2014年 4月

きょうのごはん

2014/04/05

(昼食)
・焼きそば
・白菜のサラダ
・スープ

 

 

 

 
*本日の給食の白菜のサラダはおしたしなんですが、二度漬けしました。じっくり味が浸み込むようにと考えて挑戦してみました。結構うまくいったと思います。「素材の味が感じられる優しい味付けでおいしい。」と好評でした。

春休み

2014/04/04

小学校が春休みで、めぐみ精舎の学童保育に通ってくる子もグンと人数が増えました。毎日20人以上の子どもたちで賑わっています。そんな中みんなでごはんを炊いて食べようという企画が実現しました。以前は白米を炊き比べてみて、炊き方によって味が違うかどうかを確かめることを目的にごはんだけを炊いたこともありますし、野菜のスープを作ったこともあります。今回は古代米と言われる黒米を白米に混ぜて炊いてみることにしたのです。ところが、参加人数が多く、昼食をごはんだけでまかなおうとすると、そんな量を炊くだけの鍋や釜がないので、1人当たりのごはんの量を抑えて、野菜スープも作ることにしたようです。家から一人一品好きな野菜を持って来ます。おじいちゃんの育てたという大きなしいたけをはじめ、じゃがいも、にんじん、大根など様々な野菜が集まりました。

野菜の皮を剥いたり、切ったりと下処理をして昆布だしで煮た後、味付けは2人の男の子が担当したそうです。塩、しょうゆ、味噌などの調味料があったのですが、2人はシンプルに最小限の塩だけで味付けをしました。後で残ったものを少しもらったのですが、おいしいのです。確かにスープ自体の味はとても薄いのですが、ひとつひとつの野菜はとてもおいしいのです。素材それぞれの味が引き立てられている感じです。指導に当たっている先生によると、味付け担当の2人の男の子は、「塩を入れたら甘くなった」と言っていたそうです。とっても本質的だと思います。

普段は野菜が苦手で、家ではあまり野菜を食べない男の子が、お椀に野菜スープをいっぱい入れていたので、食べられるのか心配になって、思わず大丈夫かと聞いてしまったと担当の先生は言っていました。
自分で調理したものは、例え苦手なものでもおいしく食べることができるのだということを改めて思いました。

黒米を入れて炊いたごはんは、赤飯の色を濃くしたような色になり、玄米である黒米の歯触りや香ばしさが感じられる美味しさになりました。17合炊いたごはんが、少ししか余らなかったそうです。野菜スープも大きな寸胴にたくさんあったのが少し残っただけ。みんなおいしかったのでしょう。たくさん食べました。

    黒米を混ぜて炊いたごはん

  シンプルな味わいの野菜スープ

きょうのごはん

2014/04/04

(昼食)
・ごはん
・魚(さわら)のみそ焼き
・千切り大根の煮物
・けんちん汁

(おやつ)
・マカロニきな粉

 

*本日の給食の魚のみそ焼きはふっくら仕上げるためにすごく考えました。いつも焼魚を作るとどうしてもパサついてしまい、乳児クラスの子ども達が飲み込みにくいという事が起こっていました。どうにかしてパサつきを無くしたく考えていました。そこで、思いついたのが、いつもより焼温を下げて長い時間じっくり焼く事です。そうした結果、乳児クラスが今まで困っていたパサつきが無くなり、子ども達も沢山おかわりをすてくれました。

 

 

 

 

めぐみ精舎

2014/04/04

春休みに入り、めぐみ精舎で過ごす学童保育もこどもの数が増え、にぎやかになってきました。
また、保育園を卒園したこども達も学童に仲間入り。小学生に囲まれて、緊張しながらもちょっぴり大きくなった気分で過ごしています。
小学生もあたたかく卒園生を迎えてくれました。
めぐみ精舎での過ごし方や約束事、掃除の仕方なども丁寧に教えてくれています。
私達大人が教えるよりも分かりやすく丁寧に教えてくれている小学生をみて、この子達に任せても大丈夫だな…とそばで見守っています。
小学生が書いた1日のふりかえり(その日の活動の感想を書く)に、「卒園生が来てちょっぴりお姉さんになったみたいでうれしいな」と書いてありました。

気持ちがぶつかり合って言い合いをする事も見られますが、自分の思いを出す事も大事な事だなと思います。大人がすぐに仲裁に入るのではなくて、こども同士で乗り越えられたらいいなという思いから、少し離れて見ているように心がけています。
でも先日は感情が先走って言い合いをしている2人が、なかなか納得できなかったようだったので、場所を移して机をはさんで椅子に座って話し合うよう声をかけました。

すると自分の意見を思い切り出して話したり、途中他の子も間に入ったりして長い時間そこで話していました。お互い自分の気持ちをぶつけてスッキリしたのか、話し合いが終わるとみんなの輪の中に入っていきました。
こんな毎日ですが、春休みが終わるまではめぐみ精舎はにぎやかです!

春のおとずれ

2014/04/03

鞍馬でもようやくさくらの花が一輪二輪とほころび始めました。まだ少し堅いつぼみ、今まさに咲こうとしているつぼみ、今開いたばかりの花、いろいろな花がそれぞれの美しさでいます。桜も時期により美しさは様々です。今まさに咲こうとしているこの時期の美しさは慎ましくも力強く、元気です。山の朝もいろいろな鳥のさえずりで、にぎやかになってきました。ついこの間まで練習中だったウグイスも美しい声でさえずることができるようになり、そんなウグイスに園庭で遊ぶ子どもたちが、「ホーホケキョ」と話しかけていました。暖かい風がほのぼのとした気持ちにしてくれます。目、耳、頬、身体全体にそして、心にも春が感じられる頃になりました。園児たちは子どもたちは、新年度が始まってみんなちょっと新しい気持ちで、いきいきと登園してきています。

小学生は春休み。めぐみ精舎の学童保育にはたくさんの小学生が遊びに来ています。先日は、まだ冬眠していたヒナコウモリの観察にいきました。卒園したばかりの年長児も含めて25名ほどの大人数で観察に行ったのですが、よほど興味を持ったのかみんな真剣に観察していましたし、どこに何頭いるかとか、どんな格好で冬眠しているかなど、観察し日付、時間、気温などとともに記録していました。

このコウモリの観察やクッキングなどの行事もたまにはありますが、基本的に、めぐみ精舎にやってきた小学生は自由に過ごしています。朝のミーティング、勉強、お弁当、おやつ、掃除といった基本的なことは決まっていますが、その他は自由にしています。

朝に家の近くでつくしを摘んできた子がいました。これをどうしようかということになり、調理して食べる。量が少ないから、近くに探しに行こう。などと相談していました。もちろん、全員がそれをするのではなく、室内に残っていろいろな遊びをしたい子はそれを選びます。結局、雨が降ってきて、つくしを探しに行くことはできなくなってしまいましたが、何人かの子は数本のつくしをきれいに掃除し、調理して食べていたようです。

きょうのごはん

2014/04/03

(昼食)
・ごはん
・春の炊き込みご飯
・もやしのサラダ
・のっぺい汁

(おやつ)
・ふかしいも
・牛乳

 

 
*本日の炊き込みご飯は、「春らしくしたいなぁ」という思いから、すりおろした人参とフキを加えました。乳児クラスのおかわりが全て無くなっていたので、とても嬉しかったです。

室内遊びにて

2014/04/03

今まではブロックのおもちゃで遊んでいる時も「先生、トーマス(機関車)作って〜」「お家、作って〜」など、保育士が作った物で遊ぶ事が多かった、すみれぐみ(1歳児クラス)ですが、最近は自分でも考えながら作っていけるようになってきました。この日も最初は「せんせい、〇〇作って〜」と言っていた子も「〇〇君、作れはるし、どうして作るのか聞いてみたらは?」と、言うと「どうして作るの?」などきいていて、きかれた子も途中まで作ってあげながら、それぞれ出来上がると「できたな〜一緒やな〜」と二人で嬉しそうに笑い合っていたりしている姿があります。保育士は、そばで見守りながら、できるだけ、友達同士に繋げていけるようにしていきたいと思います。

「大人」になる

2014/04/02

子どもにとって「安全基地」でいることのできる保護者、保育者でいたいものです。そんな大人の元で育った子は、他の人にとっての「安全基地」になることができるのです。なぜなら、その子が丸ごと信じてもらって育てられることで、「自分は自分で良いのだ」という自信を持つことができるからです。自分の寄って立つところが、育つのです。このことが「確実性」、生きてゆくための基本となる自分自身をしっかりと確立するための方法なのです。

これは、私たちのめざしていることと同じなのですが、茂木氏が

「組織」や「肩書き」によって自らを支えるということは、すなわち、一生「過干渉」な保護者の下で過ごすようなものである。

とおっしゃるところまでは、考えが及びませんでした。乱暴かもしれませんが、言い換えれば、過干渉は子どもの主体性、自発性、自信、自己肯定感を育てることがない。そこが育たないまま大きくなると、「組織」や「肩書き」という自分の外側にある物に依存して自分を支えることしかできなくなってしまうのだ。というところには気づきませんでした。

茂木氏はこう言います。

「組織」の一員として、自らの行動の自由、ダイナミック・レンジをあらかじめ縛ってしまう。「肩書き」に「ふさわしい」行動を取ろうとするあまり、自らの自由を縛ってしまう。「過干渉」な保護者の下で、子どもの自由がいわば「窒息」するのと同じように、文脈過多な日本の社会は、その構成員の能動性、自主性を奪う。
 子どもの頃から受験に追い立てられ、「履歴書に穴が開いてはいけない」とばかり「組織」という「過干渉」な鎖に縛り付けられる日本人は、一人で不確実性に向き合うために必要な「確実性」を自らの中に涵養する機会を奪われている。日本人は、自分の中に「安全基地」を培うことができていない。結論として、「大人」になることができていないのである。

私たちはどうあれば良いのでしょうか。考えさせられます。

*太字は茂木健一郎氏のブログ、クオリア日記「過干渉な日本社会」からの引用部分です。

「嬉しい気持ち」

2014/04/02

平成26年度がスタートしました。子ども達も、先生達も気持ちを新たにスタートです。今年度に入り、3、4、5歳児の給食の時間に保育室の先生がその日の給食の説明を詳しくしてくれています。今までもしていたのですが、より丁寧でわかりやすく説明して下さっています。これが、まず1つ目の嬉しい気持ち。

もう一つは先生方のそういった努力のおかげで、子ども達が食事に興味を持ち、以前よりも食事の時間を楽しみにしてくれています。給食室の前に来て給食の話をしてくれる子どもがすごく増えました。給食室前で子ども達が給食の話をしてくれる内容は様々です。味の感想やリクエストしてくれたり、年長児さんはその日、先生に聞いた話を詳しくしてくれたり。普通の事と思われるようなこのような事がとても嬉しい気持ちでいっぱいになりました。

きょうのごはん

2014/04/02

(昼食)
・ごはん
・ウィンナー炒め
・和風サラダ
・いとこ汁

(おやつ)
・ツナトースト

 

*本日の給食のウィンナー炒めの味付けはしょう油味にしました。あっさり仕上げにしました。新年度がスタートし少し緊張気味で食事も小食になるのかなと思っていましたが、心配をよそに沢山食べてくれているので安心しました。

 

 

 

 

スクロール