2013年 7月

がんばる力

2013/07/11

梅雨が明けて、天気が良い日が続くので、園庭で遊ぶ子どもが多くなっています。少し前になりますが、園庭にある鉄棒や登り棒に挑戦する子どもが多くいました。「鉄棒の上に座りたい」「まえまわりがしたい」「さかあがりができるようになりたい」そんな想いで一生懸命に練習する子どもたち、一人が始めると、何人かに連鎖していって、競い合ったり、励まし合ったり、教え合ったりしながら練習しています。

子どもが行き詰まってしまった時には、先生たちは「大丈夫?」「困っていない?」とそっと声をかけます。どうしてもできないから教えてほしいと子どもから頼まれると、ポイントを少しアドバイスしていました。私はすぐに1から10まで教えたくなるのですが、それでは子どもは自分で考えたり工夫しなくなります。

子どもも自分で努力していると、少しのアドバイスがよくわかるようで、ちょっとしたきっかけで、できるようになります。

5歳児が中心になって頑張っていましたが、そのうちそれが他の子どもたちにも広がって、4歳児たちも挑戦している姿がよく見られました。ある日の夕方、園庭にいると4歳児の女の子が、「先生こっち来て」と私を鉄棒の方に引っ張っていって、「見ててや!」といって、くるっとさかあがりをしました。少し前に挑戦していたときには、まだ練習が必要かなと思って見ていたのですが、思ったより早くできるようになっていたので、驚きました。「できるようになりたい!」と思って練習してきた姿が目に浮かびます。

子どもどうしってとっても伝わると思います。子どもどうしで、あこがれたり、励まし合ったり、教え合ったり、競い合ったりするなかで、やってみよう!という気持ちが生まれ、それが子どもを動かします。大人が「やりなさい」と言うより、子どもどうしの方が「やろう!」という気持ちが生まれやすいようです。だからこそ、年齢性別などいろいろな子どもが一緒に過ごすことが大切なのです。

そんな前向きな気持ちが生まれるには、その基礎となる自己肯定感や自信を子どもが持つことが必要です。そのために必要なのが心の安心基地となる大人の存在です。それは、親かもしれませんし保育者かもしれません。もし、もくじけた時は、いつでも戻ってきていいんだよ。と受けとめてもらえる安心基地があるからこそ、どんどん挑戦する気持ちが生まれます。そのためには、子どもが「大丈夫かな?」とふりかえったときに、「うん!大丈夫だよ!」と視線を送ってあげられるように、子どもを見ていることが大切です。

お手伝い

2013/07/10

子どもが園で自分たちの生活のためにする仕事がいくつかあります。お当番といって、グループに分かれた子どもたちが日替わりで活動しています。お昼寝のお布団を敷く「お布団当番」、昼食後のランチルームを掃除する「お掃除当番」、5歳児が0・1歳のお世話をする「赤ちゃん当番」、朝のお参りの時に前に出てお参りをする「お参り当番」などがあります。どのお当番も、子どもたちが楽しみにしていて、張り切ってやっています。基本的に行うことは決まっていますが、担当したグループの子どもたちが、工夫して役割分担をしたり、力を合わせています。お布団をきれいにしく工夫、早くぞうきんがけをするためのぞうきん競争などです。

こうしたお当番活動が、何かの罰ゲームのような、やらされ感いっぱいの義務にならないようにしたいと思っています。やらないと先生に叱られるからやるというのでは、叱られなければ、やらされなければ、やらなくなってしまいます。そうではなくて、掃除をして美しくなるのが気持ちいい。みんなが喜んでくれると嬉しい。という気持ちをきっかけに、自分がやるという責任感を身につけてほしいと願っています。

最近、子どもたちのお手伝いが始まりました。昼食準備のお手伝いです。これはお当番ではなく、その時にお手伝いしたいと思った子どもたちが集まって昼食を作ることに参加しています。調理師や栄養士と一緒にお米を研いだり、野菜を洗ったり、皮を剥いたりといったことをしています。この取り組みは先生達の「子どもたちが食べる物に興味を持ってほしい」という思いから始まりました。今のところは毎日しているわけではありませんが、お手伝いをとても楽しみにしている子もいます。この日はパプリカ、ズッキーニ、オクラを水で丁寧に洗っていました。野菜を丁寧に洗いながら、パプリカの赤や黄色と、オクラ、ズッキーニの緑色が美しいことや、手触りが違うことを子どもたちは五感をフルに使って感じているようでした。

子どもたちが洗った野菜は昼食のスープの中に入っていました。野菜を洗った子どもたちは、「これ私が洗った野菜だ」と思いながら食べているに違いありません。私でさえ、そう思ったのですから。

こうして食べるものに興味を持つことから始まって、「食べる」ってどういうことだろうと考えたり、いのちをいただいていることに気付いてくれることを願っています。

  丁寧に野菜を洗う子どもたち

あきらめない

2013/07/09

音楽大学と企業のコラボレーションによって開発されたボイスケアのど飴、その開発の道のりは平坦ではなかったようです。試作品を作っては学生さんに試してもらい、アンケートを取るのですが、まず壁となったのが企業と大学の時間の流れ方の違いです。学生さんは試験や長期休暇など大学のリズムで動くので、すぐにアンケートに答えてもらえるわけではないのです。必然的に開発期間はのびてしまいます。

そのうえ、返ってくる反応もなかなか良くはなりません。飴の品質をどう改善すれば良いのか見当はつかないし、時間は過ぎてゆくし、上司からはいつまでやってるんだと叱られるし、くやしくて家に帰って泣いたことも一度ではなかったと開発担当の片桐さんはいっていました。上司にしかられても、「どうしても、学生さん達が喜ぶのど飴を作りたい」という強い思いを伝え、その熱い思いを糧にけっして諦めることなく努力を続けたのです。

答えはアンケートの中にあるはずと、何度も何度もアンケートを読み返したといいます。そうして、開発担当の杉村さんの協力も得て作った試作品の数は60種類以上になりました。普通の商品開発ではこれほどの試作品は作らないそうです。食べやすさと、効き目を感じられる感覚のバランス、その上にどう味に個性を出すかという難問に取り組んで、最終的に3種類に絞り込んだうえで、学生さんの代表に選んでもらっらいました。

誰かに喜んでもらいたいという熱い思いと、決して諦めない強い意志がひとつの商品を誕生させたのです。学ぶところはたくさんあると思いながら番組を見ました。

カンロのホームページを見たら開発ストーリーが紹介されていて、そこにはパッケージデザインも学生さんのアイデアでクールな雰囲気と同時に親しみやすさも持ったデザインになったとありました。

みんなが力を合わせることができて、そこに喜びがある。そんな関係がチームであり、チームがステキを生み出す。しかしその背景には情熱と諦めない強い思いがある。何をするにも大切なことだと思いました。

分をわきまえる

2013/07/08

のど飴の原点にかえって、「声を大切にする人が必要とするのど飴」の開発する。その中心となったのが、当時入社4年目の女性社員片桐さんでした。特に声を大切にしている人は誰かと考えた末、声楽家という答えにたどり着き、国立音楽大学で教鞭をとっていらっしゃる声楽家の小林一男教授を訪ねました。

小林教授は「声楽家にとってのどは大切な楽器で、取り替えることのできない一生ものだから、24時間大切にしている。」とのことば荷も現れているように、のどを大切にする姿勢は並大抵ではありませんでした。小林教授は喉によい素材などをよくご存じで、何種類か紹介してもらい、それらを加えたオリジナルハーブエキスを杉村さんを中心とした研究チームが開発したそうです。

オリジナルハーブエキスを用いた試作品を作り、音楽大学の学生さんに試してもらってはアンケートを取るかたちで、開発は進みました。最初は、効き目を重視したあまり、味が苦くなってしまったり、食べたときの感覚がよくなかったりという意見が多かったようです。学生さん達にとってものど飴は必需品なので、よいのど飴ができるためなら、協力は惜しまない姿勢の方が多かったようですが、それだけにアンケートでは厳しい意見が多かったといいます。学生さんもそれだけ真剣に取り組んでいたということなのですが、片桐さんはじめ開発チームは行き詰まってしまいました。

小林教授に相談したところ、のどの調子が悪く治療が必要なら、私たちは医療に頼る。のど飴に治療を求めているわけではない。むしろ、これをなめているから安心できるとか、リフレッシュできるといったメンタルな部分を支えてくれることの方が大切な要素だとおっしゃるのを聞いて、のど飴に過大な役割を求めすぎていたことに気がついた。とたしか番組のなかでは紹介されていました。

そのものや人の役割というのは、なかなかわかりにくいもので、ついつい求められてもいないのに役割以上のことをやろうとしたり、役割を果たさずにいようとしたりしてしまいがちです。いまここにおける自分自身の役割をしっかりと見据え、理解し、その役割を果たすことに専念すべきなのでしょう。分をわきまえるということばが適切なのかどうかよくわかりませんが、自分の役割をわきまえて、それをしっかり果たす事に力を注ぐことが大切なのだと想います。

のど飴

2013/07/07

のど飴ってよく買いますか?私は声を使う前にはよく使っています。最近、のど飴を買おうとお店に行くと、たくさんの種類があって、どれを選べばよいのかわからなくなってしまいますが、この「のど飴」を最初に創ったのがカンロ株式会社です。

カンロは大正元年(1912)に宮本製菓所として、山口県で創業し、昭和30年(1955)に隠し味に醤油を加えたカンロ飴を発売、カンロ飴のヒットをきっかけに、社名をカンロ株式会社に改称、昭和56年(1981)菓子食品分野で初の「のど飴」を発売、飴を中心とした菓子を製造しています。

企業理念として次のことを掲げています。

社是
つくる 創意と工夫で新しい価値を創る。
おもう 社会と共生し人々の幸せを想う。
つなぐ 志をつなぎ、喜びをつなぎ、心をつなぐ。

使命
消費者に「美味しさ・楽しさ・健康」を提供する

この、カンロから「ボイスケアのど飴」というのど飴が発売されました。

出張で函館に行った帰りの機内で、ボイスケアのど飴の開発ストーリーを紹介した番組が放映されていて、見入ってしまいました。

開発のきっかけは、いろいろな種類ののど飴があってわかりにくくなっている。もう一度のど飴の原点に返って、のど飴らしいのど飴を開発しよう。という企画会議での提案から始まったそうです。

まず考えたのは、「のど飴をよくなめる人はどんな人だろう」ということだそうです。その答えを探るのに、インターネット上にたくさんあるブログを検索すると「のど飴」ということばと一緒に使われていることばが「声」「話」だったといいます。そこから、声を使う人はどんな人?と考えた結果、歌手、アナウンサー、俳優、声優、先生などが、のどを使うことが多く、声を大切にする人。という答えにたどり着き、「声を大切にする人が必要とするようなのど飴」を創ることに決めたそうです。

のど飴の原点にかえるという発想、つまり、そもそも、のど飴は「何のためにあるのか」「誰のためにあるのか」というところをしっかりと見据え、「創意と工夫で新しい価値を創る。」「社会と共生し人々の幸せを想う。」といった社是に照らして考えたのだろうと想像します。

私たちは、日常に流されて気がついたら原点から遠ざかっていたということがよくあります。「そもそも、保育って何?」「子どもの最善の利益とは?」という原点をふりかえることを忘れず、園の理念から考えて保育を進めてゆきたいと考えます。

縄文時代 3

2013/07/06

函館市縄文文化交流センターの展示室、北海道初の国宝である中空土偶が、暗い展示室に浮かび上がるように立っていました。この土偶は1975年に地元の主婦が農作業中に発見したもので、出土した南茅部の「茅」と、中空土偶の「空」をとって「茅空(かっくう)」という愛称がつけられています。高さ42センチメートル、幅20センチメートル、重さ1.75キログラムで、中空土偶としては国内最大級だそうです。

どこか愛嬌がありながら精悍な顔立ちと斜め上に向けた目線は、永遠のいのちのめぐりを見つめているように感じられました。腕はありませんが、身体に施された文様はとても緻密で繊細なものです。粘土でこの文様を再現しなさいと言われても、私にはできないと思います。そればかりではありません。土偶は一旦完全な形で作成されたあと、儀式に使われる際に壊されるそうですが、あらかじめどこが壊れるようにするか決めておいて、その部分の粘土を薄くするなどの工夫をして、壊すときにはそこから壊せるように計算して創られているという説明を聞きました。北海道の土偶は墓から出てきているそうなので、なにか死と再生に関する意味を持っていたのだと思われます。縄文の人々は人間も自然の一部であり、自然の巡りのなかで活かされている実感とともに、いのちの巡りをみつめていたのでしょうか。

足形付土板というものが、土偶の近くに展示されていました。これは文様をつけた粘土板に子どもの足形を押し付けたもので、裏面に手型がついたものもあります。約6,500年前の墓から出土したということです。亡くなった子どもの足形や手型を粘土板に写し取り、焼き固めて作ったようですが、焼きが甘く脆いことから、囲炉裏などで簡易に焼いたものだそうです。これを住居内に吊して亡くなった子どもを偲んでいたようです。足形付土板は大人の墓から出てきているので、おそらくはその子の親が亡くなったときにその墓に埋納されたのだろうと解説にはありました。

粘土板のうえの小さな足形から、そこにいた子どもの姿がリアルに想像され、よく園で子どもの手型や足形をとっているのを思い出しました。そうして子どもの姿が想像できると、亡くなった子どもの足形をとる親の哀しみや、我が子を思う心が伝わってきました。また、その親が亡くなったときに子どもの足形付土板を墓に入れた、その気持ちがとてもわかるような気がします。何千年もの時を超えて私たちのいのちは繋がっているこことが胸に迫ってきました。

縄文時代 2

2013/07/05

函館市縄文文化交流センターの展示をとおして、自然と共に生きてきた縄文時代の人々が豊かな生活を送っていたことを感じました。他に印象的だったのは、漆です。中国で約6,200年前の漆器が発見されてから、漆の使用は中国からはじまり、日本に伝わったと考えられていましたが、函館の垣ノ島遺跡から出土した漆の装飾品が年代測定の結果、約9,000年前、縄文時代前期のものであることが確認されたので、それまでの説ではなく、日本では独自に漆の加工が行われていたことがわかったそうです。漆を糸に染みこませた装飾品や、漆を塗った土器なども見つかっており、その頃の技術の高さが伺えます。英語で漆のことをlacquerといいますが、japanともいいます。垣ノ島遺跡からの漆器の出土は漆の面目躍如といったところでしょうか。

また、ヒスイを用いた勾玉が展示されていましたが、このヒスイは新潟の糸魚川でとれたものであり、縄文時代の人々が広い範囲で交易していたことを示すものなのだそうです。その他にも天然のアスファルトが石鏃などの接着剤として使われていたことがわかっているそうです。交易も技術もかなりレベルが高かったようです。

なんだか縄文時代の人々のすごさを感じさせられます。狩猟採集が中心の生活ではありますが、だからこそ自然に寄り添い、自然の声を聞き、それに従って生活していたからなのかと思ってしまいます。

縄文時代 1

2013/07/04

函館市縄文文化交流センターには南茅部縄文遺跡群を中心として、函館市の縄文遺跡から出土した遺物が展示されています。こんなにたくさんの縄文時代の遺跡が函館にあり、しかも約9,000年前(縄文早期)から2,000年前(縄文晩期)までの縄文時代の長い期間にわたる遺跡群があったことは知りませんでした。展示室にはそれらの遺跡から出土した土器や石器・骨角器など様々な道具がそれがどのように使われたかがよくわかるように展示されています。石槍や石斧、石鏃などの石器や釣り針などがたくさん展示してありました。石器をよく見ているととても繊細で美しい造形で、どのようにして創ったのだろうと思ってしまいます。

これらの道具と共にサケ・タラ・マグロなどの魚類、ウニ・カキ・オットセイ・クジラといった海産物や,クリ・クルミ・トチ・ブドウといった植物の種子など当時の食生活をうかがわせるものが出土しているそうです。縄文の人々は季節ごとに豊かなめぐみをもたらす自然に寄り添い、そのめぐみを生活に活かすための様々な技術や道具を生み出していった。「自然を観察することから得られた知恵が縄文文化を支える源となった。」と解説されていました。

続いて展示されていた大船遺跡の大規模集落の竪穴式住居の遺構についての解説には驚きました。大船遺跡は縄文時代中期(約5,400~4,100年前)を中心とした大規模な集落跡ですが、竪穴式住居の遺構の大きさは想像以上です。深さが2.4メートルもあり、具体的な面積はわかりませんでしたが、かなり広いのです。柱を立てたであろう穴が10ほどあり、ちょっとしたビルの基礎工事という感じです。これほど大きな建物を建てる技術があったのです。

縄文時代の人々は、想像していた以上に豊かな生活を送っていたようです。そしてそれは、自然のめぐりをよく観察、理解し、自然に寄り添って生きてきたことにありそうです。自然から遠ざかってしまった私たちが、見習うところがあるのかもしれません。

函館市縄文文化交流センター

2013/07/03

先日、函館に行く機会がありました。この時期の京都は蒸し暑いことが多いのですが、北海道はさわやかです。朝夕などは気温が13度ほどで、肌寒いくらいでした。函館空港に着いたときには、さわやかだな。と感じたくらいですが、大阪に着いてからは蒸し暑さがとても気になって、家に帰ってから「蒸し暑いね」と言ったら、「今日は涼しいよ」と返って来ました。自分に都合の良いことにはすぐに慣れて、不快なことは気になってしまうのでしょうか。勝手なものです。

仕事が終わって、帰りの飛行機まで少し時間があったので、函館市縄文文化交流センターを訪れました。函館市縄文文化交流センターは、2011年10月に開館した道の駅を併設する博物館で、南茅部縄文遺跡群を中心に、函館市の縄文遺跡から出土した様々な土器や石器などの遺物を数多く展示しています。

両側に緑が続く国道278号線のバイパス尾礼部道路を走っていると突然、コンクリート打ち放しの要塞のような建物が現れますが、建物は高くないので威圧感は感じさせません。打ち放しコンクリートは無機質な印象を与えますが、曲線を多用した造形がやわらかさを加えていますし、近づいて見ると、型枠の組み方を工夫して壁面に微妙な凹凸がつけてあって、平面的になりがちな面に変化をもたせています。いろいろと考えて作ってあるのだと思いました。

建物に入ってみると、エントランスは実は2階で、受付をはさんで道の駅の部分と体験学習室に分かれていて、展示スペースは1階になっています。体験学習室では随時、ミニチュア土器づくり、縄文ペンダントづくり、土器の拓本とりなど、様々な体験を受け付けています。小学生の男の子が真剣に縄文ペンダントづくりをしていて、楽しそうでやってみたくなりましたが、体験をしている時間はなかったので諦めました。

1階の展示室に行ってみると、かなり暗めの照明とスポットライトを使って土器をはじめとした展示物が、浮かび上がるようなライティングであったり、展示ケースの中では多数の石刃が美しくならべて展示してあったり、壁面を覆うように土器が展示してあったりと、展示も工夫が為されていたように思いました。

赤ちゃん学会 18

2013/07/02

「構成論的発達科学」の当事者研究により、一つの仮説が立てられていると聞きました。それは当事者自身の研究や報告により、対人関係など社会性の障害以前に知覚や運動に関することに原因があるのではないかという知見に基づいた仮説です。当事者の体験に基づいた研究から得られた「情報のまとめ上げ困難が根本的な特性であり、そこから知覚・運動レベルの問題や対人関係での困難が統一的に説明できる。」という仮説です。身体の自己紹介のまとめ上げという言い方をされている研究者もいらっしゃいました。

例えば、親しい人の顔は目や鼻や口といったパーツの寄せ集めで見るとわかるが、全体像だとわからないといったことや、空腹感の感じ方に特徴がある。
声を発するのが不得意なのは、音声感覚の身体的フィードバックが乏しいために、うまく声が出せない、声を出すのが不安になる。
雑踏の中で話している目の前の人の声が聞き取れないのは、他の音が飛び交っていても、会話の相手の話に意識を集中すると、他の音は気にならなくなるのに、他のすべての音も同じボリュームで聞こえるなどして相手の声が聞き取りにくくなるから。そういうときに相手の喉に指を当てると折り聞き取りやすくなる人もいるそうです。

身体から入ってくる情報を、まとめ上げるのが困難だから様々な困り感が出てしまう。このまとめ上げ困難説を検証し修正してゆくことと同時に、当事者に本当に必要な支援方法を開発することで当事者の困り感を少なくしてゆくという研究なのです。

シンポジウムを聞きましたが、私の能力では理解するのが難しく、正確に伝える事ができていないとおもいます。しかし、とても興味深く聞くことができましたし、知れば知るほどエキサイティングな研究だと感じました。この研究の成果によって、一人でも多くの困っている方が、いきいきと生活できる日が来ることを祈らずにいられませんでした。

日本赤ちゃん学会第13回学術集会というほんとうにすばらしい機会に巡り会えたことを感謝しています。

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