2012年 2月

学力低下

2012/02/29

「大学生の4人に1人は「平均」の意味を正しく理解していない」先日、こんな報道がされていました。

日本数学会が行った「大学生数学基本調査」の結果についての報道です。この調査は、大学生が高等教育を受ける前提となる数学的素養と論理力をどの程度身につけているのか、 その実態を把握し、大学教育の改善に活用するとともに、初等中等教育に対する提言の材料とすることを目的として、全国の大学生6,000人を対象に行われたものです。

近年、大学生の学力が低下しているといわれていますが、大学の先生の間で学生から論理的文章を理解する力、論理を組み立て表現する力が学生から失われつつあるのではないかという危惧がひろがっていることから、この調査が行われたそうです。

問題は、小学校や中学校で得意だった科目などを聞くアンケートと、5つの問題から成っています。問題の1つが新聞のヘッドラインにもなった平均の問題です。下に紹介しておきます。

ある中学校の三年生の生徒 100 人の身長を測り、その平均を計算すると 163.5 cm になりました。この結果から確実に正しいと言えることには○を、そうで ないものには×を、左側の空欄に記入してください。
(1) 身長が 163.5 cm よりも高い生徒と低い生徒は、それぞれ 50 人ずついる。
(2) 100 人の生徒全員の身長をたすと、163.5 cm × 100 = 16350 cm になる。
(3) 身長を 10 cm ごとに「130 cm 以上で 140 cm 未満の生徒」「140 cm 以 上で 150 cm 未満の生徒」・・というように区分けすると、「160 cm 以上で 170 cm 未満の生徒」が最も多い。
(答えは、(1)× (2)○ (3)× だそうです)

ちなみにこの問題の全体の正答率は76.0%だったそうです。
また、問題の尋ね方や答えについて、細かな議論はあるようです。

私がこの報道を通して感じたのは、「学力」とはなにかということです。

メディアはショッキングなヘッドラインで「学力が低下した」「ゆとり教育の結果だ」といい、「もっと勉強させろ」的な意見が多いように思います。試験の点数が下がったから科目や時間数を増やして、もっと詰め込めば良い。ということなのでしょうか。

一体、子どもがどんな能力を身につけて欲しいのか。そこのところがもっと議論されるべきだと思います。今の論調は試験のために暗記する能力ばかりつけさせようとしているようにしか思えません。

私は「学力」を「学ぶ力」と読みたいと思います。子どもたちが「自ら学ぶ力」をつけられるようにするのが大人の役割です。

不思議だな?なぜだろう?という探求心からスタートし、知りたい、わかりたいという知識に対する意欲とそれを知るための忍耐力、得た知識を元に考える抽象的、論理的思考力、自分の考えを人に伝えるための表現力、そんな力を子どもが積極的に環境に関わることによって身につけてほしいものです。乳幼児期こそ、その基本を身につける大切な時期だと思います。

茶道教室 2

2012/02/28

鞍馬小学校学校運営協議会主催の茶道教室について少し紹介しました。

茶室でかなり緊張しながら濃茶を体験した子どもたち、そして隣の広間で子どもたちの様子を見つつ、同じく濃茶を体験してくださった保護者、地域の方々、学校の先生方、いかがだったでしょうか。

濃茶体験のあとは、広い部屋に移って自分で薄茶を点てます。作法はあまり気にせず、とにかくお茶碗にお茶を入れて、お湯を入れ、茶筅を使って点てていただきました。お茶の先生や経験のある方から、お茶やお湯の量、茶筅の使い方などをアドバイスしていただいて、子どもたちはそれぞれにお茶を点てていました。

茶筅を振って泡立てることは思ったより難しかったらしく、やや苦戦していましたが、それでも何とか点てて、お母さんにあげたりしていました。中には薄茶が気に入ったのか、自分で点てて自分で飲んでいたり、大人に頼んで点ててもらって飲んでいる子もいました。2人男の子が何度も挑戦していたのがうれしかったです。保護者の方も「意外と難しいね。」などと言いながら、楽しんでくださっているようでした。

最初の濃茶とは違って、いろんな人とおしゃべりしながら、楽しくお茶を点てていただのでしょう。保護者の中には、「前にしていたお茶のお稽古を、また始めてみようかな。」なんて会話をしてくださっていた方もいらっしゃいました。

お菓子は、濃茶の時には薯蕷饅頭を、みんなでお茶を点てたときには干菓子を使いました。最近の子どもは、あんこが苦手な子が多いので、「あんこは食べられる?」と聞いてみたら、一人の女の子が「こしあんなら大丈夫」と答えてくれたのには思わずほほえんでしまいました。干菓子も、意外に嫌がることなく食べてくれて、安心しました。

茶道の基本は「もてなし」だといわれます。心を込めて客をもてなす。客を敬い、客のことをいろいろと想って、しつらえを考えたり、趣向を凝らしたりする。
少し強引な解釈かもしれませんが、どうすれば相手に喜びを差し上げることができるのか、と想いを巡らせることだと言えると思います。これは、生活のあらゆる場面で大切なことでしょう。

そんなメッセージが子どもたちに伝わっていればうれしく思います。

茶道教室 1

2012/02/27

鞍馬小学校の学校運営協議会事業のひとつに茶道教室があり、お手伝いをさせていただきました。茶道教室といっても、子どもたちとお茶のお稽古をしようというのではなく、小学生が保護者と一緒にお茶とお菓子を味わい、楽しんでいただこうという企画です。

日曜日の午前中に行いましたが、小学生9人と保護者や地域の方々10人あまりが集まってくださいました。午前中の2時間ほどを2つのパートに分けて行いました、1つは茶室でお茶をいただく、もう1つは自分でお茶を点ててみようという試みです。

最初は蹲踞(つくばい)を使って手を清め、口をすすいで茶席に入るところから体験しました。この茶道教室は今回が初めてではないので、小学生の中にも経験者はいます。6年生に蹲踞の使い方を覚えているか聞いてみると覚えていたようだったので、他の参加者に教えてあげてほしいと頼んだら、実際に自分でやってみながら教えてくれました。

手を清め、口をすすいで茶室に入ります。子どもたちは躙り口から小間に入り、大人の方は隣接した広間に入っていただきました。建物の中にしつらえた茶室なので草履の扱いなどは体験できませんが、躙り口から入って床や道具、釜などを拝見して席に着くことを伝えました。

その日に使っていたお釜の模様は松竹梅がモチーフになっていたので、子どもたちに見つけてもらおうと「3種類の植物を探してくださいね。」と言うと、じっと見て探していました。竹と梅は釜の胴に大きく描かれているのですぐにわかるのですが、松は、鐶付が松かさの形になっているだけなので、それを探すのは難しいかもしれないと思っていましたが、4年生の男の子がすぐに見つけてくれました。子どもの観察力には驚かされます。
一通り拝見が終わって、みんなが席に着いたころ、大人の方々も広間に座っていただいたので、お手前を始めて頂きました。いつもお世話になっている茶道の先生にお手前をお願いして、今回は濃茶を練っていただきました。子どもに濃茶はちょっと手強いかなと思いつつも、普段、濃茶を口にする機会は滅多にないだろうと思い、思い切って挑戦してもらいました。

濃茶はその名の通り、かなり濃いものです。茶杓に山盛り3杯くらいを1人分として、約5人分を一碗に入れ、少なめのお湯を注いで練ります。練るということばからもわかるように、できあがりは粘度の高いどろっとした感じになります。それを、5人なら5人でまわし飲みします。よく頂く抹茶(薄茶)とは見た目も味もずいぶん違います。

茶入れから茶碗に入っていくお茶の量に、子どもたちは驚いた様子です。練り上がったお茶を前にさらにびっくり、「本当にこれを飲むの???」といった顔つきです。「普通は三口半で頂くといわれてるけど、飲めなかったら一口だけでいいよ」と言うと、恐る恐る口にしていました。少しだけなめてみた子、二口くらい飲んだ子いろいろでした。中にはおいしいと言っている子もいたのには、こちらが驚きました。

保護者の皆さんも多くの方が濃茶は初めてで、「思ったより濃かった」などの感想を聞かせていただきました。初めての方が多いだろうと思って、かなり薄めにはしていただいていたのですが・・・

こんなお茶もあるということは、体験していただけたと思います。

      お釜を拝見

耐寒柔道大会

2012/02/26

鞍馬小学校柔道部のことは以前にもブログで取り上げました。以前はよく練習を見に行っていたのですが、最近は時間が取れずほとんど行けていません。先日、ちょうど練習時間に学校に行く機会があったので、久しぶりに練習をのぞいてみたらみんなとても頑張っていました。以前と比べると驚くほど上手くなっていました。1年生は動きが良くなってきていますし、技の型ができてきた感じです。2年生は形も良くなってきていましたし、スピードも出てきています。4年生・5年生は技が安定してきました。6年生のキャプテンは、技の切れが増しています。指導者がキャプテンと乱取りをしていて、ふと気を抜くと本気で投げられることがあるくらいだといっていました。

そんな練習の成果を試す機会がやってきました。京都市学童柔道研究会主催の耐寒柔道大会です。今年度最後の試合なので、6年生にとってはまさに最後の試合です。

2月25日土曜日、前日までの春のような暖かさはどこかへ、冷たい雨の降る寒い日になってしまいました。試合会場となっている旧武徳殿は出入り口が開いたままなので、風が通り抜けます。覚悟してかなり着込んでいったのですが、じっとしていると身体の芯から冷えてきます。参加した200人余りの子どもたちは柔道着一枚で元気に動いています。
開会式に引き続き、午前中は個人戦、学年ごとのトーナメントです。練習の成果が出たのか、多くの子が1勝はしていました。

個人戦の後は団体戦です。1戦目はかろうじて突破しましたが、2回戦は負けてしまいました。試合後、団体戦の選手たちは指導者から「なぜ負けたかわかるか」と厳しい口調で諭されていました。
2回戦の始まる時間はわかっているので、早めに昼食を済ませて準備をするようにと言われていたにもかかわらず、準備ができたのがぎりぎりだったからでした。

「弱い相手とあたれば勝てるし、強い相手とあたれば負ける。大切なのは、勝ち負けではなく、試合の中でどれだけ自分の力が出せたかどうかだ。」指導者がよく子どもたちに言っていることです。ですから、負けたこと自体ではなく、団体戦に臨む心構えや準備が至らなかったのは、本気の度合いが違うと言いたかったのだと思います。

それを子どもたちと聞きながら、自分自身がいろいろなことに対するときの本気度ってどうなんだろう、と考えてしました。

アテルイ

2012/02/25

奈良時代、朝廷は東征政策を進め、724年に多賀城を築いた。このころ蝦夷の勢いが強くなり各地で反乱を起こした。そこで鎮圧のため数度にわたって大軍が派遣され東北地方への侵攻が進んだ。こんなことを日本史で習ったように思います。
紀古佐美に率いられた2万5千余りの大和朝廷の侵攻軍を、1千5百人ほどの軍勢で打ち破た蝦夷のリーダーがアテルイです。しかし長期化する戦い、疲弊する蝦夷の土地と、増える犠牲者を思い盟友のモレとともに坂上田村麻呂に投降し、命を保証されますが、朝廷はそれを許さず、結局斬首されてしまいます。

先日、このアテルイを題材としたミュージカルを見ました。普段はそういった時間はほとんどないのですが、たまたまチケットを頂いたので、敢えて時間を取って家族と見に行ってみようと思ったのでした。

わらび座という劇団の「アテルイ〜北の耀星〜」というミュージカルです。

わらび座は1951年に創立。秋田県仙北市を拠点に、年間約1,200回の公演を全国で行っています。「人間の根源に迫り、その多彩な表現を通してより多くの人々の心に感動と幸福を生み出すこと」をその芸術的使命として、「人間の尊厳、いのちの美しさを描き、人々の心の糧、生きる力になる芸術活動を進める」ために活動している劇団です。

わらび座とのご縁は2007年に、ある方にご紹介を頂いて「義経ー平泉の夢」の舞台を鑑賞したのが最初です。このときも迫力のある舞台に心を動かされたのを思い出します。当時小学生だった長男と次男も何か感じるところがあったのか、劇中の歌を何日も歌っていました。

今回の「アテルイ〜北の耀星〜」のあらすじはこうです。(劇団ホームページより引用)

大和朝廷は蝦夷(えみし)を「まつろわぬ民」として征圧を企てる。 度重なる侵攻に、蝦夷は人間の誇りにかけて立ち上がる。その若きリーダーがアテルイだった。
大和軍との激しいたたかいが続く。 アテルイは今は征夷大将軍となった幼なじみの田村麻呂と岩手山の麓で一騎打ちの場面を迎える。 ふとよみがえる遠い記憶。 愛瀰詩。 エミシとは母の愛のような広々とした大河の詩を意味すると語り合った日を。
蝦夷の慟哭のような岩手山大噴火。 敗走する仲間たち。 その姿に、アテルイはついに決断する―。

劇中で盛んに発信されていたメッセージ、それは「蝦夷も同じ人間だということを認めさせたい」というものでした。

大和朝廷側から見ると、蝦夷は反乱を起こす鎮圧すべき勢力でしょう。劇中でも「野蛮な生活をしている獣のような存在」という描き方がされていました。日本史の教科書にも「各地で反乱を起こす蝦夷を鎮圧する」という書き方がされています。

一方、蝦夷にしてみれば、独特の文化を持ち平和に暮らしているところを侵略される。その侵略を阻止するため、自分たちの土地を生活を守るために戦ったのです。

この舞台を見て、「各地で反乱を起こす蝦夷を鎮圧する」ということばを何の疑問もなく受け入れてしまっていた自分に気がつきました。

どんな場合でもそれぞれの立場があり、それぞれの想いがあるということ、それを先入観や固定概念に縛られないでとらえ、考えることの必要性を感じさせられました。

月齢

2012/02/24

月齢といっても今回は赤ちゃんではありません。夜空に輝く月です。海に関わる仕事でもしていない限り普段の生活の中では月を意識することは少ないと思います。

家に月の満ち欠けを現したカレンダーがあります。簡単な物なので詳しいことまではわかりませんが、そのカレンダーによれば、2月22日が朔(さく)です。朔は、月が太陽と同じ方向に来るため地球からは見えなくなる日で、現在は新月とも呼ばれています。朔の含まれる日を1日とする太陰暦の3日に見える月を三日月というそうです。2月24日は三日月です。三日月を見ようと思いましたが、見ることができませんでした。三日月は、日没後すぐに沈むので気をつけていないと見ることができません。

昔は月の満ち欠けによる暦を用いていました。朔から次の朔までを一月とします。それは約29.5日なので、12回繰り返すと約354日になり、太陽暦の1年(365日)より11日足りないので、約3年に一度閏月を足して調整していました。太陰太陽暦といいます。

基本的には日々の生活のための暦はに密着していたので、月にはさまざまな呼び名があります。
十五夜の満月は日没と同時に東の空から昇り、明け方に西の空に沈みますが、十五夜を境に月が出る時間が少しずつ遅くなります。
16日は「十六夜」(いざよい)、17日は月が出るのを立って待つ「立待月」、18日は、立って待つには月の出るのが遅いので「居待月」、19日は、寝て待つ「寝待月」、20日は夜が更けてから月がのぼるので「更待月」ステキな名前ですね。

たまには月をゆっくりと眺める心の余裕を持ちたいものです。

赤ちゃんの視線

2012/02/23

2月22日の京都新聞に「顔色見て学習 人間特有 京大グループ、チンパンジーと比較」という記事がありました。京都大学の明和政子教育学研究科准教授、平田聡霊長類研究所准教授たちの研究です。

「学ぶ」と「真似」ということばは語源が同じで学ぶことは真似ることから始まります。真似するためには、他者の行為を見ることが大きな役割を果たしますが、どこを見ているのか、つまり何に重点をおいて見ているのかは、他者の行為を理解し、学ぶ上で重要な部分です。

准教授たちは、アイ・トラッカーという視線の動きを計測する機械を用いて、生後8ヶ月・12ヶ月のヒト乳児と、ヒト成人、チンパンジーが、それぞれ他者の行為を見るときのスタイルを比較するという方法で、研究をしました。

ヒトとチンパンジーで他者の行為理解のスタイルが明確に異なっている点が見出されたそうです。チンパンジーが物に視線を向けていたのに対し、とくにヒトの乳児はチンパンジーに比べて長い時間、他者の顔を見ることがわかったそうです。他者の顔を見ることは、他者の心を推測する過程を反映していると考えられます。他者が何に注目しているか、どんな意図をもってものを操作しているのかといった心の状態を推し量るために、顔を見るのだろうと解釈できます。

ヒトは、操作されている物と、操作する他者の情報を統合させて、行為の目的を予測し、理解するスタイルをとるのに対し、チンパンジーはおもに物の情報、たとえば物と物との因果関係に注目して、行為を予測、理解することがこの研究によって明らかとなりました。

ヒトが他者の行為から学ぶのは、行為の表面的な部分だけではありません。他者の行為の背後にある心の状態をも推測し、予測と照らし合わせながら柔軟に判断するという深い理解にもとづくものです。これは、ヒトが複雑な社会的環境の中で生存する上で、適応的な学びのスタイルであったと考えられます。ヒトは、他者の顔色を見て、心の状態と照らし合わせながら次の展開を予測するよう発達していくといえるでしょう。と結論づけています。

ヒトの学びが、他者の行為だけでなく心も理解しようとするスタイルで行われるということは、乳児に他者の心を理解する能力があるということ。子どもを育てるということは、育てる人の心までもが伝わるということです。乳幼児を育てている私たちが決して忘れてはならないことだと思います。

*京都大学ホームページを参考にさせていただきました。
http://www.kyoto-u.ac.jp/ja/news_data/h/h1/news6/2011/120222_1.htm

交流会

2012/02/22

鞍馬小学校の1年生から4年生まで8人の児童と4人の先生、校長先生がら来園してくださいました。小学生との交流会です。今までは5歳児が小学校に出向くことが多かったのですが、今回は小学生が来園してくださり、5歳児だけでなく3・4歳児も一緒に楽しみました。
4年生の司会進行で、まずはみんなで歌を歌います。曲は「うれしいひな祭り」小学生はもちろん園児たちも元気に歌い、歌の後は小学生のリードで、みんながつながる「貨物列車」や輪になって楽しむゲームをしました。

 1年生の読む紙芝居に聞き入ります

続いて、1年生から順に出し物を披露してくれます。1年生は国語で勉強した「たぬきのいとぐるま」のお話を題材に、自分たちで紙芝居を作って園児たちに読んで聞かせてくれました。中には当園を卒園した子もいます。去年の今頃は園児として座っていた子どもたちが、今はみんなの前に立ち、大きな声でしっかりと紙芝居を読んでいる姿はとても頼もしく大きく見えました。2年生は本のあらすじを要約して紹介してくれ、3年生はな百人一首のなかから自分の好きなうたを3首紹介してくれました。4年生は手品です。

    みんなでつながって!

そして、園児の番ですが、保育士は小学生と一緒に何かやりたいと思ったようで、5歳児と小学生がゲームをしました。
音楽に合わせてカーペットの周りをまわり、音楽が止まるとみんなでカーペットに乗るというもゲームです。最初は何の苦もなく乗れました。2回目はカーペットの大きさが半分になります。今度は全員乗れるでしょうか。3・4歳児は歌を歌って応援です。なんとか全員乗れました。そして、更にカーペットは半分の大きさになります。今度はちょっと乗れそうにありません。みんなで相談して、どうすれば乗れるか考えてね、と保育士が声をかけるとああでもないこうでもないと相談をしていましたが、そのうち音楽が始まります。さて、みんな乗ることができるのでしょうか。音楽が止まると何とかみんなでカーペットに乗りましたが、はみ出して落ちそうになる子もいます。はみ出しそうな子の手を内側にいる子が引っ張ったり、しっかりと立っている子どうしが手をつないで、はみ出しそうな子を支えるなどして、無事に全員がカーペットに乗ることができました。

みんなで力を合わせて

このゲームはイス取りゲームのようなものですが、勝ち負けを決めるのではなく、参加者が力を合わせて問題を解決する楽しさを感じることができるゲームなのです。何も言わなくても子どもたちは自然と協力し合っていました。
園児たちは小学生が来てくれることによってとても楽しい時間を過ごせました。鞍馬小学校の皆さんありがとうございました。

おつかい

2012/02/21

先日、2歳児の子どもたちが、買い物に行きました。といっても鞍馬の田舎にはお店がないので、叡山電車に20分ほど揺られて、園の食材を納入してくださっているお店まで行きました。何を買いに行ったと思いますか。油揚げです。なぜ油揚げ?と思いますよね。実はストーリーがあるのです。

直接的には、クッキング保育で、いなり寿司をつくるので、その材料の油揚げが必要だったのです。なぜ2歳児のクッキングで、いなり寿司?そんな手の込んだものを2歳児が???と?がいっぱいになっていらっしゃる方もあるかもしれませんね。重要なのは油揚げだったのです。

「こんたのおつかい」(作・絵: 田中 友佳子 徳間書店 刊) という絵本があります。いつのころからか2歳児たちのお気に入りの絵本になっていました。主人公のこんたがお母さんに頼まれておあげ(油揚げ)を買いに行くというお話です。こどもたちが、とても気に入っていたので、発表会の題材にとして劇遊びを楽しみました。

それだけで終わらせず、次につなげたいという担任の思いもあったのでしょう。おあげを使ったクッキングが、いなり寿司になったのでした。

子どもたちが、絵本の主人公、こんたになりきって、買い物にいったことが想像できて、思わずほほえんでしまいます。絵本で、おあげを売っているのは、くまのおじさんですが、子どもたちが実際にお店に行った時に「くまのおじさん、いないね。」と言っていたそうです。

子どもたちの中で、絵本の世界と、現実とがフュージョンした、ファンタジーの世界が、どこまでも広がっていたのだな、と思います。この時期にしか味わえないファンタジーの世界を思う存分味わわせてあげたいものです。

基準

2012/02/20

先日、久しぶりに左京区の園長会の集まりに参加しました。最近はなかなか参加ができずにいましたが、今回は園長先生方と主任保育士の先生方との合同研修会です。研修の内容は新しく定められる京都市の条例についてでです。

地方分権の流れの中で、地方自治体の自主性を強化、自由度拡大のため国が定める義務付け・枠付けの見直しが図られることとなり、児童福祉施設の設備及び運営に関する基準を京都市が条例で定めなければならないこととなったそうです。その条例骨子案について保育課の方が説明してくださいました。

簡単に言えば、今まで国が決めていた様々な基準を、地方自治体が決めるということです。もちろん地方が全て独自に決めて良いというものではなく、条例で定めるに当たっての「従うべき基準」(必ず適合しなければならない基準)、「標準」(通常よるべき基準)及び「参酌すべき基準」(十分参照したうえで判断しなければならない基準)というのが示されています。

「従うべき基準」というのは、児童福祉施設のサービスの質に深刻な悪影響が生じる大切な事項については全国一律の設備運営基準が維持されており、これを下回る基準を地方が定めることはできません。そのひとつに人員配置基準があります。つまり、子ども何人に対して保育士を何人配置すべきかという基準です。国で決めている基準は次の通りです。0歳児3人に対して保育士1人(3:1)1歳児6人に対して保育士1人(6:1)、2歳児も1歳児と同じ(6:1)、3歳児20人に対して保育士1人(20:1)4歳児30人に対して保育士1人(30:1)5歳児も4歳児と同じ(30:1)です。わかりやすいように京都市の基準と比較して、書き出してみます。

     国の基準  京都市の基準
0歳児    3:1     3:1
1歳児    6:1     5:1
2歳児    6:1     6:1
3歳児    20:1     15:1
4歳児    30:1     20:1
5歳児    30:1     25:1

京都市の基準は国を上回る基準となっています。こう書くと京都市では条例ができて新しい基準になり、保育士さんをたくさん雇うことができるかのようなイメージを持つ方もあると思いますが、そうではなく、すでに現行の基準がこうなっていて、それが条例で定められるようになるということです。ですから実質的に何かが変わるわけではありません。

あらためて国基準と比べてみると、恵まれていると思います。国の基準が適用されている自治体もたくさんあるのですから。

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