園長ブログ

戦い・争い

2011/08/17

終戦記念日に戦争について考えてみました。

以前、NHKの番組で、あるアメリカ人ジャーナリストが、沖縄戦を経験した自分の父親が戦争中沖縄で多くの日本人を殺したと告白し、沖縄から持ち帰った日本人の遺品を遺族に返してほしいと言い残して他界したことをきっかけに、沖縄戦の証言を集めるという活動を紹介していました。父親と同じ部隊に所属していた人を全米中探して話を聞き、遺品を遺族に返そうと沖縄に渡って日本人からも沖縄戦の話を聞くという内容でした。第一戦で戦ったアメリカの兵士も多くの人が命を落とし、たとえ生き残っても深く傷つき生涯大きな苦しみを背負っていたのです。

自分自身や家族、友人が傷つけられ、いのちを奪われることは大変な苦しみでしょう。それと同じように、傷つけ、いのちを奪わざるを得なかった人も大変な苦しみを一生背負って生きてゆかなくてはならないのです。勝っても負けてもみんな傷つき苦しむのです。それなのにどうして戦争はなくならないのでしょうか。だれも喜ぶ人はいないはずなのにどうしてこんなことが繰り返されるのでしょうか。

人間の歴史は戦争の歴史かもしれません。争うことは人間の悲しい性なのでしょうか・・・

戦争で傷つくのは人間だけではありません。戦争は最大の環境破壊といわれるように、人間の身勝手な行為のために、多くの他の生き物も犠牲になります。

そんな戦争をしなくてもすむように、私たちには何ができるのでしょう。

私たちの中にある、恨みや憎しみ、地獄、餓鬼、畜生、修羅の心が争いを生むのかもしれません。

自分の心のなかから恨みや憎しみの心がなくならないとしても、それが燃え上がらないように、その心に支配されないように自分自身を律すること。

他の人を否定したり排除しようとするのではなく、お互いに信じ合い理解しようと努力し、目標に向けて力を合わせて一緒に取り組む、そのことに喜びを感じられるようになること。

そんなに単純ではないかもしれませんが、大切なことではないでしょうか。

子どもたちも同様です。お互いに認め合い、信じ合い、冷静に意見を交わし、力を合わせる。そのことが楽しく、うれしいと感じられる。問題を暴力で解決するのではなく、協力して解決するのが当然で楽しい。そんな経験をたくさんして、それが当たり前という環境で育つことです。

そして大切なのは、それを大人がやらせるのではなく、子どもが自らそうしたくなるような環境を整えておくことと、子どもにそうさせたいなら、まず大人自身が努力し、実践すること。自分の心に負けないように。

終戦記念日

2011/08/16

8月15日は終戦記念日です。1945年8月15日、日本が連合国軍に無条件降伏して太平洋戦争が終戦をむかえた。と習ったのを思い出します。今から66年も前のことです。

戦争を経験した世代が少なくなってきているので、体験を風化させないようにと戦争体験を語り継ぐ努力がなされていることをテレビが伝えていました。戦争の悲惨さを語り継ぎ、二度と戦争を起こさないようにとの願いからでしょう。

しかし、今でも世界各地で様々な戦争が起こっています。どうすれば人々が争わなくてすむようになるのでしょうか。

鞍馬寺では正午に鐘をついて、犠牲者の追悼と平和への祈りを捧げました。鐘の音が世界中に広がり、人々の恨みや憎しみ、争いの心が修まり、安らかな心が甦りますように。と祈りながら・・・

 

平和への祈り

鐘楼に登り梵鐘を撞く

戦いの終わりを告げる梵鐘の音

争いの心の扉を閉ざす関鑰の音

人々の心に「尊天の光」甦ることを願いつつ

今年も祈りをこめて梵鐘を撞く

 

目を閉じて すべてのみ魂の平安を祈る

戦いの山野に散った数知れぬ生命

戦いの海に没した数知れぬ生命

虚空に消えた数知れぬ生命

 

すべての み魂安かれと

すべての み魂に届けよと

心をこめて撞く梵鐘の音

 

冀くば この祈りの梵音

天に満ち 九地に届き

人々の心の奥ふかく 目ざめへの聖音となりて響きわたらんことを

 

人間の悲しき性を

おのがじし ふり返り

心あらたに 目ざめの光に向かって

共に手をつなぎ進みゆかん

慈愛と光明と活力とにあらわれ給う尊天

その み心に近づくことに精進せん

 

み魂安らぐ真の祈りとは

ひとり一人が自らの心を清め

あること難き生命を互いに尊び合い

大光明を見つめて生きる人となることにあり

一点の梵鐘の響き 大宇宙に響きわたり

あたらしき力と栄えある光満ちわたらんことを

旅行

2011/08/15

旅行ということばを聞くと、どことなく、うきうき、そわそわしてしまうのは私だけでしょうか。東京などで開催される研修に参加するときにうれしい気分になるのは、きっと研修の内容がすばらしく、研修のすべてがなるほどと納得できたり、あっ!そうか!と気づかせていただけるものばかりだからだと思います。

プライベートの旅行はまた違う楽しみがあります。先日、家族と横浜に行きました。私自身にとっては横浜は、中学、高校時代を過ごしたとても懐かしい町です。また、親戚が横浜にいるので久しぶりに訪ねてみました。高校生のころにとてもお世話になった方々で、今回も横浜に行くことを伝えるととても喜んでくださり、ご家族の方々全員が忙しい時間を調整して私たちを夕食に招待してくださいました。久しぶりに会って話すととても楽しく、あっという間に時間が過ぎてしまいます。人のつながりのあたたかさ、ありがたさを感じることができました。本当にありがたいことです。

横浜の観光は、みなとみらい地区から山下公園までゆっくりと歩いてみました。まず訪れたのが、ランドマークタワーです。69階のスカイガーデンは高さが273メートルと、現在日本で一番高い展望台です。私たちが訪れた日は少しガスがかかっていて富士山は見えませんでしたが、条件の良い日には伊豆大島まで見えるそうです。それにしても、眼下に果てしなく広がる空間を埋め尽くすのはビルばかりです。目線を下に移すと、273メートルの高さを実感させられ、こんなに高いところにいて良いのかという気になります。これだけの建物を支える基礎はどうなっているのか、地震や風による揺れなどにはどう対応しているのか。私にはそんなことが気になりました。このスカイガーデンに行くためのエレベーターにも感心させられます。最高速度は分速750メートル(時速45キロ)で運転されています。273メートルの高さに到達するのに40秒ほどしかかかりませんし、違和感もほとんど感じられません。どうやって制御しているのでしょうか。

科学技術の発展には目を見張るものがあり、驚きますし、それらに支えられて今の私たちの生活があるのも事実です。しかし、科学技術の発展と経済成長、それだけが価値のあるものなのでしょうか。一方向に振れた振り子が必ず振り戻すように、同じことが同じように永遠に続くとは考えられません。本当に大切なのは何か。ほんとうの幸せとは何か。今までの価値観をもう一度見つめ直してみる必要があるのではないでしょうか。 地上273メートルの展望台から果てしなく広がるビルの林を見ながらそんなことを考えてしまいました。

2011/08/14

毎年、夏になるといろいろな虫が巣を作ります。クモは美しい模様の巣を掛けていますし、いろいろなハチも巣を作ります。クモの巣は園舎の周りに毎日のように掛かっていて、とってもまたすぐに掛けています。木の枝から枝に美しい模様を描いている種類もいますし、クサグモが植え込みなどに綿のような巣を作ったりもしています。

ハチはスズメバチやアシナガバチ、ジガバチなどが巣を作っているのをよく見かけます。特に今年はハチの巣がとっても多いように思います。7月頃から建物の軒下にキイロスズメバチが巣を作り始めました。それも同じ軒の少し離れた場所に3つも作ったのです。スズメバチは巣を作るのがとても早く、作り始めたなと思っていたら、あっという間に大きくなり、ボールがぶら下がっているような形になります。朽ち木の樹皮などをかみ砕き、唾液と混ぜて団子のようにして持ち帰ってそれで巣を作るそうですが、よくあれだけ早く正確に作れるものだなと思います。設計図があるわけではないのに、すべてのハチがどのような形に作るのかを理解しているのでしょうか。ハチたちがみんなで力を合わせて見事なチームワークです。

アシナガバチの巣もたくさんみつかりました。木の枝や葉の裏などにつくります。スズメバチは巣の外側に覆いを作るので、ボール状になりますが、アシナガバチの巣は六角形の構造が見えます。髙い木の枝に作るものは細長いものが多く、巣によっては20センチ以上のものもあります。

ジガバチは子どもたちが水遊びをした後、園庭の濡れた土の上で盛んに何かしています。園庭に巣を作ろうとしているのでしょうか。それとも巣作りのための土を集めているのでしょうか。

真偽のほどは定かではありませんが、「カマキリが高いところに卵を産むとその冬は雪が多い」などといわれるように、動物は気候の変化などを感じて巣を作る場所を決めたりするといわれています。今年はハチの巣がとても多いのが不思議です。

如法写経会 3

2011/08/13

前にも書いたように如法写経会で書写しているのは法華経、無量義経、観普賢菩薩行法経で、中心となるのは法華経です。

法華経には法華経を書写することの功徳を説いている箇所がたくさんありますが、その中の法師品には次のように書かれています。「法華経、もしくはその一句を受け、たもち、読み、誦し、人に説き、書き写し、経巻に華や香、瓔珞・抹香・塗香・焼香・繒蓋・憧旛・衣服・伎楽を供養し、合掌し恭敬する人は如来であり、如来に対するのと同じように尊敬され、如来にするのと同じように供養される。」

つまり、その人はそのまま如来なのです。如来とは仏様のことなので、法華経を受持、読誦、解説、書写し供養する人は、そのまま仏様だというのです。ちなみに十種供養の十種は、この華、香、瓔珞・抹香・塗香・焼香・繒蓋・憧旛・衣服・伎楽によります。この中の繒蓋・憧旛をあわせて旛蓋とし、それに合掌を加えて十種としています。法華経を読んだり書いたりするだけで、仏様?煩悩にまみれ迷ってばかりいるのに仏様なの?と思いますが、私たちの心は様々に変化します。地獄のような恐ろしい心になったり、慈悲深い菩薩様の心になったり、仏様の心になったり。もともと仏様の心を持っているのです。いろいろな刺激をうけて他の心になってしまうこともありますが、もともと仏様の心を持っているのです。ですからもともと仏様なのです。そのことを信じて、他の心になってしまわないよう自分の心を観て自律することが必要なのでしょう。

同じように他の人も仏様の心を持っている仏様なのです。その人の仏様の心を見て信じることができれば、どんなに幸せでしょう。すぐに煩悩に振り回されて、ああすればいいのに!なんでこうしないんだろう?あいつはどうしようもないやつだ。と思ってしまいがちですが、ちゃんとその人の仏様を見ることができれば、ありのままがすばらしいのではないでしょうか。

子どもだって、同じです。ついつい、ああしなさい!こうしなさい!あれはだめ!これはだめ!と気になる(大人が勝手に気にしている)ところだけを見がちですが、その子を信じてよくよく見れば、その子のありのままがすばらしいことに気づけると思います。そしてどうしても必要なときだけ守ってあげれば良いのです。

自分自身、いつもそんな心でいられたら!と思いますが、悲しいかな、なかなかそうはいきません。しかし、いつもその方向を見つめ、目指して努力ゆきたいと思います。

如法写経会 2

2011/08/12

現在鞍馬寺で如法写経会が行われているのは8月最初の3日間だけですが、内容を簡単にご紹介しましょう。

毎朝、6時に法華懺法のお勤めをします。1日目の午前中は写経に使用する水を本殿まで取水に行き、道場に戻って立筆作法という書写を始めるための法会を修してから書写し始めます。昼食休憩を挟んで、午後も書写を続け、夕方には例時作法というお勤めをします。

2日目は朝の法華懺法と夕の例時作法は同様に修し、他の時間はひたすら書写を続けます。2日目の夕方までに妙法蓮華経と無量義経、観普賢菩薩行法経を写し終えて、3巻の巻物に調巻します。一般の信徒も3日間にわたり参加されるのですが、参加人数が少ないとすべてを書き上げるのが大変になってきます。

3日目、朝の法華懺法の次には調巻された経巻を経筒に封入して寳輿に納め、開眼してから十種の供養やその他のお供え物を捧げます。この十種の供養をお供えした後、埋納するかわりに寳輿ごと本殿に運んでお祀りします。

毎年、3日目の十種供養の法会に鞍馬山保育園の園児がお参りしています。今年は年長児(ゆりぐみ)の子どもたちがお参りをし、お供え物を運んで捧げました。1時間余りの法要ですが、みんなちゃんと正座して静かに参列していましたし、供物を捧げるときに、取り次いでくださる僧侶に自分の捧げるお供え物を渡したあとも、心を込めて合掌一礼していました。普段から園でお参りをしていることもあると思いますが、子どもたちは法要の凛とした空気を敏感に感じているのだと思います。でも緊張しすぎることなく、法要の途中、僧侶の唱える声明や雅楽の調べにあわせて、小さな声で同じように唱えたりして、それなりに楽しんでいたようです。法要の後は道場内のキラキラ光る法具を、それに負けないくらいに目を輝かせてながめたり、六牙の白象に乗ったお姿の普賢菩薩像を興味深げに拝んだり、散華を集めて参拝者に配ったりしていました。

翌日、園であった男の子に、「昨日は長い時間お参りしてくれてありがとう。」というと「ちょっと足が痛かったけど、楽しかったで。」とニコニコして答えてくれました。まさか「楽しかった」ということばが聞けるとは思っておらず、ちょっと意外でしたが、子どもたちなりに何かを感じていたんだな。それぞれの心に残ることがあったのだなと思うと、うれしくなってきました。

十種供養の法要に参列する園児たち

心を込めてお供えを捧げます

如法写経会 1

2011/08/11

鞍馬寺では毎年8月1日から3日まで、如法写経会が行われます。如法写経会は文字通り一定の法式に則って写経をする法会で、慈覚大師円仁が始めたとされています。その頃は法式が定まっていたわけではなく、平安後期から鎌倉にかけて奉修された記録が『門葉記』等に残っており、その頃には一定の法式が定まっていたようです。それによると、まず法華懺法(ほっけせんぼう)といわれる懺悔(さんげ)の行を1日6回、21日間にわたって修し、その行法を遂行してはじめて法華経を中心とした経典を書写しています。写経そのものよりも懺法に長い時間が費やされていることが多く、懺法により心身ともに清浄となることを重要視しており、懺悔が成就してから経典を書写していたと考えられます。書写が完成した経典は開眼され、十種の供養が捧げられた後に浄所に埋納されていました。

末法思想が盛んだった平安後期、後の世に佛となって現れ給う弥勒佛の会座に連なること、そのときまで経巻を残しておくことを願って写経が行われ経典が埋納されました。そのようにして経典が埋納されたところを経塚といい、鞍馬山周辺にも数多くの経塚があります。

鞍馬寺でも保安元年(1120)の銘が入った経筒をはじめとした経塚遺物が多数出土していることからもわかるように、古くから写経会が修されていました。中断していた時期もありましたが、長いあいだ受け継がれている歴史ある法会です。

貞享元年(1684)には復興され、数多くの法具などが整えられました。現在使用している法具の多くに貞享年間の銘が入っています。300年以上前の法具を使っている訳です。そう考えると長い時間のつながりのなかに、昔の人々の思いや所作があり、その末端に現在の私たちが連なっているということを感じずにはいられません。また、法具には「鞍馬中在地○○」などと寄進をした人の名前も刻まれていて、時間軸という縦のつながりだけではなく、空間的な横のつながりをも知ることができます。長い時間と広い空間を超えて網の目のように繋がっている。私たちはその一部であることを改めて感じました。

如法写経会で使用している法具の一部です

火舎香炉「鞍馬中在地蔵實・・・貞享二年」などと刻まれています

ありがとうございます

2011/08/10

今日から鞍馬山保育園のホームページがスタートしました。

このホームページを通して、鞍馬山保育園が大切にしたい価値「すべてのいのち輝く」を顕し、様々な視点からいろいろないのちの輝きを伝えてゆくことができればと考えています。子どもがいきいきしている姿、保護者のうれしそうな笑顔、保育者の楽しそうな仕事ぶり。みんなが楽しくいきいきと過ごす保育園を全職員がそれぞれの視点でとらえて「園のこだわり」で発信してゆきます。

こうして今日があるのも、多くの人々にご縁をいただいているからこそです。新たなスタートにあたって、みなさんにお礼申し上げます。

今までをともに過ごした子どもたち、そして今を分かち合っている子どもたち、ありがとうございます。

保護者の皆様、ありがとうございます。

子どもたちの「いのちが輝く」ために毎日努力してくれている職員のみなさん、ありがとうございます。

保育道に導いてくださっている先生、ありがとうございます。

ともに保育道を歩むなかまの先生方、ありがとうございます。

道を進む力を与えてくださっているみなさん、ありがとうございます。

近くから遠くから、直接的、間接的に支えてくださっている多くの皆様、ありがとうございます。

こうして多くの人々に日々支えられていることに感謝し、職員全員が「いのち輝く」という一つの方向を見つめ、そこに向かって保育を進めてゆきます。そして私自身、自らのいのちも輝かせることができるように実践を続け、深めてゆく覚悟です。

これからも、今までにも増してご指導やご協力をいただきますよう、どうぞよろしくお願いします。

 

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