2012年 8月

畑の朝

2012/08/21

朝日が昇る頃、しばらく面倒を見ることができなかった畑の様子を見に行ってみました。どれが大豆で、どれがトマトなのか、それともその他の植物なのか、よほどよく見ないとわからない状態になっていました。トウモロコシの穂先が、かろうじてそれとわかるくらいで、まるでジャングルです。大豆にもトマトにもトウモロコシにもその他の草(名前がわからないのでその他の草でごめんなさい)にもに夜露がおりて水玉になり、朝の光に照らされてしっとりと美しく輝いています。

畑の中に入ろうと思って1歩踏み込みましたが、思いとどまりました。葉の上や葉の先で遊んでいる水玉を邪魔するのはやめようと思ったのです。

少し見ない間に、畑の様子が随分と変わりました。全ての植物が大きくなっていて1メートルほどの高さになっています。トウモロコシの穂先だけはそこから50センチほど頭を突き出している感じです。

よく見ると、今までは支柱を立ててあげてもそれには頼らず、地を這うようにしていたトマトの茎が自分の力で立ち上がり、他の植物と同じくらいの背丈になっています。前に見たときには花が咲いていたので、実をつけていないか探してみたら、ありました。まだ青いのですが、結構大きな実をつけています。見えるところだけでも2つありました。ジャングルの奥にはもっとできているでしょう。

お盆前から実をつけていたトウモロコシはどうなったかと思いましたが、葉の海に潜っていて見ることはできません。

ムラサキツユクサも小さな青い花をたくさんつけていました。

いろいろと感心しながら、早朝の畑の美しさを楽しんでいたら、急に辺りの様子が変わりました。何が起こったのかと思ったら、山の端から姿を現した太陽の光が畑に差し込んできたのです。光が当たり始めたのに気がついたら、そこからはみるみるうちに雰囲気が変わってゆきます。一瞬一瞬、景色が全然違うのです。そのドラスティックな変化は、いつも普通に見ている園の畑とは思えないほどでした。朝に光に葉の上の水玉たちは一斉にキラキラ輝きだし、そよぎだした風にゆれます。朝の光が演出するドラマをしばらく楽しむことができました。

秋の気配

2012/08/20

8月も下旬になりましたが、京都地方衣装代発表の京都府高温注意情報というメールが今朝届いていました。「気温が35度以上になるところがあるので熱中症などに注意してください。」という内容です。

確かに日中はまだまだ暑い日が続きます。しかし夜になると、空気が全く変わります。夜半過ぎに涼しすぎて目を覚ましてしまいました。窓を全開で寝ていたのです。時計を見ると午前2時半でした。まだ少し寝られると思うと、起きて窓を閉めるのが面倒になって布団をかぶり直しました。

まだまだ暑いと思っていても、季節は少しずつ動き、秋が近づいて来ているのですね。そう思って、自然を見てみるといろいろな変化があります。

園の前にある百日紅がようやく咲き始めました。町中ではとっくに咲いているのですが、この辺りは少し遅いようです。これは秋の気配というより、夏の名残という感じでしょうか。

先月はまだ小さかった栗の実も随分立派になりましたし、やわらかいピンクの花から甘い香りを漂わせていたネムノキも種をつけていました。

蜘蛛たちも懸命に巣を作っています。ちょうど昇ってきた朝日に照らされて、蜘蛛の巣が黄金色に光ります。極楽の蜘蛛は蓮の葉に銀色の糸をかけるそうですが、娑婆世界の蜘蛛の糸は金色に輝いて見えました。朝の光のおかげですね。

山の杉木立も生まれたての朝に光に照らされています。陰影が強くなったのは光が斜めになってきたからでしょうか。こんなところにも、秋が感じられる早朝でした。日中は、また夏が戻ってくるのでしょうね。
                                                                                                                                                                                                       

消火訓練 2

2012/08/19

消火器を使って消火訓練する子どもたち

子どもたちは消火器を使っての消火訓練に挑戦しました。火事を見つけたらまず、周りの人に知らせることを確認したうえで、消火器の使い方を聞きます。消火器を持って火の近くに行く。次にピンを抜く。ノズルを外して燃えているものに向ける。レバーを握って消化液を燃えているものにかける。という手順を教えてもらってすぐに理解していました。

子どもたちは消火器を持ち上げるとはできますが、ある程度の距離を運ぶとなると重いので、保育士に手伝ってもらって運んでいましたが、そこから先は慌てることなく消火器を操作して、

 消火栓の水圧に負けずにガンバレ!

燃えていると仮定した火点に向けて水をかけていました。訓練用の消火器をなので、圧縮空気の力で水を噴出させるタイプものです。結構勢い良く水が出るのを楽しんでいました。実際の火災現場で子どもが消火器を操作して消火に当たる事はありませんが、体験することは大切だと思います。子どもは体験したことをよく覚えているので、いざという時慌てている大人を落ちつかせてくれるかもしれません。そんなことを言わなくても、やってみることが楽しい!でもいいですし、家に帰ってからそんな話題で話をしてくれると良いと思います。

もちろん職員も訓練しました。こういう時こそ、

 おやくそくを守れる人  ハーイ!

声を出すところは声を出すなど、真剣に取り組む必要があります。頭では理解しているつもりでもいざやってみるとできなかったりするので、できるだけ実際の火事と同じ条件で体験しておくことが大切です。

その他、消火栓を使った放水訓練も行いました。お寺の自衛消防隊の方に「保育園に一番近い消火栓はどこでしょう?」と聞かれて一瞬考えてしまう人も•••
普段目にしていても、意識して見ていないと見えないのですね。ホースの伸ばし方やつなぎ方、筒先の構え方など教えてもらったあとは、実際に放水します。初めて経験する職員は緊張気味でしたが、頑張っていました。
子どもたちは見学ですが、先生の頑張る姿に「先生ガンバレー!」と声援を送っていました。

最後に消防署の方のおはなしを聞いて、ライターで遊ばない。花火は大人と一緒に。など火事を起こさないための約束していました。

消火訓練 1

2012/08/18

左京消防署の方々にいらしていただいて、お寺の自衛消防隊の皆さんと一緒に消火訓練を行いました。消火訓練ですから中心になるのは職員ですが、子どもたちも見学ばかりではつまらないので、訓練用消火器を使っての消火訓練を体験しました。

まずは消防署の方の説明を聞きます。消火器を見せて「これ何か知ってる?」「どこにある?」など、子どもたちが考えられるように質問しながら説明してくださるので、子どもたちも「消火器」「火をけすやつ」などと答えながら楽しく体験することができました。

「火事を見つけたら一番最初にすることは何?」という質問に子どもたちは「消す」「逃げる」などと答えていましたが、私もその程度しか思いつきませんでした。消防署の方の答えは、「他の人に知らせる」でした。まず火事を見つけたら「火事だ!」と大きな声で、できるだけ多くの人に知らせることが大切だそうです。多くの人に知らせれば、消防署に通報する人、避難誘導する人など役割分担ができます。ひとりで全部のことはできないので、みんなで力を合わせるようにしてください。といった意味のことをおっしゃっていました。

こんなところでも、いや緊急事態だからこそ、チームワークが求められるのです。ひとり一人が自分の想いだけを優先して、バラバラに動いていたのでは、ピンチを乗り切ることはできません。それどころか被害を拡大させてしまいます。「子どもの命を守る」という大きな目的のために、避難誘導する人、消火する人、消防署に通報する人など役割を分担する必要があるのです。その前提として情報共有が大切です。それが、大きな声で「火事だ!」と火災が発生したという事実を伝えることなのです。

火災発生という非常事態についていうと、そんなの当然だと思うでしょう。しかし、普段の保育にもこのチームワークが大切なのです。自分のやり方が一番良いと思って、「私は私のやり方でやりたいようにやるから、あなたはあなたでやれば。」「あの人の言うことは聞きたくない」などと思っていては、子どもたちが大きな被害を被ってしまいます。「子どもが今をより良く生き、しっかりと発達を遂げる」という目的のために、「みんなのいのちが輝く」という理念を形にすることに向かって、みんなが心を一つにしてそれぞれの役割を果たすことに努力する必要があります。

そうでなければ、火災の時に煙に巻かれ、炎に焼かれるように、大きな被害を発生させてしまうことになります。そんな罠に陥らないよう十二分に注意して自らを見つめて律する努力をしてゆこう。

消火訓練を通してそんなことを考えてしまいました。

暑さ

2012/08/17

暑さが続きます。とはいっても、町の中に比べると鞍馬はとても涼しいと思います。

というのも、先日こんな体験をしました。家族が体調を崩したので病院に連れて行ったのですが、病院の玄関から駐車場までほんの200メートル足らずにもかかわらず、シャトルバスが運行されていました。4歳の三男と「これくらいなら歩いていけるのにね。」などと言いながら歩いたのですが、駐車場に近づく頃には照りつける日射しがジリジリと熱いうえにアスファルトの照り返しも加わって、ホントにアツイ!と感じました。子どもはさっさと日陰を見つけて避難していました。体調の良くない人はシャトルバスを使ったのが良いというのも納得できました。

日差しの強さは都会でも田舎でも変わらないはずなのに、これだけ暑く感じるのはアスファルトやコンクリートまたはエアコンの室外機などの影響でしょうか。この病院は山の麓にあって周りにも木がたくさんあるのですが・・・

これは、全く感覚的なものですが、昔に比べて日差しが強くなったような気がします。ジリジリと焼ける感じが強くなったように思うのです。オゾン層が薄くなって地上に降り注ぐ紫外線の量が増えたのではないかと思ってしまいます。

暑さといえば心配されるのが熱中症です。近年、熱中症にかかる人が多く、予防や対策に十分な注意を払う必要があります。特に乳幼児や高齢者は重篤な症状に陥りやすいので、十分な注意が必要です。

近年熱中症にかかる人の数が増えているようです。気温の高い日が増えたことが、一番の原因だと思います。確かに尋常ではない暑さになっている日や場所があります。

知り合いの中学生が3年生になったので部活動を終えて、高校受験に備えて塾に通いだしたそうです。塾は勉強がはかどるようにエアコンを使って快適な温湿度にしてあります。勉強はよくできるそうですが、自宅に帰ってエアコンのスイッチが入っていないと暑くて暑くて仕方がないと感じるようになったそうです。頭痛や吐き気、脱力感など、軽い熱中症と思われる症状も現れたそうです。「ついこの間までは、炎天下で部活動をしていても何ともなかったのに、どういうことだろう。」とご両親は不思議がっておられました。

そんなはなしを聞いて、熱中症の増加は、気温の高い日が多くなったことが大きな原因ですが、もしかすると人間の体温調節をはじめとした気温の変化に対応する能力が低くなってきているのかもしれないと思いました。

だからといって、暑さを我慢しろというつもりは全くありません。それこそ熱中症になってしまったら大変です。

私たちの価値観や、そこから生まれる生活の基本的なことをもう一度ふり返ってみる必要がある気がします。

偶有性

2012/08/16

未来を創造する存在である子どもたちが、どんな力を身につけると良いのか、どう育つと良いのかは、常に私の頭な中のどこかにあります。というより、いつも考えていることのかなりの部分を占めています。ですから『プレジデント』(2012.4.16号)の茂木健一郎氏と津坂純氏との対談に興味をもちました。

教える側から教えられる側へと一方通行で知識を伝える教育か、対話をしながらより良い結論に至るプロセスを大切にする教育か。もちろん学ぶ内容によって方法はいろいろあって良いと思いますし、どちらか一方だけが良くて、もう一方は良くないという気も全くありません。しかし、結果や正解を覚え込むだけではなく、多くの人と意見を交換しあってより良い答えに向かうという要素が多い方が良いように思います。特に現在のような、今までの価値観だけでは時代の変化に対応できにくくなっている転換期には、対話することが大切になってくると考えます。

変化の時代、転換の時代の要素の一つとしてインターネットがありますが、茂木健一郎氏はインターネットの本質を「contingency(偶有性)」という言葉を使って表し「必然と偶然が混ざり合う状態」「規則性はあるが、ランダムな要素もあるため、何が起きるのかわからない」と説明したうえで、「正解を覚え込ませる教育は偶有生を扱えない。」としています。

私には「偶有性」の意味が正確にはわからないのですが、予測することが難しい偶発性や偶然性に近い意味としてとらえました。茂木健一郎氏は、「クオリア日記」というご自身のブログの中で、「偶有性」について記していらっしゃいます。それを読むと、遠いところで起こっている自分の周りにはまったく関係もなさそうな現象が、実は様々に響き合って影響を及ぼしてくる。この遠くで起こっていることが、どんな形で、身近なことに影響してくるかは予測し難いという意味に解釈できるように思います。少し長くなりますが、茂木健一郎氏のクオリア日記 必然化する偶有性より、引用してみようと思います。

偶有性に向き合うことは、人間の脳の本来の働きに適う。もともと、脳の中の神経ネットワークの性質は、数個のシナプスを通してすべてのニューロンどうしが結び合う「スモール・ワールド・ネットワーク」性を持っていると考えられている。「スモール・ワールド・ネットワーク」においては、局所的な計算に加えて、遠くの回路どうしを結ぶ情報伝達も重要な意味を持つ。局所的な計算に比べて、遠くの回路で行われている計算は予測可能性が低い。

脳は、もともと、容易には予想できない要素が本質的な役割を果たすという「偶有性」を前提にその動作が設計されている。そのことは、認識のメカニズムや、意識と無意識の関係、記憶の定着や想起などのプロセスに反映されている。偶有性に適応するからこそ、脳は創造的であり得る。グローバル化に伴う「偶有性」の増大に適応することは、脳本来の潜在的力を発揮することに、必ず資するはずなのである。『クオリア日記 必然化する偶有性』より

どのように感じますか?

必要な力

2012/08/15

雑誌『プレジデント』で見つけた脳科学者の茂木健一郎氏とTPGキャピタル代表の津坂純氏の対談記事、私が一番興味を惹かれたのが、東京大学とハーバード大学の話です。

茂木氏は東京大学の理学部を卒業後、東京大学法学部に学士入学されました。一方、津坂氏はハーバード大学を卒業後ハーバードビジネススクールでMBAを取得されています。

津坂氏は「ハーバードの教育のすべてが良いと言うつもりはないのですが」と前置きをした上で「ハーバードではほとんどの授業が議論の中で進められます。正解は何かを求めるのではなく、より良い結論にいたるプロセスが学びの中心に据えられているからです」といっています。

それに対して茂木氏はこういいます。「日本の教育システムでは、正解を覚え込むのが勉強とされてきました。日本の文系エリートを養成してきた東大法学部では、いまだに多くの教授達が90分間しゃべり続け、学生達はそれをノートにとり続けている。情報のやりとりは一方的で、学生は、教師が言ったことを覚えることを求められるわけです」

偏差値というヒエラルキーのトップとしての東京大学、受験生の人間としての総合力で判断するハーバード。詰め込み形で正解を覚え込む東京大学、より良い結論に至るためのプロセスを大切にする対話型のハーバード大学。学び方や考え方に随分差があるものです。

津坂氏は、今、世界は転換期にあるという見方をしています。その中で日本は失われた20年を過ごしたけれど、これから新しい「100年勝負」がはじまるところともいえるととらえています。それにはインターネットの普及が大きな影響を与えるそうです。

そんな変化の時代に必要なのはどんな教育でしょうか。

私は、みんなで話し合う、意見を交換するということが、大切になってくると思います。もちろんその基礎となる基本的な能力(学力と言っても良いかもしれません)は身につけておく必要があることはいうまでもありません。その基本的な能力にしても、自ら学び取る意欲を持って学ぶのが良いと思います。

意欲を持って学ぶ姿勢も皆で話し合うことも、その基礎は乳幼児期に培われると思います。乳幼児期に旺盛な探求心を原動力として、興味、関心、意欲を持って熱中してものごと(遊び)にとりくむ経験をするからこそ、自ら学ぶ姿勢が育ちます。また、そのなかで友達と話し合って遊びを展開させたり、課題を解決してゆくことの楽しさやうれしさを幼児期にこそ体験することが必要だと思います。トラブルも、暴力や攻撃ではなく話し合って解決することが幼児期に習慣なっていれば良いのではないでしょうか。

子どもたちがそういう力をつけることができるように環境を整える事が保育なのではないでしょうか。

ジャパンパッシング

2012/08/14

ある日、どこかの会社の営業の方が『プレジデント』という雑誌(2012.4.16号)を置いていったので、パラパラとめくっていたら目を惹かれた記事がありました。脳科学者の茂木健一郎氏とTPGキャピタル代表の津坂純氏の対談記事です。

世界の日本に対する関心が低下し続けている状況を危惧する話しから対談が始まります。
80年代、貿易摩擦などから「ジャパンバッシング(日本叩き)」の時代がありました。その後日本のバブル経済が崩壊し、失われた10年を経て、今ではそれが「ジャパンパッシング(日本外し)」にかわっているそうです。

なぜそうなったのか。その原因の一つとして、日本のエリートと呼ばれる人たちが、リスクを取ることを恐れて変化を避けてしまう傾向にあることがあげられていました。

今のように、変化が激しい時には、従来の枠にとらわれない発想でものごとにとりくむこと、言い換えれば既存の秩序を壊してゆかなければならないのに、日本のエリートと呼ばれる人たちが全くリスクを取ろうとしないこと、リスクを取らないことが最大のリスクなのに、そこから目を背けている。だから世界の変化に取り残され、日本に対する関心が低下しているのだというのです。

これを読んで次のようなことを考えました。

変化を恐れるのは、失敗は良くないことだという価値観で、失敗をしないという結果のみを評価する考え方の中で育ってしまったのではないかということです。もしくは、誰かの失敗を、まるで上げ足を取るかのようにバッシングする、批判する。そんな風潮が小さな失敗を恐れてリスクを取らない思考や姿勢を産んできたのかもしれません。

失敗から学んだり、失敗を活かして更に良くしようと挑戦する。常にそういう姿勢でいることと、誰かの失敗を批判しないこと、誰かの悪いところばかりを見ないことを心がけようということです。

オリンピック

2012/08/13

暑い夏をもっと熱くしたロンドンオリンピックの閉会式の様子が8月13日の朝テレビに映し出されていました。17日間にわたった大会のファイナルです。連日、テレビやラジオはオリンピックの話題で持ちきりでした。大会は終わってもしばらくオリンピックの話題は続くでしょう。

テレビでよく取り上げられている水泳や陸上、柔道、バレーボール、サッカーなどの競技が行われているのは知っていますが、他はあまりよく知りませんでした。オリンピックでは何種類くらいの競技があるのかと思って、日本オリンピック委員会のホームページを見ると、競技一覧というページに33の競技が紹介されていました。私が知らないだけかもしれませんが、あまりテレビでとりあげられない競技も見てみたいと思いました。個人的にはセーリングなどをじっくり見てみたい気がします。

オリンピックというと、どうしても、日本の選手が金メダルを取ったかということに関心が向いてしまいますが、メダルは結果です。もちろん結果も大切ですし、選手達はそのために努力を重ねていると言っても良いと思いますが、私などはどうしても目に見える結果ばかりを見てしまいます。そこに至るまでの努力の積み重ねはどれほどのものなのかなど、想像しようと思ってもできるものではありません。

ロンドン大会での日本のメダル数は、金7個、銀14個、銅17個の合計38個と史上最多だそうです。日本の選手の活躍に元気づけられます。

何となく感じたのですが、今回はチームで獲得したメダルが多かったように思います。個人のがんばりの結果としてのメダルもすばらしいと思いますが、チームのみんなで力を合わせ、ひとり一人が自分にしかできないことで、チームの勝利に貢献するという姿が多かったように感じました。

お互いが認め合い、信じ合い、力を合わせる。そんなチームはすばらしいですね。

学童保育 6

2012/08/12

学童保育には、平均12人〜13人の小学生が通ってきています。そして、園から1人、お寺から1人の合計2人のスタッフが、保育にあたっています。スタッフが2人いれば、子どもたちに提示できる選択肢も増えますし、安全管理の面でも安心です。しかし、様々な事情で2人が揃わないこともあり、そんなときは、私が担当することもあります。先日始めてそんな機会が訪れて、何をしてみようかと久しぶりにちょっとドキドキしました。

その日は参加者が20人と多かったのですが、できるだけ子どもたちに任せてみようと思い、朝一番にみんなで今日の自分の予定を発表してもらってから、そのままそれぞれの活動に移りました。

しかし、何か一つくらい選べるメニューが用意してあっても良いと思って、「色探し」をすることにしました。色探しは、印刷の色見本帳から好きな色を選び、散歩をしながら選んだ色と同じ色のものを探すゲームです。本当はある程度色を限定して、自然物を見つけるのが良いのですが、その日は、色見本の色の種類が少なかったので、自然物、人工物を問わず同じ色を見つけることにしました。

たとえば、「みどり」と一言でいってもいろいろな「みどり」があります。実際に色見本を持って散歩してみると、それがよくわかります。選んだ色によっては似たものがなかなか見つからないこともあります。

まず、保育園に行くと、水色を選んだ女の子達が、プールに使っているビニールシートが自分たちの持っている色に近いことを見つけました。他にもフウセンカズラの実や誰かの靴の色、砂場の砂などいろいろなものを見つけていました。

お寺の本殿まで行きたいというので、ケーブルに乗って行ってみました。何度か同じ色や近い色を見つけた子の興味は他の遊びに移ってゆきましたが、1年生の女の子2人が選んだ「わかみどり」という色に近い色がなかなか見つかりません。緑というと葉っぱだと思いがちです。いろいろな葉っぱと比べてみますが、どうも違います。「これ似てる」といって見つけたのが青銅の灯籠についた緑青の色でした。緑と言えば葉っぱと思う固定概念にとらわれないで細かなところまで見ることができる子どもの目に感心しました。私は、かなり近い色だと思ったのですが、2人は納得がいかなかったのか、山麓まで歩いて下りる間もずっと緑を探していました。その根気にも感心させられました。

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