2013年 9月

カプラであそぶ

2013/09/11

学童保育に使用している、めぐみ精舎にはカプラという玩具があります。保育園にもあるにので、卒園児にはおなじみのもの。でもお馴染みのものでも、出来る事は変わってきます。チームワークよく1000枚全部積み重ねたり、大人の手を借りながらも、ロンドンの橋っぽいものも出来ちゃいます。やりたい気持ちが強くなれれば、なんだってやりきってしまいます。すごい…

世代間のちがい

2013/09/10

高コンテクスト社会と低コンテクスト社会というようにコミュニケーションのタイプが異なるということを理解していないと、コミュニケーションがうまくゆかないことになってしまいます。逐一ことばで説明することが必要とされる文化的背景を持っている人に、「言外の意味を察しなさい」といっても無理なはなしです。

高コンテクスト社会は、その背景にある文化的なものをしっかり共有していないと、コミュニケーションが難しくなってきます。ですから、様々な文化的背景を持った人々が共に過ごすグローバル化した社会では、コンテクストに依存したコミュニケーションではなく、ことばに重点を置いたコミュニケーションが必要となってくるのです。「こんなことぐらいいわなくてもわかるだろう」は通じなくなり、細かなルールを明確に決めて、ことばで表す必要があります。

これは国や人種としての特徴だけではありません。日本のなかでも、高コンテクスト、低コンテクストの差があり、それが広がってきているのかもしれません。若い社員とコミュニケーションがとれずに悩む管理職が増えているということも聞きます。「そんなことは言わなくてもわかるだろう」は通じないのかもしれません。これだけいろいろな変化の激しい時代ですから、世代間での差が大きくなっていて、若い人は低コンテクストで、全てのことを逐一説明してあげないといけないのでしょうか。確かに、「なんでできないのだろう?」と思うようなことも、細かく説明してあげて本人が理解するとできることはあります。理解し納得さえすればできるのです。そのためには、やっぱりことばで逐一説明する必要があるのですね。

若い人が、低コンテクストで、逐一説明しないといけないのなら、彼らは日常的にたくさんのことばを操っているのでしょうか。以前、高校生のやりとりしているメールを見せてもらったことがありますが、文字数が少なくて驚きました。私などが見ても話題が何かさえわからないくらいでした。仲間内では意外と高コンテクストなのかもしれません。

きょうのごはん

2013/09/10

(ごはん)
・なたね焼
・フルーツサラダ
・スープ

(おやつ)
・自家製ヨーグルト

高コンテクスト・低コンテクスト

2013/09/10

コミュニケションは様々な媒体によりますが、ことばによることが多いと思います。アメリカの文化人類学者エドワード・ホールは「高コンテクスト文化と低コンテクスト文化」という概念を提唱しました。コンテクストということばには、文章などの前後関係、文脈、脈絡、や(ある事柄の)状況、環境という意味があります。コミュニケーションのコンテクストへの依存度が高いのが、高コンテクスト文化で、全てを言語で説明しようとするのを低コンテクスト文化というそうです。

高テクスト文化は、人間関係や社会習慣など、ことば以外に依存する傾向が強いタイプのコミュニケーションです。詳しく説明しなくてもお互いにわかりあえる、「言外の意味を察する」というように察することができる文化です。「以心伝心」や「一を聞いて十を知る」といったことが成立するのです。ですから、聞き手に「察する」能力が求められます。特徴として、直接的に表現するより単純な表現、曖昧な表現が多い。逐一説明しないので、多く話さない。などの傾向があります。

一方、低コンテクスト文化は、ことば以外のものに依存しない傾向が強いタイプのコミュニケーションです。なんでも、ことばにしないとわかり合えない、ことばで一から十まできっちりと説明する必要があります。ですから、話し手の能力が求められます。非論理的であったり、曖昧な表現では通じません。傾向として、直接的で解りやすい、はっきりした表現が必要とされ、多く話す事が必要となってきます。

世界をコンテクストへの依存の高さで分類してみると、高コンテクストのグループには日本人、中国人、アラブ人であり、低コンテクストのグループにはドイツ人、スカンジナビア人、アメリカ人となるそうです。その中でも日本は最も高コンテクストなのです。

友だちエピソード 

2013/09/10

前回のブログで0歳児クラスから一緒に過ごしたすみれ組の子どもたちの絆を少しだけ書かせて頂きました。

 

今日はその続き・・・0歳児から一緒のMちゃんとRくんのエピソードです。

MちゃんとRくん・クラスの友だちでじゃれて遊んでいる時に少し度が過ぎてしまい、上に乗っかってしまったりなど・・・エスカレート!!Mちゃんがウェ~ンと泣いてしまいました。それを見つけたRくん!!すぐに飛んで行って泣いているMちゃんの頭を抱きかかえて、笑って上に乗っている友だちを押しのけました。でも押しのけられた友だちは手を出されたと思ってRくんをペシ!Rくんも泣いてしまいます。でもRくんは負けずにMちゃんの頭を抱え「痛いの」とMちゃんの気持ちを必死に伝えて守っていました。

人の痛みを感じられる・・・本当にすごいことだと思います。このエピソードを先輩の先生に話した時にこんな事を教えてもらいました。「今の子ども達は人の痛みを自分の痛みのように感じられなくなっている、だからいじめて泣いている友だちやホームレスの人に暴力をふっている映像を動画などで録り笑ったりする。そして人の痛みを感じるといった心の発達は012歳児の乳児期に育つ力で、それ以降は習得しにくい力なんやって」と・・・先輩の先生も研修で教わってきたところだと話してくださいました。もちろん毎日を丁寧に過ごしていたら自然についていく力だと思いますが、保育士としてしっかりと頭に入れておかないといけない発達だと思いました。

きょうのごはん

2013/09/09

・ごはん

・高野豆腐の煮物

・きのこのサラダ

・赤だし

友だち

2013/09/09

今年度のすみれ組(1歳児)はたくさんの新入園児さんを迎え鞍馬山保育園では多い9名での出発でした。新年度が始まって5ヶ月が経ち、友だちの名前やマークを覚えたり休みの友だちがいると「○○ちゃんいないなぁ~」と心配したりなど、みんなの中で友だちの存在が少しずつ大きくなり始めています。 

そんな9名のうち0歳児から一緒のRくん・Sちゃん・Mちゃんの3人は小さい頃から一緒に生活していた事もあり、何か特別の距離間があります。3人のうち誰かが泣いていると心配そうな顔をしている2人!そんな場面に気づいた時に小さくても育つ心の発達や、保育園で過ごす1年の大切さを改めて感じることができました。

コミュニケーションの大切さ

2013/09/08

最近コミュニケーションということが、よく話題に上ります。ビジネスシーンにおいても、コミュニケーションの大切さがいわれ、コミュニケーションに関する研修なども数多く行われています。社会福祉施設を対象とした研修案内にも、そういった内容のものがたくさんあります。より良くコミュニケーションすることが求められているのです。裏を返せば、コミュニケーションが難しくなってきているということなのだと思います。誤解や、すれ違い、思い込みばかりで意思の疎通がうまくゆかなくては、社会生活を営むことはできません。「社会生活を営む人間の間に行われる知覚・感情・思考の伝達。言語・文字その他視覚・聴覚に訴える各種のものを媒介とする。」広辞苑にはこう説明されています。以前にもコミュニケーションについて書いたことがありますが、英語のコミュニケーション(communication )はラテン語の“communis”や“communio”と“munitare”からできているそうです。“communis”は“common”や“public”のように「共通の」という意味、“communio”は“comm”共に、“unio”一致という意味で、それに“munitare”(舗装する, 通行可能にする)という意味がプラスされたことばなのだそうです。「共通の」「共に一致する」ところが「通行可能になる」つまり通い合う、通じ合うということなのでしょう。「知覚・感情・思考の伝達」なのです。それが一方通行ではなく、「通じ合う」ことなのです。人間が社会を構成して生きてゆくためには必要なことなのです。
では、このコミュニケーションが難しくなってきているのはなぜでしょう。

環境によって育つ

2013/09/07

赤ちゃんがことばを獲得してゆく、もっとも最初の部分を学び、とても興味を持ちました。ことばを操ることができるのは人間だけだと言われていますが、ほかの動物も人間とは異なる形でコミュニケーションしています。犬や猫もそうでしょうし、イルカは水中で会話をしているといわれています。イルカのことばを解明する研究などもあるそうです。象は数キロ先の仲間と会話をしているともいわれます。テレパシーでも使っているのでしょうか。テレパシーではなく地面を伝わる振動を利用しているのではないかと言われています。人間以外の動物たちも、いろいろな方法で、コミュニケーションをしています。もしかしたら、植物もコミュニケーションしているのでしょうか。興味のあるところです。

人間は、主に言語というツールを使っています。しかし、人間のだけでも世界にいくつくらいあるのか、3,000とも6,000とも8,000ともいわれ、はっきりした数はわからないそうです。

赤ちゃんは、どの言語にでも対応できるように生まれてきて、1歳頃までには母語に最適化してゆきます。どんな環境の中でも生きてゆけるように、どんな環境にも適応してゆけるような形で、発達してゆくのです。それは、ことばに限らず、他の様々な発達についても言えることです。

だからこそ、子どもたちがどんな環境で過ごすかがとても大切なのです。子どもたちは自ら主体的に環境に関わることで発達します。その中でも、最も大切なのが、人的環境かもしれません。子どもどうし、子どもと大人、大人と大人。いろいろな人的環境があります。

そういった多様な関わりの中で、こどもに学んで欲しいことは、「より良い社会の一員になる」ということです。そのために必要なことの一つは、子どものモデルとなる関係性が子どものまわりにあることです。「より良い社会」のモデルを大人が示す必要がありそうです。

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