園長ブログ

新しいはじまり

2016/04/01

平成28年度がはじまり、子どもたちが登園してきました。みんな何だかうれしそうです。自分たちは一つずつ大きくなっていることをちゃんと自覚しています。新年長児は少し緊張気味ながら、3月までとはまるで別人のようでした。最年長だという意識が高まっていたのでしょう。年齢の異なる子どもたちが共に過ごすメリットのひとつとして、年の上の子が年下の子に見られることによって、お手本になろうとする。ということがあります。まさにそんな姿を見せてくれた新年長児たちでした。

3月は卒園の季節です。卒園式ではありのままの子どもたちの姿が、会場の涙を誘い、感動的な式になりました。そうして卒園していった子どもたちですが、式が終わったら登園しないということはありません。お休みする子もいますが、ほとんどの子が卒園式の翌日から、また園に来ます。

しかし、昨日感動的な卒園式を経験し、送り、送られたのに、翌日からそれまでと同じように過ごすのは卒園児達にとっても、在園児達にとっても違和感があるのではないか、と思うのは大人だけでしょうか。卒園児は園児ではないけれども園には来る。年中児にとっては、年長児が卒園して自分たちが年長になるのだという意識が高まる。そんな気持ちを大切にしてあげたいという思いから、卒園児達は主に園から離れた学童保育で使う部屋で過ごします。小学校の春休みが始まるまでは、卒園児だけでのんびりと楽しく過ごしていました。そこに春休みに入った小学生がやってきて、何が起こったのでしょうか。

南の国 6

2016/02/27

スリランカ日本教育文化センターの医療サービスを見学して、何よりも驚いたのは、診察を受けるために集まったのは1,000人を超える人々だということです。病院の中は診察を待つ人々でごった返していました。受診者は問診のあと、各診療科ごとに診察を受けていました。小児科でもたくさんの子どもたちが診察を受けていました。

眼科の診察の一つとして、視力が低下して眼鏡の必要なひとには、眼鏡を無料で提供しているということを聞いていました。その眼鏡は日本の眼鏡メーカーから提供してもらったもので、1,000個もの眼鏡があるということでした。日本のメーカーの社会貢献活動を、スリランカで困っている人々に届ける役割を、スリランカ日本教育文化センター(SNECC)が担っているのです。ここでもご縁つなぎが行われていました。誰かの役に立ちたいという人の善意を、困っている人々に届けることで、双方の喜びになる。みんながハッピーになれるのです。

提供されている眼鏡を実際に見せてもらったら、一つ一つ袋に入っていて、左右のレンズに数字を書いた紙が貼り付けてありました。オーダーメイドではないので、患者さんの視力にぴったりと合わせるのは難しいでしょうけれど、できるだけ視力にあったものを提供しようという配慮なのかと思いました。

見学していたら、初老の女性が私の袖を引っ張って何かを訴えてきました。シンハラ語は全くわからないので、近くにいたSNECCのスタッフに何を言っているのかと尋ねたら、「眼鏡をください」と言っているとのことでした。それほど眼鏡を切望している人たちがいるということなのです。しかし、私には、「ごめんなさい。私には何もできませんが、あなたの目に合った眼鏡が見つかるといいですね。」とことばをかけることしかできませんでした。あの女性は眼鏡をもらうことができたのでしょうか。

南の国 5

2016/02/26

駆け足で訪れたスリランカでしたが、様々な体験をさせていただきました。
前にも紹介しましたが、スリランカ日本文化センター(SNECC)では医療サービスという活動も行っています。ボランティアの医師が地方の村を訪れて、無料で診察を行うサービスです。今回、ミーガハテンネという村で行われた医療サービスを見学させていただく機会を得ました。コロンボから車で2時間近くかかるミーガハテンネ村に16名ものお医者様が自費でやってきて、村の病院で診察を行っていらっしゃいました。お医者様の中には、医師会の重鎮もいらっしゃいましたし、SNECCの里親制度による奨学金を受けて学び、医師になったという若いお医者様もいらっしゃいました。「子どもたちの育ちのために」「子どもたちが学べるように」という目的で、日本で里親を探してご縁つなぎをするというSNECCの活動が実を結び、奨学金で学び育った子どもが医師という職業に就き、多くの人々のために働いて、社会に貢献しているという事実を目の当たりにして、子どもをしっかりと育てることの大切さをもう一度思い直しました。ひとりひとりの子どもがしっかりと育つことによって、その子が成人してから多くの人々のために働き、社会に貢献する。そのことで、社会が良くなってゆく。子どもを育てることはまさに未来を作ることなのです。
わかっているはずことなのですが、日常に流されると、ついつい目の前のことばかりを見てしまい、遠くにある目的を見る事が少なくなってしまいがちです。常に理念を見据えて実践を積み重ねたいものです。

南の国 4

2016/02/25

スリランカの得度式に初めて参列させていただきました。あどけなさいっぱいの11歳の少年の得度式でした。式典はシンハラ語ですすむので、なにが行われていつのかはよくわかりませんが、仏法僧の三宝に帰依するなど、少しはわかるところもありました。式がすすむにつれて、何が行われているのか少し想像がつくようになると気になり出したのが、得度する少年のすぐ後ろに坐っていらした女性2人です。1人は中年、もうひとりは年配の女性です。気になったのは、とても複雑な表情をされていたからです。年配の女性は、時折ハンカチで目を押さえていらっしゃることもありました。なぜだろうと考えていて、ふと思ったのが、この2人の女性は得度する少年の母親と祖母なのではないかということです。息子や孫が得度をして僧侶になることはうれしい反面、自分の手元から離れていゆく寂しさのような者を感じていらっしゃるのではないかと思えたのでした。式が終わってからスタッフの方にたずねると、やはりそうでした。
得度した少年僧のキラキラした瞳が印象的な式でした。
スリランカの得度式に参列するというご縁をいただき、とてもありがたく思います。

南の国 3

2016/02/24

バンコクを発って3時間半ほどでスリランカの首都コロンボに到着です。かなり疲れはたまっていますし、日本でひきかかっていた風邪が少し悪化してきたようで、くしゃみが止まらなくなってしまいました。午前1時という時間にも関わらず、空港前はたくさんの人であふれていました。深夜にもかかわらず、スリランカ日本教育文化センター(SNECC)のスタッフの皆さんが迎えに来てくださり、その日はそのままSNECCのゲストハウスで一泊させていただきました。さすがにその日は疲れていたのか、ぐっすりと眠ることができ、翌朝は快適に目覚めることができましたが、風邪の具合はあまり良くなっていません。7時30分から、少年が出家してお坊さんになる得度式があるので参列し内科と誘われ、せっかくの機会なので参列することにしました。
7時30分に始まるって、早くない?と思っていたのですが、参列してみてそのわけがわかりました。朝の早い時間か夕方でないと、暑くて暑くて長い時間にわたってセレモニーを行うのは難しいのです。

南の国 2

2016/02/23

スリランカへ行くことが決まり、2月21日に行われる記念式典と物故者追悼法要には必ず出席することを目的として、最短の日程を組んだところ、2月19日出発22日帰国、スリランカの滞在は49時間というプランができました。かなりきびしいスケジュールですが、これで行くしかありません。航空券の手配をお願いした旅行社の担当の方からは本当にこの予定で良いのですか?と再確認されたくらいです。直行便は日程が合わず、使えないので、バンコクで乗り継ぐ経路を選びました。ただし乗り継ぎ時間は往路では7時間弱、復路では5時間弱と、バンコクの空港で過ごす時間が長くなりますが、仕方ありません。
出発前日、出発前に片付けなくてはいけない仕事をしてたら、ほとんど寝る時間はなくそのまま関西空港へ向かい、バンコクへ向けて出発です。所要時間は6時間半、ゆっくり寝ようと思いましたが、映画を見たり、本を読んだりしていたら、あまり眠ることはできませんでした。そうこうしているうちにバンコクに到着、時間はたっぷりあったので、空港の中を探検してみることにしました。スワンナプーム国際空港はとても大きくて、うろうろしながらいろいろなところを見ていると時間がつぶせそうでしたが、さすがに、ずっと歩き回っているわけにもゆかず。お茶を飲みながらゆっくりしたり、軽く食事をとったり、かなり快適に過ごすことができました。

南の国 1

2016/02/22

先日から、少しのあいだ、スリランカに行ってきました。
前にも書きましたが、スリランカに、スリランカ日本教育文化センター(SNECC)という団体があります。スリランカには、経済的な理由などで学校に通うことができない子どもたちがいます。里親になってその子たちを支援したいという日本の方々を探して支援に結びつけるということが主な活動です。その他にもボランティア医師による無料診療サービスや、図書サービス、日曜学校や幼稚園の運営など様々な活動を行っていらっしゃいます。そのスリランカ日本教育文化センター(SNECC)が今年、創立30周年を迎えるにあたり記念式典を行うので、是非出席してほしいという依頼がお寺にありました。お寺でもこの団体に少しばかりの支援をしているからです。
そこで、式典に出席するために、私がスリランカに向かうことになったのでした。
しかし、この時期にあまり長い期間留守をすると、ただでさえ仕事がいっぱいなところに、さらに仕事がたまってしまうという懸念があったので、できるだけ短い期間で訪問することにしました。

獅子舞 5

2016/01/29

どうしようもないことを泣きわめきながらも経験するときに、側に寄り添っていてくれる大人の存在、安全基地としての大人の存在が、子どもにとって重要になってくるのです。

0・1・2歳児の子どもたちには、そんな体験をして欲しい!私たちの願いと、金子しゅうめいさんの思いが一致したので、0・1・2歳児だけを対象に、獅子舞を経験するという試みをしてみました。

金子しゅうめいさんの言葉を借りれば、「みんなでお散歩している途中に、たまたま獅子舞に出会った感覚でいてほしい」ということです。ごくごく日常の一場面として、獅子舞を感じ、恐怖にパニックになりながらも、安全基地としての保育士の先生がいてくれる。でもその先生が、自分の頭を獅子に噛ませる。「なんじゃこりゃー?!」の経験をして欲しiいな!と思ったのでした。

何を意図して、どんな経験をするか、いろいろと考えてゆきたいと思います。

獅子舞 4

2016/01/28

世界には、成人するための様々な通過儀礼があります。そういった通過儀礼は往々にして困難や恐怖を伴うことが多いように思います。鞍馬村の通過儀礼は、鞍馬の火まつりにおける「チョッペン」というしきたりです。

京都新聞の「観光・京都おもしろ宣言」とうホームページ
http://www.kyoto-np.co.jp/kp/special/omoshiro/hito02_02.php
に「チョッペン」について記した記事があったので、引用させていただきます。

チョッペン−。言葉も不思議なら、そのスタイルも奇妙だ。鞍馬地区独特の、大人デビューを果たすための重要な儀式である。たいまつの派手さに隠れて、あまり知られていない。
炎の嵐が収まり、午後9時を回ったころから二基の神輿(みこし)の渡御が始まる。若者たちに担がれた神輿は、女衆の引き綱でコントロールされ、そろそろと山門下の石段を降りる。この時、その左右の担ぎ棒の先端に注目だ。そこには締め込み姿の若者がぶら下がり、足を逆さ大の字にし、それを担ぎ手がさらに押し上げる! なんとも珍しいセレモニー。

もしものことがあれば、神輿の担い棒に押しつぶされて、いのちを奪われるかもしれない。その恐怖に絶えることが通過儀礼になっているように思います。

獅子舞の獅子に頭を噛まれることが、通過儀礼とはいいませんが、どうしようもないことを泣きわめきながらも経験することも、発達につながるのかもしれません。

獅子舞 3

2016/01/27

やりたいけれどもできない。「〜〜だけれども、〜〜だ!」自分を自分で乗り越えることが発達だともいわれます。もしそうだとしたら、一見、矛盾する事柄を自分自身の中でどう整合性をつけるのかも、発達かもしれません。「あー!あれは親の深い愛情とつながっていた行為なんだなー」と気づくのは、ずっと後になってからだと思いますが、そこを通過することが、そのことに気づくための布石になっているのではないでしょうか。また、どうしようもなくこわいこと、一見理不尽だと思えるようなことが、起こりうるということを経験する事も、子どもの発達にとって大切なのではないでしょうか。

そんな困難を経験するときに必要なのが、安全基地となってくれる親や保育者です。心折れたときに帰るところがある。いざというときには、守ってもらえる安全基地があるからこそ、子どもはいろんな事にチャレンジしてみよう。と思えますし、積極的に未知の世界に働きかけようともするのです。そこには絶対の信頼関係があるのです。子どもは信頼してくれているはずなので、大人が、ありのままのその子をどれだけ信じる事ができるかが重要です。ついつい自分の都合の良いように、大人が思うとおりに子どもを動かそうとしてしまいがちですが、余計な一言を言うのをぐっと我慢して、その子を待つ。その子を丸ごと信じて見守る。事が大切なのだと思います。そのためにも、子どもを立派な1人の人格として認める、尊敬するという基本的な姿勢が必要だと思います。

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