2013年 9月

飛行機

2013/09/14

夕方、空を見上げる2歳児クラスのHくん。

「せんせい、飛行機がとんでる!」

「ほんとやなぁ。どこに行くんかな?」

しばらく無言になり、ゆっくり飛んでいる飛行機を二人で見ていました。

「あの飛行機に、おかあさんと、おとうさんと、ぼくと、Mちゃんとで乗りたいなぁ」

そんなことをポツリと呟いたHくんの横には1歳下の妹のMちゃんが、いつの間にか私たちと同じように空を見上げていました。

 

Hくん、Mちゃん。ステキな時間をありがとう。

全て説明する

2013/09/14

私たちは様々な製品に取り囲まれて生活しています。これらの製品の取扱説明書には「警告」や「注意」として、いろいろなことが書かれています。これらの表示が増えたのは平成6年に製造物責任法が施行されてからだと思います。PL(product liability)法といわれ、製造物の欠陥により人の生命、身体又は財産に係る被害が生じた場合における製造業者等の損害賠償の責任について定めた法律です。

ここええいう欠陥には、設計自体に問題があるために安全性を欠いた場合(設計上の欠陥)、製造物が設計や仕様どおりに製造されなかったために安全性を欠いた場合(製造上の欠陥)、製造物から除くことが不可能な危険がある場合に、その危険に関する適切な情報を与えなかった場合、取扱説明書の記述に不備がある場合(指示・警告上の欠陥)があるそうで、取扱説明書に、警告や注意が事細かに書かれていないと、指示・警告上の欠陥にあたる可能性があるのです。

取扱説明書のこういった表示を呼んでいると、「そんなことわざわざ書かなくても・・・」と思うことが書いてあることがあります。やはり、いちいちことばで説明しないとダメなのです。「〜をしてはいけない」と書いてなかったので、〜したら、損害を被ったと言われかねないと言うことです。

ある博物館の方からこんな話を聞きました。その博物館の自然科学部門の展示の中に、標本瓶に入ったホルマリン漬けのきのこの標本があります。ある日、担当社の方がふと見たら、観覧者が標本瓶のふたを開けて、中のきのこを触ろうとしていたというのです。そんなことしたら危ないですよ。というと、その観覧者は触ってはいけないと書いてなかったので、触ろうと思ったのだと言ったそうです。
また、人文系の展示の中に、文人の書斎を家屋のまま観覧できる展示がありますが、その書斎に上がり込んで、お弁当を食べている人がいたという嘘のような本当の話があったそうです。そこに入っていただいては困りますというと、入るなとは書いてなかったから入ったとおっしゃったそうです。若い人は皆まで言わないとわからないのかなと思ったら、結構年配の方だったそうです。ちょっと信じられないかもしれませんが、本当の話です。
ここまでくると、高コンテクスト、低コンテクストとかいう問題で葉ないような気もします。なんでも逐一説明しないといけなくなっているのでしょうか。

きょうのごはん

2013/09/13


(ごはん)
・秋野菜カレーライス
・海鮮サラダ
・たまごスープ

(おやつ)
・フルーツ

足 震えたんやで 

2013/09/13

地蔵盆の時、地域の方々からプレゼントとしてボールを頂いた年長児!

とってもうれしかったようでウキウキする姿がみられていました。

そして先日、自分のボールを持って運動場に行ったのですが、運動場まで坂道になっているうえ、脇には川が流れています。

「運動場に行くまでボールをどうやって持って行ったらいいと思う?」と子ども達に投げかけると私が言わんとすることを察知したみんな!

「ボール両手で持って大事に歩かな、川に落ちたら拾われへん、転がっていったら大変!」と子ども達の方から気づいてくれました。

行き道は一人一人大事そうに手に持ち運動場に行きましたが、帰り道は行きの注意をうっかり忘れていたS君が坂道の始まりをドリブルして下りようとしていました。

それに気づいたH君が「あかんで!川に落ちるで!」と注意してくれましたが大丈夫!!と言わんばかりに忠告を聞かないS君、案の定あっという間にS君のボールは川に落ちてしまいました。

「ほーら、言わんこっちゃない!!H君が教えてくれるのになんで言うこと聞かれへんかったんやろ・・・」

と思わず口にした後、幸いにも岩でひっかかりボールは転がっていかなかったので下に下りてボールを拾いました。「だから言ったやん・・」とお小言を言いたいところでしたが「転がっていかへんでよかったな」の言葉に変えてS君に渡しました。

こわばった表情でボールを受け取り小さい声でありがとう・・と言ったS君、

その後給食を食べている時にこっそり教えてくれたのですが「あの時な、僕な、足が震えたんやで・・・」ですって。

お小言は必要なかったな、とその時感じました。

技を伝える

2013/09/13

日本は高テクスト文化で、逐一ことばで説明しなくても話が通じやすい文化だと言われているそうです。職人さんが技を伝えるのに、逐一説明したりはしません。もちろんことばで説明して習得できるものではないということもあります。「見て覚えろ」とか「技を盗む」ということが言われます。そうやって技を身につけるには、習う方の弟子が「できるようになりたい!」という強い意欲が必要です。意欲に裏打ちされた努力の積み重ねが技を身につけることに繋がります。親方はそんな弟子をうまく励ましたり、たしなめたりしながら、適切な距離感を持って見守ることで育てたのだと思います。ところが、最近はそうではないことがあると聞きました。ある職人さんがおっしゃっていたのは、「最近の若い人は、逐一ことばで説明して欲しいようで、説明をしないと何も教えてくれないと言ってやめてしまう人が多い」ということでした。そして、「説明したら説明したで、わかったような気になってしまって努力をしない。実際に技を身につけようとしたら、自分で練習して技を身につけるしかないのだけれど・・・」ともおっしゃっていました。

そんな話を聞いて、子どもの頃から、あれもこれも大人が主体となって教え込むことで、かえって知りたい、やってみたいという好奇心や探求心、学ぼうとする意欲を奪ってしまっているのかもしれない。と思いました。学ぶ方が主体的に学ぼうとしない限り、なかなか身につくことはありません。ですから、子どもの時に育てておきたいのはこの、「意欲」なのです。

逐一説明することにも良い面と悪い面があるということが、さきほどの職人さんの話からもわかります。全て説明すると、頭でわかった気になって、習得の努力を怠ってしまうこともありますし、全く説明しないと、何も教えてくれないと思ってしまう。うまくバランスをとりながら、育てる必要がありそうです。

世界のとらえ方

2013/09/12

高コンテクスト文化の代表とも言える日本。私たちが使う日本語には、ことばの持つ雰囲気や響きを大切にするところがあります。もちろん音としての響きもそうですが、ことばのもつ意味や役割の響きも同時に大切にします。

「余韻」ということばで表すのが良いのか「間」というのが良いのか、ことばが持っている意味そのものだけではなく、そのことばがまとっている雰囲気みたいなものです。だから短歌や俳句のように限られた字数で無限の世界を表すような文学が成立するのかもしれません。表面的に表されることばの意味の周囲に広がる世界が豊かなのでしょう。

それは、もともと日本人がもっている世界観や、世界の理解の仕方によるのかもしれません。季節に伴って移り変わる豊かな自然と、そこからもたらされるめぐみによって生きてきた日本人は、八百万の神々ということばにも表されるように身の回りの自然界の様々なものに神を見て暮らしてきました。唯一絶対の神が創造し支配する世界ではなく。身の回りの全てに神が宿っている世界です。ですから世界を理解するのに、唯一絶対から見るのではなく、あらゆる方向から見るのです。立つ位置(立場)によって見方も変わりますし、聞き方も変わります。

世界を理解するために、ことばは世界を切り取ります、切り取ることでわかりやすくはなりますが、そのことばでは表しきれない世界もあります。表しきれない世界を余韻の中に表しているのが日本語なのかと思います。

いくらグローバル化が進んでも、全て完全に説明しきってしまうのではない部分があっても良いと思います。

この発想自体が、わかりにくいと言われそうですが・・・

きょうのごはん

2013/09/12

(ごはん)

・魚のあんかけ

・ひじきの煮物

・具沢山汁

プレゼント

2013/09/12

ピーマンマンの絵本を読んでからピーマンマンがお気に入りの三歳児。カラービニール袋をマントがわりにして遊んだり、パペットのぬいぐるみがでてくると大喜び!で会話を楽しんだりしていました。でも、やはりピーマンマンと同じマントが欲しいと言う思いが子どもたちにあり、手紙を書くことにしました。「マントが欲しいなぁ〜」「ピーマンマンになりたいなぁ」と書いて部屋に貼っていたんです!すると、嬉しい日がやってきました!地蔵盆のお供えにマントがありました!こども達は目を輝かせて大喜び!こんなに喜んでくれたら私も嬉しくて。実は、保育士が作り、みんなにプレゼントしたんです。こども達はピーマンマンからのプレゼントだと思ってますが・・・。
さらにAちゃんは家で貰ったマントをつけて一生懸命飛ぶ練習をしてたと次の日にお母さんから聞きました。さらに嬉しくてAちゃんをギュッと抱きしめ、二人でニコニコ笑っていました。私の心は癒され、また頑張ろうと思える出来事でした。
これからいっぱいマントをつけて遊ぼうね!

話す力聞く力

2013/09/11

高コンテクスト社会と低コンテクスト社会、エドワード・ホール氏は日本は最も高コンテクスト社会だと言いました。直接的表現より単純表現や凝った描写、曖昧な表現を使い、多くは話さない、いわゆる「察する」文化の代表と言えます。これは共通した文化的な背景を持つ人同士の間でないと機能しにくいのです。しかし世界がグローバル化し、外国から来た人と共に仕事をしたり、海外で働くこともあるかもしれません。文化的背景を異にする人とコミュニケーションが必要な場合は、「察する」は通じにくいでしょう。また、日本人同士でも世代間でコミュニケーションがとりにくくなっていることもあるようです。伝承されるべきものが伝承されにくくなってきているのかもしれません。

では、全てのことをことばで説明する。ことばにして伝えなくてはならないのでしょうか。全てをことばにして伝えなくてはならない低コンテクスト社会では、話し手の責任が重大です。きちっと論理的に説明できず、意味がわかりにくいのは、話し手に責任があります。いわば、いかに話すかが重要視されています。それに対して、高コンテクストの社会では、聞き手の受取方に依存するところが多いのです。聞いた人がそれをどう受け取るかです。こう言うと、話す方に責任があるのが当然だと言われそうです。しかし、同じことを10人の人に話したときに、いくら話し手が論理的に明確に説明したとしても、受取り方は十人十色、人によって微妙に異なるはずです。

話し手にフォーカスするのが低コンテクスト社会、聞き手の聞く力に任せるのが高コンテクスト社会です。ですから、高コンテクスト社会では、「聞くこと」が重要視されるのです。前にも書きましたが、この聞くことというのが意外と難しいことなのです。発せられたことばの表面上の意味だけをとらえるのではなく、ことばの背景には「何か意味があるのだろう」とことばの意味の余韻や背景までをも感じ取ろうとして聞く姿勢が大切であり、求められているのだと思います。心を傾けて聞く「傾聴」ということが大切になってくるのです。

きょうのごはん

2013/09/11


(ごはん)
・五色きんぴら
・野菜のお浸し
・みそ汁

(おやつ)
・ふかし芋

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