2013年 9月

世代間のちがい

2013/09/10

高コンテクスト社会と低コンテクスト社会というようにコミュニケーションのタイプが異なるということを理解していないと、コミュニケーションがうまくゆかないことになってしまいます。逐一ことばで説明することが必要とされる文化的背景を持っている人に、「言外の意味を察しなさい」といっても無理なはなしです。

高コンテクスト社会は、その背景にある文化的なものをしっかり共有していないと、コミュニケーションが難しくなってきます。ですから、様々な文化的背景を持った人々が共に過ごすグローバル化した社会では、コンテクストに依存したコミュニケーションではなく、ことばに重点を置いたコミュニケーションが必要となってくるのです。「こんなことぐらいいわなくてもわかるだろう」は通じなくなり、細かなルールを明確に決めて、ことばで表す必要があります。

これは国や人種としての特徴だけではありません。日本のなかでも、高コンテクスト、低コンテクストの差があり、それが広がってきているのかもしれません。若い社員とコミュニケーションがとれずに悩む管理職が増えているということも聞きます。「そんなことは言わなくてもわかるだろう」は通じないのかもしれません。これだけいろいろな変化の激しい時代ですから、世代間での差が大きくなっていて、若い人は低コンテクストで、全てのことを逐一説明してあげないといけないのでしょうか。確かに、「なんでできないのだろう?」と思うようなことも、細かく説明してあげて本人が理解するとできることはあります。理解し納得さえすればできるのです。そのためには、やっぱりことばで逐一説明する必要があるのですね。

若い人が、低コンテクストで、逐一説明しないといけないのなら、彼らは日常的にたくさんのことばを操っているのでしょうか。以前、高校生のやりとりしているメールを見せてもらったことがありますが、文字数が少なくて驚きました。私などが見ても話題が何かさえわからないくらいでした。仲間内では意外と高コンテクストなのかもしれません。

高コンテクスト・低コンテクスト

2013/09/10

コミュニケションは様々な媒体によりますが、ことばによることが多いと思います。アメリカの文化人類学者エドワード・ホールは「高コンテクスト文化と低コンテクスト文化」という概念を提唱しました。コンテクストということばには、文章などの前後関係、文脈、脈絡、や(ある事柄の)状況、環境という意味があります。コミュニケーションのコンテクストへの依存度が高いのが、高コンテクスト文化で、全てを言語で説明しようとするのを低コンテクスト文化というそうです。

高テクスト文化は、人間関係や社会習慣など、ことば以外に依存する傾向が強いタイプのコミュニケーションです。詳しく説明しなくてもお互いにわかりあえる、「言外の意味を察する」というように察することができる文化です。「以心伝心」や「一を聞いて十を知る」といったことが成立するのです。ですから、聞き手に「察する」能力が求められます。特徴として、直接的に表現するより単純な表現、曖昧な表現が多い。逐一説明しないので、多く話さない。などの傾向があります。

一方、低コンテクスト文化は、ことば以外のものに依存しない傾向が強いタイプのコミュニケーションです。なんでも、ことばにしないとわかり合えない、ことばで一から十まできっちりと説明する必要があります。ですから、話し手の能力が求められます。非論理的であったり、曖昧な表現では通じません。傾向として、直接的で解りやすい、はっきりした表現が必要とされ、多く話す事が必要となってきます。

世界をコンテクストへの依存の高さで分類してみると、高コンテクストのグループには日本人、中国人、アラブ人であり、低コンテクストのグループにはドイツ人、スカンジナビア人、アメリカ人となるそうです。その中でも日本は最も高コンテクストなのです。

コミュニケーションの大切さ

2013/09/08

最近コミュニケーションということが、よく話題に上ります。ビジネスシーンにおいても、コミュニケーションの大切さがいわれ、コミュニケーションに関する研修なども数多く行われています。社会福祉施設を対象とした研修案内にも、そういった内容のものがたくさんあります。より良くコミュニケーションすることが求められているのです。裏を返せば、コミュニケーションが難しくなってきているということなのだと思います。誤解や、すれ違い、思い込みばかりで意思の疎通がうまくゆかなくては、社会生活を営むことはできません。「社会生活を営む人間の間に行われる知覚・感情・思考の伝達。言語・文字その他視覚・聴覚に訴える各種のものを媒介とする。」広辞苑にはこう説明されています。以前にもコミュニケーションについて書いたことがありますが、英語のコミュニケーション(communication )はラテン語の“communis”や“communio”と“munitare”からできているそうです。“communis”は“common”や“public”のように「共通の」という意味、“communio”は“comm”共に、“unio”一致という意味で、それに“munitare”(舗装する, 通行可能にする)という意味がプラスされたことばなのだそうです。「共通の」「共に一致する」ところが「通行可能になる」つまり通い合う、通じ合うということなのでしょう。「知覚・感情・思考の伝達」なのです。それが一方通行ではなく、「通じ合う」ことなのです。人間が社会を構成して生きてゆくためには必要なことなのです。
では、このコミュニケーションが難しくなってきているのはなぜでしょう。

環境によって育つ

2013/09/07

赤ちゃんがことばを獲得してゆく、もっとも最初の部分を学び、とても興味を持ちました。ことばを操ることができるのは人間だけだと言われていますが、ほかの動物も人間とは異なる形でコミュニケーションしています。犬や猫もそうでしょうし、イルカは水中で会話をしているといわれています。イルカのことばを解明する研究などもあるそうです。象は数キロ先の仲間と会話をしているともいわれます。テレパシーでも使っているのでしょうか。テレパシーではなく地面を伝わる振動を利用しているのではないかと言われています。人間以外の動物たちも、いろいろな方法で、コミュニケーションをしています。もしかしたら、植物もコミュニケーションしているのでしょうか。興味のあるところです。

人間は、主に言語というツールを使っています。しかし、人間のだけでも世界にいくつくらいあるのか、3,000とも6,000とも8,000ともいわれ、はっきりした数はわからないそうです。

赤ちゃんは、どの言語にでも対応できるように生まれてきて、1歳頃までには母語に最適化してゆきます。どんな環境の中でも生きてゆけるように、どんな環境にも適応してゆけるような形で、発達してゆくのです。それは、ことばに限らず、他の様々な発達についても言えることです。

だからこそ、子どもたちがどんな環境で過ごすかがとても大切なのです。子どもたちは自ら主体的に環境に関わることで発達します。その中でも、最も大切なのが、人的環境かもしれません。子どもどうし、子どもと大人、大人と大人。いろいろな人的環境があります。

そういった多様な関わりの中で、こどもに学んで欲しいことは、「より良い社会の一員になる」ということです。そのために必要なことの一つは、子どものモデルとなる関係性が子どものまわりにあることです。「より良い社会」のモデルを大人が示す必要がありそうです。

ことばをまなぶ 7

2013/09/06

私たちは、赤ちゃんに何気なく語りかけていますが、何気ない語りかけにも、赤ちゃんにとっても、私たちにとってもいろいろな意味があることがわかります。どうしても赤ちゃんを見ると、高い声で、抑揚豊かに、はっきりとした母音を使って話します。もちろん、そういう話し方をした方が、赤ちゃんが話している人に注目する割合は高くなります。なにも意識してそうしているわけではないのに、そうなってしまいます。赤ちゃんを目の前にするとそういうスイッチが入るのでしょうか。もしそうなら、きっと赤ちゃんがそのスイッチをONにしているのだと思います。この赤ちゃんに話しかけるときの特徴は、様々な言語で共通していいるそうです。

しかし、日本語には一つの特徴があるそうです。それは育児語と呼ばれるものです。「わんわん」「あんよ」「くっく」「ぶーぶ」といった特殊なことばを赤ちゃんに対して使います。この3拍もしくは4拍のことばが文中に入ることで、文全体が特殊なリズムを持った文になります。このことが赤ちゃんの発語に関係するのです。育児語には、連続した音の中から、単語を切り出しやすくする役割があるそうです。

まったく聞いたこともない言語で誰かが話しているのを聞いているところを想像してみてください。ただ音が連続しているとしか聞こえないし、どこからどこまでが一つの単語かなんてわかりっこありません。赤ちゃんもことばを覚える前は、似たような状況にいるのではないでしょうか。その川のように流れる音の中から、単語を見つけてすくい上げるのは至難の業だと思います。その助けとなるのが育児後なのです。「わんわん」という繰り返しや、「くっく」のようにまん中につまった音が入っていることば、「あんよ」のように「ん」の音がまん中に入っているもの、そして長音を伴うものがあります。これら特殊なリズムを持ったことばを使うことで、赤ちゃんが連続した音の中から単語を単語として認識しやすくなるのだそうです。

また、「うさちゃん」のように「〜ちゃん」という接尾語をつけること、「おかし」「おもち」のように「お」という接頭語をつけることも同じように単語を抽出するのに役立っているそうです。

大人は赤ちゃんと接するときに、乳児語や育児語を使います。赤ちゃんは乳児語や育児語を好んで反応するという相互作用が、言語の発達には必要なようです。相互作用と言えば、赤ちゃんが音声を発したときに、タイミング良く、話しかける、ほほえむ、身体に触れるなどの応答をしてあげると、声を出すことが多くなったり、ことばを話すような発声が増えたりするそうです。

このように大人の適切な語りかけが、赤ちゃんのことばの発達をうながすのです。

人はことばを使って複雑なコミュニケーションをとります。ことばは、お互いにより良い社会を築いてゆくために獲得したツールなのだろう。そんなことが頭に浮かんできました。

NTTコミュニケーション科学基礎研究所人間情報研究部 麦谷 綾子先生の講義は、専門知識がない私にもわかりやすく、とても興味深いものでした。このような機会に巡り会えたことを感謝しています。麦谷先生とこの機会を設けてくださった保育環境研究所ギビングツリーの皆様にお礼申し上げます。

ここに示したのは講義を聞いた私の感想であって、私の聞き間違いや、理解不足による誤りがあるかもしれません。ご容赦ください。

ことばをまなぶ 6

2013/09/05

母語の音を聞き分ける能力の発達する、母語に最適化するということを赤ちゃんが行っているということを知りました。人間だけが使うことのできる言語というツールを獲得してゆく過程を知ることはとてもエキサイティングです。

しかし、赤ちゃんはひとりで発達してゆくわけではありません。お母さんをはじめとした周囲の人や物、空間といった環境と関わることがあってはじめて発達が促されるのです。特に言語については、人との相互作用の中でしか発達しないのです。この相互作用をうながすのは赤ちゃんの方からだと言われています。

目の前に赤ちゃんがいたら、ついついあやしたくなります。普段は出さないような高い声を出して、「かわいいですねー!」なんて語りかけませんか。この赤ちゃんへの語りかけにもいろいろな特徴や意味があるのだそうです。

大人が赤ちゃんに語りかける声には、高い声、豊かなイントネーション、明瞭な母音、ゆっくり、発話が短い、発話間のポーズが長い、などの特徴があるそうです。赤ちゃんに語りかけるときに声が高くなるのは、どの言語においても共通しているだけでなく、男女にかかわらず声が高くなります。そして、豊かなイントネーションになることは、容易に想像できます。成人に対するときよりも明らかに抑揚をつけて話します。

そして、母音をはっきりと話し分けるそうです。これもどの言語にも共通しています。母音を発音するときの、口の開き、舌の位置の相違によって生じる音色の相違を三角形に配置して示した母音三角形と呼ばれる図式があるのですが、/a/i/u/ の各母音の差が大きいほど、三角形の面積が大きくなる。つまり母音を明瞭に話し分けていることになります。母音をはっきりと話す事で、赤ちゃんが聞き取りやすくなるのです。

赤ちゃんに対する話し方に似た話し方をする対象として、かわいがっているペットに話しかけるときがあります。確かにペットに話しかけているのを思い出してみると、赤ちゃんに話しかけるときに似た話し方をすることがあります。しかし、ペットに話していることばと、赤ちゃんに話しかけていることばを比較すると、母音三角形の面積は異なるそうです。もちろん、赤ちゃんに話しているときは面積が大きくなる、母音を明瞭に話し分けるのに、ペットの場合は母音三角形の面積は小さいそうです。ペットには言語を聞き取る必要はありません。私たちは知らず知らずのうちに、赤ちゃんが聞き取りやすい話し方をしているのです。

ことばをまなぶ 5

2013/09/04

音声知覚が母語に最適化される生後6〜8カ月から10〜12カ月までに、母語以外のことばを体験すると、そのことばに特有の音も聞き分けられるようになる。という実験結果があります。お父さんが英語を話し、お母さんが日本語を話すといったバイリンガルの人たちは、2つの言語の音を聞き分けることができるようになります。しかし、単純に複数の言語が同じように使えるようになるという訳ではなさそうです。お父さんと話すときは英語で、お母さんと話すときは日本語というように、場面によって使い分けたりすることもあるでしょう。二つの言語の間を行ったり来たりしながら話さなければならないので、バイリンガルの人はバイリンガルの人の苦労があるのだと思います。子どもの時にどちらかだけを使おうとする事もあるそうです。

バイリンガルの人は、ものごとを考えるときにはどちらの言語を使うのでしょうか。その時の状況によるのでしょうか。その時々で自然に選んで考えているのでしょうか。英語と日本語であれば、英語を話す人と話すときは英語で考え、日本語で話すときは日本語で考えているのかもしれません。話す相手がいなくて、ひとりで思索にふけるときなどはどうするのでよう。

いずれにしても二つの言語を行ったり来たりするのには、それなりのエネルギーが必要なのだと思います。

バイリンガルの子に育てるには決して親が教えようとしてはいけない。一緒に学んだり、一緒にことばを使って楽しんだりするなかで、自然に身につけてゆくのが良いといったことを聞きます。

赤ちゃんの時に、2つの言語を聞き分ける能力を持ったとしても、その後2つの言語を使おう、使いたいという意欲が本人になくては、使えるようにはならないのだと思います。
以上は全く私の思ったことなので、学術的な裏付けがあるわけではありません。

麦谷博士の講義の最後にこんな質問が寄せられました。「赤ちゃんの時に言語の知覚が母語に最適化されるなら、大人が英語を聞き流すだけで英語が上達するということはないのですか?」それに対して、麦谷博士は、第2言語を学習する場合は、本人の意欲が一番重要な要素であり、いろいろな教材があるが、どの教材を使っても本人の学ぼうとする意欲が低ければ習得は難しいし、意欲が高ければ習得できる。といった意味のことを答えていらっしゃったように思います。

語学に限らず、どんなことに対しても、この意欲というのが大切なのではないでしょうか。子どもに無理矢理やらせると、そのときは渋々やっても、やらせないとやらなくなります。やりたい、やってみたいという意欲を喚起することが、子どもが自らそのことに取り組むことに繋がるのです。まさに子ども主体、それが大切なのだと思います。

ことばをまなぶ 4

2013/09/03

赤ちゃんは、生後6カ月から8カ月くらいまでなら様々な言語の音を聞き分ける力を持っているのに、1歳頃には母語を聞くことに特化してくるので、母語にない音は聞き分けることが難しくなってくる。そんなことを聞くと、「早いうちに赤ちゃんに英語を聞かせなくては!」なんて思う方がいらっしやるのではないでしょうか。パトリシア・クール博士の実験でも、アメリカ人の赤ちゃんに中国語を聞く機会を与えたら、中国語に特有の音も聞くことができるようになったという結果が出ました。ただしそれは、生身の人間が対面して話したときにのみ有効だということもわかりました。

NTTコミュニケーション科学基礎研究所人間情報研究部 麦谷 綾子 博士は「もったいない?」と表していらっしゃいました。「外国語を学習するのに、この時期を逃すのはもったいない。と思っていませんか。」ということなのだと思います。せっかく、あらゆる言語の音を聞き分ける力を持っているのに、その時期にいろいろな言語に触れる機会がないのはもったいないと考えるのも無理はないかもしれません。

ところが、麦谷博士はこんなデータを示してくださいました。生後7カ月の時に、英語の “L” と “R” の音を聞き分けていたグループと、聞き分けられなかったグループの2グループを2歳半まで追跡調査し、母語の語彙数を調べたところ、“L” と “R”を聞き分けられなかったグループの子どもたちの方が聞き分けた子どもたちのグループに比べて母語の語彙数が多かったそうです。

つまり、7カ月の時点で英語の “L” と “R” が聞き分けられなかったグループの赤ちゃん達は、その時点で聞き分けられたグループの赤ちゃんよりも母語に対する最適化が進んでいたということです。最適化とは母語に適した音の聞き取りがよりできるようになるということですが、英語を聞き分けられなかったグループはその時点で、より母語に適した音の聞き取りができていた。だから、母語のことばの発達が早く、2歳半の時点での語彙数が増えていたということです。

だから、この時期に無理に英語を聞かせることが、絶対に良いとは言い切れないのです。

赤ちゃんは生まれたときには、母語に依存しない音声知覚を持っていて、生後6カ月ごろから知覚の最適化がはじまり、1歳くらいまでに母語に適した音声知覚に変わってゆくということが言えます。

赤ちゃんはあらゆる能力を持っていて、時を経るにつれて自分が生活する環境にあわせて不必要な部分をそぎ落としてゆく、それが発達なのですね。だからこそ、まわりの環境が大切なのだと思います。無味乾燥で殺風景な部屋で過ごせば、五感を刺激するものが少ないので、五感で感じるという発達が限定されてしまいます。あらゆる場所と機会を捉えて、五感を刺激する環境を用意しておく必要があると思うのです。そうすれば、子どもが自らその環境に関わり、豊かに発達してゆくのです。

ことばをまなぶ 3

2013/09/02

NHKの番組、スーパープレゼンテーション 必見!赤ちゃんの脳は外国語をどう学ぶ?で取り上げられていた、ワシントン大学学習脳科学研究所所長パトリシア・クール博士の“The linguistic genius of babies”というプレゼンテーションがあります。言語習得を中心とした子どもたちの学習能力の研究から、赤ちゃんの言語習得についての研究成果をわかりやすく伝えてくださっています。

赤ちゃんは、どんな言語でも聞き取ることができる「世界人」ですが、大人は聞き取ることができません。では、いつ「世界人」ではなくなるのでしょうか。それは1歳になる前です。とクール博士はおっしゃっています。前回紹介した “L” と “R” を聞き分ける実験などの結果からそれがわかるのです。生後6カ月〜8カ月くらいだとアメリカの赤ちゃんも日本の赤ちゃんも “L” と “R” を聞き分ける能力に差がないのに10カ月〜12カ月になるとアメリカの赤ちゃんは “L” と “R” の聞き分けがより良くできるようになっているのに対して、日本の赤ちゃんは聞き分けができなくなってきているという実験結果は、赤ちゃんが母語習得への準備を始めているということです。

この2カ月の間に赤ちゃんには一生懸命にことばを聞いて脳内で統計を取っているそうです。英語で赤ちゃんに語りかけるアメリカ人のことばには“L” や “R” の音がたくさん出現しますが、日本語を話す日本人のことばには日本語独特の “L” と “R” の中間の音、日本語独特の “R 音”が多く出現します。これを聞いて赤ちゃんは脳内で統計を取り、その統計が赤ちゃんの脳を変化させて、「世界人」ではなくなるのです。

では、バイリンガルの環境ではどうなのでしょうか。この月齢のアメリカ人の赤ちゃんに、中国語を聞かせる機会を与えた実験では、中国語特有の音も聞き分けられるようになったそうです。

しかし、ここには重要な要素があります。それは、中国語を話す人が直接、赤ちゃんに話しかける必要があるのです。音声だけで中国語を聞かせる、もしくは映像メディアを通して話しかけた赤ちゃんは中国語を聞き分けるようにはならなかったそうです。生身の人間が直接話しかけたときにだけ、聞き分ける事ができたのです。パトリシア・クール博士は、これは社会脳が赤ちゃんに統計を取らせるからだとおっしゃっていました。

赤ちゃんが、言語を習得するのは、自分が所属する社会でより良く生きてゆくためなのです。その社会は生身の人と人の関わりということです。決してぬいぐるみとの関わりでもないし、モニターを通した関わりではないのです。この話を聞いて赤ちゃんは「社会を構成する」という目的のために、自分の所属する社会の環境に最適化できるように、できているのだと思いました。母語に最適化するのは、自分の所属する社会により最適化するということなのです。ですから、生身の人間と対面したときにのみ、脳が統計を取ったのです。

社会には、多様な人がいますし、多様な人と関わってより良く生きることが必要になってきます。ある年の4月2日生まれから翌年の4月1日生まれの人だけが集まる社会というのは、日本の学校に限られた非常に特異な集団です。学校を卒業して社会に出れば、様々な年齢の人と関わりあって生きてゆかなくてはなりませんし、それが自然なことです。だからこそ、乳幼児期には、異年齢のいろいろな人と関わる事のできる環境を用意しておかなくてはならないと思いました。

ことばをまなぶ 2

2013/09/01

赤ちゃんはどのようにして、ことばを獲得してゆくのか。麦谷 綾子先生の講義を聴かせていただいた感想を書かせていただいていますが、私の聞き間違いや理解不足のために不正確な部分があるのは私の間違いです。ご容赦ください。

赤ちゃんはおかあさんのお腹の中で、しっかりと音を聞いている。昼ドラの主題歌をも聞いているというのには、驚きました。聞くだけではなく、泣き声にも違いがあるそうです。ドイツ語を母語とする新生児とフランス語を母語とする新生児の泣き声を比べてみると、泣き声の高さと強さの変化の特徴は、それぞれの母語の音声特徴に似ているそうです。ドイツ人の赤ちゃんはドイツ語っぽい泣き方をして、フランス人の赤ちゃんはフランス語っぽい泣き方をすると言うことなのです。これらのことから、新生児には基本的な聴覚機能と、ことばを学習する能力が備わっていると言うことがわかります。

では、赤ちゃんは生まれてからどのように言語機能を発達させてゆくのでしょうか。その一つは、母語の音声体系に最適化する過程だといえそうです。母語の音声体系に最適化されてゆくのはいつ頃かを調べた実験があります。英語の “L” の音と “R” の音は私たち日本語を母語とする人にとって聞き分けるのが難しい音の一つです。英語を勉強して。ここで躓く人は多いのではないでしょうか。この英語の “L” と “R” を聞き分けるようになる時期を調べたのです。

それはこんな実験です。赤ちゃんに la la la la la la・・・というLの音を聞かせます。それが突然 ra ra ra ra ra・・・と言う音に変わります。その瞬間に、マジックミラーの奥に隠された人形達にライトが当たり、人形が動き出します。すると赤ちゃんはそちらを振り向きます。このことを何度か経験したあと、ある程度慣れて来たら、“ra” の音が聞こえてから人形が光り出すまでのタイミングを少し遅らせます。赤ちゃんが “la” と “ra” を聞き分けていたら、人形に光が当たり動き出す前にそちらの方を見るという実験です。

この実験を英語が母語であるアメリカ人の赤ちゃんと、日本語が母語の日本人の赤ちゃんで比較してみます。そうすると生後6カ月〜8カ月の赤ちゃんでは、アメリカ人の赤ちゃんも日本人の赤ちゃんも同じように “L” と “R” を聞き分けていることがわかりました。それが生後10カ月〜12カ月の赤ちゃんでは、アメリカ人の赤ちゃんはLとRを聞き分ける率が上がりますが、日本人の赤ちゃんは聞き分ける率が下がってきて差ができます。ということは、生後6カ月から10カ月の間に赤ちゃんが母語に含まれる音を聞くことに最適化されてゆくことを示しているという意味です。

ちょうどこの講義を聞く少し前にNHKのスーパープレゼンテーション 必見!赤ちゃんの脳は外国語をどう学ぶ?という番組の録画を見ていたら、赤ちゃんの脳の発達と言語習得の関係を研究するパトリシア・クール博士のプレゼンテーションで同じ実験が紹介されていたので、すぐに実験の意味が理解できました。

それにしても、生後6カ月から12カ月という短い期間に赤ちゃんは、自分の母語を聞く力をつけるというのは驚きです。こういうと少し不正確です。生まれたての赤ちゃんは、どの言語の音でも聞き分ける能力を持っているのです。それが、成長するにつれて、自分が生きてゆくのに必要のない部分を切り捨てて、自分の生活環境に最適な能力を伸ばしてゆく、「刈り込み」ということが行われているのです。

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