園長ブログ

如法写経会 1

2011/08/11

鞍馬寺では毎年8月1日から3日まで、如法写経会が行われます。如法写経会は文字通り一定の法式に則って写経をする法会で、慈覚大師円仁が始めたとされています。その頃は法式が定まっていたわけではなく、平安後期から鎌倉にかけて奉修された記録が『門葉記』等に残っており、その頃には一定の法式が定まっていたようです。それによると、まず法華懺法(ほっけせんぼう)といわれる懺悔(さんげ)の行を1日6回、21日間にわたって修し、その行法を遂行してはじめて法華経を中心とした経典を書写しています。写経そのものよりも懺法に長い時間が費やされていることが多く、懺法により心身ともに清浄となることを重要視しており、懺悔が成就してから経典を書写していたと考えられます。書写が完成した経典は開眼され、十種の供養が捧げられた後に浄所に埋納されていました。

末法思想が盛んだった平安後期、後の世に佛となって現れ給う弥勒佛の会座に連なること、そのときまで経巻を残しておくことを願って写経が行われ経典が埋納されました。そのようにして経典が埋納されたところを経塚といい、鞍馬山周辺にも数多くの経塚があります。

鞍馬寺でも保安元年(1120)の銘が入った経筒をはじめとした経塚遺物が多数出土していることからもわかるように、古くから写経会が修されていました。中断していた時期もありましたが、長いあいだ受け継がれている歴史ある法会です。

貞享元年(1684)には復興され、数多くの法具などが整えられました。現在使用している法具の多くに貞享年間の銘が入っています。300年以上前の法具を使っている訳です。そう考えると長い時間のつながりのなかに、昔の人々の思いや所作があり、その末端に現在の私たちが連なっているということを感じずにはいられません。また、法具には「鞍馬中在地○○」などと寄進をした人の名前も刻まれていて、時間軸という縦のつながりだけではなく、空間的な横のつながりをも知ることができます。長い時間と広い空間を超えて網の目のように繋がっている。私たちはその一部であることを改めて感じました。

如法写経会で使用している法具の一部です

火舎香炉「鞍馬中在地蔵實・・・貞享二年」などと刻まれています

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