2014年 2月

やっぱり楽しい!

2014/02/18

2回目のギターサロン、途中で少し休憩を入れましたが、楽しい時間はどんどん過ぎて、あっという間に3時間近くが経っていました。最後のセッションは、4人で1グループを作り、どう始まってどう終わるか、最初から最後までの構成を考えます。私のグループは大学生がいろいろと考えてくれました。みんなで普通に弾いた後、少し違った引き方をして、誰かのソロを入れて、最後はそれぞれに好きなように弾いて、終わり方を合わせる。それなら、一人ずつソロを入れた方が良いのではないか、ウクレレとギターが分かれてみるか。などいろいろなアイデアが出てきます。私のグループはアコースティックギター2人とウクレレ2人だったのですが、もう一方のグループは、アコースティックギター1人、エレキギター1人、ウクレレ1人、ベース1人と種類が豊富です。エレキギターの人はその特性に合わせた弾き方を先生から教えてもらってセッションに臨んでいましたし、ベースはもちろんベースの弾き方があります。ギターとウクレレは初参加の2人でした。いざ、セッションがはじまると、初めての人が入っているとは思えないくらいかっこいいのです。自分が弾いているときは、いっぱいいっぱいになっているので、何が何だかよくわからないのですが、他のグループのセッションはステキでした。

最後のセッションが終わってみると結構遅い時間です。その日には、初参加のお二人の感想を聞く時間もなかったので、翌日「昨日はどうでした?」と聞いてみると、2人ともから「楽しかったですー!」という答えが返ってきて安心しました。今回の参加をきっかけに自分のウクレレを買うことにした方もいたようです。

自分でやりたいと思ってやる楽しさ、一所懸命に取り組む楽しさ、上手な人にあこがれて真似てみる楽しさ、緊張感も含めた誰かとセッションする楽しさ、いろいろな楽しさがギターサロンにはあるように思います。その楽しさから、自分で勉強してみたい、上手くなりたいという気持ちが生まれてくるのです。ですから、基本的なことも含めて、先生はあまり細かなことを教えようとはしません。「楽しいからやってみたい!」「上手くなりたい!」という気持ちがあれば、自分で習得しようとするので、先生は教えることを必要最小限にしていらっしゃるような気がします。先ずは、「楽しい」「やってみたい」なのではないでしょうか。次のギターサロンが楽しみです。

セッションの楽しさ

2014/02/17

「楽しさ」が、何かに取り組むときの原動力になります。楽しさは、自分のやりたいことを思う存分できることからも生まれますし、没頭する楽しさもあります。集中して思う存分取り組んでいると、ゾクゾクするような楽しさに包まれることがあります。特にスポーツなどしていると感じる事が多いように思います。

1人で集中する楽しさも良いのですが、みんなで行う楽しさというのもまた大切です。誰かとぴったり息が合ったとき、みんなでアイデアを出し合って何かを作り上げるとき、他にも誰かと一緒にやるからこそ味わえる楽しさというのがあります。みんなで喜びたいからがんばる。みんなの役に立つことが嬉しいから努力する。ということだってあります。みんなで取り組むことで、ひとり1人が自分の持っている以上の力を発揮することもあります。

和田直樹さんのギターサロンでは、両方の楽しさが味わえます。「レッスンではなくセッション!音によるコミュニケーションを主とした普通のギターレッスンとはひと味もふた味も違う新感覚ギターレッスン。」というのが和田直樹さんのギターサロンの謳い文句です。

初めての人でも少し練習したらすぐにセッションします。もちろん上手く弾けなくても良いのです。遅れないようについてゆく努力をするのも、コミュニケーションの一つです。最後はどうして終わろうかと、相談するのも良いですし、演奏しながら目で合図して終わり方を決めるという方法もあります。

1回目はゆったりと、2回目は少しアップテンポに、最後は余韻を残して終わろうなどとと打合せをして演奏してみるのも楽しいですし、それがうまく行って、最後にきれいに決まったら、もっと楽しいのです。不思議なことに、セッションすると超初心者でも上手に弾いているように見えるというか感じるのです。私のようにコードチェンジが上手くできなくて、遅れそうになったり、何小節か跳ばしていても何とか終われれば、何とかなったりします。次にやるときには何とかついて行けるようになろうとがんばる力になることもあります。

今回初参加されたお2人は本当に上手だったので、セッションもとてもステキでした。

楽しく取り組む

2014/02/16

それぞれの課題にとりくむこと、自分のレベルに合わせた練習は、やり甲斐があります。弦を押さえる指の先が痛くなっても、もう少しがんばろうと努力します。そこに楽しいという気持ちと、弾けるようになりたいという願いがあるからです。

時間の経つのを忘れるくらい、何かに没頭する。多少声をかけても振り向かないくらい集中して何かに取り組む。園ではそんな子どもたちの姿をよく目にします。それは、その子が今やりたいことを思う存分に楽しんでいる姿です。一つのことに集中している姿です。この楽しいことを思う存分にできることが大切なのです。適切の欲求を満たすことで情緒が安定します。そして何かに集中する経験をたくさんしていれば、いろいろなことに取り組むときに、集中しやすくなります。自分がやりたいことであれば、困難にも挑戦する意欲が湧いてきますし、困難を困難と思わないかもしれません。なんといっても楽しいです。

ギターサロンでギターに挑戦してみて、楽しければ挑戦したくなる。努力することも厭わずに取り組むことができる。ということを改めて実感し、やはり子どもたちにはやりたいことが思う存分できる環境と機会をできる限り用意してあげたいと思いました。

ひとりひとり楽しむ

2014/02/15

2回目のギターサロン。初めて参加した方はセンスが良いのか理解が早いのか、すぐに上達してセッションに参加していらっしゃいました。最初はとても緊張していらっしゃる様子でしたが、先生にアドバイスをもらいながら練習してゆく中で、コツがわかってきたのか、楽しくなってきたのか、一所懸命に取り組んでいらっしゃいました。その成果でしょう。2回目のセッションではステキに演奏していらっしゃいました。

参加者はその人のレベルに合わせてひとりひとり先生に弾き方を教えていただき、それぞれの課題に取り組みます。私なら、何とかコードを押さえて音を出し、最初から最後までできるだけスムーズに弾くことが課題なので、そこを練習します。先生が少しずつその人に合ったアドバイスをしながら、みんなのところをまわってくださるので、その間は自分で練習しているのです。

左手の指先は痛くてしょうがないくらいになるのですが、この1人で黙々と練習することがなぜか楽しいのです。仕事以外では滅多にないくらい集中して取り組めて、とても心地よいのです。それは、なぜなのでしょうか。私のレベルでは、セッションが楽しくてしょうがないというわけでもありません。やはり、自分の目標と課題を知り、そこに向かって自分自身でやりたいと思ってやっていることが、楽しいのです。

ギターが上手で、普段の保育でも良くギターを持って子どもたちと歌っている保育士の先生は、聴いたこともないような名前のとっても難しいコードに挑戦していました。それぞれのレベルに合わせた課題があるから、集中して取り組めるのだと思います。

これが一斉画一的に、じゃあまず、Dを押さえてこんな感じで弾きます。次はCですよ。なんてやっていたら、私のようなセンスのない初心者に合わせなくてはならない上級者はつまらないでしょうし、上級者に合わせて進んでゆけば、私などはちんぷんかんぷんで、つまらなくなってしまいます。

ひとり1人が自分の課題、自分の力の120パーセントをめざすように取り組むことで、それぞれが楽しさを感じられるのだと思います。

第2回ギターサロン

2014/02/14

2回目のギターサロンを開催しました。今回は、保護者の皆様にも案内を差し上げたら、1人参加してくださいました。園の職員も新しいメンバーが1人加わり、合計9名で開催です。新しメンバーが加わったこともあり、みんなで自己紹介から始めました。今回初めて参加する人はそれぞれ、ウクレレとギターでの参加ですが、2人ともギターもウクレレも、今日初めて触るという超初心者です。和田直樹さんから「これから行うのはレッスンではなくセッションです。」と説明されますが、怪訝そうな表情の2人。今から何が始まるのか、さぞかし不安だったでしょう。これはいくらことばで説明してもらっても、なかなかわかるものではありません。なんて偉そうなことを言っている私も前回は同じような表情をしていたのかもしれませんが・・・

今回の課題曲は「聖者の行進」、先ずルイ・アームストロングのCDで課題曲を聴きました。「聖者の行進」(When The Saints Go Marching In)はアフリカ系アメリカ人の霊歌で、ルイジアナ州ニューオリンズでは葬儀のパレードで演奏される曲なのだそうです。

配られた楽譜には、コードが記されていましたが、使うのはG、C、Dで、前回の「スタンドバイミー」のときに経験したコードばかり、なおかつEmが1つ減っているので、もしかしたら結構弾けるかもしれないと思いましたがそれが間違いだということにすぐに気付きました。まず、CDで聴いた曲とこのコードがどう繋がっているのか最初は全くイメージできないのです。自分のセンスとリズム感の無いことに改めて愕然としました。先生にアドバイスをいただきながら、何度か弾いているうちに、ようやく少しわかってきたような気がするくらいですから、センスのなさは相当なものです。

少し練習したら、いきなりセッションタイムです。「一番にやりたい人」と先生がおっしゃるので手を挙げたものの、うまく弾けるわけがありません。前回からそうでしたが、コードチェンジがなかなかうまく行かず、どうしてももたもたしてしまうのです。ギターサロンはそれでも良いのだと思います。うまく弾けるに越したことはありませんが、今の自分が楽しく精一杯やっていればいいし、できないところはできないと自分で気付き自分を認めることも必要なのです。そこで、楽しむことが大切なのです。セッションしてくれた人もわかってくれていると思います。私が勝手に思っているだけですが・・・

願い

2014/02/13

獅子は一通り舞うと、子どもたちの頭を噛み始めました。獅子舞の獅子に頭を噛まれるのは、邪気を払う・疫病退治などの意味があり、獅子に頭を噛まれると無病息災でいられると言われています。しゅうめいさんは獅子舞の説明の際に「獅子がみんなの頭を噛みに行きます。そうしたら、頭を出してください。獅子に頭を噛まれる時にはお願い事を一つしてください。」とおっしゃっていました。

獅子は「みんなが幸せになってほしい。みんなに良いことがありますように。」という願いを込めて頭を噛むので、是非その願いを受けとめてほしいということだと思います。そこには「願い」があります。頭を噛んだこの人に良いことがありますように。この人が幸せになりますように。という獅子の願い。どうか無病息災で過ごせますように。幸せになれますように。という噛まれる人の願い。双方の願いが重なり合い響き合い、共鳴して願いの力が強くなり、心に響くのでしょう。

子どもたちの中には、誰に言われたわけでもないのに、獅子を前に合掌して頭を噛まれている子がいました。子どもたちの自然に合掌してしまう、意識しなくてもそうしてしまう姿を見て、その心の素直さに感激し、目頭が熱くなりました。子どもがそんなにも素直な気持ちで頭を噛まれているのに、撮影していたビデオカメラに手をかけたまま、頭を噛まれていた自分自身の姿をとても恥ずかしく思いました。

今回は泣いた子はあまりいませんでしたが、獅子を見て泣く子は大勢いるそうです。泣いて怖がる子どもの頭を獅子に向かって差し出す大人。泣いていやがる子どもを無理矢理獅子に噛ませるなんてかわいそう。という意見もあるかもしれません。でも嫌がる子どもの頭を差し出す大人には、「願い」があります。この子が元気でいられますように。良いことがありますように。という願いがあるのです。しゅうめいさんがおっしゃっていましたが、子どもが泣いてかわいそうだからといって、獅子からかばってしまうと、子どもにとって獅子はただの恐怖の対象でしかあり得ない。子どもにとっては子どもは、「こんなに怖がっている自分の頭を差し出す大人は何を考えているのだ。」という気持ちなのでしょうけれども、そこには大人の「願い」があるので、信頼している大人がすることだから・・・。という気分が醸成されるのかもしれません。

みんなが幸せになってほしい。という獅子の願い。そして、我が子が元気に成長してほしいという親の願い。何だかわからないし、どうしようもなく怖いけれど、でも何か意味があるんだと身体で感じる子どもの気分が三つどもえになって、みんなが良くなれる。そう感じた獅子舞でした。

獅子

2014/02/12

子どもたちは五感、特に聴覚、触覚、視覚を目一杯使って、太鼓を感じる体験をしました。金子しゅうめいさんが、一番大きな太鼓を演奏してくださったときは、それまで少しおしゃべりをしていた子も、じっと黙り込み、演奏されているしゅうめいさんを食い入るようにみつめていました。本物の持っているパワーや魅力を子どもたちは敏感に感じ取っていたのだと思います。

全身で太鼓を感じた後は、いよいよ獅子の登場です。緑色の布に包まれた、ひとかか
えほどあるかたまりがしゅうめいさんに抱えられて登場しました。緑色の布は獅子の胴の部分なのですが、包みが解かれて獅子頭が登場すると、子どもたちは一瞬身構えたり、後ずさりしていました。赤いおおきな顔に大きな目と大きな口の獅子がいきなり目の前に登場するのですから、多少たじろぐのも無理はありません。でも泣き出してしまう子はいませんでした。よく見ると獅子の顔はどことなく愛嬌があってかわいらしい顔をしているので、子どもたちはそれを感じる事ができたのでしょうか。それとも節分に登場した鬼に比べたら怖くなかったのでしょうか。理由はよくわかりませんが、この時点で泣く子はいませんでした。

お囃子が始まって獅子が踊り出しました。その動きと言ったら本当に生きているようです。「獅子という生き物がいるのなら、こういう動きをするのだろうと思う。」と言っていた保育士のことばがこのとき腑に落ちました。しゅうめいさんは、舞を始める前に「獅子が何をしているところか考えながら見てね。」と子どもたちにおっしゃっていましたが、何をしているのか子どもにも想像できるような動きにただただ驚くばかりです。
獅子が動き出してしばらくすると、泣き出す子もいました。あまりにもリアルな動きに、感性の豊かな子は本物の獅子という動物が来たと感じたのでしょう。

事前に用意する物のなかに、みかんという項目があったので、なぜみかんが必要なのだろうと思っていたら、獅子が舞っている途中でみかんを食べるのです。それもうまく口にくわえてから一気に丸呑みです。獅子がみかんを食べた瞬間子どもたちからはウヮーと小さな歓声が上がり、大人からは拍手が起こりました。そのみかんは獅子がちゃんと食べて、後で皮を吐き出すという芸の細かさです。みかんを取りに行く獅子の様子も、警戒しながら未知のものに近づいてゆくような仕草が、何ともステキでした。眠る獅子の姿は愛くるしいとでも表現できそうな動きです。その他の動きひとつひとつに感動せずにはいられませんでした。

心と身体に響く音

2014/02/11

地域の方や保護者の皆様も開演時間までに席についてくださり、子どもたちも一旦別の部屋に集まって、先生から注意事項など少し話を聞いてから揃って入場しました。「獅子舞」と聞いてなにやら不安げな子もいます。「節分に鬼が来て、とっても怖かったのに、その3日後に今度は獅子だって!? なんだ?その獅子って?」なんて思っていたのかもしれません。

緑色の大きな風呂敷包み(獅子頭)を持った金子しゅうめいさんが登場して「太鼓と獅子舞のミニライブ」いよいよはじまりです。事前の打合せで、先ずは子どもたちが太鼓を全身で感じることから始めて、最後に獅子舞で終了すると聞いていたので、どんな始まり方をするのだろうと思って楽しみにしていたら、最初はうちわ太鼓が登場です。しゅうめいさんが「ついこの間お正月が終わりましたね。」と話し出した途端に「今日、ぼくの誕生日!」と宣言する子がいて、会場を沸かせていました。するとしゅうめいさんは、扇子を取り出し、「お誕生日お祝いの舞」といってひとさし舞ってくださいました。ステキな舞に他の子どもたちも大喜びです。

太鼓はうちわ太鼓に始まって、4種類の太鼓を紹介してくださいました。紹介の仕方もただ単に太鼓の名前や音を子どもに伝えるというのではなく、子どもたちが耳を澄ませてじっくりと太鼓の音に聞き入ることができるように工夫してくださっていました。耳を澄ませてじっくりと聞き、太鼓の種類によって音の高さや響きが異なることを聞き分けます。リズミカルに太鼓が演奏されると、子どもたちの身体は自然に動き出します。後ろから見ていた私も、身体を動かしたくなりました。

耳に神経を集中して太鼓の音を感じた次は、身体全体で太鼓の音を感じます。床に身体をつけて、床に響く太鼓の振動を身体全体で感じていたら、やはり自然に身体が動いている子が何人もいました。

耳で音を感じ、身体全体で音を感じたら、次は目で音を見るというチャンスを与えてくださいました。思ってもいなかった方法で音を見る事ができた子どもたちは大喜び、5歳児2人も体験させてもらっていました。

それにしても、太鼓の響きというのは、心や身体の深いところにザワザワと響いてくる気がします。打楽器の持っている根源的なパワーなのでしょうか。太鼓の魅力を改めて感じました。

感じること

2014/02/10

金子しゅうめいさんによる「太鼓と獅子舞のミニライブ」、この公演について、事前に子どもたちに何を伝えるのか、伝えないのか迷いました。あらかじめ獅子舞について説明しておいて、子どもたちがイメージを膨らませてから公演に参加するという方法もあります。しかし、今回はほとんどの子どもが獅子舞を見るのが初めてだと思いましたし、私自身、本物の獅子舞を見たことはありませんでした。ですから、浅薄な知識だけで説明をするのではなく、子どもたちが感じるままに素直に感じるのが良いと思って、事前に詳しい説明をすることは敢えてしない方を選びました。

子どもたちが日本の伝統芸能に触れる、経験するということが、今回の公演の大きな目的のひとつです。子どもたちがそこで何を感じ、何が子どもたちの心に残るのかは、ひとり1人違います。子どもたちにとっては、五感をフルに使って全身で太鼓と獅子舞を先ず感じることが大切なのかと思ったのです。子どもたちは「獅子舞」ということは少し聞いていたようで、何が起こるんだろうと期待と不安が半分半分で、参加した子もいたようでした。

この公演のきっかけは、お正月休み明けに、保育士の先生が「獅子舞って見たことありますか。」「獅子という生き物がいるのなら、きっとこういうものだろう。と思わせる獅子舞があるので、是非子どもたちにみせたいんです。」と提案してくれたことでした。私自身、獅子舞を見たことがなかったので、是非一度見てみたいとも思いましたし、子どもたちにも初めての経験をしてほしいかったので、公演をお願いすることにしたのです。

「なんだ、園長が見たかったんじゃないか。」といわれそうですね。そうなんです、見てみたかったんです。子どもたちが、見たい!聞きたい!やってみたい!と思う存分かなえてあげることも大切なのはもちろんです。お父さんやお母さん、先生など身近な大人が見たいと思うものを真剣に見て、笑ったり泣いたり心を動かしている姿を子どもが隣で見ていること、同じ場に身を置き、その場を共有していることって大切なことだと思います。

子どもたちが、太鼓と獅子舞を全身で感じることを大切にしたい。と思います。「太鼓と獅子舞のミニライブ」には、演じ手のしゅうめいさんがいらして、太鼓があって獅子がいて、それを見ている子どもがいて、大人がいて、その場に存在するありとあらゆるものがその「場」を作るのです。ですから、そこにいる大人がどれだけ真剣に楽しんでいるかも「場」を作る大きな要素です。そうやって全てのものが互いに作用し合って、その「場」ができる。だから、しゅうめいさんは細部にまで気を配ることで、公演の「場」を大切にしていらっしゃるのだと想像します。

丁寧に

2014/02/09

獅子舞の獅子がやってきました。金子しゅうめい さんという獅子舞や太鼓の演奏を行っていらっしゃる方とステキなご縁をいただき、来園してくださることになりました。(金子しゅうめいさんの詳しいプロフィールは「金子しゅうめいWeb site」http://www9.ocn.ne.jp/~shu-mei/をご覧ください)しゅうめい さんにお願いしたのは「太鼓と獅子舞のミニライブ」先ずは太鼓の音を堪能してから獅子舞を見せていただくという内容です。せっかくの機会なので、地域の皆様や保護者の皆様にもご覧いただければと思って案内を差し上げました。平日の午前中なので10名ほど来てくだされば良い方かなと思っていたのですが、予想に反して20名以上の申し込みをいただきました。嬉しい限りです。

当日10時開演の予定のところ、しゅうめいさんは2時間前の8時にいらしてくださいました。太鼓をはじめとした道具を運び込み、セッティングをしているとあっという間に1時間以上が過ぎています。準備は余裕を持ってすることが必要だと改めて思い直しました。しゅうめい さんは太鼓のセッティングひとつとっても細かな位置まで、きちっと整えていらっしゃいます。ちょっとした置き方のズレでも、お客さんが舞台を見たときに違和感や不快感に繋がるからという理由です。「細部に神は宿る」といいますが、ついつい、なおざりになりがちな細かなところまできっちり実行してこそ、物事ができあがるのだと思います。もう一つ気にしていらしたのは、公演途中の観客の出入りです。人が出入りすることで一瞬にして会場内の雰囲気が変わることがあるので、できるだけ途中で出入りがないようにしたいとのことです。ただご自身がパフォーマンスするだけではなく、観客はもちろん会場にある物までをも含めた全てがお互いに作り出す雰囲気を大切にしながら公演されているのでしょう。

会場の準備が整うと、次にご自身の体と心のウォームアップを始められました。万全の状態でパフォーマンスに臨むためでしょう。さすがプロフェッショナルです。どんな些細なことでもひとつひとつすべてのことをとても大切に丁寧に考え、行うことが大切なのですね。

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