園のこだわり

考える時間

2012年3月28日

3月27日、京都新聞の「現論」という欄に、イーデス・ハンソンさんによる「学生は熟考する習慣を」という記事がありました。いつもは新聞を読む暇もあまりないのですが、たまたま次男が新聞受けから取ってきた朝刊をめくっていて見つけました。

イーデス・ハンソンさんについては、昔よくテレビに出ていらっしゃったというくらいの記憶しかありませんでしたが、プロフィールによると、1960年に来日、大阪そして東京でのタレント活動期を経て、1987年から和歌山県田辺市の山里に住み、人権擁護活動や講演、執筆などに重点を置いて活動され、近畿大学総合社会学部では「水・夜・人・すみか」という講座を受け持っていらっしゃるそうです。その講座では、山里に立ち、音、香り、手触りを体験してこそ講義の内容が理解できる。という理由から講義の一環としてハンソンさんの住んでいらっしゃる集落でのフィールドワークがあります。五感全てを使って山の暮らしを体験し、その魅力と難しさを学ぶのです。

昨年のフィールドワークは、午後からの雨のためにハンソンさんの自宅で夕食までの時間を過ごすことになりましたが、5時間以上の室内での講義となるとみんながしんどいので、自由に過ごす時間になりました。学生たちは地図を見たり、本を読んだり、居眠りしたり、景色を眺めたり、パズルに興じたり思い思いに過ごしました。ハンソンさんは学生たちが退屈したのではないかと心配になって、後日感想を聞いてみたたら、楽しかった、あんな静けさは初めて、のんびりした、普段はそういう時間を持てない。と大好評だったそうです。

それを聞いたハンソンさんはうれしかった反面、学生たちが忙しすぎるのではないかと、逆に心配にもなったといいます。講義のスケジュールもタイトだしサークル活動やバイトなどで、落ち着いてものごとを考える時間がとれない。忙しそうでないとカッコ悪いといったイメージが高校時代からあると学生から聞いたハンソンさんは、「ノルマに追われる勤め人感覚そっくり」と感じられたそうです。

時間をかけて考えること、自ら熟考することについて書いてあったので、少し記事を抜粋させていただきます。

学生の学力や意欲の不足を危惧する記事が時折目につく。いわゆる「ゆとり教育」の弊害だとする人もあるが、ただ、尻をたたき、詰め込めば足るとも思えない。熟考する時間の中でこそ、講義の内容を他の分野と比較・吟味し、具体的な自分の生活に結び付け、新たな発想も生まれる。
(中略)
何かをじっくりと思いめぐらすことの必要性と楽しさを私たちは忘れがちだ。学生の特権の一つは、その意識を呼び覚まし、豊かな知性と自由な批評精神を養う可能性があることだろう。
断片的な知識は時代と共に陳腐化しやすい。それよりも思考力、つまり自ら考え、教育する能力を鍛えることの方が卒業後応用が利き、ずっと役に立つ。そのための刺激になる材料と、モノゴトをていねいに考えるささやかなきっかけを提供するのが私の役目なのだと思う。
後は学生自信ががその習慣を身につけ、必要な時間を確保してくれることを祈るばかり。

と結んでいらっしゃいます。

この記事を読んでハッ!としました。自分自身が、年度変わりの忙しさという形を借りて押し寄せる雑事に追われ、気持ちの余裕がなくなってアップアップしていること、「じっくりと考える」事を放棄していたのではないかと気付かされました。何でもかんでも、早く、たくさんではなく、心を落ち着け、余裕を持って、ゆっくりじっくりと考えてゆきたいと思いました。

もう一つ、思ったのは、ただ、詰め込めば良いのではなく、学生が自ら考えることこそが大切であり、そのための自ら考えるための刺激になる材料と、モノゴトをていねいに考えるささやかなきっかけを提供するのが教える側の役目だということです。

保育も同じです。大人が主体になって子どもに教え込むのではなく。子どもが主体的に自ら考え、判断し、行動してゆくのに必要な環境を用意するということが大人がすべきことです。子どもたちが「熟考する」機会を多く持ちたいと思います。

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