2012年 7月

きょうのごはん

2012/07/09

・ごはん

・だしふりかけ

・五色きんぴら

・おかか和え

・みそ汁

おひさまランチ

2012/07/09

先日のお弁当デーのこと。

0・1歳児クラスは、本殿までの散歩を楽しんだ後、園に戻っておべんとうや給食を食べました。

他のクラスはみんな出かけていたので保育園には0・1歳児クラスだけ!!

その日は汗ばむくらいの天気でしたが、木陰にシートを敷き、RくんとSちゃんはテーブルと椅子を運んで

外でみんなで食事の時間を過ごしました。木々が影を作ってくれたり、山の涼しい風が心地よくさせてくれます。

たまにはこんな時間もいいですね。いつも賑やかな保育園のしずか〜な時間。

子どもたちはどう感じていたのかな…。素敵な貸し切りおひさまランチでした!

なんのために、だれのために

2012/07/08

夏前のこの時期、当園ではお泊まり保育を行っています。平成2年から20年以上にわたってお泊まり保育は、お寺で一泊することを続けてきました。お寺でのお泊まり保育は、日常から離れて普段ではできない体験をするということを目的の1つとして実施していました。お寺で一泊すること自体が非日常ですし、夕方や朝のお勤めに参加したり、朝食は修行中に行う食事作法に則っておかゆとお味噌汁をいただくなどなど、様々な体験をしていました。

ところが、今年は保育士から、「子どもが自分たちで生活をすること」を目的にしたいので、お泊まり保育を見直したいとの申し出がありました。それは、とりもなおさず、子どもが主体的に取り組むことに重きを置くということなので、大歓迎です。保育士が積極的に理念や、めざす子ども像から保育のあり方を考えているということです。事前に全職員を対象に「お泊まり保育を見直したいが、どうすれば良いか」というアンケートを行ってくれました。回答の中には「自分で考え自分で決め自ら行動する。という子ども像から考えると子どもが自分たちで生活することが良い」というものもありました。子ども像から保育を考えているのです。

アンケートでは子どもたちが「自分で生活する」ためには、非日常ではなくて毎日の生活の場であり、慣れ親しんだ保育園で一泊する方が子どもたちがリラックスして主体的に活動しやすいので、今まで行ってきたお寺ではなくて、保育園で一泊するのが良いのではないか。という意見が多かったようです。

私は、20年以上も続けてきたお寺でのお泊まり保育が、園でのお泊まり保育に変わることに全く違和感がなかったわけではありません。思い出もあれば、思い入れもあります。しかし、「今まで行ってきたから」ということだけではそれを続ける理由にはなりません。いつも理念から考える事が大切で、理念を形にするにはどんな方法が一番良いのかを考えるべきなのです。わかってはいるつもりですが、少しは未練もあります。「今まで20年以上続けてきたのは、何だったのか?」という想いがないわけではありません。しかし、冷静に考えると、「今までやってきなことは何だったのか」というのは、私自身の思い入れだったり未練だったり、まったく私自身の都合の話です。何のためにお泊ままり保育をするのでしょうか。お泊まり保育を通して子ども達がより良い発達を遂げるためです。そのために子どもが主体的に活動できる環境を用意した方が良いのなら、そうすれば良いだけです。

しかし、人は変化することを避けがちです。自分が今までやってきたことが一番良いと思いたくなります。しかしそれでは、自分の我欲のためにそのことをやろうとしているに過ぎなくなってしまうのではないでしょうか。そう考えて、お泊まり保育の見直しを職員に委ねることにしました。

教育の未来

2012/07/07

「第6回ALL関西教育フェスタ」のことを思い出していたら、「教育って?」という話から乳幼児の教育の話になってしまいました。他にフェスタで紹介したのは、自然の中で思いっきり遊んでいる当園の子どもたちの姿です。全体の参加者もあまり多くなかったようで、分科会もこじんまりとみんなで集まって話しができたという感じでした。

それにしても、企画運営をしてくださっている皆さんは学生さんが多いようですが、最初の企画や準備からのことを考えると、かなり手間暇をかけ、気持ちを込めていらっしゃるのが伝わってきて頭が下がる思いがしました。スタッフの皆さんの熱心さもそうですし、参加者の皆さんもとても熱心に参加していらっしゃるのがよくわかりました。

分科会のうち私が聞くことができたのは、イギリスからALTとして来日され日本で英語教育に携わっていらっしゃる方のイギリスの教育の現状についてでした。

また、子どもの貧困をなくそうと尽力されている学生さんの方々の実践発表からは、日本において、子どもの貧困問題がかなり深刻だということを臨場感を持って知ることができました。OECDの調査では一人親世帯の子どもの貧困率は日本が一番高い、それも飛び抜けて高いそうです。子どもの貧困の問題が深刻になりつつあるということは聞いていましたが、その切実さを改めて知ることができました。なによりもこの問題を解決しようと一生懸命にとりくんでいらっしゃるのがよくわかりました。

私も一泊して最後まで参加したかったのですが、どうしても次の日に用事があって、その日のうちに帰らなくてはならなくて、失礼をしてしまいました。このフェスタの目的の1つが、「つながる」だったのでいろいろな人と話をしたかったのですが、しょうがないですね。

一泊したい理由がもう一つありました。それは基調講演です。講師はミスター文科省といわれた寺脇研氏、寺脇氏は文部科学省で、ゆとり教育や総合的学習の時間を推進した方です。その寺脇氏とゆとり教育を受けた世代の方々による討論会も計画されていたようだったので、聞いてみたかったのですが、叶いませんでした。残念です。

今回のフェスタは参加人数が少なかったようですが、教育について熱い思いを持って活動していらっしゃる学生さんたちがいらっしゃることを知って、頼もしく思いました。

私にとってフェスタへの参加はかなりのプレッシャーでしたが、自分自身をふり返る機会にもなりましたし、志の高い皆さんに会うことができて心を動かされたと同時に、頑張らなくてはという思いに駆られました。このようなご縁を頂いたことに感謝します。

四葉のクローバー

2012/07/07

先日、お寺の職員の方から四葉のクローバーを頂きました。しかも束で頂きました。

「四葉が沢山とれたので園児さん、何かに使えるかなぁと思って持ってきました。よかったらどうぞ。」

と頂きまさた。すごくうれしかったです。珍しい四葉のクローバーを園のためにと持ってきて下さった方の気持ちがとてもうれしかったです。

乳幼児期の教育

2012/07/06

ひとことで「教育」といいますが、その形は様々です。時には一斉に同じことを教え込むことが必要な場合もありますし、特定の技能や知識を習得させることが大切な場合もあります。しかし、乳幼児については一方的に教え込んだり、おとなが思うように動かしたりしようとするのは、適当ではないように思います。

なぜなら、乳幼児の時期こそ自ら主体的に活動すること、学ぶこと、他の人と関わることなどを遊びという経験を通して学ぶときだからです。経験を通して学ぶためには子どもが主体的に環境に関わってゆくことが重要です。

その前提として、「養護」といわれるように「生命の保持と情緒の安定」がないことには積極的に外界に関わろうという気持ちは生まれてきません。それこそ大人が保証すべきことでしょう。ここにいれば、自分は自分のままで大丈夫。どんなことがあっても受けとめてもらえるという安心が大切です。そういう基礎があるからこそ、探求心を存分に発揮して様々な環境に興味、意欲、関心をもって、主体的かつ積極的に関わってゆくことができるのです。

子どもたちにとって一番大切なこと。それは、一人ひとりの子どもが、しっかりと発達を遂げるということです。一人ひとりの子どもの発達にとって今、何が一番必要なのかはそれぞれ異なります。それなのに大人の都合だけで子どもを十把一絡げにして、同じことをやらせていては、その子の最大限の発達を保証することはできないのです。

英語に Education ということばがあり、教育と訳されています。この Education の語源はラテン語で「外に導き出す」という意味の語だそうです。つまり、人の持つ様々な能力を引き出すことです。乳幼児期の教育は一人ひとり異なる子どもの力を最大限に引き出すことが大切なのです。子どもが自分の力を最大限に発揮できるような機会を用意する。時には誘ったり、少し背中を押してあげたりすることが私たちの役目です。

鞭打って強制するのではない、子どもたちが持っているものを引き出す、というより子どもたちが自分を発揮して、自らいきいきと育ってゆく、興味、関心、意欲を発揮して主体的に環境に関わることができること、それが乳幼児期に必要な教育だと思います。

このことで、子どもたちは自ら学んでゆくことや、自らの興味関心を原動力として探求してゆくことの楽しさを経験します。その経験こそが基礎になり、のちに学校で知識を身につけるとき、大人になって様々な困難に立ち向かってゆくときに必要になってくることなのではないのでしょうか。

きょうのごはん

2012/07/06

 <七夕お膳給食>

・織姫、彦星おにぎり

・ピーマンの炒り煮

・冬瓜の煮物

・魚のフライ

・オクラのお汁

虫博士のAちゃん

2012/07/06

保育園に来た当初からザリガニを平気でつかんだり、虫に興味津々だったAちゃん。れんげぐみ(3歳児)になった今も虫好きは健在で、今年の春も朝の電車に乗る前に面白い形の虫の幼虫を発見。確かてんとう虫の幼虫だったんじゃなかったかな?と思ってそう言ったものの少し不安になって、私も早速、家で虫の図鑑を見て確かめて見ました。やっぱり、てんとう虫の幼虫でした。てんとう虫の本を貸すと、家でも家族みんなでてんとう虫の話題で持ち切りだったみたいで、毎朝、てんとう虫の観察が始まりました。

初めの頃は、あぶらむしがいっぱいいたのに、てんとう虫が食べたのか次第に見なくなった事、また、ある日はてんとう虫の幼虫が脱皮した皮が至るところにあるのを発見。幼虫からいきなりななほしてんとうの色になるわけではなくて、黄色くなってから最終的にあの綺麗な色になる事、てんとう虫は、夏には夏眠する事など、お母さんも一緒になって観察し、話して下さいました。てんとう虫を最近、見なくなった今も、電車に乗る前に、ダンゴムシやカタツムリを見つけてきては、保育園に一緒に連れて行ったりして観察している、虫博士のAちゃん。本物と向き合ってる時の眼差しは実に真剣でキラキラと光輝いています。

教育

2012/07/05

思いがけず、教育フェスタの分科会で話をすることになり、どんな内容にしようかといろいろ考えました。私が話せることといったら、子どもが育つことについて普段考えていることと、子どもたちの園での様子しかありません。しかし、いざ伝えようとすると、何をどんな風に伝えると良いのかということは難しいものです。特に話をするのがあまり得意でない者としてはなおさらです。

講演などを聞きに行くと、何も見ずにスラスラと、しかもわかりやすく話をされる方がいらっしゃいますが、そういう方はきっと豊富な知識に加え、深い実践を積んでいらっしゃるのだと思います。実践を通してこそ理論が実際に自分の感覚となり、実践が理論を作り上げるので、聞く人の心に訴えかける話になるのだと思います。

さて、教育フェスタというくらいなので、教育ということを考えなくては、と思いましたが、そもそも教育って何でしょう。広辞苑には「教え育てること。望ましい知識・技能・規範などの学習を促進する意図的な働きかけの諸活動」とあります。

保育士に「教育って何?」と聞いてみました。「学校で机を並べて勉強するちょっと窮屈な感じ、勉強しなくてはならないというイメージかなー」という答えが返ってきました。別の保育士からは「きょういく っていうと共育だと思う」というかっこいい答えも返ってきました。私も「教育」と聞くと、どうもやらされ感が強いイメージです。

教育、教育というと、「保育園なのに教育?」ということばが聞こえてきそうです。どうもそんなイメージがあるようです。保育園は子どもをお世話するところ、幼稚園は教育するところという感じでしょうか。それとも0・1・2歳児はお世話で、3・4・5歳児が教育というイメージでしょうか。

保育所保育指針の総則には「養護と教育が一体となって、豊かな人間性を持った子どもを育成するところに保育所における保育の特性がある。」とあります。

養護とは、情緒の安定と、生命の保持といわれるように、子どもが安定した生活を送るために必要な基礎的事項なのです。0歳であれ6歳であれ、全ての子どもに必要な、まさに基本的な事項です。

そして、教育というと、当園の保育士のもったイメージのようにどうしても学校教育を想像してしまうのですが、学校教育の前倒しではなく、特定の技能や知識の習得に偏るのでもなく、「子どもが健やかに成長し、その活動が豊かに展開されるための発達の援助」なのです。様々な環境を通して子どもが主体的に発達することを援助することなのです。

決して、知識や技能を一方的に教え込むのではないのですね。

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