかすことも鹿の役に立っているのです。意識しているわけではないでしょうけれども、自然の動植物はうまく助けあって生きているのですね。

知らないこと

2014/03/20

コウモリについて少し書きましたが、このヒナコウモリがいることでわかったというか、知ったことがあります。ヒナコウモリだけにつく蚤がいるということと、このコウモリにつく蚤を専門に研究している方がいらっしゃるということです。この蚤の研究はとても大変そうです。その理由は、前にも書いたように、ヒナコウモリが繁殖や越冬する場所で人が監察できるような場所が限られていること。従って、ヒナコウモリにつく蚤も、採取することをはじめ研究が難しいのです。研究者が少ないからか、研究が困難だからか、その両方の理由によるでしょう、日本ではあまり研究がすすんでいないようです。

お寺にヒナコウモリが越冬している場所があります。そこにはヒナコウモリが何頭か集まっているので、周囲にはコウモリの排泄物など、コウモリに関係ある物がいろいろとみつかります。そんな中に蚤の卵がたくさんあったそうです。お寺の自然の調査研究をしてくださっている方が、その卵などを蚤を研究していらっしゃる方に見ていただいたそうです。研究者の方は、卵だけではなくその周囲の物にも注目し、写真を撮って拡大してくださいました。そうすると、卵のまわりには赤褐色のちいさな粒がたくさんありました。それは、卵がかえって幼虫が出てきたときに、食べ物に困らないようにと蚤の成虫がコウモリの血液を体内で固めた小さな粒(排泄物)を置いているのだそうです。親の子に対する思いやりですね。研究者は、その卵を孵化させて、幼虫を育てて観察されるそうです。どうなるのかが楽しみです。

実はこの蚤には、まだ和名がついていないと聞きました。これからいろいろなことがわかってくるのかもしれません。今までわからなかったことが明らかになるのってわくわくします。それにしても、身近なことでも知らないことばかりだと思います。なんでもわかった気になっているのではなく、いろいろなことから謙虚に学ぶ姿勢が大切です。

コウモリの生態

2014/03/19

ヒナコウモリについて、『京都府レッドデータブック』(京都府のホームページ)からもう少し引用してみようと思います。

生態的特性
夕方に隠れ家から飛び出して、飛翔する昆虫類を採餌する。昆虫類が飛ばない冬期には冬眠するものと思われるが、どこで冬眠するか不明である。初夏にコウモリ類では珍しく1回に2子を出産する。本種は本来は樹洞を昼間の隠れ家にしていたと思われているが、樹洞が消失している地域では家屋でも繁殖するのが知られる。

生息地の現状
滋賀県と京都府の境にある比叡山本堂に200~300頭の出産・育児集団が毎年形成されるのが知られるのみであったが、2001年3月には京都市鞍馬寺で14頭の冬眠している本種が発見された。これら両寺の間で群れ間の移動があるのかどうかは目下不明である。ちなみに、鞍馬寺の1頭は青森県で出生した個体だという。すなわち、青森では繁殖集団が知られるのみであり、比叡山も繁殖集団、一方鞍馬寺は冬眠集団であり、それらの間の移動に関しては今後の問題であり、まだ不明のことばかりである。いずれにしても、本種は本来樹洞をねぐらにするコウモリであり、家屋で繁殖すること自体が生息の危機的状態にあるということである。ちなみに京都府からは、隠れ家として利用する樹洞はまだ発見されていない。

とあります。

コウモリの研究を行っていらっしゃった、故 向山満氏(2012年11月にコウモリの調査中に秋田県の山中で滑落により亡くなられました)がよく青森から調査にいらしていました。向山氏の調査でわかったことだったと記憶していますが、コウモリには調査のために鳥に着ける足輪のようなリング(標識)を前腕につけることがあります。青森でリングを着けられたか、記録されたコウモリが鞍馬で見つかったという話を聞きました。そんなに遠くから移動してくるのだろうかと驚いたのを簿えています。

冬眠中のコウモリは、リングがついている個体もあればついていない個体もいるようです。年によって、リングが着いているのがたくさんいる年やほとんどの個体がリングを着けていない年などいろいろで、どうなっているのかわからない。まさに「まだ不明のことばかり」のようです。

コウモリを捕獲するには、調査のためであっても許可が必要なので、勝手に触ることはできないので、注意が必要です。

越冬

2014/03/18

3月になって、暖かかったり寒かったりを繰り返していましたが、ようやく暖かくなってきました。今日はお彼岸の入りです。暑さ寒さも彼岸までなどといいますが、このまま暖かくなることはなさそうな気がします。早く暖かくなってほしいと思う気持ちもありますが、気温が低めだと良いなと思うこともあります。月末に学童保育に来ている小学生と、卒園式を済ませた5歳児たちと計画しているプログラムがあります。

お寺のある場所でコウモリが冬眠しているのそうなので、観察しに行く予定です。コウモリについては何度も書いているので、重なる部分があるかもしれませんが、ご容赦ください。

越冬しているのはヒナコウモリという種類のコウモリだといわれています。ヒナコウモリを調べてみると、ウィキペディアには、「ヒナコウモリ(Vespertilio sinensis)は、コウモリ目(翼手目)・ヒナコウモリ科・ヒナコウモリ属に分類されるコウモリの一種。2002年(平成14年)3月に『改訂・日本の絶滅のおそれのある野生生物 -レッドデータブック- 1 哺乳類』が作成された際には絶滅危惧II類(VU)であったが、2007年(平成19年)8月3日に発表されたレッドリスト(2007年版)では、生息情報の増加を理由にランク外とされた。」とあります。
『京都府レッドデータブック』(京都府のホームページに掲載)には「本来は樹洞を昼間の隠れ家にするコウモリであるが、大木が激減し、樹洞が消失したために、家屋を利用せざるを得なくなっていると思われる。」という選定理由で「絶滅寸前種」に指定されています。

日本哺乳類学会レッドデータカテゴリー(1997)では、「存続の基盤が脆弱である。 生息条件の変化によって容易に上位のランクに移行するような 要素(脆弱性)をもつ。」「希少」に分類されているようです。

『京都府レッドデータブック』(京都府のホームページに掲載)の記述を引用してみます。まず、日本国内での分布は北海道、本州、四国、九州。京都府内の分布区域は「正規には滋賀県側に当たるが、滋賀県と京都府の境にある比叡山の本堂に200~300頭の出産・育児集団が毎年形成されるのが知られる。これらのコウモリは当然採餌行動は京都府でも行っていると思われる。なお、2001年3月に京都市鞍馬寺で14頭の冬眠している本種が発見された。」

ここにもあるように、毎年ヒナコウモリが冬眠しているところがあるのです。そこにコウモリが見られるといいなと思っています。あまり暖かくなると。コウモリは冬眠をやめて、どこかに飛んで行ってしまうのです。

無隣庵 2

2014/03/17

無隣庵の庭を造ったのは、平安神宮や円山公園、二条城など多くの庭を手がけた七代目小川治兵衞です。この庭をつくるにあたって、山縣有朋は小川治兵衞に三つのことを依頼したそうです。一つは琵琶湖疎水を庭に引き込むこと。もう一つは芝生を使うこと、三つ目は、樹木を多く植えることだったそうです。水については、先に書いたような工夫が凝らされています。芝生については、訪れたのが3月中旬なので、芝生は緑ではなく茶色でしたがそれも落ち着いた雰囲気がありました。芝生の茶色と木々の深い緑の色合いがほどよいコントラストを生み出しているのです。樹木も様々な種類のものが植えてあって、いろいろな緑を楽しめるのだそうです。係の方が青紅葉の頃が美しいとおっしゃっていました。きっと芝生の緑と、木々のいろいろな緑色が美しいのでしょう。いろいろな季節に訪れてみたいと思いました。植物の美しさといえば、花が思い浮かびますが、無隣庵にはあまり目立つ花はないようです。花が咲く木に、ツツジと木瓜がありますが、ともにとても背が低く刈り込んであり、花はかわいらしく咲きそうです。

敷地の一角には明治31年に建てられた煉瓦造り2階建ての洋館があります。土蔵のような扉から中に入ると、1階は展示室になっており、無鄰菴と主の山縣有朋、庭を作った小川治兵衛についての説明をした展示室になっています。

雰囲気のある階段を上って2階へ、階段室から部屋に入るとソファーが置かれた洋間になっています。斬新なソファーの色もそうですが、壁に向かって長い煙突が伸びている薪ストーブがなぜか気になりました。

階段室と比べるとかなり暗い室内に目が慣れてくると、壁の障壁画が存在感を放っているのに気づきます。江戸時代初期の狩野派による金碧花鳥図障壁画なのだそうです。そして、天井は織り上げ格天井というのでしょうか、趣向を凝らした作りになっています。洋間なのに障壁画と格天井、ちょっと聞くとミスマッチな感じもしますが、それがあまり違和感を感じさせないので不思議です。

「この部屋で明治36年(1903)4月21日,元老・山県有朋,政友会総裁・伊藤博文,総理大臣・桂太郎,外務大臣・小村寿太郎の4人によって,日露開戦直前のわが国外交方針を決める無鄰菴会議が行われた」と解説にありました。歴史が感じられます。

無隣庵 1

2014/03/16

無隣庵に行ってみました。無隣庵とは、南禅寺門前にある山縣有朋の別邸です。無隣庵は3つ有って、この無隣庵は3代目なのだそうです。最初は山縣有朋の出身地、山口県下関にあり、2代目無隣庵は木屋町二条、高瀬川の源流に高瀬川を作った角倉了以の別邸があったところに山縣有朋が作ったそうです。この場所は現在、日本料理のお店になっています。庭を見る時間は無かったのですが、別の用で最近ここにも訪れました。偶然第二、第三無隣庵を1週間以内に訪れました。第三無隣庵のある辺りは当時、この地域を別荘地として発展させようという意図があったのだそうで、今でも近くには大きなお屋敷が建ち並んでいます。

第三無隣庵は、東山を借景とした庭がうつくしく、敷地庭の奥に向かってが三角形なのですが、借景をうまく活かしてあることで奥に向かって狭くなっていることを全く感じさせません。山と庭の木々が見事に一体化しています。

庭の一番奥には琵琶湖疎水から水を引いた三段の滝があり、その滝の水が池に流れ込み、そして建物の近くを流れて、流末は隣家に流れて行っています。この流れは数寄屋造りの母屋の近くではせせらぎの音が聞こえるように、流れを急にしたり、底に石を置くなど様々な工夫が凝らしてあります。母屋の縁側に座っていると、借景の東山や庭の木々などを眺めながら、せせらぎの音を聞くことができます。滝、静かな池、せせらぎ、そしてゆったりとした流れというふうに、場所によって異なる水の様子を楽しむことができるようになっています。いろいろと考えてつくられているものです。

三段の滝の近くの浅瀬で子どもが、貝を見つけていました。名前はよくわかりませんが2センチくらいの大きさの黒っぽい巻き貝と1センチくらいの茶色の2枚貝です。水の中をよく見ると、何匹かいたので、ここに住み着いているのでしょう。

池には鴨の様な鳥が3羽優雅に浮かんでいましたが、突然カラスが舞い降りてきて、鴨を池の端に追いやったかと思うと、自分が水浴びを始めました。鴨はあまり気にする様子もなく、池の端の方に移動していましたが、どこの世界にも自分勝手なのはいるものです。

壁をなくす

2014/03/15

寒い日が続いています。今朝も屋根や木々の枝にうっすらと雪がのっていました。気温も氷点下、3月も中旬というのにまるで冬のようです。でも、太陽が顔を出すと、あっというまに雪は溶け出します。やっぱりは春なのでしょうね。そういえば、比叡山はもちろん、近くの山々がかすんでみえました。春霞というのでしょうか、花粉でしょうか、黄砂、それとも今話題のpm2.5などの粒子状物質でしょうか。少し前に、PM2.5の濃度が高くなっていると新聞で取り上げられていました。様々な物質が漂っています。中国から偏西風に乗ってやってくる物も昔に比べて増えたのでしょう。大気は地球全体を巡っています。人間が勝手に引いた国境なんて、自然現象には関係がないことです。

かすむ山を見ながらそんなことを思っていたら、めぐみ精舎の小学生達が、ダンボールで作った隠れ家(秘密基地)に男女を隔てる壁を作ったことで、男女間の対立が生まれた事を思い出しました。壁を作った事によって壁に執着し、対立が生まれたのです。国境とダンボールの壁を一緒にすることはできませんが、何かしら人為的に線を引くことで、一つのが二つに分かれてしまいます。

複数に分かれて争うことはずっと昔から続いてきたことです。それは私たちの遺伝子に書き込まれていて、そこから抜け出すことはできないのでしょうか。争いのない世界は夢物語かもしれませんが、争う戦うのではなく、異なる方法で問題を解決できるようにはならないものでしょうか。

私たちは一つの地球のうえに住み、同じように空気を吸い、水を使っています。大気や水に線を引いて分けることはできませんし、全地球を巡っています。地球だけのことではありません。地球が今の状態を保っているのは、月や太陽や様々な星々、宇宙のありとあらゆる要素が相互に関連し合っているからです。

市場を広げるためだけのグロ-バル化ではなく、地球のうえに生かさせていただいているいのちとして、心のグローバル化はできないものでしょうか。

子どもたちの間の壁がなくなったら、穏やかに、助け合えるようになったことにならって、私たち大人も心の壁を取り払って、穏やかに助け合うことができるようになると良いのに、と思いました。

心の壁

2014/03/14

小学生たちがダンボールを使って作っていた隠れ家、秘密基地でしたが、男子と女子がまん中に壁を作ってお互いのスペースを主張するなど、ちょっとした対立に発展してしまいました。その時の様子について、小学生たちの指導にあたっている指導員さんからこんな話を聞きました。

一旦壁を作ると、男子のスペース、女子のスペースをきっちりと区切らなくてはならないという意識にとらわれる。そのためには、区切るための壁がしっかりしていなくてはならない。しかし、ダンボールの壁はそれほどしっかりしているわけではない。きっちり分けておきたいのに、分けるための壁がしっかりしていない。この壁がなんとかならないか。そんな子どもたちの壁への執着ともいえるものが状況を悪化させていたように思う。

この話を聞いて、自分をふり返りました。何でもかんでもきっちり決めて、きっちりしなくてはいけない。そればかりが強くなりすぎると、きっちり分けること、決めること自体が目的になってしまって、なんのためにそれをするのかがかすんでしまう。もちろん、いい加減にやれば良いというのではありませんが、目の前の現象ばかりに目も心も奪われて、本質を見失っていないだろうかと。

ところがある日、何かの拍子に壁が全部倒れてしまい、いっそのこと壁を取り払ってしまおうということになったそうです。そうして、いままでこだわっていた壁がなくなってしまったことで、執着する対象がなくなった。執着する対象がなくなったら、子どもたちの心が穏やかになり、心の壁も取り払われたようだ。とも聞きました。

子どもたちの秘密基地にできた男女間の壁に止まらない話です。私たちも、いろいろなことに執着してしまうからこそ、そこに苦しみが生まれるのです。「これは私のもの!」「絶対にこうでなければならない!」「私が正しい!」そんな執着が、心をゆがめ、曇らせ、真実を見えなくしてしまいます。心に壁を作り、対立する。そこに生まれるのは苦しみしかありません。

壁があったときには、お互いのスペースにゴミを投げ入れたりしていたのに、壁がなくなったら、みんなで、全体をきれいにするようになり、男女が対立することもなくなったのだそうです。

ダンボールの壁

2014/03/13

ダンボールを使って、隠れ家というか秘密基地を作っていためぐみ精舎に通ってきている小学生達のことを紹介しています。

子どもは狭い空間が好きです。どこか落ち着くのでしょう。洋画で目にしたことがありますが、子ども部屋に小さなテントのように布を吊して、子どもがその中で遊んでいました。どこか囲まれるような包まれるような狭い空間に身を置くと安心するのかもしれません。また、自分たちの自由になる空間があることで満足できるのかもしれません。

自分自身が子どもの頃をふり返ってみても、そういう空間を作っていたように思います。私の場合は室内というより、友だちと一緒に山の中に入って、木の枝や葉っぱを使って、秘密基地を作っていましたし、それがエスカレートして空き地に小さな小屋を建てようと、材料を集めたりしたことを思い出します。結局、小屋はできませんでしたが、自分たちだけの空間を求めていたのです。

秘密基地作りは、狭い空間で安心したい。落ち着きたい。という子どもの希望、大人から離れて、仲間の関係性を強める、自立のために子どもが必要としていることといった意味があるのです。ですから、大人はあまり手出し口出ししない方が良いのでしょう。

小学生達が過ごしているめぐみ精舎の部屋は大きな一部屋で、今のところ空間をしきるものが少ないので、子どもたちにとっては落ち着かないのかもしれません。そこで、ダンボールを使った、隠れ家作りが始まったのでした。その中で、子どもたちは限られた材料や道具をシェアしあうとともに、アイデアを出し合い、意見を交換しあって、秘密基地の改修を重ねていました。

ところが、前回も書いたように、どういう理由か男女で空間を二分して対立が始まってしまいました。小学生の頃って、女子なんか!男子なんか!と言い合って対立することが良くあるように思います。ダンボールで壁を作って、「入るな」だとか「どっちが狭い」だとか言い合っていたようです。ダンボールだけで作った壁ですし、しっかり立っているはずもなく、ゆがんだり、倒れたりします。そのことがまた煩わしさの一因になって、お互いの対立を深める原因になっていたのかもしれません。

対立

2014/03/12

小学生達が作っていた隠れ家に屋根を作ることを提案してみたら、私が作りたくなって、ついつい出しゃばってしまいましたが、その後は子どもたちがいろいろと工夫して作っていました。

シートのようなものがあれば、屋根を大きくしたり、様々な装飾に使えるかもしれない。と思いついて、園にあったシートのロールを持って来ると、子どもたちは早速、好きな大きさに切って使い出しまします。

大まかな形ができると、子どもたちはダンボールの隠れ家に入って寝そべったり、本を読んだり、遊んだりしています。

屋根の上から掛けたビニールのシートは、銀色とブルーの縞模様で少しだけ光を通すので、そのシートのどことなく水中にいるような気分になるのでしょう。誰かが「水族館みたいや。」と言い出したのをきっかけに、想像が膨らんだようで、魚を作って貼り付けたり吊り下げていました。

そんなこんなで、楽しく作って、楽しく遊んでいた隠れ家なのですが、いつの頃からか、男子と女子が別れて遊ぶようになったようです。男の子の部屋と女の子の部屋ができて、お互いに許可がなければ入れないとか、男子は入るな!なんてことになってきたのです。

お互いに作った男子室女子室の間の壁の隙間からゴミを投げ込んだり、壁が倒れてきたと言っては押し戻したり、時々小さな対立が起こっていったようです。

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