2012年 3月

久しぶりにやってきました

2012/03/11

ある朝、早番の保育士から少し慌てた声で電話がかかってきました。何事かと緊張しまし、「やられました」のことばに何事かと思いました。久しぶりに彼らがやってきたのです。長い間姿を見せなかったのに、どういうわけかまたやってきました。そうです。猿たちがもどってきたのです。

園庭には、靴箱の上に置いてあったカボチャがころがり、2歳児たちが大事に育てていたブロッコリーも無残な姿になっています。たくさん生えていたしいたけも、きれいにありません。5歳児たちが、卒園式に咲くといいねと楽しみにして植えたチューリップは、部屋の中にあったので無事でした。猿はチューリップの球根を食べるのです。

来ていたのは大きな群れではなく3頭くらいが一緒に行動しているようでした。保育士や子どもたちはブロッコリーが食べられたことを残念がっていましたが、どうしようもありません。猿は忘れた頃にやってくるのです。前にもブログに書きましたが、この辺りでは、あまりに動物の食害がひどかったので、畑で作物を育てる人がいなくなってしまいました。それで、食べ物が少なくなってしまったので、猿はしばらく姿を見せなくなっていたのです。ですから、猿のことをあまり気にしなくなっていたところに、突如やってきたのです。

幸いにも一番大きな被害は2歳児のブロッコリーで、その他は観賞用に靴箱の横に置いてあったカボチャがかじられたくらいでした。
次の日のお昼前、一人の保育士が「猿がいます。今そこでカボチャをかじってます」と報告にきました。急いで見に行ったのですが、猿は逃げた後でした。保育士によると子どもたちの靴箱の前でもう一つ残っていたかぼちゃをむしゃむしゃと食べていたそうです。お天気が良くなかったので、子どもたちはみんな室内で遊んでいて猿に遭遇することはありませんでした。もっとも、子どもたちが外にいれば猿は来ることはありませんが。

「かじられたカボチャをどうしましょうか」と保育士にたずねられて、どうしようか迷いましたが、園庭の見えるところに置いておくことにしました。その日は外に得る予定もなかったので、もう一度猿が来れば、子どもたちも室内からガラス越しに見ることができるかと思ったのです。カボチャを食べているところを保育士に見つかり、慌てて逃げ出した猿がまだ近くにいたので、写真を撮ってやろうとカメラを持って近づくと素早く逃げてしまいました。それからは猿は来ていないので、どこかに移動したのかもしれません。

せっかく育てたブロッコリーを猿に食べられるのは残念ですが、猿も食べないと生きてゆけないことや一生懸命食べ物を探していることなど、猿をきっかけにいろいろなことを学ぶことができれば良いと思います。

かじられて茎だけになったブロッコリー

たくさんあったしいたけも根こそぎです

元気ないねん

2012/03/10

土曜日はお休みする園児さんが多く、少ない人数でゆったりと過ごしていることが多いのです。今日もみんなのんびりと過ごしていました。職員のお休みも多かったので昼食も子どもの年齢などに関係なく、みんなで一緒に食べました。

私が少し遅れてランチルームに行き、5歳児の子どもたちが多くいるテーブルの近くを通ったとき、5歳児の子どもたちに、呼び止められました。「園長先生、今日、○○先生がなんか暗いねん。」「そう、なんか元気がないねん。」「いつも笑ってるのに、今日は笑ってへんねん。」「なんでかなー?」「どうしゃはったんやろ?」と口々に聞いてきます。

○○先生は5歳児の卒園に向けて、様々な仕事があったので、保育に入らずに、専ら事務的な仕事をしていたようです。そんなこともあって、子どもたちがそう言っているのかと思ったのですが、子どもたちは真剣です。「だって、ごはん食べるのも一人で食べるって言ったはるし…」「どうしたらええかなー?」と子どもたちは真顔で悩んでいました。

そんな子どもたちの姿を見て、優しい気持ちが育っているのがよく伝わってきて、とてもうれしく、胸が熱くなりました。と同時にこれだけ子どもたちとの信頼関係が築けていることはすばらしいことだと思うと。これもまたうれしい気持ちでいっぱいです。

そんな思いにふけっていたら、こどもたちが「園長先生、どうすればいいかな?」と聞いてきます。「うーん、どうすればいいと思う?」と聞き返すと「わからへん」
「なんで元気がないのかな?」と聞いてみると「イヤなことがあったんかなー?」「疲れたはるんとちがう?」いろいろな意見が出てきます。
「どうすれば、先生が元気になるかみんなで考えて作戦立ててやってみたら?」と提案すると、しっかりもののMちゃんが、「うん!わかった!」といってみんなで相談していました。

昼食が終わって2階の保育室に行くと、Mちゃんが「何するか決まったで!肩もみしてあげんねん。きっと先生は疲れてると思うから。」と説明してくれました。しばらくするとその保育士を横にならせて肩をもんだり、背中を押したりしていました。そのうち、誰かがくすぐりだして、保育士が耐えきれず笑うと、「ほら笑った笑った」といいながら、どんどんくすぐっていました。いつの間にかマッサージがくすぐりになってしまいましたが、子どもたちの、先生に笑顔でいて欲しい。その想いが伝わってきて。温かい気持ちになることができました。

京都観光 3

2012/03/09

雨の二条城を後にして、東寺に向かいました。東寺は「教王護国寺」「金光明四天王教王護国寺秘密伝法院」とも呼ばれています。

桓武天皇によって平安遷都が行われ、羅生門の東西に東寺と西寺が建立された王城鎮護と国家鎮護の役割をになう官寺、いわば国立の寺院です。東寺の記録には延暦15年(796年)とあります。この東寺を建立する役職、造寺長官にあったのが藤原伊勢人という人で、鞍馬蓋寺縁起という鞍馬寺の縁起には鞍馬寺の伽藍を整えた人として、その名前が見られます。

嵯峨天皇の弘仁14年(823年)、真言宗を開いた空海は天皇より東寺を託され、以来東寺は真言密教の根本道場となりました。

東寺の伽藍は南大門を入って金堂、講堂、食堂が一直線に並ぶ伽藍配置や建物の規模は平安時代そのままだそうです。

最初に講堂にお参りしました。大日如来像をまん中に、如来部、菩薩部の仏像たちが曼荼羅の世界を現していらっしゃいます。あらかじめお寺にお願いして少し説明をしていただきました。中央の大日如来は、宇宙の根本原理、宇宙の真理であり、菩薩部や明王部の諸尊は、苦しみに迷う衆生に救いの手をさしのべてくださるのだそうです。明王部の仏像は、怖い顔をされています。これは少し厳しく言われないと(叱られないと)気付かない衆生に対しては厳しく説法してくださるということです。柔和なお顔の菩薩部の仏様はやさしくお導きくださいます。これは、大日如来が一人ひとり異なるそれぞれの気根(資質)に最も適切なお姿をとって、教え導いてくださるのだそうです。

一人ひとりちがう子どもたちに対して、その子に最も適した方法で、その子の今に最も良い方法で保育を行うのと似ています。

講堂の次は五重塔にお参りしました。国宝の五重塔は高さ55メートル、日本一高い木造の塔です。その美しい姿から京都のシンボルになっていると言っても過言ではありません。テレビでも京都をイメージさせるために、この五重塔を映すことが多いように思います。塔の内部をお参りすることができたので、中に入ってみました。決して広くない空間ですが、塔を支える重要な心柱をまん中に4体の仏様がその周りを囲んでいらっしゃいます。ここには大日如来は仏像のお姿ではいらしゃいませんが、塔を支える中心の心柱を大日如来としているそうです。よくこれだけの建築物が建てられるものだと感心します。

京都観光 2

2012/03/08

二条城の話を続けます。
あいにくの雨でしたが、二条城では庭園も鑑賞しました。小堀遠州の作と伝えられる書院造庭園二の丸庭園の力強さも見事です。隅々までデザインされ、計画された庭は、配置された様々な石や植物のひとつひとつが重要な意味を持ち、全体の中でそれぞれに役割を果たしているのでしょう。ですから、石がひとつでもなかったり、向きが違えば全体としての調和が乱れ、美しさが損なわれるのだと思います。ひとつひとつの構成要素が、しかりとその役割を果たすことで、全体の調和と美が生まれるのです。

人間だって同じです。チームの構成メンバーの一人ひとりが自分の役割をしっかりと果たすことなく、「あの人が悪いから」「この人のせいで」と他のメンバーを批判してばかりいては、チーム全体が輝くはずがありません。人と自分は違うのですから、それを認め、なおかつ自分にはない人の良いところをみつめてリスペクトし、自分にしかできないことを精一杯行い役割を果たす。そうして一人ひとりが輝くことで全体が輝く。そんなチームでありたいものです。

庭園の話しに戻ります。庭園には植木がたくさんあるのですが、どれも大変手入れが行き届いています。特に立派な松の木がいくつもあるので、手入れは大変だと思います。大勢の人が心を運び手間暇をかけることで、美しさが保たれてていることがよくわかりました。

本丸御殿を外側から見ながら庭を通り過ぎ、内堀の西橋を渡り、梅園に行ってみましたが、梅は五分咲きといったところでした。冬が寒かったからか、梅の開花が遅いようです。かなり雨は強かったのですが、久しぶりの二条城は思ったよりも楽しむことができました。

伝統

2012/03/07

鞍馬社会福祉協議会の行事で、京都市内を巡ってきたことを書きました。二条城の二の丸御殿を見学して、そのすばらしさに改めて気付くとともに、技術や技法をはじめとした様々な文化が発展し、後世に伝えられるためにも、それを形にすること、作ることが大切なのだと思いました。二条城の造営には大変な費用と労力がかかっているでしょう。それが文化を生み出し、後世に伝える役割を果たしたのです。

今、いろいろな自治体で文化的なものに対する予算が削減されているところが増えています。もちろん無駄な費用は切り詰めなくてはなりませんが、文化を伝承するために必要なことには予算をかけるべきだと思います。行政が行うべきでしょうけれど、その力が足りないときは力のあるところがその役を担うべきです。今、目の前の予算削減だけのために、長い年月と労力をかけて築いてきたものやことが途絶えてしまうのはとても残念です。

ずいぶん前になりますが、錺金具の技術を伝承されている方からこんな話しを聞いたことがあります。「戦後、生活の様式自体が変わり、昔のものを使わなくなり、経済第一主義だけにかたよってしまい物の価値を正確に判断でなくなってしまった。本来人間はいかにあるべきか、全てそれからスタートすべきだ。」
短い時間的スパンで考えたコストだけで、ものごとを計るべきではないということだと思います。また、こうも仰っていました。
「いくら良い技術を持っていてもそれを発揮する場がなければ継承してゆくことができない。そのためには本当に価値あるものを理解し、それを選んでくださる方がいなければならない。」
今こそ本当に価値ありとすべきものは何か、よくよく考えてみる必要があるのではないでしょうか。

伊勢神宮で20年ごとに行われている式年遷宮も職人の技術や様々な文化を後世に伝えるのに重要な役割を果たしているのだと思います。発注する人がいて、はじめて職人さんは製作できるのです。

京都御苑の中に平成17年に京都迎賓館が開館しました。そこには京都の伝統的技能が活かされています。伝統をそのまま受け継ぐだけではなく、伝統に根ざしつつ、新しい感性や最新の技術で作られた現代和風建築です。
この迎賓館の建設は税金の無駄遣いだなどと批判されたこともありましたが、そこにはすばらしい技術がちりばめられています。一度、少しだけ見学させていただいたことがありました。決して派手ではありませんが、細部にまでこだわった美しさが圧倒的な質感をもって迫ってくるようで、心を動かされました。

本当に大切にしなくてはならないもの、子育てや教育の分野でももう一度見つめ直す必要があります。

京都観光 1

2012/03/06

京都観光をしてきました。忙中閑「たまにはゆっくりしよう」というわけではありません。鞍馬社会福祉協議会の「歩こう会」という行事で、地域の60歳以上の方々とお出かけしようという企画です。元々は、健康のために「歩く」のが目的だったのですが、最近は「歩く」よりも「おでかけ」的な性格になってきていました。今年の企画では、その流れを少し見直し「歩く」要素をもう少し取り入れるという理由がひとつ。もう一つは、京都に住んでいると意外と京都を知らない、有名な社寺や観光地に行ったことがない、行ったとしても何十年も前ということがあります。そんな理由から京都市内を巡るコースになりました。訪れたのは二条城、東寺、伏見稲荷です。

3月5日(月)当日の天気予報は雨、しかも風雨が強く荒れ模様というものでした。せっかく歩く要素を多くしようとしたのに残念でしたが、お天気ばかりはどうしようもありません。9時30分、40名余りの参加者と共にバスで鞍馬を出発、まずは二条城に向かいました。

二条城は1603年徳川家康が京都御所の守護と将軍上洛の際の宿泊所として造営し、家光が増築して1626年に完成しました。建築は桃山時代の武家風書院造りと、狩野派による障壁画、欄間彫刻など桃山文化を堪能できます。

国宝の二の丸御殿の中に入るときらびやかな障壁画に目を奪われますが、よく見れば30センチ角くらいの無節の檜の柱が数え切れないくらい並んでいます。長押の釘隠も花熨斗形というらしくかなり大きなもので、花の模様の細工がとても細かいのです。それも数え切れないくらいあります。天井もほとんどが格天井ですし、広間の一部、将軍の座の辺りは二重折上格天井になっていました。

私が一番気になったのは欄間です。もちろん広間、三の間にある。厚さ35センチの一枚板に両面異なったデザインの透かし彫り彫刻を施した欄間は圧巻です。絵で描くのさえ大変そうなのに、立体として造形してゆくのは想像を絶する作業だと思います。どうすればこんなことができるのだろうと思ってしまします。
室内外をしきる廊下の障子の上の欄間にもとても手の込んだ飾りがありました。それも数えきらないくらいたくさんあるのです。これもどのくらい手間暇かかったのか想像すらできません。

当時の最先端技術を集め、手間暇と財力を惜しげもなく注いで、作られたのだと思います。昔はこうしたことが行われたおかげで、職人の技が研ぎ澄まされ、様々な技法が編み出され、表現が豊かになり、ひとつの文化として現代にまで伝わってきているのです。昔は社寺や貴族、将軍や大名が文化が生まれ発展するのを支えていたのですね。

洛北福祉まつり

2012/03/05

第3回洛北福祉まつりが岩倉南小学校の体育館で開催されました。これは左京区の中北部に位置する8学区の社会福祉協議会と、地域の福祉施設、地域包括支援センターなどで構成する実行委員会が主催して行う福祉イベントで、今年で3回目を迎えます。子どもからお年寄りまで、しょうがいのある人ない人、いろいろな人がつながる場を作ろうと始まった取り組みです。そのいろいろな方が集まる場で、各学区の社会福祉協議会、福祉施設、地域包括支援センターなどが、ブースを設けてそれぞれの活動を紹介したり、体験や相談コーナーを設けたり、ステージで歌や踊り様々なパフォーマンスを披露する。そういったことを通して、お互いを知り、理解し合うきっかけを作るという狙いがあります。

私は、午後一番に行ってみました。雨が降り出したにもかかわらず、体育館はたくさんの人であふれています。入口付近には地域包括支援センターの高齢者疑似体験コーナーがあって、足が不自由な高齢者の立場を疑似体験できるようになっていました。そこにはおばあちゃんと一緒に来ていた園児の姿があって、ちょっとびっくりです。

体験コーナーには、遊び、ぞうり作り、注連縄作り、美大の学生さんが似顔絵を描いてくれるコーナーもありました。販売コーナーには地元野菜や手芸品など、喫茶飲食コーナーには、うどん、カレー、もち、たこやき、おにぎり、豚汁と多くの種類があります。災害を考えるブースというのもあり、防災に関する展示や、学生ボランティアによる被災地支援活動の報告がされていました。

ステージでは歌と踊り、健康体操などが披露されており、鞍馬の皆さんにはウクレレの演奏を披露していただきました。鞍馬にウクレレを練習していらっしゃるみなさんがいらっしゃり、鞍馬社会福祉協議会の他の行事でも演奏を披露してくださっています。今回は男性メンバーがギターで加わってくださり、演奏に厚みが増したようです。フラダンスを練習されている市原野社協の皆さんとのコラボレートして鞍馬の演奏で市原野の皆さんが踊ってくださり、ほんわかとあたたかい雰囲気に会場が包まれていました。

いろいろな人がお互いのことを知り合い、つながる。そんな喜びが広がるといいなと感じました。

鞍馬のウクレレサークルのみなさん

  市原野の皆さんのフラダンス

山道で

2012/03/04

この冬はとても寒い日が多かったのですが、3月になって少し暖かくなってきて、14度ほどの暖かさになった日もありました。日差しも柔らかくなってきたのか、とっても寒かった頃とは景色も違って見えます。子どもたちは寒くても平気で外で遊んでいますし、散歩にも出かけます。先日、少し暖かくなってうれしいなと思っていたら、子どもたちはもう半袖になって遊んでいました。寒い寒いといっているのは大人だけです。子どもは寒さの感じ方が違うのでしょうか。

寒くても暖かくても元気な子どもたちが、向かいの山に散歩に行きました。子どもたちのお気に入り散歩コースのひとつです。京都一周トレッキングコースや東海自然歩道の一部になっている薬王坂と呼ばれる山道で、最近の山歩きブームで人気のコースです。流行の山ガールにはあまり会いませんが、春や秋など季候の良い時期には、中高年の方々の団体にしばしば出会います。健康志向や自然志向と結びついて、中高年の登山やトレッキングがブームになって久しいといわれています。

山歩きをする人が増えると、当然事故も多くなります。この辺りの低い山でも、道に迷ったり、下山できなくなることがあるのです。そのたびに警察、消防、そして消防分団の皆さんが大勢で捜索にあたっていらっしゃいます。特に地元の消防団の活動には頭が下がります。山中で迷った人が自分の位置を伝えやすいように山道の主なポイントに番号をつけた標識を立てるといった工夫もされています。
山に入る人が増えると、当然ごみなども増えます。皆が故意に捨てているわけではないのでしょうが、ごみを捨てないなどマナーの向上に期待したいところです。

散歩に行った子どもたちが、山道に落ちているごみを見つけて「こんなところにごみが落ちてる。」「ごみなんか捨てたらあかんのになー!」といいながら拾ってくれたそうです。一人がごみを拾うとみんなも気付いて、自然にごみ拾いが始まります。子どもの注意力はすごいので、いろいろなところでごみを見つけては拾ってくれたと、一緒に行った保育士から聞きました。自然にそういう気持ちになるのが子どもたちのすごいところだと思います。次に散歩に行った時も、子どもたちがごく自然に自分からごみを拾ってくれていたそうです。そんな話を聞いてうれしくなりました。大人が子どもを見習わなくてはなりませんね。

レゴブロック

2012/03/03

レゴブロックは誰でも知っているおもちゃのひとつといってもいいかもしれません。私も子どもの頃このブロックでよく遊びました。ピースをつなげて曲線などを表現するのは難しくて苦労しましたが、そこを工夫するのが楽しかったのを覚えています。よく考えてあって、いろいろなつなぎ方ができるのですが、厳密に言えば決まった場所でしかつながらない、つながるポイントは限られている、いってみればデジタルなつながり方です。
これに対して積み木は、つなぐことはできないのですが、位置を微妙に調整しながら重ねたり並べたりできます。レゴブロックがデジタルなつながり方なら積み木はアナログなつながり方といっても良いかもしれません。どちらもそれぞれにおもしろさがあります。

私が子どもの頃は単純な基本形のピースしかなかったのですが、今は様々な形のピースがあって、かなり複雑な形のものも作れるようになっています。レゴ社のホームページを見ると1歳半くらいから遊べるものから、大人でも難しそうなものまで10種類ものシリーズがありました。

うちの4歳になる三男は、今レゴブロックに夢中です。彼が専ら遊んでいるのが、映画「カーズ2」のシリーズです。シリーズのうちのいくつかを持っているので、最初はそれを組み立て説明書通りに作っていました。といっても最初から自分で説明書を見て作れるわけではなく、私や兄たちと一緒に組み立てていました。そのうち自分で説明書を見て自分で作ろうとしますが、なかなかうまくゆきません。

レゴブロックの説明書は、様々な国で使われることを前提としているので、ことばによる説明はありません。ですから、よく見れば子どもにも理解できます。しかし説明書の順番や部品の数が数字で示してあるので、数字が読めないと部品をいくつ用意すれば良いのか、どの順番なのかがわからないのです。

そのうち、彼は説明書に縛られるのをやめたらしく、自分で自由に作り始めました。いろいろな部品を自由自在に組み合わせて、全く別の物を作っていました。子どもの想像力には脱帽です。私などはどうしても説明書通りに作らないといけないという固定概念に縛られてしまいます。

もう一つ「クリエーター」というシリーズのひとつがあります。こちらは部品点数も多く、少し高度なので、「作って」とせがまれます。これもとても良くできていて、ひとつのセットで3種類の完成形があるのです。同じ部品を使って3種類のものを作れるようにするための設計はかなり大変なのだろうと思いました。また、レゴ社のホームページにはテクニックというかなり高度なシリーズがあり、ひとつ欲しくなってしまいました。

ひなまつり

2012/03/02

3月3日の前日ですが、園ではひなまつりの行事を行いました。1ヶ月ほど前からひな人形を飾って子どもたちは楽しみにしていました。ひな人形は30年近く子どもたちを見守ってくれています。ひな人形の飾り方、特に男雛と女雛の左右はどちらもあるようです。一般的には、男雛を右(向かって左)に飾ることが多いようですが、男雛を左(向かって右)に飾る方法もあります。昔は日本では左が上座だったので、天皇は左側だったのですが、明治以降西洋にならって大正天皇からは天皇が右になったそうです。ですから、貴族のあいだで飾られ、装束は有職の作法に従って忠実に再現された有職雛などは男雛が右に飾られているものが多いようです。

行事は、全園児がおひな様の前に集まって、ひなまつりの歌を歌い、ひなまつりが流し雛の風習から始まったという内容の紙芝居を読んでもらっていました。0歳児から5歳児までが一緒に楽しむ時間ってとってもいいなと思いました。

ひな祭りの日の昼食はちょっと特別です。こちらも全園児が1つの部屋に集まって一緒に食べます。3・4・5歳児には銘々にお膳が用意され、ご飯、汁物、和え物、焼き物、煮物のお皿を並べて食べています。こんな食べ方もあるというのを知ってもらおうと、お膳を使って食べることを20年ほど前から行っています。以前は毎月1回この方法で食べていたのですが、園児数が増えてから、年に4回になりました。いつもと違う食事の方法に子どもたちはうれしいのか、食事も進むようで、大勢の子がお代わりをしていました。ちなみに今日のごはんはちらし寿司でした。
0・1・2歳児はランチプレートに盛りつけてもらって、みんなで食べていました。
全園児が1つの部屋に集まっていつもとちょっと違う方法で、食事をするのは、いろいろな意味で良いのかもしれません。

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