2011年 11月

ムクノキ そして

2011/11/20

園庭のムクノキは薄い黄色の葉をたくさん落として、すっかり冬支度が整ったようです。枝の先には小さな実がなっていて食べることができるのですが、実のつく枝が高いところにあるので、採ることができずあまり食べることはありません。

高いところが枯れて危なくなったので切り、芽が出るかと思って残していた幹からは芽が吹かず、それも切り、切った幹を園庭に置いたら、子どもがテーブルやベンチにしたり、平均台のように渡ったりして楽しみました。そうして園庭の一部となっていたムクノキの幹ですが、1年ほどが過ぎ「いつまでもこのままにしておくより、次に何かに活かせないですか」との保育士の提案に、みんなでいろいろと考えました。輪切りにしてベンチとテーブルにするという案も出ましたが、それは最初に切った幹の上の方の部分で既に作って園庭に置いていました。

現在、当園には砂場がありません。2年ほど前になると思いますが、古くなった固定遊具を撤去して、新しくすべり台、のぼり棒、鉄棒を設置したときに砂場も埋めてしまっていたのです。今年の春に保育士から園庭に砂場がほしいという要望が出ていて、カタログから既存の製品をいろいろと探したのですが、あまり適当なものが見つかりません。どうして砂場を作ろうかと考えていたときに、園庭で充分に役目を果たしたムクノキの丸太をどうしようかという話が出てきて、この二つが結びつきました。ムクノキで砂場の枠を作ろう!

方向性が決まると、いろいろなアイデアが出てきます。どうせ作るならできるところは自分たちでやろう。せっかくなら保護者にも手伝ってもらおう。そんなこんなで、ムクノキ砂場プロジェクトが動き出しました。とてもゆっくりですが着実に…

砂場のプランを考えていたときに、ただ枠を置いて砂を入れるだけなら簡単だけれど、子どもが深く掘りたくても掘れないし、地面を掘って砂場を深くすることはできるが、水はけはどうなるのだろう。いろいろな疑問が出てきました。しかし、そこで考えてばかりいてはプロジェクトが前に進まないので、基本に戻りました。「子どもが思いっきり遊べる砂場にしたい!」それなら地面を掘って深さを出そう。園庭の土の質も掘ってみなくてはわからないし、ダメならまたそこでどうするか考え直せばよい。よく言われることですが、先ずはやってみることですね。考えてばかりでは何も前に進みませんから…

 

 紅葉が美しくなってきました

ムクノキ その後

2011/11/19

短くなってしまったムクノキ。離れたところから見ると、園庭に太い丸太を立てたように見えて格好は良くなかったのですが、8メートルくらいという高さにしてもらったのには私なりの意味があったのです。ちょうどそのあたりから幹が大きく二つに分かれており、その分かれたところを残しておけば、そこから新しい芽が出て再び葉が茂り枝が伸びるといいなと思ったのです。以前太い幹を切られたケヤキがそんなふうに切り口から芽を出し葉を茂らせているのを見たことがあったからです。

早く新しい芽が出ないかな、と思いながら頻繁に切り口を見ていましたが、全くその気配はありません。木を切ったのが11月、冬に向けて新しい芽は出そうにないので、きっと春になれば芽を吹くだろうと期待をしていました。しかし、桜が咲いても新緑の頃になっても一向に芽が出てくる気配はありません。夏には太陽がギラギラと照りつけ、去年までムクノキが作っていてくれた木陰のありがたさを思い知りました。1年以上待ちましたが、結局切り口から芽が出ることはありませんでした。そのかわり、その一段下の枝には、これでもかというくらいに葉が茂りました。今考えると、幹を切ったときに下の枝も少しだけ切っておけば、そこに木のエネルギーが集中することなく、幹の切り口から芽が出ていたのかもしれません。

自然は人間の思うようになんてならないものです。それぞれにいろいろな条件や理由があって、そうなっているのです。子どもだってそうです。大人の思うようにしようなどと考えると、思うようにならないからと、イライラしたり、ストレスに感じてしまうのです。第一そんなの子どもが楽しくありません。まずは「まあ、そんなものだな」と思って現実をそのまま受け止めることが大切です。お互いの幸せのためにも…

次の夏ごろ、元気に葉を茂らせていた一番下の枝のすぐ上からもう一度幹を切りました。切り落とされた幹は、子どもたちが遊ぶだろうと思って園庭にそのままにしておきました。新しいものには子どもたちはすぐに興味を示し、その上を歩いたりして遊んでいました。

ムクノキ

2011/11/18

園庭に大きなムクノキがあります。今のように園庭が広がる前はフェンスの外側でしたが、防災工事にともない園庭が広がったときに庭の一部となり子どもたちとの距離も近くなりました。幹のまわりは2メートル強、高さ20メートルくらい、樹齢100年以上はありそうなとても大きな木です。夏には大きく広がった枝が庭に木陰を作り、秋には黄色く色づいた葉がまるで雪が降るように舞い落ちて目を楽しませてくれます。子どもたちは落ち葉をつかって様々にあそびますし、掃き集めた落ち葉で焼きいもを作ることもあります。以前大きな幹に抱きついて木に何かを話しかけている子もいました。そんなふうにして、いつも子どもたちを近くでそっと見守り、様々なめぐみを提供してくれていましたムクノキです。

5年ほど前から、夏の葉が茂る時期に葉をつけていない枯れた枝が高いところに目立つようになってきました。枯れた枝が落ちてくると危ないと思って気をつけていましたが、ある日大きめの枯れ枝が園庭に落ちているのを見つけました。子どもが遊んでいるときに落ちてきては大変なので、いろいろと対策を考えましたが、やはり枯れてきている部分を切るしか方法はなく、樹木の管理を専門に行っていらっしゃる方にお願いして切ってもらうことにしました。といっても15メートルもある高い部分、しかも大きな枝が四方に広がっているのをどうして切るのだろうと思っていたのですが、その方は直接木に登り枝をひとつずつ切ってゆきます。しかし、ただ切り落とせばよいというものではありません。下にはお寺の山門もありますし、第一大きな枝が落ちてきたらとても危険です。

まずしっかりした枝や木の股をえらんでロープを引っかけ、そのロープの先を切り離す枝に結びつけます。そうして枝を切れば、引っかけたところを支点として枝がロープで吊り下げられるので、ロープをゆるめながらゆっくりと下ろしてゆくのです。どこにロープの支点をもってくるのか、切る枝のどこにロープを結ぶのかはとても難しく、変なところに結ぶと切った枝が落ちてしまったり大きくスイングして切った人にぶつかるかもしれません。そうなれば、命にかかわることです。作業を見ていましたが、みごとな手際です。高い木に登るだけでも怖いのに、その上で動き回りながら作業をするのですから、考えただけでも恐ろしくなります。そんなところで適切な位置にロープを結び、枝を一本ずつ切り離してゆき、枝のなくなった幹の上の部分は、落ちる方向を考えて切り落としていました。木が大きかったので作業に丸1日かかりましたが、ずっと見ていたのを覚えています。

そうして、地上から8メートルくらいのところまでを残して上の部分がなくなってしまいました。少し寂しく、木に申し訳なく思いましたが、子どもが怪我をしてからではおそいので、しかたありません。そんなふうにして大きかったムクノキは短くなってしまいました。

お十夜

2011/11/17

洛東に鈴聲山真正極楽寺という天台宗の古刹があり、真如堂とも呼ばれています。永観2年(984)比叡山の戒算上人という僧が、「京に出てすべてのものに利益を施す」という如来のお告げによって、比叡山常行堂の阿弥陀如来を東三条女院(藤原詮子)の離宮に遷座奉安されたのがそのはじまりといわれています。

毎年11月5日から10日間にわたって「十日十夜別時念仏会」、通称「お十夜」と呼ばれる法会が厳修され、十日十夜に渡って鉦が響き念仏が唱えられます。11月15日はその結願法要が行われ、その法要に園児がお練りの行列に加わって本堂でお参りをするという形で参加させていただいています。もともとはお寺のご縁で始まったのですが、少なくとも50年以上にわたって園児がお参りさせていただいています。

真如堂はもみじの名所としても知られ、いつもお十夜の結願法要の頃は境内が赤や黄色で満たされとても美しいのですが、今年は暖かすぎるのか紅葉は始まったばかりでした。少し色づき始めたもみじをくぐって行列は本堂に入ります。

十五間四面欅作りの本堂には十夜鉦と呼ばれる鉦が大きな音で鳴り響き、普段鞍馬のお寺に参りするのとはまた異なった雰囲気ですが、子どもたちは堂々と行列に加わり法要中も熱心にお参りしていました。法要の最後に僧侶方が、「南無阿弥陀仏」と唱えるところがあるのですが、何人かの園児は合掌して同じように「なむあみだぶ」と唱えていました。子どもたちは普段から手を合わせたり、お参りをしたりしてるから自然とそうしてしまうのだと思うと、日々をどう過ごすのかが本当に大切なのだと改めて感じました。

     法螺貝にも興味津々

 ○十夜法要

永享年間(1429〜1440)足利幕府の執権職にあった伊勢守貞国という人がいた。貞国は若年より深く阿弥陀仏を信仰し、念仏の行を修していたが、あるとき世の無常を憂えて、真如堂に参籠して三日三夜の念仏を唱え、それが終われば髪を剃って出家しようと決心して念仏を始めた。三夜通夜して、いよいよ剃髪する日の明方、貞国がまどろんでいると、枕もとに僧が立ち、「出家するにはまだ早い。お前にはやるべき事が残っている。髪を剃るのは三日待て」という。

 

  本道の周囲を行列します

翌日になって、お上に召し出され、舎兄に代わって家督を相続するよう申しわたされた。そして三日後に家督を相続した。考えてみれば夢のお告げの通りである。貞国は感謝の意をこめて、三日三夜に加えて七日七夜の念仏を行った。その後、貞国の家は繁栄した。これが十夜念仏の始まりであるとされている。(真如堂縁起より)

現在も11月5日から15日の10日間に渡り修されている。この期間は十夜鉦といわれる鉦が鳴らされ、大勢の参拝者で賑わう。

同窓会

2011/11/16

当園を卒園した子どもたちが、同窓会と称して年に一度保育園に集まる日があります。今年は11月13日日曜日に行いました。小学校1年生から中学校2年生まで約130名に案内を出したら70名あまりの参加がありました。違う小学校に行ってしばらく会っていない友達と会えて喜ぶ小学生。中学生も部活動の時間などをやりくりして来てくれました。部活動があるけれども、練習の始まる時間までだけでも参加するという子もいました。みんな久しぶりに懐かしい顔を見るのは嬉しいものです。みんなそれぞれに成長して、町で会ったらきっとわからないだろうなと思う子もいます。送迎していらっしゃる保護者に会えるのも楽しみのひとつです。東京に引っ越した子がわざわざ来てくれた年もありました。退職した職員にも声をかけます。

みんなで集まってゲームをしたり、保育園の頃を思い出すような遊びをして楽しんだあとは、全員で昼食をいただきます。昨年まではケータリングサービスを利用していましたが、今年は調理員が「みんな保育園に来て友達や先生に会い、保育園を懐かしんでいるのだから、昼食も懐かしんで欲しい」といって、朝早くからカレーを作ってくれました。

特にこれといったことがあるわけではなく、みんな集まるだけなのですが、なぜかそれが楽しいのです。昼食の後しばらく遊んで解散するのですが、解散後も園で遊んでいく子や、久しぶりに会った友達の家に遊びにいく子などもいるようです。

中学生のひとりに「学校はどう?楽しい?」と聞いたら「楽しくてしょうがない」といっていたので、こちらも嬉しくなりました。小学校へ行っても中学校へ行っても、みんながいきいきと自分の道を歩み、自分を活かす。そのことで他の誰かを幸せにできる。そんな生き方をしてくれたらいいな。なによりもその子自身が輝いていてくれますように。たくましく成長した懐かしい顔を見ていたら、そんな気持ちがあふれてきました。

 

 

木々が少しずつ色づいてきました。鞍馬の紅葉をお届けします。

 

カボチャ餃子

2011/11/15

畑に植えていたカボチャがたくさん収穫できたので、お供えをしてからみんなでいただくことにしました。どうやって食べるか、3・4・5歳児みんなで相談をしてカボチャスイーツを作ることになりました。どんなスイーツにするかは、スイーツ好きの保育士が考えたようです。自分の好きなことを考えたり形にするのはわくわくするものです。メニューは「カボチャ餃子」に決まりました。ゆでたカボチャをつぶして、バターと砂糖を加え餃子の皮で包んで焼くというシンプルなものです。事前に試作品を食べてみたら、素朴ながら深みのある味でした。

    しっかり押さえててね

まず、ゆで上がったカボチャをボウルに入れマッシャーでつぶします。かなりボリュームがあって小さな子どもには手強いようですが、一人だとボウルが不安定なので、何人かで押さえるなど各グループで工夫をしていました。バターや砂糖を入れて混ぜるのも一苦労です。こうして餃子の中身カボチャペーストができあがったら、ちょっとお味見。おいしいくて、ついつい何度も味見してしまいます。

     まるで職人技

次は、餃子の皮に包みます。カボチャペーストをスプーンですくって餃子の皮にのせるのですが、どうしてもスプーンにくっついてしまいます。ここでも子どもたちはそれぞれに試行錯誤しています。餃子の皮に塗りつけようとする子、指を使ってスプーンからはがしている子、直接触らない方が良いと思ったのか、スプーンを2つ使っている子もいました。皮の周囲に水をつけ、半分に折って周囲を押さえてくっつけたらできあがり。あとはホットプレートで焼くだけです。餃子の皮の包み方がとても上手な子がいました。他の子は半円形にするだけなのですが、その子は水を塗ってくっつけた部分を少しずつ折り重ねて本物の餃子のように作っています。しかも、とても手際が良いのです。「上手だね。お家で餃子作ったことあるの」と聞くと、にっこりとうなずいていました。

       焼けたかな

完成品は、5歳児が午後の時間を使って焼きあげました。11月からお昼寝をしなくなった5歳児だけの特別な時間です。焼き上がったら試食タイム。美味しくできたようで、みんな満足顔。自分で作ったんですから味も格別です。美味しそうだなと思って見ていたら、心を読まれたのか「ひとつどうぞ」と私の所に持ってきてくれました。一口食べるとカボチャとバターの香りが口の中に広がり、餃子の皮の食感とカボチャそのものの甘さが絶妙で、とても美味しくできています。子どもたちも美味しそうに試食しています。

     おいしくできました

どんなこともそうですが、興味を持って気持ちを向け、手間暇かけると体験として身につきます。最近は料理にあまり手間暇をかけなくても美味しいものが食べられるようになりました。手間暇をかけない分、早くて便利ですが、食材そのものや作る過程に対する興味は薄れてしまいます。自分の命をつないでゆくために必ず必要な食べるという行為に気持ちを向け、いただくいのちに感謝することを忘れないためにも、それを子どもに伝えるためにも、大人自身が気をつけていたいことです。カボチャ餃子を食べている子どもたちの満足そうな顔を見ながら考えました。

オルゴールの会 ♪聞いてみる♪

2011/11/14

オルゴールを実際に体験する日がやってきました。園児の保護者も何人か参加してくださいましたし、くらmamaのメンバーも5〜6人いらしてくださいました。

演奏してくださったのは、西賀茂にあるキコーオルゴールというお店のオーナー宮尾紀代子さんと、幼稚園の教頭先生をしていらした辻井裕美さんのお二人です。オルゴールや手回しオルガン、音の出るおもちゃなどを車に満載していらっしてくださいました。大きなディスクオルゴールは20㎏もあるそうです。それらを台の上に並べて、ひとつひとつ子どもたちに紹介してくださいました。

オルゴールの音はそんなに大きくありません。60人近い子どもと20人くらいの大人がいるなかで、ちゃんと聞こえるのだろうかと、始まるまでは心配していましたが、オルゴールの紹介が辻井さんの小さめのやさしい声で始まったので、子どもたちもとても静かに聞くことができました。

子どもたちに何かを伝えるときに、ついついこちらが大きな声になってしまうことがありますが、大きな声で話しかけると、子どもたちも大きな声になりますし、それに負けないようにと更に大きな声を出すと、子どもはもっと騒ぎます。小さめの声で話すと、子どもたちは聞くことに意識を集中させます。話しを聞かせるのではなく、話を聞こうと思える話し方をするのです。やらせるのではなく、自らやろうと思うように働きかけるのです。また、大きな声で心が落ち着くような優しい話し方をするのはとても難しいと思いますが、小さめの声ならやさしいトーンで話すこともできます。そうすれば、その場の雰囲気が落ち着いたものになります。

ですから、小さなオルゴールの音に子どもたちは真剣に聞き入っていました。特に0歳1歳2歳のクラスの子どもたちが真剣なまなざしで、聞いていたのが印象的でした。手回しオルガンのやさしい音に合わせて歌うときでも、子どもたちはやさしい声で歌っていました。条件さえ整えれば、子どもたちはちゃんと判断してできるのです。

ひととおり説明を聞いた後は、手回しオルガンを演奏させていただいたり、音の出るおもちゃで遊んだり、体験をさせていただきました。壊れやすかったり、中には貴重なものもあるオルゴールにも触るので、正直言って「壊したりしないだろうか」と心配になってしまいました。私はついつい「乱暴にしないで」とか「無理にしないで」と必要以上にことばで規制しそうになりますが、そのことばをぐっと飲み込んで「この子たちはちゃんとわきまえているから大丈夫!」と自分に言い聞かせました。「子どもを信じる」ことをしっかりと土台においておくことが大切ですね。手回しオルガンを回してみたい子どもたちもちゃんと並んで順番を待ち、とても丁寧に回していて、辻井さんから「やさしく回せるね」と誉めてもらっていました。

しっとりと落ち着いた、それでいてとても楽しい時間を過ごすことができました。演奏していただいた宮尾さん辻井さん、この企画をもちかけてくださった「くらmama」の皆さんありがとうございました。

オルゴールの音色に聞き入る子どもたち

演奏が終わるとシャボン玉をつくる人形のオルゴール

 

オルゴールの会 ♪しくみ♪

2011/11/13

オルゴールの音色の美しさの他に私が興味を持ったのは、その構造です。72弁のオルゴールだったと思うのですが、ピンが打たれたシリンダーを取り替えることなく3つの異なる曲が演奏できるそうです。どんな構造になっているのか、とても興味をそそられました。

オルゴールには大きく分けてシリンダーオルゴールとディスクオルゴールの2種類があるそうです。シリンダーオルゴールは円筒の表面にピンが打ってあって、そのピンが櫛形になった金属を弾いて音が出る、よく目にするもです。ディスクオルゴールはアナログレコードのような金属の円盤に穴があいていて、ディスクが回転するとその穴が、歯車のようなものを回し、その歯車が櫛形の金属を弾くという構造です。ディスクにピンが出ているのもあるそうですが、演奏していただいたオルゴールは穴があいたタイプでした。

私が一番興味を持ったのは、幅20㎝、奥行き10㎝、高さ5㎝ほどの小さな四角い青い箱です。その箱の上部に金色にメッキした金属のふたが取り付けてあって、演奏を始めるとその金属のふたが開き、3㎝ほどの美しい色をした小鳥が出てきて左右に向きを変えながらやさしい声で囀るのです。鳥の体は本物の鳥の羽でできているそうです。鳴き声はオルゴールというよりも、笛を鳴らしているような柔らかい音です。くちばしが鳴き声に合わせて開いたり閉じたり、尾羽が動いたりしていたと思います。そして、小鳥の足下は精緻な透かし彫りの入った金属で飾られています。演奏が終わると、小鳥が箱の中に戻っていってふたが閉じるのですが、透かし彫りの一部が鳥の大きさにくりぬかれていて、その部分が開いて小鳥が中に入るようになっているのです。どこがくりぬかれているのか、ほとんどわからないくらいの細工がなされていました。

これを見て、どんな構造になっているのか、どういう仕組みで動いたり音が出たりしているのか知りたくてしょうがなくなってしまいました。そんなわくわくしている自分に気付いたとき、子どもの頃におもちゃの中がどうなっているのか、ラジオがなぜ鳴るのか、知りたくて、分解していたことを思い出しました。直すと言っては分解して結局は壊してしまうのですが、ここがこういう部品で繋がっているから、こんな動きをするのだとわかると楽しくてしょうがなかったのを覚えています。

子どもは、いろいろなことに興味を持ち、知りたくなります。不思議なものがあれば、どうなっているのか見たくなります。それは世界を理解しようとする試みなのです。子どもたちがその探求心をしっかりと満たすことができ、さらなる探求心につながるような環境を整えておきたいと思います。

オルゴールの会 ♪ 音色 ♪

2011/11/12

鞍馬に「くらmama」という子育てサークルがあって、子育て中のお母さん方が集まって、手芸をしたり、おしゃべりしたり、たこ焼きパーティーをしたり楽しく活動していらっしゃいます。その「くらmama」さんにお誘いいただいて、一緒にオルゴールを聞く会を開催しました。

オルゴールはみんなよく知っていますし、聞いたことがあると思います。私も最初はオルゴールそのものよりも、いろいろな人が園に集まってきていただいて一緒に何かができる。つながりが広がるということに主な意義を感じていました。ところが、事前の打ち合わせで様々なオルゴールを体験させていただいたときに、その音色の優しさと音の深さに驚きました。それもそのはず、聞かせていただいたオルゴールは72弁といって、音を出す櫛形になった部分に櫛の歯が72あるのだそうです。72音階の音が出せるということです。私が知っていたのはせいぜい18弁くらいなので、出せる音の数が圧倒的に違います。もちろん単純に出せる音が多いからだけではなく、様々な部分の作りがちがうのでしょうが、そこだけとってみても違います。そのステキな音色を奏でるオルゴールを共鳴箱の上に置いていただいたら、そのすばらしさが一層増しました。音のボリュームが増すだけでなく、聞き取りにくかった周波数が聞こえるのか、様々な音が響き合うのか、音が更に深まり、まさに楽器です。打ち合わせもしばし中断で、音色に聞き入ってしまいました。正直言ってオルゴールがこれほどのものだとは思っていませんでした。最近の電子的に処理した音になれてしまった耳には、とても新鮮に響いてきます。ともすれば、便利さにつられてバーチャルが多くなってきているこの頃ですが、そんな時だからこそ、本当(実際)の物(=ホンモノ)のもつ存在感に触れる機会があった方が良いと感じました。それにしても、心が落ちつくやさしくて柔らかな音色です。気持ちよく聞き入っていたら、「オルゴール療法」というのがあって、心と身体の調子をを整えるのにオルゴールの音が効果があるということを、演奏してくださる方が教えてくださいました。納得できます。

オルゴールは共鳴箱を使ったとしてもそれほど大きな音が出るものではないので、必然的に耳を澄ませて、演奏に意識を集中して「聴く」ことになります。五感の内の聴覚を意識して使うことになります。子どもたちが、どれくらいオルゴールの音に聴き入るのか、楽しみになってきました。

鞍馬小学校学芸会

2011/11/11

5歳児たちが、鞍馬小学校の学芸会に行ってきました。事前に小学生から手作りの招待状が届き、学芸会鑑賞のお誘いと出演の依頼を受けました。ただ見せていただくだけではなく発表となると、どんな内容の発表をするのか選ばなくてはなりません。子どもたちと相談すると運動会で踊った『まつりがきたぞ』を発表したいという意見が多かったようで『まつりがきたぞ』の踊りと歌2曲を歌うことにしました。

子どもたちは運動会がよほど楽しかったらしく、今でも運動会で行ったことを遊びの中で再現しています。運動会などの行事は、もちろん日常ではありません。しかし、生活から離れたどこかからもってきて行ったものではなく、日常の生活の姿を、いつもの遊びで行っていることを、その中でで育ったところを見えるように形にするだけなので、もともと子どもにとってはあそびなのです。他の要素もたくさんありますが、基本はそこです。だから、こどもはそのまま遊べるのです。これが先生に怒られながら辛い思いをして、訓練したものなら遊びにはなりにくいのです。自らやりたいという意欲が湧かないからです。やらされてやったことは、やらされないとやらなくなります。自らやろうと思っていないからです。だから、自らやってみようという子どもの内側から湧き出てくる気持ちを、意欲が育つようにしたいと思っています。

小学校の学芸会当日、叡山電車の時間の都合でどうしても9時からの開会には間に合わなかったので、小学校のみなさんは2番目の1年生の劇を始めるのを園児たちが到着するまで待っていてくださいました。1年生には、去年まで一緒に過ごしていた先輩たちがいるので、園児たちも親しみを持って見ています。その1年生の劇を園児さんに見てもらいたいという小学校の先生のご配慮に感謝です。卒園児たちもしっかりと台詞をいい、意欲的にいきいきと表現しています。小学校でしっかりと育っていることがよくわかってとても嬉しくなりました。

鞍馬小学校は児童数が少ないので、学年の枠を超えた取り組みや、全校生徒が力を合わせられる取り組みが多く、学芸会のプログラムのなかにもそれを形にしたものがありました。地域の高齢者の方々の歌や、PTAのコーラスの発表もあって、こぢんまりとしたなかに一体感のあるとてもあたたかな学芸会でした。

いよいよ、園児たちの発表の番です。緞帳が上がってステージに立っている子どもたちの姿からは、緊張感と意欲が伝わってきます。初めての場所、多くの観客の前でライトに照らされながら、いきいきと発表する園児たちの姿が大きく見えました。

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