2014年 2月

積雪

2014/02/08

「東京 20年ぶりの大雪」と報道されていました。2月8日は全国的に雪となったところが多かったようです。日本の南岸を発達した低気圧が通ることで降る、春の雪のパターンだったようで、普段は降雪の少ない太平洋側にたくさんの雪が降りました。東京都心の積雪が20センチを超え、雪が原因で怪我をされた方も多く、交通機関にも大きな影響が出たようです。普段雪があまり降らないところに突然たくさんの雪が降ると大変ですね。

京都市内の積雪は3センチとそれほど多くありませんでしたが、鞍馬ではもう少し積もりました。それでも20センチということはありません。前日の夜遅くから降っていたので、朝にはもっと積もっているかと思いましたが、それほどでもありませんでした。明るくなってから雪かきに出たら、既にお寺の職員さんが一通り雪かきをしてくださった後でした。朝の5時頃から雪かきをしてくださっていたそうです。8日は当園の作品展があり、保護者の方もたくさん来られるだろうからとの配慮から雪かきをしてくださったそうです。なんてありがたいことなのでしょう。

しかし、細かな雪が激しく降り続いたこともあって既に地面は真っ白です。そこで私も雪かきを始めました。一度除雪してあるので、ずいぶん楽でした。しかし、かなり広い範囲の除雪をしなくてはならなかったので、たっぷり2時間以上かかりました。除雪している間も雪は降り続くので、除雪した後から積もるという状態です。たとえ日差しがなくても太陽が高くなってくると、雪も融けやすいのですが、朝のうちは仕方ありません。

ちょっと疲れたので、手を休めて降ってくる雪をぼーっと眺めていました。とても小さな雪の粒がたくさん降って来て、除雪をしたばかりのところを白くしてゆきます。どけてもどけても積もる雪。払っても払っても心に積もる我欲や我執という塵のように思えてなりませんでした。雪は日が高くなって気温が上がれば融けてなくなります。心の塵はどうすれば融けるのでしょうか。ずっと払い続けなければならないのかもしれません。きっとそういうものなのでしょう。あまりとらわれることなく、肩の力を抜いて、塵を払い続けるのが良いのでしょうか・・・

目指す方向

2014/02/07

「なんのために?」なんて保育には必要ないでしょうか?

そんなことはありません。保育という大切な仕事だからこそ、目的や理念がなければ、みんながどこに向かって行けば良いかわからずバラバラになってしまいます。それぞれが自分の基準だけでいろいろなことをやってしまうと、一番困ってしまうのは子どもです。保育園の目的は子どもが最大限に発達できるよう保障することです。保育園に関わる全ての人が目的や理念を理解し、共有し、それぞれの立場でそれぞれのできることを活かして、目的や理念に貢献できることが理想です。保育園には保育士、栄養士、調理員、用務員、看護師、園長などの職種の人がいますが、みんな保育者です。みんなで子どもたちみんなを育てるのです。直接子どもたちに関わる時間は保育士が一番長いのですが、他の職種の人も子どものことをよく理解し、それぞれの視点から見える子どもの姿をお互いに共有し、意見を交換して子どもたちの発達を最大限に保障するためにはどうすれば良いのか、何が必要なのかをよく考える事が大切です。その時に見失ってはいけないのが、「なんのために?」という目的や理念です。それは目指す方向と言っても良いでしょう。みんなが目指している方向が違えば、前に進むことはできなくなってしまいます。

子どもたちの生活は保育園にだけあるわけではありません。当然のことながら、家庭で家族とともに過ごす中で育つのです。ですから、保護者の皆様には「子どもを育てることが嬉しい楽しい。」「うちの子ってすごい!」と思っていただけることを応援する。私たち保育者はそんな気持ちでいたいのです。そのためにも、子どもたちが保育の中で見せるステキな姿やことば、そして気持ちの動きをたくさん伝えることができると良いと思っていますし、保護者が困っていらっしゃるときには、できる限りのサポートをしてゆく。そうして、子どもたちの成長を共に喜びながら、保育園は「なんのために」保育をしているのか、目的や理念を少しずつ理解し共感していただけるようになりたいと願っています。そうして、保育園の職員だけではなく、保護者の皆様と心を合わせ、力を合わせて子どもを育ててゆくことが、子どもの発達を最大限に保障することにつながると信じています。

「なんのために」そうするのか?それは、子どもが、その子らしくちゃんと育つことで、よりよい社会を築いてくれることを願うからです。当園の言い方で言えば、「みんなのいのち輝く世界」です。

共通の目的

2014/02/06

なんのために勉強をするのか?なんのために仕事をするのか?なんのために生きているのか?なんて言っていると、「そんなことはいいから早く目の前のことをやりなさい!」と言う声が聞こえてきそうです。もちろん、早く実行しないといけない仕事はあります。重要な仕事もあります。それは実行しなくてはならないのです。その仕事をするときに「なんのために」をいつも思い返さないと、その仕事を片付けること自体が目的になってしまいそうです。いつも、遠くの目標を見つめていないと、目の前の作業に忙殺されかねません。そうならないためにも、仕事の優先順位を決める必要があります。緊急度と重要度という2つの尺度で、優先順位を決めると良いときいた事がありますが、本当に大切にしたいことは何かを常に見つめていないと、基準が曖昧になりそうです。

「なんのために?」を別の言い方をすると「あなたがやりたいことは何」「なりたい自分はどんな自分」ということもできるかもしれません。「本当に自分がやりたいこと」「本当になりたい自分」を知るために、自分に向き合うことが必要になってきます。

組織でも同じです。メンバーが組織の目的や理念を見失ってしまうと、違う方向に進んで行ってしまいますし、何が大切なのか見えなくなります。またそれぞれが勝手な価値観でものごとを判断して行動すると、みんながバラバラになってしまって組織の力は激減してしまいます。反対に、メンバーが組織のめざすところを理解し、「なんのために」という組織の目的や理念をしっかりと腹に据える。そのうえで、その目的達成に自分はどのような形で貢献できるのかを考え、自分の最も貢献できる部分、自分にしかできない部分を最大限に活かせば、メンバーの力は飛躍的に伸びる。そのことはそのまま組織の力が伸びると言うことです。

メンバーが、組織の目的、目指す方向を理解し、心からその目的を達成したいと思っているのであれば、自分にしかできない事で組織に貢献することは、そのまま他のメンバーのお役に立つことができるということなのです。お役に立つことができれば、他のメンバーは喜び、その喜びをくれた人の役に立ちたいと思うようになります。お互いに助け合える良い関係を築くことができるのです。

そんな、お互いに認め合い助け合える。そこに身を置くことは、どんなにか楽しいことでしょう。

なんのために

2014/02/05

突然ですが、「あなたは、毎日なんのために生きていますか?」と聞かれたらなんと答えるでしょう。すぐに答えることができますか?ちょっと考えてしまいますか?

先日、ラジオを聞いていたら、パーソナリティがそんなことを話題にしていました。
「今、学校で出席もとらないし、テストもないといったらどれくらいの生徒が学校に来るのだろうか。江戸時代の私塾では、出席もとらなかっただろうし、試験もなかっただろうと思われる。塾生はみんな学びたくて学びたくて塾に来ていたのだから、そんな必要はないのだ。」というような内容だったと思います。

吉田松陰が教えた松下村塾、緒方洪庵の蘭学の私塾適塾、ドイツ人医師シーボルトの鳴滝塾など数多くの私塾があったと日本史で習ったのを思い出しました。幕末から明治維新にかけて日本を大きく変える原動力となった人たちが、こういった私塾で学んでいました。私塾で学んでいた人々は、それぞれに目的を持ち、その目的を達成するために自らの意志で、学びたくて学んでいたはずです。実際にどうだったのか調べたわけではありませんが、ラジオで言っていたように出席を取ることも、試験もなかったのかもしれません。大切なのは目的を持っているかどうかということなのでしょう。

また、仕事にしても然りで、もし「仕事をしてもしなくてもいい、生活は保障する。」といわれたときに、あなたはどうしますか。という問いかけもされていました。

「あなたはなんのために仕事をしていますか?」という問いに「生活のため」と答える人は多いと思います。もちろん生活ができなくてはどうしようもありませんが、生活のためにだけ仕事をするのでしょうか。自分の志を遂げるため、なりたい自分になるため、自分のミッションを遂行するため、自分はなにがしたいのか。自分の人生の目的は何か。を常に意識しながら仕事ができると、きっとやり甲斐があるし、楽しいのではないかと思います。

もちろん特別な目的を持たなくても、何となく生きてゆく事もできます。それが悪いと言っているわけではありませんが、自分の生きる目的を持ち、目的に近づくために努力をする。そうやって一歩一歩山を登るように、自分の目的に近づいてゆけたら、どんなに楽しいことでしょう。常に目的を見据えてブレることなく進みたいと思います。そのためにも自分にしっかりと向き合うことが大切なのかもしれません。

「なんのために!」青臭い問いかけかもしれませんが、何をするときでもこの「なんのために」を忘れることなくいたいものです。

「衣食足りた後に行くのはどこ?さらなる収入?権力?それを探すのが1年という時間なのかもしれません。」ラジオのパーソナリティはそんなことばで、そのコーナーを締めくくっていました。

まめまき 2

2014/02/04

鬼が残していったパンツや帽子はあるし、鬼からの手紙はあるし、そうこうして鬼のイメージを思いっきり膨らませて迎えた節分、鬼が来るかもしれないと思うと、朝からどことなく落ち着かずそわそわしている子もいました。

2階で『おなかのなかに おにがいる』(作:小沢孝子 絵:西村 達馬)という絵本を読んでもらったり、5歳児達が鬼に扮してみんなでまめまきをして楽しんでいると、突然、どこからともなく「オレが手紙に書いたことを守っているか?今から確かめに行くからな!」と大きな声が保育室中に響き渡りました。次の瞬間、どこから来たのか太鼓の音と共に黒い鬼が乱入してきました。「早く豆を投げて」と促す先生。しかし子どもたちはそれどころではありません。黒鬼がこわくて逃げているうちに赤鬼まで登場します。赤鬼は誰かをさらってゆこうとしているかのように、子どもたちを引っ張ってゆこうとします。

鬼がきたらやっつけてやる。といっていた男の子は誰よりも早く逃げていました。キックやパンチどころか、洋服をつかまれて連れて行かれそうになり、青くなって逃げてきていました。ところが、普段はおとなしい子なのに、果敢におにに豆をぶつける女の子もいますし。怖さに絶えながら、鬼の後ろに回り込んで豆をぶつける男の子もいました。普段、大きなことを言っている子はこういうときになると、からっきしダメで、いつもおとなしい子が平気で立ち向かっていったりすることがあります。

突然「キャー」という声が響き、何事かと思って声の方を見てみると、5歳児の担任の先生が、鬼に腕をつかまれ、引きずられるように連れて行かれています。「だれか助けて−!」大好きな先生の声に、助けに行かなくては、でもこわすぎる。集団から飛び出して助けに行こうとする子はなかなか現れません。すると5歳児Kちゃんがひとり、引きずられてゆく先生の足を持って引き戻そうとします。目と鼻の先には、黒鬼と赤鬼がいるのにです。なんて勇敢なんでしょう、後ろから豆を投げつけに行く5歳Yくんも、こわいのを我慢して、うまく鬼の視界から外れながら、豆で攻撃します。なかなかの頭脳プレイでした。そして、なんと2歳児のYくんが、鬼に引きずられている先生を助けに飛びだしてゆきました。その頼もしい姿と、まさかの展開に職員一同驚愕の瞬間でした。

子どもたちのいろいろな面が見られたまめまきでした。

まめまき 1

2014/02/03

   おにの帽子? パンツ?

ついこの間、お正月だったと思っていたら、もう節分がやってきました。節分と言えば、子どもたちにとっては、こわい鬼のやってくる日です。数日前、5歳児たちが散歩から園にもどってきたら、園庭の入口におにの帽子?とおにのパンツ?が引っかかっていました。それを見て大騒ぎの子どもたち、よく見るとなにやら紙が貼ってあります。「おじぞうさまをみろ!」それを読んだ子どもたちは、六体地蔵様のところへ走り寄ります。なんだろう?お地蔵さまの後ろに行った子どもが、何かを発見!巻いた紙がお地蔵さまの後ろに立てかけてあったのです。子どもたちはワーキャーいいながら、保育室に戻って手紙を読んでいました。なかには鬼からの手紙と知って泣き出してしまう子もいましたが、何が書いてあるのか興味津々です。夜遅くまで起きていないか?友だちにいじわるをしていないか?こんど見に行くからな。といった意味のことが書かれていました。子どもたちはもう鬼の話でもちきりです。鬼がきたらやっつけてやる。キックしてパンチしてやる!と興奮している男の子、想像するだけでこわくなって泣いてしまう女の子、「今日から早く寝よ」と言っている子、冷静な子もいます。

鬼が置いていったと思われる帽子?とパンツは手紙と一緒に置いてありましたが、次の日になると、2階の天袋、その次の日は階段室、そして本棚と毎日移動しています。子どもたちは、「あっ!今日はこんなとこにある!」「なんで勝手に動いてるんやろ?」と毎朝鬼のパンツと帽子の話で盛り上がっていました。そうして、1日1日と節分が近づいてくるのでした。

落語 2

2014/02/02

玄武寄席という落語の会に参加した学童保育の子どもたちですが、前半が終わって休憩が入ったところで、「後半はどうする?もう少し噺を聞く?」と指導員が尋ねると、子どもたちは「最後まで聞く!」と答えたようで、後半も最前列に座っていました。

後半はいよいよ枝鶴師匠の登場です。マクラの部分でもずいぶんと笑わせていただきました。嬉しかったのが、子どもたちのことを幾度となく話題に取り上げてくださっていた事です。「高齢化はどこの世界も同じで、噺家もだんだん平均年齢が上がってゆく。それと同時にお客様も平均年齢が上がってゆく、小学生のお客様がいらっしゃることはとてもうれしいこと。」とか「でも、子どもはとてもシビアなので来年この会にこの子達がきてくれないというようなことになったら、私の噺のせいかもしれないと考えると、とてもハードルを高くしてくれている。」など子どもの噺で笑いを誘ってくださいました。
最前列に緊張して正座している子どもたちを「きちんと座ってくれている」と褒めたり、「足を楽にしたらいいよ。」と気遣ってくださっているのがよくわかりました。緊張していた子どもたちも嬉しかったことと思います。

また、子どもの話題から、ご自身の子ども時代のことを題材に、「公設市場」や「肥後守」といった懐かしいことばで、年配の方の心もくすぐっていらっしゃいました。子どもの頃ご自宅にあった仏壇にいたずらをしたといいうところから、仏壇屋の旦那と家業が仏壇屋なのにキリスト教を信心する若旦那親子の登場する「宗論」という本題に入ってゆくあたりはさすがだと思いました。

やはり師匠の噺はひと味違います。涙が出るほど笑わせていただきました。途中の子どもたちの様子はわかりませんでしたが、あとで、「おもしろかった?」と尋ねてみると、「楽しかった」と答えるてくれました。事前の話し合いでは、あまり参加したくないと言っていた子も、少しテレながら「まあまあ楽しかった」と答えてくれました。子どもたちは、「枝鶴師匠の噺が一番おもしろかったな。」などと一人前に話し合っていました。

たとえ2時間でも子どもたちが、日本の伝統文化、それも本物に触れる機会をもつことができて良かったと思います。来年も「参加したい。」と言ってくれる子どもが増えると嬉しいと思います。

落語 1

2014/02/01

今年も、玄武の会主催の落語の会、玄武寄席がありました。出演は、笑福亭智六さん、桂雀喜さん、そして、笑福亭枝鶴師匠です。7回目になるこの寄席も少しずつ定着してきて、地域の方々の中でも、「今度、落語行くやろ?」「いつやったかいな?」といった会話が交わされるようになりました。今朝はとても冷え込みましたが、お天気にも恵まれ、落語の始まる午後には寒中とは思えないほどの暖かさになりました。そんなこともあり、大勢の方が来場されていました。

今年も土曜日の開催だったので、めぐみ精舎の学童保育にきている子どもたちも参加できるといいな。という意見がスタッフの間で以前から出ていました。そこで、事前に子どもたちの思いを聞いてみると、昨年玄武寄席に参加した子は、「やったー!絶対見る!」「めっちゃおもろかったもんなー!」と大喜びでした。落語を見た経験のない子は、よくわからないようでしたが、ひとり、以前家族の方と一緒に落語を見に行ったという子がいて、その子はあまり乗り気ではありませんでした。指導員がなぜだか聞いてみると、前に言った落語はあまり楽しくなかったそうです。そんな理由から、その子は気乗りしなかったようですが、友だちに誘われ、指導員にも勧められ、見てみようかという気になったようで参加していました。

子どもたちは、本番前に控え室にいらっしゃる枝鶴師匠のところに挨拶に行ったのですが、とても緊張していたようで、師匠のことを「こわそうな人」と言っていました。芸を極めた人の持っていらっしゃる独特のオーラというのか雰囲気を子どもたちは敏感に感じ取っていたのだと思いますが、それを表すことばを知らないばかりに、「こわかった」と表現していたのでしょう。

そんなことを経て、いよいよ落語が始まりました。最初の一席は笑福亭智六さん、落語を聞くための「あ・い・う・え・お」というマクラから色事根問(いろごとねどい)という、もてる男の10箇条みたいな噺で笑わせてくださいました。桂雀喜さんはお酒好きの親子の噺で、酔った姿とても巧みに表現してみせて、笑わせてくださいました。

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