園のこだわり

縄文時代 3

2013年7月6日

函館市縄文文化交流センターの展示室、北海道初の国宝である中空土偶が、暗い展示室に浮かび上がるように立っていました。この土偶は1975年に地元の主婦が農作業中に発見したもので、出土した南茅部の「茅」と、中空土偶の「空」をとって「茅空(かっくう)」という愛称がつけられています。高さ42センチメートル、幅20センチメートル、重さ1.75キログラムで、中空土偶としては国内最大級だそうです。

どこか愛嬌がありながら精悍な顔立ちと斜め上に向けた目線は、永遠のいのちのめぐりを見つめているように感じられました。腕はありませんが、身体に施された文様はとても緻密で繊細なものです。粘土でこの文様を再現しなさいと言われても、私にはできないと思います。そればかりではありません。土偶は一旦完全な形で作成されたあと、儀式に使われる際に壊されるそうですが、あらかじめどこが壊れるようにするか決めておいて、その部分の粘土を薄くするなどの工夫をして、壊すときにはそこから壊せるように計算して創られているという説明を聞きました。北海道の土偶は墓から出てきているそうなので、なにか死と再生に関する意味を持っていたのだと思われます。縄文の人々は人間も自然の一部であり、自然の巡りのなかで活かされている実感とともに、いのちの巡りをみつめていたのでしょうか。

足形付土板というものが、土偶の近くに展示されていました。これは文様をつけた粘土板に子どもの足形を押し付けたもので、裏面に手型がついたものもあります。約6,500年前の墓から出土したということです。亡くなった子どもの足形や手型を粘土板に写し取り、焼き固めて作ったようですが、焼きが甘く脆いことから、囲炉裏などで簡易に焼いたものだそうです。これを住居内に吊して亡くなった子どもを偲んでいたようです。足形付土板は大人の墓から出てきているので、おそらくはその子の親が亡くなったときにその墓に埋納されたのだろうと解説にはありました。

粘土板のうえの小さな足形から、そこにいた子どもの姿がリアルに想像され、よく園で子どもの手型や足形をとっているのを思い出しました。そうして子どもの姿が想像できると、亡くなった子どもの足形をとる親の哀しみや、我が子を思う心が伝わってきました。また、その親が亡くなったときに子どもの足形付土板を墓に入れた、その気持ちがとてもわかるような気がします。何千年もの時を超えて私たちのいのちは繋がっているこことが胸に迫ってきました。

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