2014年 7月

池にカエル

2014/07/19

池のほとりの石の真上に産み付けてあったモリアオガエルのたまごを園に連れて帰ったら、たまごがかえっておたまじゃくしがたくさん生まれました。あまりにもたくさんだったので、20匹くらいを残して元の池に帰しに行くことにした5歳児たち。ペットボトルに何匹かずつおたまじゃくしを入れ、手分けして持ち山を登って池に行き、おたまじゃくしを帰してきたそうです。口々に「元気で大きくなるんだよ」といいながら池に放していたとか。

そんな子どもたちの目の前に、なにやら怪しげな紐が垂れ下がっているのを発見。誰かが引っ張ってみると、なにやら筒のような物が落ちてきました。よく見てみるとどうやら中には手紙らしき物が入っているようです。実は、これは5歳児たちのおとまり保育を盛り上げるために保育士の先生たちが企画したストーリーの始まりだったのです。そのことについては、また、機会があれば書こうと思います。

園に残ったおたまじゃくしは、すくすく育っています。子どもたちは相変わらず、おたまじゃくしを気にしていて、毎朝登園してすぐに様子を見ている子、欠かさず餌の鰹節をにあげている子、朝、昼、そして帰る前に必ず声をかけている子など、様々です。もちろん子どもによって、興味の差はありますが、多くの子どもたちがとても興味を持っているようです。

たまごからカエル

2014/07/18

園庭に連れて帰ってきたモリアオガエルのたまご、10日くらいは、何の変化もなく過ぎてゆきました。その間子どもたちはずっと興味を持って観察を続けていたようですが、バタバタしていた私は、モリアオガエルのことをすっかり忘れてしまっていました。ある日子どもたちがおたまじゃくしが生まれたと知らせてくれて、ようやく思い出しました。ちゃんと子どもの気持ちにより添っていれば、忘れることはなかったのでしょうけれど・・・反省です。しかし、保育士の先生方はちゃんと寄り添ってくださっていました。
おたまじゃくしが生まれて何日かしてからたらいの中をのぞくと、少しは大きくなったもののまだまだ小さなおたまじゃくしが、たらいの縁に並んでいました。

子どもたちは、とってもよろこんで、毎日餌をあげています。餌は市販の鰹節、餌をあげると食欲旺盛なおたまじゃくしたちはどんどん食べてどんどん大きくなります。鰹節を少し入れるとおたまじゃくしが寄ってきて、小さな口で懸命に食べるのを見るのが楽しいのでしょう。鰹節を少しずつ少しずつ入れて楽しんでいる子どもたちでした。

そうしているうちに、おたまじゃくしはどんどん成長して、大きくなってゆきます。大きくなってくるとたらいが手狭になって来たので、10匹くらいを残して、他のおたまじゃくしはお寺の庫裏の裏の池、もともとたまごがあった池に返しに行こうということになりました。ペットボトルに何匹かずつを入れてみんなで手分けをして、山の上の池まで連れて行って離してあげたそうです。

見てからカエル

2014/07/17

モリアオガエルのたまごを園に連れて帰ったこどもたちは、園にもどると早速園庭のフェンスにたまごのついた枝をくくりつけ、その下に水を張ったたらいを置いていました。
園庭のどのあたりに置くのかも、先生にアドバイスをもらいながら子どもたちが話し合っていました。あまり日当たりの良いところに置くとたまごが乾きすぎたり、暑くなったりしないかなど、子どもなりにいろいろと考えていたようです。そして、日の当たらない木陰に置くことに決めたようです。

たまごが乾きすぎたらどうしようと心配した子どもたちは、毎日霧吹きで湿らせることにしたようです。もちろん自然環境の中では何日も雨が降らないこともあるので、必ずしも湿り気を与える必要はないのでしょうけれども、霧吹きでの水分補給には子どもたちの興味が持続するようにとの先生の想いもあったのかもしれません。

子どもたちはとっても興味を持って、資料を調べたり毎日たまごの様子を見ていました。毎朝登園したときに見て、帰る時にも見ている子もいたようです。

連れてカエル

2014/07/16

池の水の上ではなく、岸にある石の上にある木の枝にたまごをうみつけてしまったモリアオガエル。どう考えてもたまごからかえったおたまじゃくしは石の上に落ちてしまいます。

「どうしてこんな所に卵を産んだんだろうね?」と話していたら、ひとりの子どもが「このまま放っておいたら、おたまじゃくしたちは池には入れないで死んじゃうから助けてあげたい。」と言い出しました。

自然のものにはできるだけ手を加えたくはないのですが、子どもたちの優しい気持ちも大切にしてあげたかったので、お寺の方に許可をいただいて、そのたまごを枝ごと園に連れて帰ることにしました。

卵塊がついている木の枝を静かに切り取り、卵塊を壊さないように慎重に園まで運びます。この日子どもたちは、たくさん山歩きをして疲れていたにもかかわらず、たまごに気を配りながら、山を下りました。

なぜ?まちガエル

2014/07/15

モリアオガエルも産卵には、大変なエネルギーを使うと思うのですが、どうして水のないところにたまごを産み付けてしまったのでしょう?カエルにはカエルの考えがあるのでしょうか?

そういえば、別の日の雨の夜に、池の近くを通ったら、モリアオガエルが産卵していました。前にもモリアオガエルの産卵の様子は紹介しましたが、一匹の雌と何匹かの雄が協力して産卵します。

モリアオガエルは産卵のときに粘液を分泌し、この粘液を集まったオスとメスが足でかき回すことによって、受精卵を含んだ白い泡の塊を作ります。直径15cmほどの泡の塊の中には薄い黄色の卵が300-800個ほどのたまごが産みつけられるそうです。受精卵と書きましたが、正確にはたまごは、泡の中で受精するようです。

受精卵を包んだ泡は産卵後に表面が乾いて皮膜のようになり、中のたまごを守ります。

まちガエル

2014/07/14

庫裏の裏の池でモリアオガエルのたまごを観察中、カエルを発見した子どもたちとそのカエルを見ていたら、別の子が「先生、このたまごから生まれたおたまじゃくしはどうなるの?」と聞くので、子どもの指さす方を見ると、私の顔くらいの高さに卵塊が一つあります。「池に入るんやで」と答えると、「でも、たまごの下は池とちがうで」とその子。

よくよく見ると、どう考えても池の水のうえではなく、池の周囲に配した石の上の枝にたまごが産み付けてあります。しっかり確かめもせずに、「池に入るんやで」なんて答えた自分が恥ずかしくなりました。

そういえば時々、雨でできた水たまりの上にたまごを産み付けていることもあります。水たまりが消えてしまうかもしれないことをカエルが気づかないことはわかりますが、池の周囲に配した石の真上はどう考えても理解できません。

カエルの世界にもいろいろなカエルがいるのでしょうか?

カエル発見

2014/07/13

5歳児の子どもたちと、山の上にある池でモリアオガエルのたまごを観察したあと、お寺の庫裏の裏にある池にも行ってみました。山の上ほどではありませんが、こちらの池の上の木の枝にも泡状の卵塊がいくつか見られました。

ここでも子どもたちとたまごを眺めていたら、誰かが「カエルがいる!」といい出しました。みんな「どこ?どこ?」と探しますが、なかなか見つかりません。「ほら!鳥の頭のうえ!」カエルを見つけた子どもがいいます。

よくよく見ると金属製の鶴の置物の頭のうえにきれいな黄緑色のモリアオガエルがちょこんと乗っかっていました。その姿がとてもかわいらしくて、みんなでしばらく見ていました。

集中 3

2014/07/12

自分の動作一つひとつをことばにしてみる。それはまるで実況中継のようでもあり、自分のしていることを自分自身に報告していることでもあります。

動きを意識することに加えて、同時にその時々に感じられる感覚、視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚でそれぞれどう感じているかを意識します。そうすると自分の行動と、それにより刺激されている感覚器官と、そこから入ってくる刺激を客観的に認識できます。

そして、動作一つ一つを意識するので、丁寧な動きになります。物を置くにしても、置くことを意識するので、きちっと置いてから手を離すようになりますし、乱暴に無造作に置くことも少なくなります。それは物を大切に扱うことですし、がさつで落ち着かない感じを作り出してしまうことも防ぐことができます。

ですから、時々子どもたちに昼食を食べ終わった後の食器を片付けるときに、「できるだけ音がしないように置いてみない。」と提案することがあります。そうすることで、多少時間はかかるかもしれませんが、子どもは自分の感覚を総動員して、音を立てないように食器を置こうとします。手先を中心とした体の動かし方を意識するでしょうし、食器を持つ指先の感覚や重さを感じている腕の感覚、そして、どこに置くと良いのかを判断するための視覚。音がするかしないかを聞き分ける聴覚などを主に使っていると思います。

カチャっと音がしないように置くのはなかなか難しいのですが、子どもたちと挑戦すると、楽しんで取り組んでくれることが多いのです。

集中 2

2014/07/11

自分自身の一挙手一投足に神経を集中することに触れてみました。意識を一挙手一投足に集中すると自分の心のなかで、ネガティブな思いの連鎖にとらわれる確率が下がります。連想のスパイラルに巻き込まれている暇はありません。

その他にも良いことがあります。物の扱いが丁寧になります。たとえば、物を移動するときに、自分の行動の一つ一つを意識してみる。動きを一つ一つを分解して、ことばにしてみます。

ペンを引き出しの中から出して机の上に置くことを例にとってみると、まず、引き出しを開けます。引き出しの引き手に指を掛けて引くと、引き出しが開く。このとき引き手に掛けた指の感覚にも意識を向けます。引き出しが開いたら、ペンが入っているのが見えます。「ペンを見ている」と意識します。ペンを指でつまんで持ち上げる。指でつまんでいる感覚、引き出しから取り出す感覚、ペンをつまんで腕を動かす感覚を感じます。そして机の上にペンを置く。途中で離してしまうのではなく。置くことを意識して置きます。ペンと机がゆっくりとふれあってから指をはなす。と自分の動作を分解して、それを行っているときにことばにしてみると、まるで実況中継のようです。もちろん声に出す必要はありませんが、言語化することにより自分の動きを意識的に確認しながら行う事ができます。

集中 1

2014/07/10

5歳児たちとモリアオガエルの観察に行った帰りに、山の中で目を閉じて、耳を澄ませたら何が聞こえてくるのか?と試してみたことをきっかけに、感覚器官から入ってきた情報とそれに従って心がどう動くのだろうということを考えてしまいました。感覚器官からの刺激蚤を観察することに神経を集中すると、心の中で起こる様々な連想に巻き込まれることにブレーキが掛けられるのではないかと思いました。

心の中で起こる思いや感情の連鎖は、誰かの批判であったり、恨み、妬み、嫌悪などネガティブな方向に転がってゆきやすいように思うので、そうなる前にそれをストップしたいと思います。そのために、今感じている感覚や自分の一挙手一投足に神経を集中すると良いかもしれないと思います。

今感じている感覚に神経を集中する。自分の動作の一つ一つに神経を集中し、それを意識する。具体的にはことばにしてみます。実際にやってみると、心の中でネガティブな思いの連鎖反応を起こしている暇はありません。

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