2012年 6月

おおきくなってね おいもさん

2012/06/30

春に植えたおいもの苗は元気に育っているのか、どれくらい大きくなったのか、畑に見に行ったら、ずいぶん育っている姿を見て子どもたちは喜んでいました。せっかくなので、みんなで水をあげようということになり、園から持ってきたじょうろを交代で使って水をあげました。

2〜3回水をあげたら、土遊びの方がおもしろくなって、土遊びに興じている子もいました。この畑の土はさらさらしているにもかかわらず、握ると弾力がある感じがして、保育園の周辺では味わえない手触りです。そんな触感を楽しみながら、畑の隅に山を作っています。そうかと思えば、何人かの子どもたちは、何度もじょうろで水を汲んではおいもにかけてあげることを繰り返しています。40分以上続ける子もいました。いつまでも続きそうだったので、もうそろそろ終わりにしようかと声をかけようとしていたときです。女の子が、水を入れたじょうろの水の入れ口にいきなり口をつけるので、まさか飲むの?なんて思っていると、次の瞬間、水の出口から水がピューと噴水のように吹き上がりました。どうやら水を飲もうとしたのではなく、息を吹き込んでいたようです。大人がやって見せたのか、本人が気付いたのかよくはわかりませんが、それがおもしろかったようで、何度もやっていました。彼女は水と空気の圧力について学んでいたのですよね。

噴水だよ! 圧力の実験に取り組む


ずいぶん畑で遊んだので、「おいもさんおおきくなってね」と声をかけて畑を後にして、琵琶湖岸に移動して少し遊ぶことにしました。
暑いくらいの気温に、真っ青な空、目の前に広がる広大な琵琶湖、水遊びが始まらない方が不思議です。普段なら水遊びがエスカレートしてびしょ濡れになってしまうのですが今回は、最初から琵琶湖に入るつもりだったようです。

服を脱いで、体操して、少しずつ琵琶湖に入りますが、まだ少し水が冷たいのでしょう、子どもたちはキャーキャーいいながら遊んでいました。そのうち水の冷たさに慣れたのか、遊びがおもしろ過ぎたのか、気にせず水を掛け合ったり走ったりして遊んでいました。そのうち保育士が、子どもたちを一人ずつ放り投げることを始めると、何度も放り投げられることを楽しんでいます。

たのしすぎー !!

実は水辺にたどり着くまでには子どもたちは少し気をつけないといけないことがありました。それは少し前の大雨の影響でしょう、様々な物が浜辺に打ち上げられているのです。その中にヒシの実がいくつか混じっていました。ヒシの実は忍者が追っ手から逃げるときに蒔いて逃げたといわれるくらいで、鋭い針のようなとげが何本も出ていて踏むととても痛い思いをしなくてはなりません。

子どもたちがけがをしては大変なので、浜辺に続く細い道を作っては上げましたが、いつどこにヒシの実が落ちているかわからないので、保育士が実物を見せて、これを踏んだら大変なことになると説明していました。子どもはちゃんとそれを聞いていて、踏んづけていたい思いをする子はいなかったばかりか、落ちている実を「危ないから拾ってきた」など他の人の安全にも目を向けられるようになりました。

そんな風にして、鞍馬では味わえない自然を満喫できた一日でした。

おいも、どうなったかな?

2012/06/29

春に植えたおいもはどうなったかなー?

見に行ってみようか!

おいもの葉はずいぶん繁っていました

ということで、滋賀県の農家の方にお世話になって、植えたおいもの苗がどうなったか、4・5歳児が守山の畑まで見に行くことになりました。
梅雨のまっただ中なので、雨が降ってもしようがない、おいもが元気かどうか、どれくらい大きくなっているのか、見ることができれば良い、ということでみんなでバスに乗って出かけることにしました。

今朝は梅雨とは思えないくらいの快晴。気温は30度を超えるという予報ながら、朝はとてもさわやかな風が吹き絶好のお出かけ日和です。

    力を合わせて運びます

4・5歳児以外も今日はおべんとうdayということで、おべんとうを持ってそれぞれ出かける予定です。とっても良いお天気に子どもたちの心は晴れ晴れうきうき、そんな気持ちが伝わってきます。

当園では、夏場を除くほぼ毎月1回おべんとうdayという日を設けていて、お家の人に作ってもらったおべんとうを持って来る日があります。お天気が良ければ、昼食のために園に帰ってくる必要が無いのでおべんとうを持って遠出ができます。雨で、保育園でお弁当を食べるのもまたいいものです。

水をもらっていきいきしたおいもの葉っぱ

9時15分ころに園を出発して10時ころ畑に到着、早速おいもの様子を見に行くと、葉っぱが大きく育っていました。「植えに来たときのこと覚えてる」「うん、めっちゃちっちゃかったなー!」と応えてくれる子がいました。今日は天気が良く、土も乾いていたので、水をあげることにしました。園から持って来たじょうろを交代で使って、水を運んではかけていました。

おっとりさんの女の子がいます。その子が畝の間を歩いているとき、バランスを崩して、畝に手をついてしまいました。しばらくしゃがみ込んでいたのでどうしたのかと思って近づいてみると、その子は「痛かった?ごめんね」と言いながら自分が手をついたところにあったおいもの葉をなでていました。その姿を見たとき、この子は本当においもと話をしているのかもしれないと感じ、その子の中に広がっている優しい心の世界の一端に触れたような気がしました。ゆっくりしていて、いつも一番後からみんなについて行っている子です。だからこそこんなにゆったりした、優しい心が持てるのかもしれない。この子のこういうところこそ大切にしてあげたいな。と感じました。

大人はどうしても、みんなと一緒にできることが良いとか、早いことが良いなどと思いがちです。
子どもが否定的に見えるときとはどんなときでしょう。
みんなと同じようにできないとき
行動の理由がわからないとき
だそうです。否定的に見ないようにするためには、みんなと同じようにさせることに重点を置きすぎなければ良いのです。行動の理由がわからないときは、そっとその子の心に寄り添えば良いのです。
それが、保育士の専門性であり、保育の質に繋がるものなのです。

園のまわりの自然

2012/06/28

      アジサイの花

季節が進み、緑が茂ってまわりの自然の様子も変わってきました。身近な園庭では、アジサイ、ガクアジサイ、ビョウヤナギ(未央柳)の花が咲きだしています。

園の近くの石垣にはユキノシタの白く小さな花がたくさん咲いています。ひとつひとつの花はとても小さく可憐なのですが、たくさん集まると毛足の長い白いじゅうたんをしきつめたようになっています。

少し前にはグミの実がたくさんできたので、赤く色づくのを待っていたら、いつの間にか実がなくなっていました。どうしたのかと思ったら、少し前に猿が来て食べてしまったのとのことでした。

     ビョウヤナギ

園庭にあるので、ちょうど摘んで食べることができると楽しみにしていたのですが、残念です。

食べられたといえば、0・1歳児担当の保育士がプランターにキュウリを植えて育てています。一時元気がないと思っていたら、うどんこ病にかかっていたようでした。たまたまいらした農家の方にアドバイスを頂いて土を替えて、薄めた酢で消毒すると良い教えてもらって、元気を取り戻したのですが、実がある程度大きくなると、いつのまにかなくなってしまうのです。収穫したのかと思って聴いてみると、そうではないというので、

      ユキノシタ

夜の間に何者かにやられているのだと思います。

園庭にあるびわの木にもたくさん実が付いて、保育士がそのうちのいくつかに袋をかけて大切にしていたのですが、日が変わるたびに実が減ってゆくことが続いています。木の下には皮と種だけをきれいに残して食べたあとがあり、何者かが夜の間に食べているのだと思います。ハクビシンの仕業だという人もいますが、定かではありません。

人間の思うようにならないのが自然なのかもしれません。

 

   何者かにかじられた琵琶

  皮と種だけ残して食べられた琵琶

聴くこと・話すこと

2012/06/27

いろいろな人が一緒に何かをしようと思うと、コミュニケーションが欠かせません。伝えたつもりが伝わっていない。わかってもらっているはずだと思っていてもわかってもらえてなかった。少しことばを足すことでわかりあえることが、一言足りないために誤解につながるといったことが少なからずあります。
わかり合うためには、相手の話を自分のことのように聴くことと、自分の想いを伝えるときに、どうすれば相手に伝わるかをよく考え、心を尽くして伝えることが大切です。いつもそれを意識していないと、ついぞんざいになってしまうことがあります。

ですから、敢えて心を開いて話し合う機会を設けることも必要なのです。先日、知り合いの会社の皆様にご来園いただいて、そんな研修に取り組みました。総勢22人が丸く輪になって座り話をします。まずは自己紹介ですが、みんな緊張気味なのでまずはアイスブレイク。場が少し和んだところで、「理念のために実践していること」などいくつかのテーマに沿ってひとりずつ話をしてゆきます。その後、3人から4人の小さなグループに分かれてさらに話し合いました。全員で話したときはなかなかことばが出なかった人も、小さなグループで他のメンバーが心を傾けて聴いてくれているという安心感のなかでは、心を開いて話すことができたようです。途中何度かメンバーチェンジをして話し合うことで、話も弾みました。あっという間に時間が経ち、終了予定時間を過ぎてしまいましたが、まだまだ話したそうな人もたくさんいました。

最後にもう一度全員で丸くなって、研修の感想を話し合いました。その中で、悩みが解決したわけではないけれど、「話しができて嬉しかった」「心が軽くなった」という感想をたくさん聞くことができました。

自分の話を丸ごと受けとめてくれる人がいると思うと、心を開いて話をすることができる。そうすると、相手の話も丸ごと受けとめようとする。そんな連鎖反応が起これば、いろいろな話しができて気持ちを分かり合うことができるのです。
また、いつもの職員だけではなく、異なる立場の人がいらして頂いたおかげで気分が変わり、皆さんがしっかりと受けとめる姿勢を示してくださったからこそ、さらに心を開くことができたのだと思います。

聴くことと話すことがありますが、まず大切なのはしっかり聴くことだと思います。そこからはじまれば、話しやすくなっても来るのではないでしょうか。子どもだってまずは丸ごと受けとめるっていいますものね。

せっかく、嬉しい体験をしたのです。これからは、普段からお互いにこういう姿勢で話し合いができるようにしてゆきたいと思います。だって、こんなに楽しい気持ちになれるなら研修の時だけにとどめてしまってはもったいないし、いつも一人ひとりが聞くとき話すときにはに意識するようになれると良いと思います。

研修を手伝ってくださった会社の皆様にはいくら感謝しても感謝しきれません。ありがとうございました。

チームの基本

2012/06/26

当園の職員と、知り合いの会社の皆さん、総勢22人で行った研修、いろいろな学びや気づきがありました。

みんな人と人の関わりのなかで生きています。保育園であれ、会社であれ、組織など人が集まり一緒に何かをするところでは、人と人の間のことがいろいろと問題になってきます。べつに組織に限ることではありません。人間が生きてゆくためには、他の人との関わりは必然です。ヒトは社会を作って生きてゆくように進化してきたので、あたりまえのことです。だからこそ、そこが大切なところなのです。

前にも書きましたが、人は一人ひとり異なる存在です。そんなこといわれなくてもわかっています。でも、どうしても相手も自分と同じように考えているという前提で話をしがちです。そうすると相手の想いとのにずれが生じ、それを放っておくとどんどん距離が開き、溝が深まり、壁が高くなってゆきます。だからこそ、そうならないための努力が必要なのです。同じ理念のもとで活動するチームの間には必ずその努力が必要です。

その手段は「ことば」しかないように思います。テレパシーでも使えるか、相手の心が読めるのなら別ですが、それはできそうにありません。話をするときには、どうすれば相手に伝えたいことが伝わりやすいかをよく考え、丁寧に伝える必要がありますし、話を聴くときは、耳だけではなく心を傾けて聴くことをしなくてはなりません。

ひとつのことばでさえ、人によって解釈が違うのですから、そこから始める必要があると思います。私にとっての「やさしさ」と他の人にとっての「やさしさ」は微妙に違うはずです。

話すことと、聞くことをお互いに丁寧にすること。それが最近職員間で少し不足していたかもしれません。なんとなく伝わらない感、わかってもらえない感が漂っていました。
今年度は職員のチームワークを高めることを大きな目標にしているのですが、少し逆戻りしていたようです。

おもいやり

2012/06/25

先日、職員全員が参加しての研修を行い、保育がが終わった夕方から夜遅くまで熱心にとりくみました。知り合いの会社の方々が、わざわざ東京から大勢でご来園くださり、研修を手伝ってくださいました。

私たちのために遠くから大勢で来ていただくのだから、皆が心を尽くして迎えるようにしたいという想いから、2人の職員が担当してどうおもてなしすると良いのか、忙しいなか時間を割いていろいろと考えてくれました。おもてなしといってもそんなに特別なことができるわけでもなく、どうすれば良いのかずいぶん考えていたようです。そして、少しでもみんなの心が和むようにと花を用意したり、リラックスして研修できるようにと会議用の机に暖かい色のテーブルクロスを敷いてドリンクバーをしつらえ様々な飲み物やお菓子を用意してくれました。そして、担当者任せにするのではなく全員が気持ちを運ぶようにしたいと、一人の職員がパウンドケーキを焼いたものをみんながひとつずつラッピングしました。

そうして皆さんを迎えたのですが、いらしてくださった皆さんも、天然酵母で作った手作りパンをその日の朝から焼いてきてくださったり、甘麹という甘酒の元のようなものを作って持って来てくださいました。甘麹をご持参いただいた豆乳に入れると、砂糖を全く使っていないにもかかわらず、やさしい甘さの飲み物ができあがります。また、これを小さなカップに入れて冷凍すると、さわやかなデザートになります。それらのものを手間暇かけて作り、東京から新幹線に乗って持って来て頂いたと思うととても心が温かくなりました。

相手のことを想い、どうしたら喜んでもらえるのかと考えること、相手の気持ちに心を運ぶこと、「おもいやり」です。おもいやりはお互いの心を温かくします。それは特別な場合ではなく普段の生活のなかでこそ大切にしたいことです。

子どもたちに接するとき、この子は今何を求めているのかなと一人ひとり違う子どもの心に想いを運ぶこと、それができて初めて保育ができるのです。子どもの心を想い、子どもの心に寄り添うことが保育のはずです。決して大人が子どもたちをひとくくりにして動かそうとすることではないのです。
思いやりは、いつも自分自身がそう生きていないと発揮できないと思います。小手先ではない、自分の生きる姿勢こそが保育なのですね。

研修を手伝ってくださる皆様をお迎えすることを通して、改めてそのことを重く受けとめ、心に刻み自分自身を大いに反省する機会になりました。

くらまお楽しみ交流会

2012/06/24

 小学生と手をつないで入場です

鞍馬小学校の皆さんから招待を受けて、5歳児の子どもたちが小学校を訪れました。「鞍馬お楽しみ交流会」と銘打って小学生と5歳児が楽しく過ごすという企画で、どんなことをするのかその内容は小学生達が考えてくたそうです。

雨が降るなか電車に乗っていきました。貴船口駅から小学校に行くまでの間の鞍馬川に橋がかかっていて、雨で増水した川が水しぶきを上げ激しく流れているのが見えます。子どもたちは「すごい水が流れてる」「なんかこわいな」といいながら濁流を見ていました。

小学校に着くと小学生達は体育館で待っていてくれていて、

    ゲームを楽しみます

体育館入り口から小学生と手をつないで入場、対面して座り、自分お名前と好きなことをそれぞれにいう自己紹介から始めます。私は内心、園児達は恥ずかしくてうまく言えるのだろうかと少し心配していました。でも、すぐにそんな心配は必要ないことがわかりました。多少緊張はしているものの、みんなはっきりしっかり自己紹介していました。

できるかな・・・なんて思ってしまってごめんなさい。

その後一緒に歌を歌ったり、ゲームをしたりすると、

    うたもうたいます

子どもたちはすぐに打ち解けて楽しそうに遊んでいました。楽しい時間はあっという間に過ぎ、まだまだこれから楽しく遊びたいと思った頃には終了の時間です。

短い時間でしたが、園に帰っていつもより少し遅い昼食をとりながら、子どもたちにどうだったと聞いてみると、とても楽しかった!また行きたい!という答えが返って来ました。

小学生の皆さん、ありがとうございました。

寄り添う

2012/06/23

子どもが向精神薬の投与を受けるケースの増加に伴い、副作用に苦しむ子どもも増えているというショッキングな内容のテレビ番組について書きました。

落ち着いて座っていられない、授業に集中できないという理由から学校のアドバイスなどにより、精神科を受診し向精神薬の投与を受けることが多いといいます。

発達障害やうつ病の早期発見早期治療通いという考え方が浸透してきていることで、学校から医療に繋がりやすくなってきたそうです。もちろん早く気がつき早く適切に対応した方が良いケースもあるのですが、中には不必要な投薬を受けて副作用に苦しむケースもあるそうです。

なぜ、学校から医療に繋がりやすくなってきたのかとのキャスターの問いかけに、
コメンテーターの 精神科医 石川憲彦 さんは2つの理由を挙げていらっしゃいました。

発達障害ということばが広がると、親も先生も医者も見逃してはいけないという意識が広がってしまう。善意から早く治療をした方が本人のためにも良いと思うようになってしまうということ。

昔だったら、元気が良い、個性的、チャンス、おもしろいと見た子どもの行動を問題行動だととらえてしまうようになってきた。個性的でそれを活かそうということが少なくなってきた。先生にもその余裕がなくなってきている。

そして、この10年でこうした傾向が強まっているということでした。

また、一方で、薬に頼らず、子どもたちにじっくり向き合うことで問題を解決してゆこうという取り組みが教師や医師の間で広がっているそうです。

その子の行動だけを責めないで、その子の気持ちはどうなんだろう。子どもの気持ちに寄り添いながら考える事が大切だというアドバイスを学校の先生方が精神科の医師から受けていらっしゃいました。問題行動の背景に何があるのか子どもの気持ちにより添いながら考える事が大事なのだそうです。

向精神薬を長期間服用してきたことをやめて、周りの大人が気持ちを受けとめることで回復に向かったケースも紹介されていましたが、ご家族の皆様のご苦労は並大抵のものではなさそうでした。向精神薬の服用を減らしてゆく過程で見られる離脱症状はとの戦いはご本人もご家族も大変だったようですが、子どもさんの苦しみを受けとめ見守ることを実践されてきたご家族のことが紹介されていました。

子どもたちにとって本当に大切なものとは何なのでしょう・・・

向精神薬

2012/06/22

先日NHKのクローズアップ現代という番組で、子どもへの向精神薬投与が取り上げられていました。普段、ほとんどテレビを見ないのですが、たまたまテレビから聞こえてきた「子どもへの向精神薬の投与」ということばが耳に入ったので、見入ってしまったのです。

番組の解説にはこうありました。
国立精神・神経医療研究センターが行った調査で、発達障害の症状がある子どもに対し、小学校低学年までに向精神薬を処方している専門医が全国で7割にのぼることが明らかになった。重い自閉症やうつ病の症状などに使われてきた向精神薬だが、子どもの脳に及ぼす影響は未解明で、明確な安全基準はない。基準が曖昧なまま進んだ子どもへの安易な投薬。その結果の過酷な現実を伝える。

上半身が揺れ続け止まらなくなった小学生、足先の痙攣が止まらなくなった高校生といった映像から番組が始まります。向精神薬とは精神安定剤や抗うつ薬、睡眠薬など精神に影響を及ぼす薬剤の総称だそうですが、子どもへ処方するための明確な基準がなく、その副作用に苦しんでいる子どもがいるのだそうです。

厚生労働省の調査では発達障害や精神疾患で精神科を受診した子どもの数が平成20年にはおよそ15万人と平成8年に比べて2倍になっているそうです。この数字とその増え方にも驚きますが、さらに驚いたのは国立精神・神経医療研究センターが行った調査で、就学前に精神科を受診している子が39パーセント、小学校低学年で受診している子が36パーセント、両方合わせると小学校低学年までに精神科を受診している子どもが全体のが7割以上にのぼるということです。そして、こうした子どもたちに対する危険性や適量などの基準が明確でないまま処方されていることがあるそうです。

国立精神・神経医療研究センターが行った精神科の医師へのアンケートが紹介されていましたが、興奮を抑える薬を3〜4歳から、睡眠障害を押さえる薬を1〜2歳で処方したという回答もあったそうです。重篤な副作用に不安を覚えながら、内心ヒヤヒヤしながら処方しているとういう医師の意見も紹介されていました。

もちろん薬の服用が必要でなおかつ有効なケースもあるはずなので、簡単に全てが良いとか悪いとかいうことはできませんが、私はどこか心配です。

竹伐り会式

2012/06/21

6月20日は鞍馬寺で竹伐り会式(たけきりえしき)という法会が修されました。

竹伐り会式の由来は、宇多天皇の寛平年間(889〜897)鞍馬寺の中興の祖、峯延(ぶえん)上人が護摩の秘法を修していると、北の峰から大蛇が現れて上人を呑もうとしました。古書には「舌長きこと三尺ばかり、さながら火炎のごとし」と記しているものがあるそうです。峯延上人が一心に祈ることで大蛇を退治し、そのことを朝廷に奏上すると、人夫50人を賜わり、大蛇は切られて龍ヶ嶽に棄てられたというものです。

その後もう一匹の大蛇が現れましたが、こちらは障りを為すことなく、本尊に捧げる水、閼伽(あか)を絶やすことなく護ることを誓ったので、閼伽井護法善神(あかいごほうぜんじん)として本堂の東側に祀られました。

先に退治されたのは雄蛇で、後の大蛇は雌蛇だったといわれているそうです。この故事にちなんで、青竹を雄蛇に見立てて伐るのが竹伐り会式です。

邪を為す雄蛇に見立てた竹を伐ることで、災禍を断ち切り吉事を招くという意味と、閼伽を護る神に祈りを捧げ水への感謝を表すという意味があるそうです。
修験道の峰入りの儀式に通ずるとする説もあります。

会場には雄蛇に見立てた根のない太い竹と、雌蛇に見立てた根のついた細めの竹が用意され、太い竹を伐り、根のついた細い竹は後に山に植え戻されます。江戸時代中頃からは、竹を伐る人たちが近江座と丹波座の二座に分かれ、竹を伐る早さを競い、その年の両地方の豊凶を占うようになったということです。

そんな、伝統行事に園児達が稚児として出仕しました。毎年年長の男児が出仕し、女児は一緒にお参りして男児を応援します。

男の子達は、装束を着け、ほんのりお化粧してもらって恥ずかしそうにしていました。男の子達がお化粧をしてもらっている間、女の子達は興味津々、私たちもして欲しいなといった顔つきで真剣に見入っていました。

お導師様に付き従って大勢の参拝者の間を行列してゆくと、どこからともなくわき上がる「かわいい!」という歓声に得意満面の子、恥ずかしそうな子様々です。園児達の役はお導師様のお祈りが終わって、いよいよ勝負伐りがはじまりますよという合図にお供えしてある花を下げてくるという役です。20分ほどのお祈りの時間正座をして待っているのですが、いつもはお昼寝している時間なので、どうしてもこっくりこっくりしてしまいます。中には熟睡の子も、隣に付いている保育士は倒れてしまわないように支えていることも多いようです。

無事お役を果たした後は、近江丹波両座の勝負伐りを正面の特等席で見学し、感激している子もいました。伝統文化に触れるという意味のひとつの体験になっているのでしょうか。

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