shigaraki (鞍馬山保育園 の投稿者) - 35ページ目 (186ページ中)

運動会 4

2015/10/06

運動会を鞍馬小学校の校庭をお借りして行う事になり、初めて練習に行こうと予定していた日は、あいにくの雨でした。そこで、小学校に無理をお願いして、2回目の予定を調整させていただきました。園児達にできるだけ実際の場所で練習させてあげたいと思うのですが、園児達が校庭を占領してしまって、小学生の活動に支障があっては、小学生達に申し訳ありません。

2回目の練習を予定していた日はどうにか晴れたので、2・3・4・5歳児は叡山電車で小学校へ。その前に担当の先生方は学校に行って準備です。私も次の予定が迫っていましたが、少しでも手伝えればと思って、小学校へ行きました。

校庭にラインを引くなどしていて、気づいたのですが、私たちが使わせていただく部分は落ち葉がなく、ブラシをかけた後がありました。小学校の先生が、私たちが使う前に校庭を掃除してブラシ掛けまでしてくださっていたのです。なんてありがたいことなんでしょう。授業や休み時間を調整していただいて、校庭を使わせていただくだけでもありがたいことなのに、掃除やブラシ掛けまでしてくださって、恐縮してしまいました。

その日の練習を終え、園に戻ってふり返りをして、保育士の先生達は、もう一度小学校に行って、子どもたちに広さや距離感をつかんで欲しいと思ったようです。無理は承知で小学校にお願いして、日程を調整していただき、もう一度練習にお借りすることになりました。今回は短い時間なので、小学生達が休み時間に校庭で遊ぶのを邪魔しなくてすみそうです。それでも、授業の予定を調整してくださったかもしれません。ありがたいことです。

その日も、早めに準備に行ったら、校庭をお掃除してくださっていたようです。前々日に激しい風雨があったので、落ち葉がたくさんあったのかもしれません。小学校の先生方はただでさえお忙しいのに、たくさん落ちた落ち葉を掃き集めたり、ブラシ掛けをしてくださったのですね。

お心づかいをいただいていることが、ただただうれしく、思いました。鞍馬小学校の先生方、ありがとうございました。

運動会 3

2015/10/05

運動会を鞍馬小学校で行うにあたって、会場や準備物については、よく考えて一つずつ決めてゆけば、何とかなるのですが、主役の子どもたちの動きについては、少し難しいのです。

こどもたちが、いろいろなことを練習するのは、保育室か園庭しかありません。去年までは、運動会を行う場所を使って練習をしていたので、子どもたちも広さや距離感なども自然とわかっていたのですが、今年は狭い室内での練習がほとんどだったので、他のことはできても、実際の距離感や広さを感じることがむずかしかったのです。

それを感じたのは、初めて鞍馬小学校に練習に行ったときでした。並んでも会場を大きく使う事をせずに、いつもの保育室程度にしか広がれないなど、戸惑う子どもの姿がありました。先生たちは、できるだけ本番と同じ広さで練習した方が良いと思ったといいます。そこで、園庭で同じくらいの広さを確保できないものか、工夫したようです。園庭をいっぱいに使ってラインを引き、子どもたちが実際の広さを感じられるようにしていました。

子どもたちが、戸惑うことなく思う存分自分たちの力を発揮できるように!そのためには努力は惜しまない姿勢をうれしく思いました。

運動会 2

2015/10/04

手探り状態で始めた今年の運動会、担当の先生方が、着実に形にして言ってくれるので、とても頼もしく助かりました。

鞍馬小学校の校庭に登り棒を立てるにはどうすれば良いか?
難問かと思いましたが、担当の先生は簡単に解決してくれました。校庭にはテニスコートのネットを張る事ができるようになっています。ネットの支柱を立てる穴を利用して、登り棒を立てると良いという考えにたどり着いたようです。そうしてテニスコートのネットの支柱の穴を利用して登り棒を立てることが決まり、それを基準にトラックをレイアウトしてくれました。

レイアウトにあたっての条件は、できる限り例年通りの形を踏襲するということでした。広さや配置が極端に変わると、子どもも、大人も迷ってしまうのではないかという配慮からです。広い校庭を少し狭く使うので、もったいないような気もしますが、初めてのことが多すぎると、みんな戸惑ってしまって良くないという考えから、そのようにしました。

そうやって、レイアウトが決まったら、基本的に必要な物品は何か、その中で小学校から借りることができるもの、園から持って行くものを考えます。大きなテントや、保護者席の椅子、来賓席の机など、かさばるもの数が多いものはできるだけ学校のものを借りることにしました。

そんな形で着実に準備が進みました。

運動会 1

2015/10/03

今年も運動会の季節がやってきました。といっても、当園にしては遅い運動会です。例年なら9月中に運動会を終えているのですが、今年はいろいろな事情で、開催が遅れてしまいました。

例年と異なったのは、時期だけではありません。運動会を行う会場も例年とは違いました。いつも使わせていただいている場所が、今年は使えなくなったので、鞍馬小学校の校庭を使わせていただいたのです。しかし、私たちにとっては初めての試みなので、戸惑うことばかりです。校庭をどのように使うと良いのか、様々な準備はどのようにすれば良いのか、子どもたちの練習はどうすれば良いのか、数えあげたらきりがありません。まさに手探り状態で進めました。

そんな状況でも、職員のみんなは、担当の先生方を中心に、ひとつひとつ丁寧に問題や疑問を解決して、形にしていってくれました。解決しないといけない問題はたくさんありますが、考えたり工夫したり、知恵を出し合ったりしながら、一歩一歩進んで行けば良いのです。実際に先生たちは、校庭をどう使うかのレイアウト、登り棒を立てるにはどうすれば良いか。小学校にお願いして借りるもの、園から持って行くものの仕分け、そして、小学校との相談など、たくさんしなくてはならないことを一つずつ、着実に行ってくれました。

ただ、一番の問題は、子どもたちが実際に運動会を行う会場で練習する機会が極端に少なくなるということでした。叡山電車で一駅とはいえ、そう頻繁に小学校に練習しに行くわけにもいきません。なによりも、授業など小学生の活動の妨げになるわけにはいきません。

考えないといけないことは山積みです。

思い切る

2015/10/02

華道のお稽古をしていて、いつも思うことがあります。それは、「思いきり!」です。この花をだいたいこの位置に活けたいなと思って、長すぎる茎を切って適当な長さにしますが、このあたりだろうと見当をつけて、ハサミを入れて活けてみると、まだ長くてもう少し切ります。活けてみると、まだ長くてまた切る。ということを繰り返してしまうことがよくあります。最初から最適な長さが見極められると良いのですが、ついつい控えめに切ってしまいます。

一度で切る長さを決めれば、切り落とす部分も、「途中切り」として再利用できることがあるのに、ついつい使う部分を長めに切ってしまうのは、「切りすぎて短くなりすぎたらどうしよう・・・」という戸惑いがあるからだと思います。

先生は「思い切って、ここと思ったところにハサミを入れなさい。」とおっしゃいますが、ついつい、長めになってしまいます。そんなことを何度も繰り返していたら、「ここと思ったところに思い切ってハサミを入れれば、いいの、もし短すぎたら、その時はその時で考えれば良いんだから!」とアドバイスをいただきました。

まさにその通りだと思います。一度決めたら、すぐにそのようにやってみる。もしそれがダメだったら、そこから次の方法を考える。そうしないで、いつまでも躊躇していると、無駄が発生したり、迷うことによって、使えるものも使えなくなったりしてしまいます。
失敗を恐れず、思い切って実行する。やってみて、ちょっと違ったなと思ったら、またそこから考えて、新たな方法を探る。そうしていかないと前には進めませんし、いつも迷ってばかりになってしまいます。そうならないよう、思い切って、決める!が出来るといいな!そう思います。

お稽古

2015/10/01

茶道、華道とお稽古が続きました。とは言っても、茶道の方は私のお稽古の日ではありません。しかし、普段お稽古をサボりがちな私は、先生にご挨拶だけしようと、他の方のお稽古中にもかかわらずお邪魔してしまいました。そしたら、是非一服、と仰ってくださってお稽古中のお社中方が一服点ててくださいました。その間に、お菓子をいただいたのですが、ちいさな栗きんとんは、栗の香りがとても香ばしくて、おいしくいただきました。もうひとつ勧めてくださったお菓子をいただいたら、おせんべいなのにレモンの味がするお菓子でした。レモンの香りならわかるのですが、レモンを皮ごとかじったような、「レモンの味」なので驚きました。珍しいものがいろいろとあるのです。それにしても、お抹茶を一服いただくと、ホッとして気持ちが落ち着きます。ありがとうございました。

次の日は華道のお稽古です。先生が「今日は投げ入れで活けていただくので、花器は壺を使ってください。」とおっしゃいます。花材は、ツルウメモドキ、ホトトギス、キクの3種類。ポイントはツルウメモドキをどう扱うかです。変わった枝振りの2本をどう扱うか考えあぐねていると、先生がアドバイスをくださいました。そのようにしてみようとしますが、剣山を使うわけではないので、くるっと回ってしまったりして、思ったような位置や形に固定するのは、ちょっとしたコツがいります。そのコツを使って活けると、思ったような形になってくれました。ひとつひとつの花材をどう使えば、その花材を最も活かせるのか、他の花材と協調して、色や形、線を美しく表すことができるのか、なかなかわからないものです。先生からいただくちょっとしたアドバイスで、イメージが全く変わってしまうことがあるので驚きです。そこが自分でわかるようになると良いのですが・・・

それぞれの特性を活かす。それぞれの個性を引き立てながら、全体としてより美しくなるように、どこにどの材料をどんなふうに使うのかセンスが問われるところです。それぞれの個が輝くことで、個の集まりとしての集団が全体として輝く、それぞれがお互いを活かし合う。そうなると活け花も美しくなります。まるでチームワークのようです。

20151001_お稽古

やさしさ

2015/09/30

放生会に参加して、子どもたちはいろいろなことを考えながら、いつものお参りよりずいぶんと長い時間の法会に、静かに参列していました。屋外で立ったままの参列なのですが、子どもたちは一所懸命に手をあわせていました。そんな子どもたちの姿に、参拝客の皆さんも立ち止まって手をあわせたり、しばらくいっしょにお参りしてくださる方もあります。

美しく晴れていたこの日、木漏れ日のシャワーを浴びながら、池の畔に立っていると、山の上から爽やかな風が下りてきます。低くなった太陽が、秋を感じさせてくれます。そんな自然に包まれながら、法会に参列していたら、幸せな気持ちになりました。

法会の途中、子どもたちが池の魚に餌をあげに行きました。本来なら魚を池に放つのですが、放生池には、鯉や金魚がたくさんいて、これ以上放せないので、今いる魚に餌をあげることにしています。餌と言っても焼麩です。最初子どもたちは直径2センチくらいの焼麩をそのまま、池に投げ込んでいました。すると大きな鯉がやってきて、パクッと一口で食べてしまいます。その姿もおもしろかったのでしょう、子どもたちは楽しそうに餌をあげていました。ところが、よく見ていると小さな金魚は大きな麩を食べる事ができず、一つの麩にたくさんの金魚が群がってつついています。でもそうしているうちに、大きな鯉がやってきて、金魚たちがつついていた麩を一口でさらっていってしまいます。
そんな様子に気づいた子どもたちは、麩を小さく割って金魚が一口で食べる事ができるようにしてあげていました。小さな金魚にも食べてもらいたいと思ったのでしょうね。子どもたちの、小さな生き物に対するやさしさに、心が温かくなりました。

いただきます

2015/09/29

放生会に参加する機会に、「私たちは他のいのちをいただいて、自分のいのちをつないでいる。」ということを、子どもたちといっしょに考えてみました。
調理されてお皿に盛りつけられる食べ物は、もともとみんな生きていたということが、想像できたと思います。「なんか、かわいそうやな−」とつぶやく子どもたち・・・
「ほんまやなー!でも、食べなかったら、私たちはどうなる?」と問いかけると「死んじゃう」と口々に言います。「じゃあ、どうしよう?」と聞くと、「・・・」「そうや!ありがとう!って言って食べたらええんや!」話をしているうちに子どもたちはいろいろと考えていたようです。
「だから、いただきます。って言うんやなー?!」とことばを添えると、さらに「なんで?」と聞く子どもたち。「だって、いただきますは、食べ物のいのちをいただきます。ありがとうございます。っていう意味なんやで。」と答えると「そっかー!」と改めて納得していました。

抽象的なことなので、子どもによって理解の度合いは様々だと思いますが、何度も話しているうちに、わかるようになったり、あるとき突然、「そうか!」とつながったりします。「食べるということはいのちをいただくということ、だから感謝していただきましょう!」ということは何度となく話していますので、子どもたちは知っているはずです。それが、腑に落ちるときがいつか来るのだと思います。

ただ、話すことばは、その場で消えてしまうので、何度も話すか、書いておく必要があります。そういう環境を用意しておくと、子どもたちはそこから学びます。そのタイミングは、子どもたちひとりひとりで異なるのです。だからこそ、様々な環境に子どもが接することが出来るような準備をしておくことが必要なのです。乳幼児の教育では、大人が一方的に、どの子に対しても同じように一斉に同じ事をさせることは、ひとりひとりの子どもの学びにとって必ずしも良いというわけではありません。どちらかというと、ひとりひとりの「やってみたい!」と思う気持ち、「やるぞ!」という意欲、そしてそこから生まれる行動が、学びにつながるのだと思います。

放生会にて

2015/09/28

旧暦の8月15日、お寺では放生池という池のほとりで放生会(ほうじょうえ)という法会が行われました。今年は9月27日がその日にあたりますが、27日は日曜日なので、子どもたちが参加しやすいように、前日の26日(土)に行ってくださいました。保育園からは、年長の子どもたちが、学童からは小学生達が参加しました。

放生会は、万物の生命を尊重する精神と平素の殺生に対する供養の現れです。
金光明経の流水長者子品には、お釈迦さまが前世で流水長者であったとき、池の水がなくなって死にそうな魚のために池に水を注いで命を救い、利天に生まれさせた。とあるそうです。中国の天台宗の開祖、天台大師智は、この流水長者の本生譚によって、漁民が雑魚を捨てている様子を見て憐れみ、自身の持ち物を売って魚を買い取って放生池をつくり、殺生を止めたことから放生会が始まったと言われています。

お参りの前に子どもたちに、なぜ今からお参りをするかを説明しようとしましたが、「万物の生命を尊重する精神と平素の殺生に対する供養の現れ」と説明しても、理解するのは難しいと思いました。ですから、「食べる」ことを通して話をするとわかりやすいのかと考え、食べ物には全ていのちがあるということを思い起こせるように、子どもたちに問いかけてみました。例えば、お米、お肉や、お魚・・・私たちが普段口にしている食べ物は、食べ物になる前にはどんな姿だったのか、みんなで想像してみました。目の前の池で泳いでいる鯉や金魚の姿と、調理されてお皿の上に乗っているししゃもを想像して比べてみようと話しかけてみました。

食べ物にはいのちがあり、そのいのちをいただくからこそ、私たちは自分のいのちをつないでゆくことができるのだということを、子どもたちはわかってくれたように思います。

心を込めて

2015/09/27

車の定期点検を待っている間に、いろいろなことを感じたり考えたりしました。

1時間ほど待って名前が呼ばれたので、行ってみるとサービス担当の方ともうひとりのスタッフの方が、どこか申し訳なさそうに立っていらっしゃいます。何かあったのかなー?と思いながら近づくと、名刺を差し出しながら、「店長代理の○○です。実は・・・」とおっしゃるので、いよいよ何かあったなーと思って聞いていると、どうやら点検の途中で、サービスの方が誤ってガラスに貼ってあった断熱フィルムを傷つけてしまったようです。2人で平謝りに謝ってくださるので、こちらが申し訳ないくらいです。

一度見てくださいとおっしゃるので、見てみると確かに一部がはがれてしまっていました。でも、誰かが怪我をしたわけでもないし、こちらも断熱フィルムが貼ってあることを伝えなかったのもいけなかったので、「そんなに気にしないでください。」と伝えるのですが、何度も何度も謝ってくださいました。

確かに、ちょっと残念ではありますが、あまり嫌な感じがしなかったのは、自分の心に余裕があったからでしょうか、それともとても丁寧に謝ってくださったからでしょうか。心の底から相手のことを思って、話したり行動したりするのと、そうではないのとでは、相手への伝わり方が違う気がします。きっとディーラースタッフの方々は心の底から謝ってくださったのでしょう。その真摯な気持ちが、私の心に届いてきたのだと思います。私の心には不愉快や不満ではなく、爽やかというのかあたたかいというかそんな感じの方が大きかったように思いました。

心を込めることで、一見良くないことも良いことに変えられるのだろうな。そんなことを思いながら、点検と洗車をしてもらって美しくなった車を運転しながら、温かい気持ちで帰ってきました。

スクロール