2015年 11月

子どもの力

2015/11/20

園で事務仕事をしていたら、玄関のベルが鳴りました。出てみると宅配便の配達員さんが荷物を届けてくださったところでした。伝票にサインをし荷物を受け取って園内に戻ろうとしたら、「あのー、すみませんが、こちらの保育園の方ですか?」と声をかけてくださる中年の女性がいらっしゃいました。この時期は紅葉を求めてお寺にお参りされる方が多いので、道でも尋ねられるのかなと思い「そうですが、何かご用ですか?」と尋ねてみると、「実は…」と話し始めてくださいました。

その方のお母様は昨年90何歳かで亡くなられたそうですが、そのお母様が80歳台の時に鞍馬のお寺にお参りをされ、木の根道を通って貴船に超えて行かれたそうです。その時に参道を散歩していた当園の園児たちと一緒になり、年上の子が歩くのが嫌だと泣いている小さな子に、京都のことばで「泣いたらあかんで!がんばるんやで!」と声をかけているのをご覧になったそうです。ちょうどそのころご病気かなにかで苦しんでいらっしゃったお母様は子どもの「泣いたらあかんで!がんばるんやで!」のことばにハッとさせられ、勇気づけられたとおっしゃっていた。教えてくださいました。それ以来お母様は、何度も鞍馬にいらしていたそうです。

その女性は、いつか母と一緒に鞍馬に来たいと思っていたけれども、結局それはかなわなかったので、母の歩いた道をたどろうと思って今日は静岡から来たんです。とおっしゃるのです。

その話をきいて、涙が出そうになりました。その時の子どももすごいし、子どものことばに勇気をもらったというお母様もステキです。そして、お母様がお好きだった木の根道を歩こうと、鞍馬にいらっしゃった女性の思いもステキだと感じたのです。

そして、たまたま外に出ていた私にそんな話を聞かせてくださったこと、どこか不思議です。もしかしたら、気づかないだけで、そこには何か意味があるのかもしれませんね。

それにしても、子どもの力ってすごいですね。素直だから、純粋だから、発する言葉が心の奥底に届きやすいのかもしれません。子どもたちの素直さを大切にしたいものです。

自分で考える

2015/11/19

お十夜の結願法要に参加するために年長児たちと真如堂へ行きました。移動の車の中では子どもたちが、楽しそうに話していました。会話の全てが聞こえたわけではなかったのですが、「それって、自分で考えて、自分で決めることやんな?先生!」という声が聞こえてきました。どんな話題で、子どもからそんなことばがでたのか興味があったので、後で一緒に車に乗っていた先生に尋ねてみました。どうやら、保育園に来るのにどんな服装が適当なのかという話をしていたようです。先生は、「ひらひらのスカートをはいて来たらどうなると思う」など、子どもたちが考えやすいような問いかけをしていました。「動きにくい服装はダメ」というのではなく、なぜそうしない方が良いのか、子どもたちが自分で考えられるよう、ことばを選んでいたようです。「外で遊んだら汚れるかもしれないね」「フリルのついた靴下をはいてきて、靴下が汚れても良いのなら、いいけど、どうする?」と子どもたちが選ぶことができるように声を掛けていたようです。

子どもたちから「自分で考えて、自分で決めることやな?」ということばが出ると言うことは、普段からそんな言葉を耳にしていると言うことですし、自らもそう考えて行動しているということです。それは、先生方が普段から子どもたちに語りかけている言葉なのだと思います。子どもたちが「自分で考え、自分で決め、自ら行動する」ことができるように!という思いを常に持って接しているから、自然とことばがけも、子どもが自ら考える事ができるようなことばがけになるのです。だからこそ、普段の何気ない言葉づかいに気をつける必要があるのです。私たち保育者も環境の一部ですから。

お十夜 2

2015/11/18

年長児たちと参加した、真正極楽寺 真如堂の十日十夜別時念仏会(お十夜)の法会。混雑を見込んで早く出発したら早めに到着したので、みんなは境内を散策したそうです。もみじの名所だけあって、とても美しい紅葉に出会えたようですし、他にもいろいろと発見があったようです。

法要が始まり、行列に加わって本堂の中でお行儀良くお参りしていた子どもたちですが、少し眠くなってしまった子もいたようです。この法会は、鉦講員が直径30センチ程の鉦を打ちならしながら阿弥陀仏を念じるというのが特徴的で、本堂の中には大きな鐘の音が響き渡ります。子どもたちの席は鐘講の人が鐘を打ち鳴らしている真下なので、かなり大きな音がしているはずです。

あとで、子どもたちに聞いたら、「めっちゃうるさかったわー!」「耳塞いでた!」と言っていました。

鐘の音が大きかったことも含め、いつもとは異なる様子に、子どもたちはいろいろなことを感じたのではないかと思います。

後日、保育室で、「なーむあみだぶ」と念仏の声が聞こえてきました。どこかで聞いたような・・・と思ったら、お十夜の法要の最後に、念仏を唱える場面があるのですが、その時の唱え方にそっくりだったのです。子どもたちはすぐに吸収するんですね。

だからこそ、子どもと接するときには、その一瞬、一瞬に細心の注意を払い、子どもにとって最も良い環境とは?を考え続けなくてはならないのだと思います。

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お十夜 1

2015/11/17

京都、洛東に真正極楽寺、通称 真如堂というお寺があります。毎年11月5日から15日まで、お十夜(十日十夜別時念仏会)という法会が修されます。
お十夜(十日十夜別時念仏会)とは、『真如堂縁起』には次のようにあります。

永享年間(1429〜1440)伊勢守貞国という人がいた。貞国は若年より深く阿弥陀仏を信仰し、念仏の行を修していたが、あるとき世の無常を憂えて、真如堂に参籠して三日三夜の念仏を唱え、それが終われば髪を剃って出家しようと決心して念仏を始めた。三夜通夜して、いよいよ剃髪する日の明方、貞国がまどろんでいると、枕もとに僧が立ち、「出家するにはまだ早い。お前にはやるべき事が残っている。髪を剃るのは三日待て」という。貞国は目を覚ましたが辺りには誰もいない。不思議に思ったが、夢の中の僧の言葉にしたがって剃髪を思い止どまった。
翌日になって、お上に召し出され、兄に代わって家督を相続するよう申しわたされた。そして三日後に家督を相続した。考えてみれば夢のお告げの通りである。貞国は感謝の意をこめて、三日三夜に加えて七日七夜の念仏を行った。その後、貞国の家は繁栄した。これが十夜念仏の始まりであるとされている。

11月15日はその法会の結願の日にあたり、お練り法要がいとなまれます。その法要に年長の子どもたちが参加して、他のお稚児さんと一緒にお練りの行列に加わって、本堂内でお参りさせていただいています。

今年は、11月15日が日曜日にあたりましたが、保護者の皆様に参加のご協力をお願いしたところ、たくさん参加してくださいました。日曜日にもかかわらず、園の行事に快く協力してくださる保護者の皆様と子どもたちに感謝です。

本当の幸せ

2015/11/16

中学高校時代の友人が尋ねてきてくれました。その中には高校の時に単身アメリカに渡って以来会っていない人もいて、再開できたことがとてもうれしく思いました。その彼がこんなことも言っていました。

皆さんアメリカは資本主義の最先端を走っているというイメージを持っていると思う。もちろんそうなんだけれども、2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件や、2008年に起こったリーマンショックなどをきっかけとして、資本主義の行き詰まりを感じている人も多い。物がたくさんあってもそれは幸せにはつながらないし、まして、お金で幸せは買えない。本当の幸せとは何だろう?どこにあるのだろう?と探し求めている人がとても増えているのだそうです。

若い人でも、有機栽培の農業に従事して、そこによろこびや幸せを見つけている人もいるし、毎日、座禅や瞑想を行って自分を見つめることをしている人も多い。ITCが進んでいて、電子ディバイスを使ったコミュニケーションも多いが、そればかりではなく人が集まって顔を合わせて話しをすることの大切さに気づいて、実践している人や企業もあるそうです。効率や経済が最優先ではなく、人が人として幸せに生きてゆくために何が大切なのかを真剣に考えている人が増えてきている。とアメリカ人になった友人が言っていました。

その話がとても印象深く、「本当の幸せってなんだろう?」ということを改めて思い直しました。

2015/11/15

先日、中学高校時代を共に過ごした友人5人が尋ねてきてくれました。なかには、昨年会った人もいますし、高校時代以来36年ぶりという人もいました。
長いあいだ会っていなくても、みんなが集まれば36年の時間を飛び越えて、当時に戻ることができるものです。「懐かしい」と言うことばで表したくなりますが、どうも「懐かしい」という言葉はぴったりしないような気がしました。あまりにも普通に高校生の頃の気分に戻れた気がしたからです。

雨の中傘をさして、いろいろな話しをしながらみんなでお寺の本殿まで登りました。

36年ぶりに会った彼は、高校1年の時に志すところがあって学校をやめ、単身アメリカに渡り、そこで大学を卒業して、そのままずっとアメリカで暮らしていて、アメリカ国籍も取得したそうです。その彼がおもしろいことを言っていました。

長い間アメリカで暮らしていて、ずいぶん久しぶりに日本に来たときのこと、しばらく日本にいると、なぜか違和感を感じてきた。そんなときにカントリーアンドウエスタンの曲がどこかから聞こえてきて、とてもアメリカに帰りたくなっていること、つまりホームシックになっている自分がいることに気づいたというのです。彼はそんな自分に自分で驚いたと言っていました。もともと日本人なんだから、日本に帰ってきたらホッとしたり落ち着くと思っていたのに、逆にホームシックにかかっているなんて!と思ったそうです。

不思議な感じのする話しですが、「そんなこともあるものなのだな、人間の感覚って不思議だな」と感じました。同時に出身地や故郷って、自分のアイデンティティーに深く関わっていると思い込んでいましたが、必ずしもそうだとは言い切れないのかもしれない、自分を自分自身たらしめているものはなんだろう?と考えてしまいました。

もみじ

2015/11/14

しばらく、秋晴れの爽やかな日が続いていましたが、昨夜からお天気は荒れ模様で、風雨がとても強く、色づいたもみじの葉はずいぶん散ってしまったのだろうな?と思わせるあめとかぜの音でした。朝になっても雨は止むどころかますます強く降り、一日中降っていました。外に出てみると、足下は色とりどりのもみじの絨毯で覆われていました。雨に濡れて道に積もったもみじの葉の一枚一枚が赤や黄色にピカピカ光ってとても美しいのです。

すっかり葉っぱがなくなってしまった木もありましたが、まだまだ、緑の葉っぱを残している木もあります。あたりまえですが、同じもみじの木でも、一本一本、色づく時期と、色づき方が違うのです。木ごとに違うのはもちろんですが、一本の木の中でも、早く色づき早く散ってしまう葉もあれば、少し色づき始めたかなという葉もあります。一枚一枚ちがうのですね。様々な色の葉があり、全体で一本の木を美しくしていますし、その木々が集まって、山を美しくしています。はっぱの一枚一枚が違うからこそこの美しさになるのです。

人間だって、一人ひとり違うからこそ、みんなが集まることで、ステキやハッピーを作れるのだと思います。色とりどりのもみじに、そんなことを感じました。

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水晶婚 2

2015/11/13

フランス人のご夫婦の水晶婚の式典をお手伝いするにあたって、なぜ、わざわざ日本で、しかもお寺で式典を挙げようと思われたのか、失礼ながら、たずねてみました。お答えは、15年ごとの節目を大切にしたいからということ、以前、鞍馬で行われた知人の結婚式に参列して深く感銘を受けたから、大切に思っている15周年の節目の式典を是非とも鞍馬で行い、神仏や知人の前で、改めてお互いの愛を誓たいと思った。とのことでした。

式典は約1時間、結婚式の次第に準じましたが、最も大切なのは、お二人が神仏に誓いを立てていただくことです。お二人の誓いのことばは、「結婚してから15年が経ち、今もとても幸せです。なぜもっと早くに巡り会わなかったのかと思います。これからも、私達の愛を深め、守ることを誓います。生まれ変わってもまた巡り会って夫婦でいたい。」とそれぞれに誓っていらっしゃいました。お二人の深い思いが式場に満ち、参列者の皆様も感動していらっしゃる様子でした。

どんなことでもそうですが、時間が経つとあたりまえになって、ついつい日常に流されてしまうものです。どこかで立ち止まってふり返り、思いを新たにする事が大切なのでしょうね。それが節目なのかもしれません。

水晶婚 1

2015/11/12

少し前、お寺で結婚式が行われました。お寺で結婚式?と思われるかもしれませんが、最近は増えてきています。わたしもお手伝いすることがあるのですが、最近特徴的なのは、外国の方が多いということです。新郎新婦のどちらかが外国の方という場合もありますが、お二人とも外国の方という場合もあります。最近お手伝いした結婚式では新郎新婦とも日本人というのはほとんどなく、外国の方が多いのでした。

先日行ったのは、正確には結婚式ではなく、水晶婚式でした。結婚記念日で1周年の紙婚式、2周年の綿婚式、3周年の皮婚式から、はじまって、25周年の銀婚式、50周年の金婚式、そしてさらに・・・とある結婚記念日の中の15年目に行う水晶婚のお祝いの式典でした。

フランス人のご夫婦で、是非とも水晶婚の式典を鞍馬で行いたい。とわざわざ来日されたのでした。しかも、ご両親や、知人友人の皆様も参列されたのです。フランスの方も日本の方もいらっしゃいましたが、総勢50名ちかい皆様が参列されたのには、正直言って驚きました。

欧米の方々は、私たちが考える以上に結婚記念日を大切にされるのでしょう。それは大切なことだと思います。

わらい 2

2015/11/11

笑うことで、免疫を司るNK細胞が活性化し、免疫力が上がる。病気になりにくく、健康で過ごせる率があがる。まさに、「笑う門には福来たる!」は、医学的にも証明されているのですね。

ラジオのパーソナリティはこんなことも言っていました。実際にゲラゲラ、ガハハ、と笑うことで、免疫力が上がることは先の実験でわかりましたが、作り笑いでも、NK細胞が活性化することもわかっているそうです。

また、笑う表情をすると、顔の表情筋が笑ったときのように動き、脳はそれを検知して、笑っているのだから楽しいことをしているのだな、と検知してハッピーにしてくれるのだそうです。

そんなことから、楽しくないときでも、笑顔を作ると本当に楽しくなってくるのだそうです。

気持ちが沈みそうなとき、ついイライラしそうなとき、意識して笑顔になって見たいと思います。もちろん、自分自身もハッピーになれたら良いし、しかめっ面してるより笑顔でいる方が、周りの人を不愉快ではなく、ハッピーを差し上げられますものね。

「何があっても笑っちゃう」って感じで、いつも笑っていられると良いですね。

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