2011年 12月

月食

2011/12/11

月が照らし出す世界の美しさついて昨日は書きましたが、12月10日の夜には皆既月食があルのを知って、ところどころ観察してみました。早い時間は雲が多くほとんど月は見られなかったので、少し心配していたのですが、夜が更けるにつれ空が澄んできて、月食が始まる前は前日と同じように月光が降り注いでいました。月食は半影食→部分食→皆既食とすすみ、皆既食の最大を過ぎると逆の順序で元にもどってゆきます。20時30分頃から半影食が始まったらしいのですが、見た目にはほとんどわかりません。21:45ごろに部分食が始まると、それまで明るく輝いていた月が欠けてゆくのが目に見えてわかります。80分ほどかけて皆既食になり、23:32には皆既食の最大になります。皆既食の間はよく写真で見るような赤銅色の満月になります。約1時間のあいだ、赤い満月が空にかかっているは神秘的でした。

月が地球の影に入るから月食が起こるという原理がわかっていても、とても不思議な感じがするのですから、昔の人がこれを見たときはさぞかし驚き、不思議に思ったことでしょう。今まで煌々と輝いていた満月がだんだんかけてゆき、赤黒くなってしまうのです。それにとともにまわりもどんどん暗くなるのですから、天変地異が起こったと思いたくなるのもわかるような気がします。そんなことを思いながら月を見ていたら、身体が冷え切ってしまいました。

月は、とても身近な天体ですし、今日は満月だとか三日月だとか思うくらいで、最近はあまり気にとめることも少なかったのですが、この2日間で月の美しさや神秘さを改めて感じました。

        皆既食

    月・オリオン・すばる

2011/12/10

職員会議で、皆が思いを伝え合うとても有意義な話し合いをしていたら、ずいぶん遅くなってしまいました。園を出て空を見上げると、まん丸なお月様が輝いていています。とても美しかったのでしばらく眺めてしまいました。

家に帰ったのですが、どうもお月様が気になって外に出てみると、空一面雲に被われ、かろうじて月はこのあたりだろうとわかるくらいです。残念に思いながら家に戻りました。用事をしていてふと気付くと12時を過ぎていました。また月が気になって外に出てみると、さっきとはうって変わって雲は全くなく、眩しいくらいの月が冴え冴えと天空に輝いています。できるだけ月の明かりだけを感じたいと思って電灯の明かりが少ないところに移動してみました。都会では街灯があるので、暗いところを探すのが難しいと思いますが、このあたりでは比較的近くにみつかります。人工的な明かりの少ないところに行ってみると。全てが月の光に包まれ、濡れたようにしっとりと輝いていて、いつもの風景が全く違って見えます。ふと足下を見ると、自分の影がくっきりと地面に映っています。近くの石のうえでは、霜が月の光を受けてキラキラ輝いています。小さなダイヤモンドをちりばめたようです。ゆっくりと月を感じると、思っていたよりも月の光が明るいのに気付きました。空全体も黒ではなく、深い藍色になっています。月の光が空全体から降り注ぎ、世界を包んでいる感じです。気温の低さとも相まって、世界が凛とした空気に包まれているように感じました。とても寒かったのですが、静けさや安らぎ、清らかさを感じ、心がスッと澄んでいくような時間を味わうことができました。

小春日和

2011/12/09

朝早くには冷え込んだものの、お昼前には小春日和となったある日、0・1歳児が園の近くでゆったり遊んでいました。日向でゆっくりしているとお日様のあたたかさが柔らかく背中を包んでくれます。

1歳になった男の子が、参道のなだらかな階段を後ろ向きにハイハイしながら下りています。2〜3段下りては、階段に腰掛けて自分の行きたい方向を確かめるかのように下を眺め、また後ろ向きにハイハイします。ひたむきに階段を下りる姿と、休んでいるときのほっとしたような姿がかわいらしかったので、私は階段の上の方の少し離れたところからしゃがんで彼を見ていました。ふと目が合い、彼はじっと私を見つめます。どうしたいのだろう?と思いながら見ていると、またハイハイし出しました。今度は階段横のスロープを下ってみますが、あまりしっくりこないのか、階段に戻ってきます。ずっと見ているとまた目が合いました。しばらく私を見ていた彼はくるっと後ろを向いて階段の下を指さします。まるで「あっちに行くんだ!」「あっちに行きたいんだ!」と言っているようです。「あっちに行きたいの?」と声をかけると階段の下の方を指さしたまま、振り向いてじっと私を見つめます。私もじっと彼を見つめます。そして彼はまたハイハイを始めました。しばらく行っては座って、自分の向かっている方向を指さして私の顔を見ます。「見ててくれてる。あっちに行くんだよ!」と言っているのでしょうか。

ちょこんと座って、何か言いたげに指をさす彼に参拝者が「かわいいね」といいながら通り過ぎてゆきます。そんなことを繰り返しているうちになだらかな階段を下りきり、最後少し急な4段ほどはおしりで下りていました。平らなところに下りるとトコトコと歩いて友達が遊んでいるところに行きました。

「後ろ向きにハイハイして下りてきたよ。」と私が保育士に言うと「普段は歩いて下りるんですけどね。しばらく風邪でお休みしていて、久しぶりに来たから不安だったのかな。」と保育士。「早くお友達の所へ行きたいけれど、久しぶりの階段を歩くの不安だな。」と思っていたのかもしれませんし、ハイハイを楽しんでいたのかもしれません。

暖かい日差しにつつまれてひたむきに階段を下りる彼の姿はとてもステキでした。

ホントの仲間

2011/12/08

世界で一番ステキなクラスをめざす子どもたちの様子を紹介してきました。子どもたちが自分の力を発揮して自ら考え、相談して決め活動できる環境を用意し、子どもたちを信じてまかせ、それを支えていてあげれば、子どもたちはここまでできるのです。あかねもいよいよ6年1組の仲間になれたと実感します。

行事:合唱コンクールが迫ったある日、ソプラノを担当したあかねはどうしても歌えません。あかねは自分がオンチだから大きな声を出さない方がいいという思いもあって「わたし一人ぐらい声が小さくたって、みんなががんばれば平気でしょ!?」と言ってしまいます。それに対して「それは違うと思う。」「それじゃあかねのいる意味がなくなる。」「わたしたちにはあかねの声が必要。そうでないとこのクラスの歌声にならない。」「みんなのこと信じて思いっきり歌おう。結果より一人ひとりが全力を出すことの方が大事。」と友達が口々に言い出します。あかねはうれしさのあまり涙がこぼれそうになります。コンクール当日、午後の発表の前にあかねには最後にみんなでもう一回練習したいという思いが募りますが、授業中にそんなことを言い出す勇気もなく、迷っていたのですが、みんなで練習してきたことを思い出したら、思わず「先生、最後に練習の時間をください!」と叫んでいました。「そう言ってくれるの待ってたぞー」の先生の声にみんなから歓声が上がります。みんなもそう思っていたけど言い出せなかったのです。みおの「ありがとう」にあかねは「みんなのおかげ、これでホントに仲間になれた気がする」

みんながいろいろなことを自分のこととして全力で取り組むからこそ仲間になれる。と子どもたちが心から思っていることがわかります。クラス全員が「最高のクラスをつくる」という目標に向かって、それぞれにできることを全力で行う。そのことを大切にしている子どもたちの姿があるのです。

どうですか?私はとてもすばらしいと思います。こんな、仲間と力を合わせることの楽しさ、すばらしさを経験して育つ子が増えれば、もっとステキなクラスが増え、社会がもっとステキになると思います。子どもたちには幼児期からこのような経験をたくさんして欲しいと思います。固定概念に縛られ、何でも人のせいにして、人の悪いところばかり指摘し、文句ばかり言っている大人こそが見習わなくてはと思って自分をふりかえると、少し恥ずかしくなりました。

担任の先生が「ある日の…帰りの会 担任より」として後書きを書いていらっしゃいます。その中でこの本の成り立ちも紹介されていて、それにも心を動かされました。

とっても心に響く、そして勇気をもらえる1冊でした。

子どもの力

2011/12/07

『最高のクラスのつくりかた』から「こんな先生がイイ !!」をとりあげたのは、ここで子どもたちが「イイ」という先生像は、私たち鞍馬山保育園の職員がめざしている職員像にとても近いからです。そして子どもたちの姿や活動についても、こんなだと良いと思うのです。小学校6年生と乳幼児では違うでしょう。という声が聞こえてきそうですが、具体的な活動内容は発達に応じて異なっていても、子どもの心の持ち方(気持ち)や意欲、姿勢は共通だと思うのです。

トイレ掃除:子どもたちは「どうせやらなくてはいけないなら楽しい方がいいでしょ。」という考え方で、掃除をはじめとした様々なプロジェクトに取り組んでいます。掃除でいえば「掃除プロ制」掃除のプロを目指し、どうすればきれいになるか、楽しんでできるかを考え、自分たちでアイデアを出し合い工夫して楽しんでいるのです。例えば、テレビで見たミカンの皮からつくる洗剤を、先生に頼んで費用を出してもらって自分たちで作って使うとか、掃除道具を工夫して自作するとかしているのです。そのうえ、掃除が終わったら毎日良かったところ、改善した方が良いところを探して、みんなで振り返るというのです。子どもたちが、いきいきとトイレ掃除をする姿が目に浮かびます。

トラブル発生:転校してきたばかりのあかねは、このクラスのみんなは最初から仲が良かったのかな、と思ってももこに聞いてみました。ももこは自分のことを例にあげて話します。ももこは自分の髪型をしつこくからうのぼるに怒ります。のぼるは謝ったけど、ももこは無視し続けました。3日ほどして、みおの「誰かこのケンカの解決役になってくれない」の声がけに、けんたとひとみが解決役を買って出て当事者の話をじっくり聞いたあと「許せないなら許せなくても仕方ないと思う。でも許せるなら許してあげたらどうかな。」と提案してくれたおかげで、ももこは謝る人を無視し続ける自分も大人げないと思って許した。というエピソードです。いろいろな人がいればトラブルが起こるのは当たり前、それを少しでも減らせるように、みんないっしょに成長してゆけると良い。トラブルは人とどうやっていい関係をつくるかを学ぶ機会だと子どもたちがとらえているのです。ここで解決役を買って出たけんたが「許せないなら許せなくても仕方ない」とももこの気持ちを受けて止めた上で「許せるなら許したあげたらどうかな」と提案しています。当園で目指している相手の思いを受けとめ、自分の思いを伝えると同じです。大人だって、なかなかこうはいかないと思います。ついつい自分の考えだけが正しくてそれを相手に押し付けようとしてしまい、あの人はダメだと決めつけてしまいがちです。

環境さえ整えてあげれば、子どもたちは自分の力でここまでできるのです。それも、自らそうしようと思って主体的に取り組んでいます。決してやらされるのではない、自分のこととして取り組むからこそ楽しめるのですね。

こんな先生がイイ!!

2011/12/06

世界で一番ステキなクラスをめざす小学6年生の取り組みを、子どもたちが自ら振り返り紹介している『最高のクラスのつくりかた』に「こんな先生がイイ!!」というページがありました。このページで、子どもが「こんな先生がイイ!!」という意見を発表しています。子どもだって立派な一人の人間です。大人と同じ一人の人格です。自分に関係することについて意見を述べることができるのです。ですから、子どもの意見も聞かずに全て大人が勝手に決めてしまうことは避けたいですね。

どんな先生がイイといっているのでしょうか。

  • 子どもを信じている
  • 子どもに考えさせる
  • 子どもにまかせる
  • 自分一人で決めない
  • クラスをかげで見守る
  • どんな場面でも、子どものことを待ってくれる
  • 自分が悪いと思ったらすぐに謝る
  • 子ども扱いしない
  • 小さなことにはこだわらないが、大事な場面ではしっかりおこる
  • 自分のなやみを子どもに話してくれる
  • 子どもの限界を決めない

などがあります。これは子どもの意見です。子どもは「私は主体的に生きている一人の人間なんだ!だからそのように接して欲しい!」と言いたいのだと思います。これって人間関係の基本で「子ども」を、例えば「相手」などほかのことばに置き換えてもおかしくないと思います。私たち保育者が接するのは小学生ではなく乳幼児ですが、基本は同じです。どんなに小さくても一人の人格として接するべきなのです。たとえことばで意見を表明できなくても、伝えようとしていることはあると思います。

これをチェックリストにして自分を省みたら、いくつチェックがつけられるだろうと考えてしまいます。子どもを一人の人格として丸ごと信じ、真心を持って接し、見守ることができているのか、省みることをいつも忘れないようにしたいと思います。

ちなみに「こんな先生はイヤだ!!」というのも小さく書かれていました。自分はこうなっていないかな?

  • スパルタ
  • 自分勝手
  • すぐおこる
  • えこひいきをする
  • クラスをほうっておく
  • 自分が主役だと思っている
  • 何でも自分でやってしまう
  • 子どもの話し合いに口出しする
  • 自分のなやみを子どもにかくす
  • 子どもを待たない

最高のクラスのつくり方

2011/12/05

○×小学校の6年1組に転校生がやってきました。名前はあかね・・・そんな書き出しだしで始まる1冊の本があります。題名は『最高のクラスのつくり方』、あかねが転校してきたクラスを紹介してくれます。そのクラスは世界で一番ステキなクラスを目指しているのでした。

クラス目標:学級会で運動会のクラス目標を決めるために、先生も子どももみんなが輪になって話し合っています。「クラス目標って先生が決めるもの」と思っていたあかねに、みおが「みんなで作らなきゃみんなの目標にならないし、先生が作った目標だと先生が作った目標だからと言い訳して実行しないと思う。」と言います。子どもたちが自分たちの目標を自分たちで決めてそれに向かって力を合わせ、終わったとは振り返ることを実践しているのです。

教室:いいクラスを作るには、まずはいい教室からということで、4月に子どもたちがみんなで協力し、工夫して作った教室です。机の配置は、子どもどうしで勉強や話し合いがしやすいように4〜5人ずつ向かいあわせに座れるようにしてあったり、タタミを敷いた図書コーナーでは読書はもちろんおしゃべりしたりのんびりしたりすることができます。

友達関係:「一人ぼっちをつくらない」をクラスのモットーにしていて、クラスのみんながいい関係でいられることを大切にしています。みんなが親友になれるわけはないので、クラス内でグループができるのはしようがないけれど、それはそれで大切にしながらグループ以外の子にも積極的に声をかけるように自分たちで決めているのです。考え方が違う人ともいい関係を作れることを大切にしています。これって大人になっても大切なことですよね。

授業:算数の授業中「ねえねえ、ここわかった?」と言いながら、ノートを持って友達に聞きに行く子がいます。子どもたちが授業中に席を立ったり話し合ったりする姿に驚くあかねに、つとむがこのクラスの授業は子どもどうしで教え合うというのが基本だと話します。教えてもらう子はよくわかるし、教える方も教えることで自分の考えが整理できたり理解が深まるのです。先生はというと大事なポイントとヒントだけ示して子どもたちが自分で答えを見つけるのを待っているのです。お互いに教え合うことで子どもたちの学びが深まることもステキです。もう一つ重要なのは、勉強でもなんでもクラスメイトのだれ一人として「おいてきぼりにしない」ことを大切にしていることです。

こんなステキなクラスについて書かれた本に出会ったので、紹介します。ここに出てくるクラスは実在したクラスで、この本を作ったのも子どもたちなんだそうです。

 

『最高のクラスのつくりかた』
2010年2月20日初版第1刷発行
小学館
著者
埼玉県狭山市立堀兼小学校6年1組(2008年度卒業生)
岩瀨 直樹(担任の先生)

生活発表会

2011/12/04

当園では毎年12月の第1土曜日に生活発表会を行っています。今年もお寺の施設を借りて行い、会場には入りきれないほどの園児の家族がいらしてくださいました。

子どもたちは、各年齢ごとに発達に応じた生活の様子を発表しました。0・1歳児は普段保育室で遊んでいる様子を発表し、2歳児はお気に入りの絵本のお話を2歳児なりに表現していました。子どもたちができるだけ普段の様子が出せるようにと思いますが、たくさんの観客が見守る舞台の上といういつもとは全く違う環境で、普段の園での姿をというのも、子どもたちにとっては難しいことかもしれません。少し緊張気味でしたが、乳児クラスの子どもたちは楽しそうに取り組んでいました。

3歳児も、みんなが大好きでいつもいつも読んでもらっている絵本ごっこをしていました。普段から絵本を読んではごっこ遊びをしていたようで、とっても楽しそうに元気に自分なりに表現している姿はほほえましいものです。子どもたちは本当にお話の世界に入り、現実の世界とつなぐことができるのですね。

4・5歳児くらいになってくると台詞もすこし難しくなってきて、覚えないといけない部分が増えてくるので、よく練習していました。練習というと、覚え込まなければならないと思いがちですが、子どもたちは、練習をとても楽しみにしたいたようです。私はずっと子どもたちが練習する様子を見ていたのですが、子どもたちの能力の高さを改めて感じました。回を重ねるごとにどんどん上手になってゆき、5歳児はどう表現すれば良いかなども自分で考えていました。

大人はついつい欲が出て、少し良くなれば、もっと良くなって欲しいと思い、ああした方が良い、こうした方が良いと言いがちです。私もついついそうなるのですが、まずは子どものそのままをしっかり認めてあげることを忘れないようにしたいと思います。

本番の5歳児の劇では、少し嬉しい、そして悲しい場面で、役になりきって感情移入していたのか、やり遂げた達成感が嬉しかったのか、何人かの子が涙ぐんでいるように見えました。「ステキだね」と思っていると私も涙が出そうになりました。

また、保護者の出し物があって、たくさんの方が参加してダンスを披露してくださいました。何度も練習し、とてもステキに踊っていただいたのにもかかわらず、本番は音響機器のトラブルでご迷惑をおかけしてしまいました。すみませんでした。職員の出し物もあるのですが、笑いをとろうと悪のりしすぎてしまいました。反省です。

昨年度1年間一緒に仕事をしていた2人の保育士が発表会を見に来てくれました。1人は和歌山から始発に乗って来てくれたのです。場所は違っても同じ志をもって保育している仲間でいてくれるように思いとても嬉しく感じました。

楽しい

2011/12/03

「楽しい」は当園の大切にしていることのひとつでもあり、基本コンセプトでもあります。ただ、「楽しい」と一言で言いますが、それほど簡単なことでもないようにも思います。楽しいって、どういうことでしょう。ただ単に、おもしろおかしい楽しいもあれば、努力の積み重ねによってしか得られない達成感のような楽しさもありますし、だれかと気持ちが通じ合ったときの楽しさうれしさもあります。いろいろな「楽しい」があります。どんな楽しさでも、それぞれに大切ですし、どんな状況からでも楽しさを見つけ出すことができればうれしいと思います。しかし、どうしても「楽しい」というと、おもしろおかしいだけの楽しさがイメージされることが多いようです。

ある会社に勤める30代前半の知り合いの男性と久しぶりに会い話す機会がありました。初めて会ったのは、その方が小学生か中学生くらいの時だと記憶しているので、もう20年近くも前になります。

彼はとても頑張って仕事をしていて、夜遅くまで会社で仕事をしたあと、家にも持ち帰って仕事をし、寝るのは日が変わってから。にもかかわらず、翌朝5時には起きて始発で出社することもあるというほど頑張っているそうです。若いからこそできることだとうらやましく思いました。断っておきますが、決して長時間労働を賞賛しているわけではありませんので、誤解しないでください。

そんな彼に、私は「仕事は楽しいですか。」と尋ねてしまいました。すると彼はしばらく考えて、「今は、ともかくがむしゃらにでもやるだけで、楽しいかどうかはまだわかりません。」と答えてくれました。

私は簡単に「楽しい?」と尋ねたことを後悔しました。私の口にした「楽しい」が薄っぺらだったなと思ったのです。それと同時に、本当の楽しさは重ねた努力の上にこそ感じられるのかもしれないと考えました。楽しさと努力することは、楽しいからこそ努力もできるし、努力が報われて楽しくなることもある。お互いに補い合うものでしょうか。また、一方で、ただ楽しいことがあっても良いとも思います。

「楽しい」といって、そればかり考えていると、どうしても狭い視野や短いスパンで考えて、楽しいか楽しくないかという判断をしがちですが、いつも、いろいろな方向から考え続けていることが必要だと思い直しました。

冬の初め

2011/12/02

昨日の未明にはとても強い風が吹いていて風音で目が覚めました。外は真っ暗で何も見えません。日の出時刻の6時46分までは3時間もあるのですから当然です。布団の中でヒュー・ピューという音を聞きながら、この強い風に色づいた木の葉は舞い飛んでいるのだろうと想像しました。孟浩然の「春暁」は花だけど、今はもみじだなどと思っているあいだに、また少し眠ってしまいました。明るくなって外に出てみると、地面に落ち葉が積もっています。昨日まで紅葉していた木も、ずいぶん葉を落としてすっかり冬支度です。それもそのはず、冬至まで21日なのですから。今年も最後の月になってしまいました。どんよりと曇った空から雨が落ちてくると、もう冬の景色です。

昼間も風が強く、飛ばされた枯れ葉が舞っています。園の前を歩いていると、数枚の葉をつけた小さな枝が、ヘリコプターのようにくるくると回りながら落ちてきます。拾ってみるとケヤキの小枝でした。葉の付け根にいくつか実がついています。前にも書きましたが、ケヤキは種を遠くまで飛ばすために、数枚の葉をつけた小枝ごと大きな枝から離れるようです。前からどんなふうに飛んでゆくのだろうと疑問に思っていましたが、くるくる回りながら滞空時間を長くして遠くにまで飛ぼうとしている様子を実際に見ることができ、1人で感激していました。

もみじなどが落葉するときは枝と葉の間に離層という水分や養分を通しにくい層ができます。離層の働きで葉に糖分などが残って赤や黄に色づき、やがてその部分から葉が離れてゆくと言われています。しかし、ケヤキには離層ができるという説とできないという説があってよくわかりません。断面はどうなっているのだろうと調べてみたくなり、実体顕微鏡を持ち出してきて次の3つを見ました。

  • 手で折った小枝の断面(ケヤキ)
  • 小枝が自然に枝から離れた部分(ケヤキ)
  • もみじの葉の付け根

の3種類を見比べてみました。

手で折った小枝の断面と自然に枝から離れた部分では、明らかに形状が異なっています。手で折った方は、ただ折れていますが、自然に枝から離れた部分は、皮が外側にめくれ返ったように太くなり、中心部分とのあいだに少し隙間ができています。また、皮のあたりは断面が滑らかに見えます。ちなみに、もみじの葉の付け根は外側に反るように太くなり、断面は穴があいたようにへこんでいます。

詳しい説明はできませんが、自然に離れたケヤキの小枝の断面は、手で折ったものと形状が異なっていることがわかりました。(写真があるとわかりやすいのですが…ゴメンナサイ)

顕微鏡をのぞいていて、断面の形状だけではなく、少しだけ毛のようなものが生えている部分があったり、枝の芯部分の質感がフワフワやわらかそうにみえたり、そこに広がる世界の楽しさを再認識しました。園にも同じ実体顕微鏡が何台かあるので、子どもが体験する機会を増やしたいと思います。

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