shigaraki (鞍馬山保育園 の投稿者) - 30ページ目 (186ページ中)

迷子

2015/11/24

お寺の仕事をしていたら、警察から電話がかかってきて80歳女性が、家族とはぐれて迷っていらっしゃるようだが、何色の服を着て、何色のカバンを持った、こういった背格好の方を見かけていませんか?と尋ねられたそうです。何人かで探しましたが、見つかりません。

夕方になって、人影もまばらになってきました。秋の日はつるべ落としといいますが、すぐに暗くなります。その後ご家族と離れた方が見つかったのか、見つからないのかわからないまま夜を迎えましたが、どうしていらっしゃるのかがわからないままです。でもどうすることもできないので、連絡を待つしかありません。

朝になって、午前7時から警察と消防による創作活動が再開されると聞いて、まだ見つかってなかったんだ。夜の間はどこでどうして過ごしていらしたのだろうと、心配になりました。幸いというか何というか、昨夜は気温もそれほど低くなく、予想されていた雨も降らなかったのがせめてもの救いです。

それからしばらくしてから、知ったのですが、その方は鞍馬から電車で30分ほどの駅前のコンビニエンスストアで保護さてたそうです。どうやら、その方は認知症だったようで、自分が迷子になったことも忘れてしまっていたそうです。一晩どこでどうして過ごしていらしたのか、とても気になりました。

無事に保護されたことが、何よりの救いです。
徘徊模擬訓練のことを思い出しました。そんなとき自分には何ができるんだろう?そう考えると、できる事は多くないなと想いました。

徘徊模擬訓練 3

2015/11/23

認知症やその疑いがあり、徘徊などで行方不明になったとして、警察に届けられた方は2013年の1年間に約1万人といわれています。

厚生労働省の研究班によりますと、国内の認知症の高齢者は、2012年の時点で462万人、高齢者の15%に達すると推計されています。また認知症の予備軍とされる「軽度認知障害」の高齢者は、400万人に上ると推計され、国内の認知症とその予備軍の高齢者は合わせて860万人余り、高齢者の4人に1人が認知症またはその予備群ということになります。厚労省の推計によれば、団塊の世代が75歳以上となる2025年には、認知症患者数は700万人前後に達し、65歳以上の高齢者の約5人に1人を占める見込みです。

また、若年性認知症といって、65歳未満で認知症を発症するケースも増えていて、高齢者に限ったことではありません。

認知症になる人の数は増加をたどっています。認知症になっても生活しやすい環境は周りの人の理解と、さまざまなひとや期間の連携だと思います。いろいろな人がいて、いろいろな人がその人なりに生きやすい社会、みんなが自分を発揮してイキイキできる社会になると良いですね。

徘徊模擬訓練 2

2015/11/22

はじめて鞍馬で行った徘徊模擬訓練。鞍馬学区の方がどれくらい参加してくださるのかと少し気になっていましたが、開始時間の10時を待たずに大勢の方が集まってくださり、駅前で声かけの訓練を行いました。徘徊者役の方が歩いていらっしゃるところに声を掛けるのですが、訓練とわかっていても何と声を掛ければ良いのか、返ってくる反応にどう対処して良いのかというのは、咄嗟には難しいと思うのです。それなのに、みなさんやさしく寄り添うように、またフランクに話しかけていらっしゃる様子は、事前に練習されたのかと思うくらいでした。それもお一人ではなくほとんどの方が、やさしく親切丁寧に接してくださっていたのです。普段認知症の方に接していらっしゃる施設の職員さんが、声かけについてアドバイスをしてくださっていたのですが、その方も「皆さん上手ですね。」と感心していらっしゃいました。

皆さんあんまり上手なので、対応の方法も発展してゆきました。警察署に繋げることとか、電車に乗るとおっしゃったら、駅員さんにケアしてもらえるように伝えるとか、もし連絡先など教えてもらえるようなら教えてもらって連絡するなど、その方がどこか遠くに行ってしまったり、さらに迷子になってしまわないよう自分ができる事をやる方法、その時に気をつけなくてはならないことなど、施設の方がアドバイスしてくださいました。

訓練が必要なのはわかるけど、徘徊しているかもしれないような人に出会う機会なんてそんなに無いんじゃないの?と思う方も多いかもしれませんが、決してそうとばかりは言っていられません。今年、当園の運動会は鞍馬小学校の校庭をお借りして行いましたが、運動会の途中に施設の方が会場に来られて、認知症の方が行方不明になっているのですが、こんな特徴の人は来ていませんか?と施設から出て行った方を探していらっしゃいました。行方不明になっていた方は施設の近くで無事に保護されたそうですが、このことをみても、決して遠くで起こっている事ではないのです。

徘徊模擬訓練 1

2015/11/21

今年も、徘徊模擬訓練が行われました。昨年までは、市原、静原、鞍馬の3学区の関係者が市原に集まり、2コースに分かれて、歩き回る徘徊者役の人に声を掛けるという訓練を行っていました。声かけの難しさや、徘徊に対する一般の方の反応など気づいたり学ぶことは多かったのですが、今年は、より多くの人に声かけの体験をしていただこうという趣旨から、3学区に分かれて行う事になったそうです。

11月15日 日曜日という日程は、参拝や観光、ハイキング、もみじ狩りなどなどの目的で鞍馬を訪れる方が1年の内でも多い日にあたるので、どうなることかと心配していましたが、私の心配は杞憂に終わって良かったです。

当日鞍馬駅前は認知症サポートのイメージカラーであるオレンジ色に染まりました。オレンジ色の布をそこかしこに掲げることで、場の雰囲気を作る効果を狙って、左京北地域包括支援センターの皆様が考えてくださいました。おなじイメージカラーのオレンジの布を、各お店のご協力を得て、店頭に掲げていただくということも行われました。お店の皆様もお客様の対応で大変お忙しいにもかかわらず、協力してくださいました。

困っている人をみんなで連携して、気にかける、守る、助けることができると良いと思います。

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子どもの力

2015/11/20

園で事務仕事をしていたら、玄関のベルが鳴りました。出てみると宅配便の配達員さんが荷物を届けてくださったところでした。伝票にサインをし荷物を受け取って園内に戻ろうとしたら、「あのー、すみませんが、こちらの保育園の方ですか?」と声をかけてくださる中年の女性がいらっしゃいました。この時期は紅葉を求めてお寺にお参りされる方が多いので、道でも尋ねられるのかなと思い「そうですが、何かご用ですか?」と尋ねてみると、「実は…」と話し始めてくださいました。

その方のお母様は昨年90何歳かで亡くなられたそうですが、そのお母様が80歳台の時に鞍馬のお寺にお参りをされ、木の根道を通って貴船に超えて行かれたそうです。その時に参道を散歩していた当園の園児たちと一緒になり、年上の子が歩くのが嫌だと泣いている小さな子に、京都のことばで「泣いたらあかんで!がんばるんやで!」と声をかけているのをご覧になったそうです。ちょうどそのころご病気かなにかで苦しんでいらっしゃったお母様は子どもの「泣いたらあかんで!がんばるんやで!」のことばにハッとさせられ、勇気づけられたとおっしゃっていた。教えてくださいました。それ以来お母様は、何度も鞍馬にいらしていたそうです。

その女性は、いつか母と一緒に鞍馬に来たいと思っていたけれども、結局それはかなわなかったので、母の歩いた道をたどろうと思って今日は静岡から来たんです。とおっしゃるのです。

その話をきいて、涙が出そうになりました。その時の子どももすごいし、子どものことばに勇気をもらったというお母様もステキです。そして、お母様がお好きだった木の根道を歩こうと、鞍馬にいらっしゃった女性の思いもステキだと感じたのです。

そして、たまたま外に出ていた私にそんな話を聞かせてくださったこと、どこか不思議です。もしかしたら、気づかないだけで、そこには何か意味があるのかもしれませんね。

それにしても、子どもの力ってすごいですね。素直だから、純粋だから、発する言葉が心の奥底に届きやすいのかもしれません。子どもたちの素直さを大切にしたいものです。

自分で考える

2015/11/19

お十夜の結願法要に参加するために年長児たちと真如堂へ行きました。移動の車の中では子どもたちが、楽しそうに話していました。会話の全てが聞こえたわけではなかったのですが、「それって、自分で考えて、自分で決めることやんな?先生!」という声が聞こえてきました。どんな話題で、子どもからそんなことばがでたのか興味があったので、後で一緒に車に乗っていた先生に尋ねてみました。どうやら、保育園に来るのにどんな服装が適当なのかという話をしていたようです。先生は、「ひらひらのスカートをはいて来たらどうなると思う」など、子どもたちが考えやすいような問いかけをしていました。「動きにくい服装はダメ」というのではなく、なぜそうしない方が良いのか、子どもたちが自分で考えられるよう、ことばを選んでいたようです。「外で遊んだら汚れるかもしれないね」「フリルのついた靴下をはいてきて、靴下が汚れても良いのなら、いいけど、どうする?」と子どもたちが選ぶことができるように声を掛けていたようです。

子どもたちから「自分で考えて、自分で決めることやな?」ということばが出ると言うことは、普段からそんな言葉を耳にしていると言うことですし、自らもそう考えて行動しているということです。それは、先生方が普段から子どもたちに語りかけている言葉なのだと思います。子どもたちが「自分で考え、自分で決め、自ら行動する」ことができるように!という思いを常に持って接しているから、自然とことばがけも、子どもが自ら考える事ができるようなことばがけになるのです。だからこそ、普段の何気ない言葉づかいに気をつける必要があるのです。私たち保育者も環境の一部ですから。

お十夜 2

2015/11/18

年長児たちと参加した、真正極楽寺 真如堂の十日十夜別時念仏会(お十夜)の法会。混雑を見込んで早く出発したら早めに到着したので、みんなは境内を散策したそうです。もみじの名所だけあって、とても美しい紅葉に出会えたようですし、他にもいろいろと発見があったようです。

法要が始まり、行列に加わって本堂の中でお行儀良くお参りしていた子どもたちですが、少し眠くなってしまった子もいたようです。この法会は、鉦講員が直径30センチ程の鉦を打ちならしながら阿弥陀仏を念じるというのが特徴的で、本堂の中には大きな鐘の音が響き渡ります。子どもたちの席は鐘講の人が鐘を打ち鳴らしている真下なので、かなり大きな音がしているはずです。

あとで、子どもたちに聞いたら、「めっちゃうるさかったわー!」「耳塞いでた!」と言っていました。

鐘の音が大きかったことも含め、いつもとは異なる様子に、子どもたちはいろいろなことを感じたのではないかと思います。

後日、保育室で、「なーむあみだぶ」と念仏の声が聞こえてきました。どこかで聞いたような・・・と思ったら、お十夜の法要の最後に、念仏を唱える場面があるのですが、その時の唱え方にそっくりだったのです。子どもたちはすぐに吸収するんですね。

だからこそ、子どもと接するときには、その一瞬、一瞬に細心の注意を払い、子どもにとって最も良い環境とは?を考え続けなくてはならないのだと思います。

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お十夜 1

2015/11/17

京都、洛東に真正極楽寺、通称 真如堂というお寺があります。毎年11月5日から15日まで、お十夜(十日十夜別時念仏会)という法会が修されます。
お十夜(十日十夜別時念仏会)とは、『真如堂縁起』には次のようにあります。

永享年間(1429〜1440)伊勢守貞国という人がいた。貞国は若年より深く阿弥陀仏を信仰し、念仏の行を修していたが、あるとき世の無常を憂えて、真如堂に参籠して三日三夜の念仏を唱え、それが終われば髪を剃って出家しようと決心して念仏を始めた。三夜通夜して、いよいよ剃髪する日の明方、貞国がまどろんでいると、枕もとに僧が立ち、「出家するにはまだ早い。お前にはやるべき事が残っている。髪を剃るのは三日待て」という。貞国は目を覚ましたが辺りには誰もいない。不思議に思ったが、夢の中の僧の言葉にしたがって剃髪を思い止どまった。
翌日になって、お上に召し出され、兄に代わって家督を相続するよう申しわたされた。そして三日後に家督を相続した。考えてみれば夢のお告げの通りである。貞国は感謝の意をこめて、三日三夜に加えて七日七夜の念仏を行った。その後、貞国の家は繁栄した。これが十夜念仏の始まりであるとされている。

11月15日はその法会の結願の日にあたり、お練り法要がいとなまれます。その法要に年長の子どもたちが参加して、他のお稚児さんと一緒にお練りの行列に加わって、本堂内でお参りさせていただいています。

今年は、11月15日が日曜日にあたりましたが、保護者の皆様に参加のご協力をお願いしたところ、たくさん参加してくださいました。日曜日にもかかわらず、園の行事に快く協力してくださる保護者の皆様と子どもたちに感謝です。

本当の幸せ

2015/11/16

中学高校時代の友人が尋ねてきてくれました。その中には高校の時に単身アメリカに渡って以来会っていない人もいて、再開できたことがとてもうれしく思いました。その彼がこんなことも言っていました。

皆さんアメリカは資本主義の最先端を走っているというイメージを持っていると思う。もちろんそうなんだけれども、2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件や、2008年に起こったリーマンショックなどをきっかけとして、資本主義の行き詰まりを感じている人も多い。物がたくさんあってもそれは幸せにはつながらないし、まして、お金で幸せは買えない。本当の幸せとは何だろう?どこにあるのだろう?と探し求めている人がとても増えているのだそうです。

若い人でも、有機栽培の農業に従事して、そこによろこびや幸せを見つけている人もいるし、毎日、座禅や瞑想を行って自分を見つめることをしている人も多い。ITCが進んでいて、電子ディバイスを使ったコミュニケーションも多いが、そればかりではなく人が集まって顔を合わせて話しをすることの大切さに気づいて、実践している人や企業もあるそうです。効率や経済が最優先ではなく、人が人として幸せに生きてゆくために何が大切なのかを真剣に考えている人が増えてきている。とアメリカ人になった友人が言っていました。

その話がとても印象深く、「本当の幸せってなんだろう?」ということを改めて思い直しました。

友

2015/11/15

先日、中学高校時代を共に過ごした友人5人が尋ねてきてくれました。なかには、昨年会った人もいますし、高校時代以来36年ぶりという人もいました。
長いあいだ会っていなくても、みんなが集まれば36年の時間を飛び越えて、当時に戻ることができるものです。「懐かしい」と言うことばで表したくなりますが、どうも「懐かしい」という言葉はぴったりしないような気がしました。あまりにも普通に高校生の頃の気分に戻れた気がしたからです。

雨の中傘をさして、いろいろな話しをしながらみんなでお寺の本殿まで登りました。

36年ぶりに会った彼は、高校1年の時に志すところがあって学校をやめ、単身アメリカに渡り、そこで大学を卒業して、そのままずっとアメリカで暮らしていて、アメリカ国籍も取得したそうです。その彼がおもしろいことを言っていました。

長い間アメリカで暮らしていて、ずいぶん久しぶりに日本に来たときのこと、しばらく日本にいると、なぜか違和感を感じてきた。そんなときにカントリーアンドウエスタンの曲がどこかから聞こえてきて、とてもアメリカに帰りたくなっていること、つまりホームシックになっている自分がいることに気づいたというのです。彼はそんな自分に自分で驚いたと言っていました。もともと日本人なんだから、日本に帰ってきたらホッとしたり落ち着くと思っていたのに、逆にホームシックにかかっているなんて!と思ったそうです。

不思議な感じのする話しですが、「そんなこともあるものなのだな、人間の感覚って不思議だな」と感じました。同時に出身地や故郷って、自分のアイデンティティーに深く関わっていると思い込んでいましたが、必ずしもそうだとは言い切れないのかもしれない、自分を自分自身たらしめているものはなんだろう?と考えてしまいました。

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