2012年 3月

怒りのコントロール

2012/03/31

謝罪することで怒りによって生まれる攻撃性が抑制される。という研究成果について取り上げましたが、科学技術振興機構のホームページ内のプレスリリース(http://www.jst.go.jp/pr/announce/20120323/index.html)に詳しく掲載されていました。
このページの「研究の背景と経緯」という部分に次のように記されています。

「怒り」はコミュニケーションの大きな阻害要因の1つであり、怒りをいかに鎮めるか(抑制するか)は、コミュニケーションを円滑化する上で極めて重要と言えます。現代社会では、怒りが好ましくない場面や状況は多くあり、そのためビジネスシーンでは、「アンガーマネジメント」が1つの重要なテーマとなっているほどです。こうした状況を受けて、「怒り」という情動についての理解を進めようとする研究に注目が集まっています。

確かにそうです。怒りという情動ををうまくコントロールすることで、相手を傷つけることがなくなりますし、コミュニケーションが円滑になります。なによりも自分自身が苦しまなくてすみます。

ではなぜ、怒りが起こるのでしょうか。怒るときというのは、自分の思うとおりに物事が運ばない。自分が不利益を被った。侮辱された。ことが多く、自分の思いや欲求と相手や現実との不一致からくることが多いと思います。

だからといって、世の中の全てのことが、自分の思う通りになるはずもありません。自分の思いや欲求とは異なることの方が多いでしょう。そんなことと出会ったときに、いちいち全てに怒っていては、大変なことです。怒らないことが、自分も人もHappyでいられることにつながるので、怒らない方が良いと思います。

でも突然の不一致に怒りの感情がとっさに生まれてきてしまうことがあります。その生まれてきた怒りという感情に自ら焦点を当ててしまう、とらわれてしまうと、どんどん怒りがエスカレートしてゆきます。

誰かが言った小さなことにカチンと来た。それを出発点として、その人の気に入らない部分がどんどん思い出されて、だからあいつはイヤなヤツだとか、あいつが悪いといった部分だけが心の中で強調される。そしてまた、それに対して怒るというようにほんの小さな怒りの火種が、放っておくとあっという間の燃え広がって、心は怒りの炎に包まれてしまいます。そうなると、なんで怒っていたのかさえもわからなくなり、怒りのために怒っている状態になったり、怒るための材料をわざわざさがしたりしてしまうようにもなってしまいます。

怒りのきっかけになるのは脳の扁桃体といわれる部分です。イヤなことを感じると、この扁桃体がノルアドレナリンというホルモンを分泌し、心拍数や血圧を増加など様々な身体の変化が起こります。その身体の変化を再び脳が関知して怒りはさらに増幅してゆきます。怒りが起こると怒りが怒りを増幅させるしくみがあるのです。

そうならないためにも、怒りの火種が小さいうちに消し止めておく方が得策のようです。どうすれば怒りの火種が燃え広がらないようにできるのでしょうか。その一つは怒っている自分を客観的に見つめるということだと思います。「あっ!自分の心は今、怒りの感情にさらわれそうになっている。」ということを自分で意識するのです。そうして少しでも怒りの増幅連鎖から抜け出すことができれば、「なんで、こんな事で怒ろうとしているのか。」と冷静になれ、怒りの炎が燃え広がる前に消し止めることができます。

とはいうものの、いつもこれができるわけではありません。これができるのは自分の心に余裕があるときなのです。いろいろな原因で心の余裕がないと、すぐに怒りの増幅連鎖に巻き込まれてしまいます。常に心に余裕を持ち、自分の心を見つめられると良いですね。

怒り

2012/03/30

先日、怒りと謝罪に関する研究について報じられていました。科学技術振興機構 ・名古屋大学・東京大学の研究グループが「怒り」を脳波や心拍数、指先の汗を分析したそうです。その分析から、謝罪することによって、怒りの成分のうち、相手を攻撃しようとする強い衝動は抑制されますが、不快感は抑制されないことが分かった。という研究成果を発表したそうです。

「怒り」が謝罪によって抑制できることは、これまでの研究でも知られていましたが、謝罪が怒りの中の「何を」抑制するのかについては、今までよくわかっておらず、それを解明するための研究です。

怒りに伴う身体的反応を、生理指標としては、「脳波」(中枢神経系反応)、「心拍」「指先の汗」(自律神経系反応)を、主観指標としては心理テスト(心理反応)をという複数の指標を同時の測定することで、調査しました。その結果、怒っている人が謝られると、怒りの衝動をぶつけようという気持ち(攻撃性)は抑えられますが、気分が良くない感じ(不快感)は継続しているということがわかったそうです。

この記事を読んで、「怒り」という感情と、それが謝罪によって、ある程度抑制されるものの不快感は残る。という、感覚的には当然のことが、そのメカニズムが科学的には解明されているわけではないことを知りました。

また、怒りは「攻撃性」と「不快感」などの成分に分けることができること。そして、「心拍」と「汗」という身体的反応が、「攻撃性」と「不快感」のそれぞれに対応しているということに興味を持ちました。

旅立ち

2012/03/29

11年間勤めた職員が退職しました。11年前に園に来たときには保育の補助として仕事をしてくれていましたが、調理の手伝いもするようになってから、しばらくして自分で勉強して調理師資格を取得し、それからは非常勤の調理員として料理に腕をふるってくれていました。

一番の年長者ということもあって、若い職員たちに、やらなくてはならないこと、わきまえていなくてはならないこと、大切なことをたくさん伝えてくれていました。少し言いにくいことも、いろいろな言い方や方法を使って、どうすれば伝わるかを考え、うまく伝えてくれていたのがよくわかりました。自分では、「いつもいじわるばあさんでごめんなさい。」なんていいながら、職員同士がどうすれば、お互いにうまくやっていけるのか、気を配り心を遣って考えてくれていたのだと思います。

いつも、私の考えをよく理解してくれていて、時々相談すると思いもかけなかった視点から的確な答えをもらったことがよくありました。前にもブログに書きましたが、畑で作物を栽培することについて相談していたら、野菜を収穫するだけではなく、種から育て、花が咲いて実が実り、そしてまた種ができる。その種を植えると、また芽が出るという「いのちの巡り」を子どもたちに実感させてあげれば良いのに。というアイデアを提供してくれたことが一番印象に残っています。

調理においても、様々な食材のいのちを活かしきるにはどうすれば良いかを常に考え、だしを取った後の小魚を煎って小さく砕いてふりかけにしたり、昆布を柔らかく、おいしく煮ることもしてくれました。小魚や昆布はだしをとった後、ただ捨ててしまうのはもったいないからという、年長者ならではの発想になるほどとうなずき、感謝しました。料理がいつも優しい味付けだったのは、食材のいのちを活かしたいという思いが強かったからかもしれません。

当園からは退職し、私たちと一緒に何かをすることはなくなりますが、新しい場所で「みんなのいのち輝く」を実践してくれることと思います。

新たなステージに向けて旅立ってゆく職員に感謝します。長い間お疲れ様でした。ありがとうございました。

考える時間

2012/03/28

3月27日、京都新聞の「現論」という欄に、イーデス・ハンソンさんによる「学生は熟考する習慣を」という記事がありました。いつもは新聞を読む暇もあまりないのですが、たまたま次男が新聞受けから取ってきた朝刊をめくっていて見つけました。

イーデス・ハンソンさんについては、昔よくテレビに出ていらっしゃったというくらいの記憶しかありませんでしたが、プロフィールによると、1960年に来日、大阪そして東京でのタレント活動期を経て、1987年から和歌山県田辺市の山里に住み、人権擁護活動や講演、執筆などに重点を置いて活動され、近畿大学総合社会学部では「水・夜・人・すみか」という講座を受け持っていらっしゃるそうです。その講座では、山里に立ち、音、香り、手触りを体験してこそ講義の内容が理解できる。という理由から講義の一環としてハンソンさんの住んでいらっしゃる集落でのフィールドワークがあります。五感全てを使って山の暮らしを体験し、その魅力と難しさを学ぶのです。

昨年のフィールドワークは、午後からの雨のためにハンソンさんの自宅で夕食までの時間を過ごすことになりましたが、5時間以上の室内での講義となるとみんながしんどいので、自由に過ごす時間になりました。学生たちは地図を見たり、本を読んだり、居眠りしたり、景色を眺めたり、パズルに興じたり思い思いに過ごしました。ハンソンさんは学生たちが退屈したのではないかと心配になって、後日感想を聞いてみたたら、楽しかった、あんな静けさは初めて、のんびりした、普段はそういう時間を持てない。と大好評だったそうです。

それを聞いたハンソンさんはうれしかった反面、学生たちが忙しすぎるのではないかと、逆に心配にもなったといいます。講義のスケジュールもタイトだしサークル活動やバイトなどで、落ち着いてものごとを考える時間がとれない。忙しそうでないとカッコ悪いといったイメージが高校時代からあると学生から聞いたハンソンさんは、「ノルマに追われる勤め人感覚そっくり」と感じられたそうです。

時間をかけて考えること、自ら熟考することについて書いてあったので、少し記事を抜粋させていただきます。

学生の学力や意欲の不足を危惧する記事が時折目につく。いわゆる「ゆとり教育」の弊害だとする人もあるが、ただ、尻をたたき、詰め込めば足るとも思えない。熟考する時間の中でこそ、講義の内容を他の分野と比較・吟味し、具体的な自分の生活に結び付け、新たな発想も生まれる。
(中略)
何かをじっくりと思いめぐらすことの必要性と楽しさを私たちは忘れがちだ。学生の特権の一つは、その意識を呼び覚まし、豊かな知性と自由な批評精神を養う可能性があることだろう。
断片的な知識は時代と共に陳腐化しやすい。それよりも思考力、つまり自ら考え、教育する能力を鍛えることの方が卒業後応用が利き、ずっと役に立つ。そのための刺激になる材料と、モノゴトをていねいに考えるささやかなきっかけを提供するのが私の役目なのだと思う。
後は学生自信ががその習慣を身につけ、必要な時間を確保してくれることを祈るばかり。

と結んでいらっしゃいます。

この記事を読んでハッ!としました。自分自身が、年度変わりの忙しさという形を借りて押し寄せる雑事に追われ、気持ちの余裕がなくなってアップアップしていること、「じっくりと考える」事を放棄していたのではないかと気付かされました。何でもかんでも、早く、たくさんではなく、心を落ち着け、余裕を持って、ゆっくりじっくりと考えてゆきたいと思いました。

もう一つ、思ったのは、ただ、詰め込めば良いのではなく、学生が自ら考えることこそが大切であり、そのための自ら考えるための刺激になる材料と、モノゴトをていねいに考えるささやかなきっかけを提供するのが教える側の役目だということです。

保育も同じです。大人が主体になって子どもに教え込むのではなく。子どもが主体的に自ら考え、判断し、行動してゆくのに必要な環境を用意するということが大人がすべきことです。子どもたちが「熟考する」機会を多く持ちたいと思います。

大掃除

2012/03/27

   おもちゃを片付けて

年度末ということもあって、みんなで大掃除をしていました。保育室、園庭、園庭で使うおもちゃなど、手分けをしてきれいにしていました。保育室の各コーナーのおもちゃを片付ける子、保育室の床をぞうきんがけをする子、ランチルームのイスや机を拭き清め、床もぞうきんできれいに拭いています。年が明けてからお当番活動を始めた3歳児の子どもたちも、ずいぶんぞうきんがけがうまくなりました。四つん這いになり、床に置いたぞうきんに両手をついて、足で床をけって前に進む。ことばにするとまわりくどいのですが、いわゆるぞうきんがけです。最初は片足ずつ交互に床をける動きは難しいらしく、両足で床をけって蛙跳びのように進みます。

      よーい どん!

こつがつかめてくると片足ずつ交互に床をけって前に進むことができるようになります。このとき、足の親指をうまくつかえているかどうかがポイントです。年度当初からぞうきんがけをしている4歳児はさすがに慣れていて、安定して前に進んでいます。2階の広い保育室の床では、よーいどん!でぞうきんがけレースが始まっていましたし、ランチルームではきれいに横一列に並んで、隙間を空けずに拭き上げるというのに挑戦していました。子どもたちは何でも遊びにして楽しんでいます。

      きれいに洗うよ!

園庭では1歳児や2歳児も頑張って園庭で使うおもちゃを洗ってくれていました。一生懸命洗っているのか、一生懸命水遊びをしているのかわからないような状況でしたが、とても楽しそうでした。

2人の小学生と5名の卒園児も遊びに来ていて、頑張ってくれていました。園児たちが着替えなどを入れておくプラスティック製のカゴがあるのですが、それをきれいに洗ってくれました。かなりの数があるので、大変だとは思いますが、みんな目つきが真剣です。面倒だ。などという子もなく、むしろやる気満々で取り組んでいくれていました。

    みんなでそろって・・・

園児たちが喜んでくれると思うと、頑張れたのでしょうか。誰かの喜びを自分の喜びにできる力があるのかもしれません。

それにしても、卒園から1週間ほどしか経っていないのに、卒園児たちは顔つきが変わったように思います。小学生に近づいてきたというのか、自信にあふれた顔つきというのかわかりませんが、頼もしくなっていることは確実です。                                                                                      

   イス君、いつもありがとう!

   たくさん洗ってくれました。

卒園児たち

2012/03/26

とっても寒い朝になりました。窓を開けてみると木々の枝には真っ白な雪の花が咲いていました。昨日は一日中とても風が強く、時折雪が舞う天気で、夕方の気温も2度くらいだったので、今朝は冷え込むと思っていたら、やはり気温は氷点下、そして雪でした。昼間も晴れたかと思えば、急に曇って雪が降り出します。昼食の時間には猛吹雪ともいえるほどの風と雪で真冬に逆戻りといった感じです。一度暖かくなってからの寒さはこたえます。それでも子どもたちは元気に園庭で遊んでいました。子どもは寒さの感じ方が大人とは違うのだと思います。いつになったら暖かくなるのでしょうね。

今日も卒園児がたくさん来てくれて、いろいろ手伝ってくれていました。まずは、2月にみんなで作った龍の解体です。ステキにできていましたが、あまりにも大きいのでいつまでも置いておくわけにもゆかず、さよならをする日が来ました。作るときにしっかりと作ったので、解体作業も大変そうです。はがせるテープ類はできるだけはがして、接合部分をはずします。外れないところは、ダンボールカッターを駆使して切断します。男の子が頑張ってやっていましたが、なかなか切ることができません。そこへやってきた女の子が、なんなく切ってしまいました。

龍の解体をしていない子は、ままごとコーナーを掃除していました。ままごとコーナーの近くに古い足踏みオルガンが置いてあって、子どもたちが好きに弾いていますが、そのペダルの取り付け部分からオルガンの中にいろいろな物が入っていたようで、子どもたちが見つけて取り出してくれていました。中からままごとで使っている小さな包丁まで出てきました。子どもだからこそ気付くことができた場所だと思います。ままごとコーナーはとてもきれいに片付きました。

卒園児たちはとてもいきいきと動いています。楽しい!という気持ちと、後輩たちのために自分たちがやらなきゃ!と言う気持ちの両方を持ちながら取り組んでくれているのだと思います。

お手伝い

2012/03/25

卒園式は終わりましたが、卒園した子どもたちは年度末まで園に来ています。保育期間は年度末までなので、保育を希望する子は園に来るのです。全員ではありませんが、毎日、8割くらいの卒園児が来ています。しかし、卒園前とは違って「保育園は一旦離れたけれど遊びに来ている。」という感覚で来ているのだと思います。もちろん3歳児、4歳児の保育に混ざって一緒に遊んでいるのですが、今までよりもよりお兄さんお姉さんになった感覚でいるのでしょう。

先日の土曜日は、園に来ている卒園児は少なかったのですが、みんなで保育士の手伝いをずいぶんとしてくれていたようです。私が園に行くと、手洗い場で3人の卒園児と保育士が1人、並んで何かをしていました。何をしているのかと思って見に行ってみると、みんなで3・4歳児たちのおどうぐばこと粘土のケースを洗ってくれていました。年度末なのできれいにしていたのです。結構汚れていたり、粘土がくっついていたりするので、洗うのは大変だろうと思いましたが、みんなメラミンスポンジを使ってゴシゴシと真剣に洗っています。「きれいになる?」と聞くと、「一応きれいにはなるんやけど、粘土がついてたとこは、汚れが落ちにくいねん。」と答えてくれました。きれいにしようと思って取り組んでくれているのがよくわかります。かなりの数があるので、飽きてしまわないかと思っていましたが、そんな様子もなく張り切ってやっています。そんな後ろ姿がとても頼もしく見えました。

土曜日はお当番活動がないので、昼食の後のランチルームの掃除も卒園児たちが頑張ってくれていました。ずっとやってきたので手慣れたものです。保育士が一人いましたが、全て子どもたちに任せておいて問題ありません。
卒園児さんたち、ありがとう!

小学校に行っても、しっかりと自分を主張しつつ、みんなと協力していろいろなことに挑戦してゆけますね。

春の気配

2012/03/24

   ようやく咲き始めた紅梅

お寺の本殿前にある紅白の梅のうち紅梅の花がちらほらと咲き始めました。今年の冬が寒かったからか、暖かくなったかと思えば、また急に寒くなるという不順な天候が続いているからなのかよくわかりませんが、梅の花が咲くのがとても遅いのです。3月21日に高知で桜の花が咲いたと報道されていましたが、この辺りはやっと梅が咲いたところです。

暑さ寒さも彼岸までといわれるように、春のお彼岸ころまでは寒くなる事が多く、お彼岸中に一度雪が降り、その後ようやく暖かくなるのが例年です。

 枝の先が紅くなったモミジの木

今年はお彼岸中、ちょうど卒園式の前日に冷え込み、卒園式の朝はうっすらと雪が積もっていました。翌日は少し暖かくなったものの、その後は冷たい雨が続いています。明日の夜には雪の予報も出ています。

春が遅いようですが、自然は少しずつ春の準備をしているようです。木々の枝の先が赤みを帯びてきたり、薄い黄緑色になってきて芽吹きの準備をしているようです。桜のつぼみも少しずつ膨らんでいるのかもしれません。体長20センチ以上あるミミズが道ばたを這っていました。春の気配を感じて出てきたのでしょうか。

 枝先の花芽が膨らんできた桜

近頃、鹿を見ることが多くなりました。昨日の夜も家の近くを歩いていると、目の前に飛び出してきて驚きました。むこうも驚いていて飛び出したのでしょうけれど、ぶつかりでもしたら大変です。俳句では「春の鹿」「孕鹿」というが春の季語になっているそうです。「春の鹿」は冬毛が抜け、雄は角が落ちた哀れな様子の鹿だそうです。このあいだ冬毛が抜けかけている鹿を見ました。「孕鹿」はその名の通り妊娠中の雌鹿です。妊娠中の雌鹿が食べ物を探して出てくることが多くなっているのかもしれません。

ミミズも出てきました(左端は長靴)

シカが食べた後のシャガという植物

そういえば、鹿が食べた後の草をよく見るようにも思います。

自然の生き物は春を感じて準備をしているのですね。

卒園式 2

2012/03/23

卒園式は進みます。卒園児のことばや歌の間には、保護者の何人かがハンカチで目を押さえていらっしゃいました。そんな姿を見ると、こちらも涙をこらえているのが辛くなります。

ところで、涙って伝染しませんか。誰かが泣いているのを見ると、なぜか泣けてきます。もちろんこちらの心の状態にもよるのですが、涙が出そうなのをこらえているときなど、誰かの涙が引き金になって、自分も涙があふれることがあります。もちろん卒園式の中でも何度かありました。

式の終わりに保護者の方から謝辞をいただきました。今年は、10年来の保護者でいらっしゃるお父様からいただきました。いろいろな場面で園に来て保育を手伝っていただいたり、おいもやサンマを焼いたり、砂場を作っていただいたりと、大変お世話になりました。そんないろいろな思い出を謝辞に盛り込み、想いを込めて伝えてくださったので、その時々の情景が心に浮かんできて、涙がでました。謝辞でこれほど涙が出たのは初めてかもしれません。

式が終わった後は、保護者の皆さんが謝恩会を開催し、職員を招いてくださいました。卒園児より職員の数の方が多くて、私としては恐縮してしまいます。
謝恩会は保護者の方々とゆっくり話しができる機会のひとつです。あのときはこんなことしたとか、あのときの思い出が何年も前のこととは思えない。と懐かしい話をしたり、子どもたちが持っている力の大きさや、それを信じることの大切さを伝えたり、ゆっくりと話しができます。

保護者の皆さんはいろいろなところで、とてもよく協力してくださいます。積極的に園のことに取り組んでくださいます。そしてまた、それを楽しんでくださっている方が多いのが、とてもありがたく、うれしく思います。

当園では子どもをまん中に、園に関わる人々がそれぞれの良さを活かして互いに輝きあい、高めあえることに価値を置いています。

保護者の皆さんと話していたら、こんなにステキな皆さんとのご縁をいただいたことのありがたさをしみじみと感じました。
本当にありがとうございました。

卒園式 1

2012/03/22

3月21日卒園式を行い13名子どもたちが、卒園してゆきました。卒園式を迎えるたびにふり返って思うことがあります。「卒園してゆくこの子たちの育ちを充分に支えられただろうか?」

子どもがもともと持っている「自ら育つ力」を最大限に発揮できるよう環境を整え、できる限り子どもたちが主体的に生きる(発達する)事ができるようにする。その上でその子に本当に必要なときに手をさしのべることが私たちの仕事だと思います。卒園してゆく子どもたちに対して充分にそれができたのかどうか、自問します。

卒園式前日は春分の日で休園だったので、誰もいない園でゆっくりと卒園証書に園長印を捺しました。一人ひとりの卒園証書の名前を確認するたびに、その子の笑顔が浮かんできます。柔らかな日差しが降り注ぐテラスはとても暖かく静かで、卒園児一人ひとりを思い浮かべながらゆったりとしたステキな時間を過ごすことができました。

卒園式当日、卒園児たちが次々に登園してきました。緊張している子が多いのかと思いましたが、みんなの晴れ晴れとした顔をしています。式が始まる直前、卒園児たちと少しだけ話したいと思い、みんなで輪になって座りました。「一生に一度しかない卒園式をみんなでとびっきりステキな卒園式にしようね。」というと「うん!みんなで力を合わせれば大丈夫!」という頼もしい答えが返ってきました。「そうだね」と言って私が輪から外れると子どもたちがみんなで肩を組んで、「オー!」と声を上げていました。子どもたちがともても大きく見えました。

式が始まり卒園証書を渡すときには、どの子もまっすぐに私の目を見て近づいてきます。今、この一瞬をしっかりとかみしめているようで、どの子もとてもたくましく感じました。卒園児全員が卒園のことばをしっかり言えるのかなと少し心配していたのですが、そんな私の心配をよそに、どの子も堂々と言っていました。練習の時に緊張していた子も、友達の励ましパワーをもらったからか、元気に言うことができたので、正直、ほっとしました。「みんなで力を合わせれば大丈夫!」子どもたちが式が始まる前に言ったことばが浮かんできました。子どもの力ってホントにすごいですね。

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