2011年 12月

おじいちゃんおばあちゃんと

2011/12/21

先日、5歳児の子どもたちが、午後の時間を利用して近くの高齢者福祉施設のデイサービスセンターを訪問しました。デイサービスセンターの皆さんと当園の予定を調整するのが難しくてなかなか日が合わなかったのですが、ようやく訪問することができ、11人の子どもたちと30人くらいの高齢の方々が交流しました。いろいろな交流をする場合、交流する両者が対面しているだけではなく、一緒に何か同じことをするプログラムを入れるようにしています。向かい合っているとお互いがよく見えるというメリットがありますが、一緒に何かに取り組むとお互いの心の距離が近づくと考えるからです。

子どもたちが施設に到着、しっかりと手洗いうがいをしてからデイサービスの部屋へ向かいます。エレベーターの扉が開くと高齢者の皆さんが拍手で出迎えてくださいました。子どもたちの訪問を心待ちにしてくださっていたようです。まずは子どもたちが歌とおどりを発表、子どもたちの元気な歌声と、気持ちのこもったダンスにおばあちゃん方は大喜びです。中には感激のあまり涙を流しながら聞いてくださった方もあったようです。最初は興味なさそうにされていたおじいちゃんも発表が終わる頃には、笑顔に手拍子で喜んでくださいました。子どもたちの素直な心がもつ力が発揮され、それが伝わったのだと思います。

発表の後は、高齢者7,8人に子どもが2,3人で1つのグループを作り、みんなで百人一首を使って坊主めくりをすると、それぞれのテーブルはとても盛り上がっていました。テーブルのまん中に置いたかるたに手が届かないおじいちゃんには「ハイ」といってかるたをとってあげる男の子がいたり、けがで腕をつっていらっしゃるおばあちゃんに「だいじょうぶ?痛くない?」と声をかけている女の子がいたり、子どもたちがもっている優しさが自然にさりげないかたちで発揮されている姿に、引率の保育士は心が動かされたといっていました。

取った札に書かれたうたを子どもに解説してくださる方、かわいいかわいいといって子どもの頭をなでてくださる方もいらっしゃいました。

高齢者の方々は子どもたちから元気をもらってくださったようですし、子どもたちは高齢者の方々と遊ぶのが楽しかったのか、高齢者の皆さんが自分たちがいることで喜んでくださっているのを感じたのか、大切にされているのが伝わったのか。「楽しかった!また来たい!」といいながら帰ってきたそうです。

これだけ年齢が離れていると、異文化交流です。普段はあまり接したことのない人とでも、自分がいることで相手が喜んでくれる。自分が必要とされているという気持ちを感じたり、誰かに喜んで欲しいという気持ちになる経験を子どもたちにはたくさんしてほしいと思います。

視力

2011/12/20

私たちは感覚器官というセンサーを使って外部から様々な情報を受け取りそれを処理して生きています。受け取る情報の中でも、見ることから得ている情報が他の感覚器官から得ている情報よりも圧倒的に多く、受け取る情報の8割以上が視覚情報だと言われています。

生まれたばかりの赤ちゃんはすでに0.01くらいの視力があるそうです。お母さんのお腹の中にいるうちから明るさを感じることができるようになっているのでしょう。視力は急速に発達して、生後3ヶ月で0.1、 6ヶ月で0.2くらいの視力になり、3歳で0.6〜0.9、 5歳で1,0以上となり、ほぼ成熟するそうです。保育園に通っている子どもたちの年齢がちょうど視力が発達する時期にあたります。この時期に「くっきりと見る」ことで視力は発達してゆくので、何かの原因で「くっきりと見る」ことができない状態がつづくと、視力の発達が遅れ、これを弱視といいます。その状態に気付かず8歳を超えてしまうと、大人になっても視力が出るのが大変難しくなるそうです。ですから、3歳くらいで、「くっきりと見る」ことができているかどうかを確認することが大切です。もしもくっきりと見えていないことがわかったときには治療をする必要がります。3歳児検診の項目に視力検査がある意味がわかります。1歳半にしても3歳にしても、発達の節目だからこそ検診が行われるのです。保護者の皆さんには必ず受診していただきたいものです。

「くっきりと見える」のかどうかは、子ども自身はよくわからないことがあります。ずっと「くっきりと見る」ことができない状態でいれば、それがその子の普通になってしまっている可能性があるので、保育園でも視力検査を取り入れてゆきたいと思います。

 

参考資料
子どもの眼『三歳児検診で弱視の早期発見を』
日本小児眼科学会三歳児検診検討会監修

ある朝

2011/12/19

ある日の朝、その日は早めに出かけていろいろな手続きをする予定だったので、開園前から園に行って書類を作っていました。7時半の開演時間になってIちゃんが登園してきました。「おはようございます」と挨拶を交わしたあと仕事の続きをしていると、朝のご用意を済ませたIちゃんが私のところへやってきて「園長先生遊ぼうよ!」と誘ってくれます。「今、遊ぶと出かけるのが遅くなってしまう…」一瞬そんな思いが頭をよぎります。早番の保育士がいるはずなので、「先生と遊べば?」というと「だめ、園長先生と遊ぶの!」とIちゃん。まだ他に登園してきている子もいなく、ご指名とあれば遊ばないわけにはいきません。乳児クラスのおままごとコーナーでのままごとにおつきあいすることにしました。Iちゃんがお母さん役で、私はお父さん役らしく、「お父さんは赤ちゃんを着替えさせてミルクを飲ませてください」とIちゃんお母さん。私が布団に寝ていた赤ちゃんのお人形を着替えさせているあいだにIちゃんお母さんは手際よくごはんを作っています。「この服はどうやって着せるの」と聞くと、またまた手際よく留めにくいボタンを留めてくれます。「ミルクはこれを飲ませてください」とほ乳瓶をわたされました。ミルクを飲ませてお父さんの仕事はひととおり終わったようだったので、「お父さんはお仕事に行く時間なので、行ってきます。」というとIお母さんは「行ってらっしゃい」と機嫌良く送り出してくれました。「しめしめこれで仕事にもどれる」などと良からぬ考えを起こして、書類に向かいましたが、しばらくするとIちゃんお母さんが、「もう!帰ってくるのが遅すぎます。」と迎えに来ました。Iちゃんお母さんと一緒におままごとの家に帰ると、今度は赤ちゃんを着替えさせてミルクを飲ませ、寝かせる仕事が待っていました。Iちゃんお母さんは相変わらず手際よく料理をしています。

「こうして15分か20分くらい遊ぶことで、出かけるのが遅くなっても、どうということはないなー!それよりも今、Iちゃんと遊んだ方が楽しいかも…」赤ちゃんのお人形を着替えさせながら、そんなことを考えました。そう思って遊んでみると楽しいものです。Iちゃんは、赤ちゃんの洋服のボタンがひとつ留まっていないなど細かなところまで気をつけてよく考えていることがわかりますし、彼女の中では、このままごとがかなりのリアリティーを持って進行していると想像できて、楽しい発見がありました。

ついつい目の前の仕事、それもそんなに重要でもないことにとらわれて、そればかりを見てしまいがちですが、視点を変えるともっと大切で楽しいことがいっぱいあるものです。

そうしているうちに登園してきたSくんがご用意を済ませてやってきました。そろそろ大人の出る幕は終了だと思ったので、「お父さんはお仕事があるので、会社に行ってお仕事をしてきます。」と言ってその場を離れました。子どもどうしで遊び始めたようで、Iちゃんお母さんが迎えに来ることはありませんでした。

秋のフェスティバル

2011/12/18

    小学生の話を聞きます

12月はじめ、鞍馬小学校の子どもたちが、先生と一緒に当園にやってきました。12月15日に開催される「秋のフェスティバル」の招待状を持って来てくれたのです。当日、年長組の子どもたちが参加しました。1年生から4年生までがいろいろなお店やコーナーを作って迎えてくれます。おめんやさん、ストラックアウト、まとあて、おうどんやさん、どんぐりのこま作りコーナー、フロッタージュコーナー、クイズコーナー、もみじの種おとしコーナーです。それぞれ工夫が凝らしてあります。

おめんやさんは、画用紙を自分の好きな大きさや形に切って台紙を作り、秋の野山で小学生たちが集めた木の実や、枯れ葉、小枝など自然の素材を台紙に貼り付けてお面を作ります。

    お面を作る園児たち

おうどんやさんは小学生が、うどんやそばを作って売っていました。もちろんほんとうのうどんそばではありませんが、いとで麺を作ったり、松ぼっくりや木の実で具を表現したり、紙を細かく切ったものを容器に入れたきざみねぎや七味まで用意してありました。

フロッタージュは様々な落ち葉が用意してある中から葉っぱを選んで、色鉛筆で行います。

クイズコーナーは、2年生が調べた地域のことや実際に野菜を育てるなかで体験したことを問題として出題してくれました。体験を通して問題を作っているので、プチトマトの花は何色?ナスの実が夏季節はいつできるか?など、とてもリアリティーのある質問です。

    クイズに答えられるかな?

おもしろかったのが、もみじの種まわしです。もみじの種をステージの上から落としたときに、くるくると回って落ちると、作りたてのポップコーンが1つもらえます。このポップコーンアー小学生が育てたトウモロコシを使ってつくられています。プロペラのようなもみじの種ですが、おとし方によってはまっすぐすとんと落ちてしまいます。少し横に向けて落とすと種が入った部分を中心にプロペラのようにくるくると回りながら落ちるのですが、回転の方向はどうやって決まるのか不思議に思ったので、子どもに声をかけて一緒に何度か落として観察してみました。どうやら羽の部分がどちらを向いているかで回転方向が決まるようでした。

 

    おいしそうなポップコーン

園児たちはじっくりと時間をかけて各コーナーをとても楽しみながら巡っていました。帰りには、その場で焼いてもらったポップコーンをお土産にいただき、各自作ったお面やどんぐりごま、フロッタージュを大切に持って帰りました。

とても楽しい時間を過ごすことができました。鞍馬小学校の皆さんありがとうございました。

 

一緒に食べる

2011/12/17

食事を共にする「共食」の関係が家族の基本ですが、今では家庭でいろいろな人が共に食事をすることが大変難しくなってきています。核家族化で、家族の構成人数が少ないうえに、生活サイクルが異なるなどして、ますます大勢が一緒に食事をする機会が少なくなっています。大勢の家族が共に食事をするとき、赤ちゃんは大人のこともよく見ていますし、いろいろな人の間で交わされる会話を聞き、動作を見て学んでゆきますが、一番よく見て真似をするのが自分と発達の近い子どもです。ところが、少子化の現代では家庭に一緒に食事をする子どもがいなかったり、いてもとても少ないのです。お兄ちゃんお姉ちゃんがいれば、赤ちゃんはその姿を見て真似をします。お兄ちゃんお姉ちゃんは小さな子の面倒を見たり、教えたりします。子どもどうしの関わりの中で育ってゆくのです。

こんな時代だからこそ、子どもがたくさんいる保育園などが大切な役割を持ってきます。たくさんの子どもが一緒に食事をするとお互いにモデルになったり、真似をし合うことができるのです。例えば、食べたことのないものや、あまり好きではないものが、お皿にのっていたとします。大人に食べなさいと言われて口に入れられても、はき出してしまうか、食べたとしてもおいしいとは感じません。ところが、他の子がおいしそうに食べているところを見ていると「ちょっと食べてみようかな」という気持ちになります。そこで、少し口に入れてみると案外食べられる。少しでも食べられると嬉しいので、もう少し食べてみようかと思って、徐々に食べられるようになる。ということがあります。

苦い味や酸っぱい味も、周りの人がおいしそうに口にするのを見たり、おいしいと言っているのを聞いたりしているうちに、興味を持って口にしてみる。そして少しずつ食べられるようになってゆき、おいしいと感じるようになるのです。

そんな子どもどうしの関係性を大切にして、子どもどうしで育ち合える環境を作ってゆくことが保育園の大きな役割だと思います。

共に食べる

2011/12/16

赤ちゃんは、いろいろな人と一緒に食事をすることで、いろいろなものが食べられるようになり、おいしいと感じるようになってきます。昔は大家族で、いろいろな人と食事をすることが普通だったのですが、現代は家族の構成人数が少ない上に、それぞれの生活サイクルが異なったりして、家族みんなで食事をすることが少なくなってきました。「個食」ということが言われ出したのが1990年代だそうです。そのころから家族がバラバラに食事をすることが問題視されていました。今では様々な「コショク」があり、「個食」は、家族が一緒に食卓を囲んでいてもそれぞれ自分の好きな物を食べるという意味になっているようです。他には、家族がいなくて、ひとりで食べる孤独な「孤食」、自分の好きな決まった物しか食べない「固食」、いつも食欲がなく、食べる量も少ない「小食」、ダイエットのために減らすこともあるそうです。パンなどの粉製品を主食として好んで食べる「粉食」、味の濃い物を好んで食べる「濃食」などです。食育と言われながらも、子どもの食を取り巻く状況はますます悪化しているようです。

いろいろな人と一緒に食卓を囲むことがいろいろな意味で大切でそれが家族のはずなのに、食から見る限り家族が家族ではなくなっています。そもそも家族って何でしょう。大昔、人間が狩猟生活をしていた頃、捕ってきた獲物を分け合って食べたのが家族の起源だと言われています。食物分配の単位というのが家族が成立した意味なのです。そう考えると食事を共にしない現代の状況は、本当に家族と言えるのでしょうか。また、人間を他の動物と区別するときに、火を使うこと、ことばを使うことなどがあげられます。食べることに関して言えば、上にあげたように共に食事をすること「共食」があり、もう一つは「料理をすること」です。住居を共にし、材料を料理をして一緒に食べるのが人間が家族でいることの大きな意味のひとつなのです。

家族がみんなで料理をして食卓を囲む、そんな基本的なことくらいはできる生活のあり方を、働き方を含めて考える必要があると思います。

味覚

2011/12/15

おいしいいちごについて書いていたら、味覚のことが気になりました。乳幼児期は味覚が発達するときなので、この時期に経験した味が大人になったときの味の好みになると言われています。特に離乳期は大切で、離乳期に塩辛いものを多く食べていると大人になっても塩辛いものを好むようになるそうです。では、赤ちゃんはいつ頃から味を感じているのでしょうか。味を感じる味蕾という器官は妊娠12〜14週くらいから機能しはじめ、15週には味覚ができあがると言われています。味蕾の数は大人で約9,000ですが、赤ちゃんにはその1.3倍の12,000もあるそうです。味蕾の数だけで言えば赤ちゃんは大人よりも敏感に味を感じているのです。大人には感じられない味も感じていていて、発達するに従って必要の無いものは減らしてゆくのですね。発達するというと、獲得するとか、身につけるとか、どことなく付け足すイメージが強いのですが、逆にそぎ落とすこと、減らすことで発達していることがこの味蕾の数からもわかります。赤ちゃんは羊水を飲んでいますが、羊水に甘い味をつけると良く飲み、苦い味をつけるとあまり飲まなかったり、顔をしかめたりすることがわかっています。赤ちゃんはお母さんのおなかの中にいるときから味を感じているのですね。

味覚は、甘味、酸味、塩味、苦味の4種類(これにうま味を加えて5種類とすることもあります)があるとされています。子どもは野菜が苦手なことが多いのですが、これは野菜に含まれる苦味に拒否反応を示しているからです。苦味は毒だと思って本能的に拒否するのです。また酸味は腐敗していることと関係しているので、酸味も好まなかったりします。毒のあるものや、腐ったものは生命を脅かす可能性があるので、本能的に食べないようになっているのです。それに対して甘味はエネルギーの補給、塩味はミネラルの補給など生命の維持に必要なものなので、基本的に好みます。

では、なぜ成長するにつれて苦いものや酸っぱいものが食べられるようになるのでしょうか。それはひと言で言えば、慣れです。小さいときは苦味や酸味を本能的に拒否しますが、味を敏感に感じたとしても、それがおいしいとか、おいしくないという価値判断はしていません。その判断の基準は幼少期の食生活にあるといえます。つまり、だれと、なにを、どんな状況下で食べるかが重要になってくるのです。離乳食を口にしたとき「おいしいね」と笑顔で声をかけてあげると、赤ちゃんは「この感覚がおいしいということなんだ」とわかります。また、一緒に食事している誰かが、おいしそうに食べているものは「おいしいのかな」と思って食べたくなります。ですから誰かと一緒に食事をするというのは大切なことなのです。それも、お母さんと子どもの二人っきりではなく、赤ちゃんからおじいちゃんおばあちゃんまでいろいろな人がいる中で食事をすることが大切になってきます。いろいろな人が一緒に食事をすることで、赤ちゃんや子どもは、だれがどのようにして食べているかを見ることができるからです。

いちご

2011/12/14

先日園に行くと、いちごの箱が5つも届いていました。差出人は福岡県のある保育園の園長先生です。ここ何年か12月になると、とても立派ないちご「あまおう」をたくさん送ってくださるのです。もう5年くらい前になると思いますが、その園の園長先生ご夫妻がご旅行でたまたま鞍馬にいらっしゃいました。そのときに散歩にでかけていた当園の園児たちと、お寺の本殿前でしばらく時間を過ごしていただいたのがきっかけとなって、それ以来ずっとご縁をいただいています。こんなにして、毎年お心遣いをいただけることがほんとうにありがたく、感謝せずにはいられません。

    園児さんからの手紙

今年は、しっかりと描かれた女の子とかわいいいちごの絵に「えんのちかくでできたおいしいいちごです。みなさんでたべてください。」のメッセージが入った園児さんからの心のこもった手紙も添えていただきました。

箱を開けると、ゴルフボールくらいの真っ赤につやつやとかがやくいちごがたくさん並んでいます。早速、昼食のデザートにいただくことにしました。お皿にのった大きないちごに子どもたちはびっくり。食べてみるとまたまたびっくりといった表情です。それもそのはず、本当においしいのです。さわやかな、でもしっかりした甘さと酸味のバランスが絶妙で、豊かな香りと相まって、口にすると思わず笑顔になってしまいます。いちごに吸い付いたまま離れない0歳児がいたり、普段はフルーツはほとんど食べない子がこのいちごはしっかりと食べて、それをお母さんに伝えると大変驚いていらっしゃいました。一度食べると忘れられない味にどの子どもも感激していました。

お心遣いをいただいた園長先生、本当にありがとうございました。

カボチャ

2011/12/13

先日、園に行くと男性保育士がテラスに包丁とまな板を持ち出して、一生懸命何かを切っています。食べることに目がない私は、気になって「何切ってるの」と見に行ってみました。切っていたのはカボチャでした。そういえば、2階の祭壇に長いあいだお供えしてあったし、園庭の靴箱の横にもごろごろ並んでいたのを思い出しました。収穫したのは9月の終わりか10月初め頃で、前回カボチャ餃子を作ったのが11月11日だったので、カボチャを収穫してから2ヶ月以上置いてあったことになります。少し心配になった私が「収穫してからずいぶん長い間お供えしていたみたいだけど、大丈夫?」と聞くと、保育士は、とても堅くて切るのが大変なくらいで全く問題ないと言います。確かに堅そうですし、中もとてもきれいな色をしています。カットされてスーパーの店頭に並んでいるカボチャがすぐに傷むイメージが強かったので、カボチャは傷みやすいとばかり思い込んでいたのですが、傷がついたりしなければ、長持ちするのです。それよりも、収穫して時間が経つ方がカボチャのデンプンが分解され糖に変わる糖化が進むので、甘くなるらしいのです。「冬至にカボチャを食べると風邪を引かない」というので、カボチャは冬の食べ物のイメージが強いのですが、実が成るのは夏の終わりから秋です。それをうまく保存しておけば、冬至の頃においしくなっているということなのですね。

どうして食べるのか気になったので聞いてみると、「薄く切ってホットプレートで焼くだけです。」と保育士。至ってシンプルです。どうなるのかと思いながらも、自分の仕事に戻りました。しばらくするととても甘く香ばしい香りが漂ってきます。書類どころではなくなって、思わずカボチャを見に行ってしまいました。とても良い香りだったので、バターで焼いているのかと思ったのですが全くの素焼きだそうです。ちょうど焼けたのがあったので一口食べてみました。香りがとても良く、それだけでおいしく感じます。薄く切ってあったにもかかわらず、ホクホク感もあります。なんといってもとても甘くて味が濃くおいしいのです。思わず「おいしい!」と叫んでしまいました。ただ切って焼いただけでこんなにおいしいなんて感激です。子どもたちもとても喜んで食べていました。

畑に植えたカボチャが、大きくなって実をつける。それを収穫していただく。畑や作物の知識はほとんど無いに等しい私たちが、あまり世話もせずにおいて、畑をジャングルにしたカボチャ。収穫してからも長い間放っておいたのに、こんなにおいしくいただけるなんて、なんて幸せなんでしょう。偶然いろいろな条件が重なったからだとは思いますが、もしかしたら案外自然に生えたかぼちゃが、なりたいように大きくなって実をつけたのが良いのかもしれません。「自然に育つカを信じてあまり手を出しすぎない方が良い。」カボチャがそう教えてくれたように感じました。

月と地球

2011/12/12

朝日が昇る少し前、西の空が明るいと思ったら、山の端に月が隠れてゆくところでした。月の残光で杉の梢がシルエットで浮かび上がり、後光がさしているようにみえます。

このところ月を意識することが多かったので、以前読んだ雑誌に月の特集が組まれていたことを思い出し、もう一度読んでみました。

いつも見ている月は地球に最も近い天体ですし、身近で研究も進んでいるのかと思ったら、結構謎が多く、どうやって月ができたのかも確たる説がないようです。現在は地球の創成期に他の大きな星が地球に衝突し、そのときに散らばった破片が集まって月ができたとする「ジャイアント・インパクト説」が有力なようですが、それだけでは説明がつかないこともあるそうです。

地球と月と太陽の関係も大変深いもので、最もわかりやすいのが重力による関係です。海の潮汐が月や太陽の重力と関係があることはよく知られていることです。その地球上に暮らす私たち人間にもとても深く関わっているはずなのに、普段はそれを意識することが少なくなっているのではないでしょうか。

生命は原始の海で誕生しました。そして長い間海の中で過ごした後陸に上がることを選択した生命から人間は進化してきました。ですから、私たちの遺伝子には海の記憶が刻まれています。当然その中には潮汐に関するものもあり、遺伝子レベルで月や太陽と繋がっているのです。

月と地球が互いになくてはならない存在だったことを知り、普段は当たり前になってしまっている月や太陽、宇宙全てが一人ひとりと繋がっているのことを改めて思い直しました。

 

参考にさせていただいたのは…
月刊『MOKU』2009年9月号 MOKU出版株式会社 P40〜47
「余すことなく欠けることなく 〜月と地球の密接な関係〜」井田茂

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