2013年 7月

「今日もおいしかったね〜」

2013/07/08

入園当初は、野菜が苦手で好きな物だけ先に食べて残していたA君。嫌いな物を無理じいせず「見ててや〜!おいしい!」と、苦手な物をパクっと食べて見せたり、他の友だちが美味しそうにもりもり食べている姿を見ていました。

そうしたら、そんなにおいしいなら…という感じで、自ら手でつまんで一口食べて見ようとする姿がみられ、「人参、大根、ゴボウ…と日に日に食べれる野菜が増えてきています。

最近では、エヘッと笑みを浮かべながら「おいしい〜。」と、言うようになり「本当においしいね〜。」と、言いあって食べています。

皆で素直に「おいしいね〜。」と、言いあえるような環境を大切にしていきたいと、思ってます。

それは、ただ食べるだけではなくて、食に対して感謝への気持ちへとつながっていくと信じています。

分をわきまえる

2013/07/08

のど飴の原点にかえって、「声を大切にする人が必要とするのど飴」の開発する。その中心となったのが、当時入社4年目の女性社員片桐さんでした。特に声を大切にしている人は誰かと考えた末、声楽家という答えにたどり着き、国立音楽大学で教鞭をとっていらっしゃる声楽家の小林一男教授を訪ねました。

小林教授は「声楽家にとってのどは大切な楽器で、取り替えることのできない一生ものだから、24時間大切にしている。」とのことば荷も現れているように、のどを大切にする姿勢は並大抵ではありませんでした。小林教授は喉によい素材などをよくご存じで、何種類か紹介してもらい、それらを加えたオリジナルハーブエキスを杉村さんを中心とした研究チームが開発したそうです。

オリジナルハーブエキスを用いた試作品を作り、音楽大学の学生さんに試してもらってはアンケートを取るかたちで、開発は進みました。最初は、効き目を重視したあまり、味が苦くなってしまったり、食べたときの感覚がよくなかったりという意見が多かったようです。学生さん達にとってものど飴は必需品なので、よいのど飴ができるためなら、協力は惜しまない姿勢の方が多かったようですが、それだけにアンケートでは厳しい意見が多かったといいます。学生さんもそれだけ真剣に取り組んでいたということなのですが、片桐さんはじめ開発チームは行き詰まってしまいました。

小林教授に相談したところ、のどの調子が悪く治療が必要なら、私たちは医療に頼る。のど飴に治療を求めているわけではない。むしろ、これをなめているから安心できるとか、リフレッシュできるといったメンタルな部分を支えてくれることの方が大切な要素だとおっしゃるのを聞いて、のど飴に過大な役割を求めすぎていたことに気がついた。とたしか番組のなかでは紹介されていました。

そのものや人の役割というのは、なかなかわかりにくいもので、ついつい求められてもいないのに役割以上のことをやろうとしたり、役割を果たさずにいようとしたりしてしまいがちです。いまここにおける自分自身の役割をしっかりと見据え、理解し、その役割を果たすことに専念すべきなのでしょう。分をわきまえるということばが適切なのかどうかよくわかりませんが、自分の役割をわきまえて、それをしっかり果たす事に力を注ぐことが大切なのだと想います。

のど飴

2013/07/07

のど飴ってよく買いますか?私は声を使う前にはよく使っています。最近、のど飴を買おうとお店に行くと、たくさんの種類があって、どれを選べばよいのかわからなくなってしまいますが、この「のど飴」を最初に創ったのがカンロ株式会社です。

カンロは大正元年(1912)に宮本製菓所として、山口県で創業し、昭和30年(1955)に隠し味に醤油を加えたカンロ飴を発売、カンロ飴のヒットをきっかけに、社名をカンロ株式会社に改称、昭和56年(1981)菓子食品分野で初の「のど飴」を発売、飴を中心とした菓子を製造しています。

企業理念として次のことを掲げています。

社是
つくる 創意と工夫で新しい価値を創る。
おもう 社会と共生し人々の幸せを想う。
つなぐ 志をつなぎ、喜びをつなぎ、心をつなぐ。

使命
消費者に「美味しさ・楽しさ・健康」を提供する

この、カンロから「ボイスケアのど飴」というのど飴が発売されました。

出張で函館に行った帰りの機内で、ボイスケアのど飴の開発ストーリーを紹介した番組が放映されていて、見入ってしまいました。

開発のきっかけは、いろいろな種類ののど飴があってわかりにくくなっている。もう一度のど飴の原点に返って、のど飴らしいのど飴を開発しよう。という企画会議での提案から始まったそうです。

まず考えたのは、「のど飴をよくなめる人はどんな人だろう」ということだそうです。その答えを探るのに、インターネット上にたくさんあるブログを検索すると「のど飴」ということばと一緒に使われていることばが「声」「話」だったといいます。そこから、声を使う人はどんな人?と考えた結果、歌手、アナウンサー、俳優、声優、先生などが、のどを使うことが多く、声を大切にする人。という答えにたどり着き、「声を大切にする人が必要とするようなのど飴」を創ることに決めたそうです。

のど飴の原点にかえるという発想、つまり、そもそも、のど飴は「何のためにあるのか」「誰のためにあるのか」というところをしっかりと見据え、「創意と工夫で新しい価値を創る。」「社会と共生し人々の幸せを想う。」といった社是に照らして考えたのだろうと想像します。

私たちは、日常に流されて気がついたら原点から遠ざかっていたということがよくあります。「そもそも、保育って何?」「子どもの最善の利益とは?」という原点をふりかえることを忘れず、園の理念から考えて保育を進めてゆきたいと考えます。

縄文時代 3

2013/07/06

函館市縄文文化交流センターの展示室、北海道初の国宝である中空土偶が、暗い展示室に浮かび上がるように立っていました。この土偶は1975年に地元の主婦が農作業中に発見したもので、出土した南茅部の「茅」と、中空土偶の「空」をとって「茅空(かっくう)」という愛称がつけられています。高さ42センチメートル、幅20センチメートル、重さ1.75キログラムで、中空土偶としては国内最大級だそうです。

どこか愛嬌がありながら精悍な顔立ちと斜め上に向けた目線は、永遠のいのちのめぐりを見つめているように感じられました。腕はありませんが、身体に施された文様はとても緻密で繊細なものです。粘土でこの文様を再現しなさいと言われても、私にはできないと思います。そればかりではありません。土偶は一旦完全な形で作成されたあと、儀式に使われる際に壊されるそうですが、あらかじめどこが壊れるようにするか決めておいて、その部分の粘土を薄くするなどの工夫をして、壊すときにはそこから壊せるように計算して創られているという説明を聞きました。北海道の土偶は墓から出てきているそうなので、なにか死と再生に関する意味を持っていたのだと思われます。縄文の人々は人間も自然の一部であり、自然の巡りのなかで活かされている実感とともに、いのちの巡りをみつめていたのでしょうか。

足形付土板というものが、土偶の近くに展示されていました。これは文様をつけた粘土板に子どもの足形を押し付けたもので、裏面に手型がついたものもあります。約6,500年前の墓から出土したということです。亡くなった子どもの足形や手型を粘土板に写し取り、焼き固めて作ったようですが、焼きが甘く脆いことから、囲炉裏などで簡易に焼いたものだそうです。これを住居内に吊して亡くなった子どもを偲んでいたようです。足形付土板は大人の墓から出てきているので、おそらくはその子の親が亡くなったときにその墓に埋納されたのだろうと解説にはありました。

粘土板のうえの小さな足形から、そこにいた子どもの姿がリアルに想像され、よく園で子どもの手型や足形をとっているのを思い出しました。そうして子どもの姿が想像できると、亡くなった子どもの足形をとる親の哀しみや、我が子を思う心が伝わってきました。また、その親が亡くなったときに子どもの足形付土板を墓に入れた、その気持ちがとてもわかるような気がします。何千年もの時を超えて私たちのいのちは繋がっているこことが胸に迫ってきました。

あじさい

2013/07/06

園庭の入口に紫陽花の木があります。
今、たくさんの花をつけていて、子ども達はジーッと見ていたり、さわって「ほわっほわっ」と感触を味わったり…季節真っ最中の花を楽しんでいます。

この紫陽花、一昨年退職した職員が気にかけてくれていたんですが、彼女がいなくなって気がついたんです。
紫陽花の花が終わったらどうしたらいいんだろ〜と。全く彼女にお任せしていたことに反省しました。

焦っても仕方ないので、園芸のお仕事をされている保護者に聞いてみる事にしました。そしたら、いろいろアドバイスを下さり、保護者自ら剪定してくださったり、子どもをお迎えに来られた時に雑草を抜いてくださったり…とお世話してくださったんです。お母さんの横にはその子どもが同じ姿でお母さんがしている事を見ている姿が印象的でした。

春になり一日一日、葉が大きくなり梅雨に入った頃にたくさんの花がつき始めました!それから毎日、花が大きくなっていくのがうれしくてうれしくて。お母さんも「花が咲いて本当に良かった!」と喜んでくださりました。

ありがとうの気持ちと、今度は自分ができるように勉強しないといけないなと思いました。

きょうのごはん

2013/07/05

・ふりかけごはん

・ハンバーグ

・冬瓜の煮物

・竹輪とキュウリの和え物

・そうめんのおつゆ

縄文時代 2

2013/07/05

函館市縄文文化交流センターの展示をとおして、自然と共に生きてきた縄文時代の人々が豊かな生活を送っていたことを感じました。他に印象的だったのは、漆です。中国で約6,200年前の漆器が発見されてから、漆の使用は中国からはじまり、日本に伝わったと考えられていましたが、函館の垣ノ島遺跡から出土した漆の装飾品が年代測定の結果、約9,000年前、縄文時代前期のものであることが確認されたので、それまでの説ではなく、日本では独自に漆の加工が行われていたことがわかったそうです。漆を糸に染みこませた装飾品や、漆を塗った土器なども見つかっており、その頃の技術の高さが伺えます。英語で漆のことをlacquerといいますが、japanともいいます。垣ノ島遺跡からの漆器の出土は漆の面目躍如といったところでしょうか。

また、ヒスイを用いた勾玉が展示されていましたが、このヒスイは新潟の糸魚川でとれたものであり、縄文時代の人々が広い範囲で交易していたことを示すものなのだそうです。その他にも天然のアスファルトが石鏃などの接着剤として使われていたことがわかっているそうです。交易も技術もかなりレベルが高かったようです。

なんだか縄文時代の人々のすごさを感じさせられます。狩猟採集が中心の生活ではありますが、だからこそ自然に寄り添い、自然の声を聞き、それに従って生活していたからなのかと思ってしまいます。

縄文時代 1

2013/07/04

函館市縄文文化交流センターには南茅部縄文遺跡群を中心として、函館市の縄文遺跡から出土した遺物が展示されています。こんなにたくさんの縄文時代の遺跡が函館にあり、しかも約9,000年前(縄文早期)から2,000年前(縄文晩期)までの縄文時代の長い期間にわたる遺跡群があったことは知りませんでした。展示室にはそれらの遺跡から出土した土器や石器・骨角器など様々な道具がそれがどのように使われたかがよくわかるように展示されています。石槍や石斧、石鏃などの石器や釣り針などがたくさん展示してありました。石器をよく見ているととても繊細で美しい造形で、どのようにして創ったのだろうと思ってしまいます。

これらの道具と共にサケ・タラ・マグロなどの魚類、ウニ・カキ・オットセイ・クジラといった海産物や,クリ・クルミ・トチ・ブドウといった植物の種子など当時の食生活をうかがわせるものが出土しているそうです。縄文の人々は季節ごとに豊かなめぐみをもたらす自然に寄り添い、そのめぐみを生活に活かすための様々な技術や道具を生み出していった。「自然を観察することから得られた知恵が縄文文化を支える源となった。」と解説されていました。

続いて展示されていた大船遺跡の大規模集落の竪穴式住居の遺構についての解説には驚きました。大船遺跡は縄文時代中期(約5,400~4,100年前)を中心とした大規模な集落跡ですが、竪穴式住居の遺構の大きさは想像以上です。深さが2.4メートルもあり、具体的な面積はわかりませんでしたが、かなり広いのです。柱を立てたであろう穴が10ほどあり、ちょっとしたビルの基礎工事という感じです。これほど大きな建物を建てる技術があったのです。

縄文時代の人々は、想像していた以上に豊かな生活を送っていたようです。そしてそれは、自然のめぐりをよく観察、理解し、自然に寄り添って生きてきたことにありそうです。自然から遠ざかってしまった私たちが、見習うところがあるのかもしれません。

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