園長ブログ

お十夜

2011/11/17

洛東に鈴聲山真正極楽寺という天台宗の古刹があり、真如堂とも呼ばれています。永観2年(984)比叡山の戒算上人という僧が、「京に出てすべてのものに利益を施す」という如来のお告げによって、比叡山常行堂の阿弥陀如来を東三条女院(藤原詮子)の離宮に遷座奉安されたのがそのはじまりといわれています。

毎年11月5日から10日間にわたって「十日十夜別時念仏会」、通称「お十夜」と呼ばれる法会が厳修され、十日十夜に渡って鉦が響き念仏が唱えられます。11月15日はその結願法要が行われ、その法要に園児がお練りの行列に加わって本堂でお参りをするという形で参加させていただいています。もともとはお寺のご縁で始まったのですが、少なくとも50年以上にわたって園児がお参りさせていただいています。

真如堂はもみじの名所としても知られ、いつもお十夜の結願法要の頃は境内が赤や黄色で満たされとても美しいのですが、今年は暖かすぎるのか紅葉は始まったばかりでした。少し色づき始めたもみじをくぐって行列は本堂に入ります。

十五間四面欅作りの本堂には十夜鉦と呼ばれる鉦が大きな音で鳴り響き、普段鞍馬のお寺に参りするのとはまた異なった雰囲気ですが、子どもたちは堂々と行列に加わり法要中も熱心にお参りしていました。法要の最後に僧侶方が、「南無阿弥陀仏」と唱えるところがあるのですが、何人かの園児は合掌して同じように「なむあみだぶ」と唱えていました。子どもたちは普段から手を合わせたり、お参りをしたりしてるから自然とそうしてしまうのだと思うと、日々をどう過ごすのかが本当に大切なのだと改めて感じました。

     法螺貝にも興味津々

 ○十夜法要

永享年間(1429〜1440)足利幕府の執権職にあった伊勢守貞国という人がいた。貞国は若年より深く阿弥陀仏を信仰し、念仏の行を修していたが、あるとき世の無常を憂えて、真如堂に参籠して三日三夜の念仏を唱え、それが終われば髪を剃って出家しようと決心して念仏を始めた。三夜通夜して、いよいよ剃髪する日の明方、貞国がまどろんでいると、枕もとに僧が立ち、「出家するにはまだ早い。お前にはやるべき事が残っている。髪を剃るのは三日待て」という。

 

  本道の周囲を行列します

翌日になって、お上に召し出され、舎兄に代わって家督を相続するよう申しわたされた。そして三日後に家督を相続した。考えてみれば夢のお告げの通りである。貞国は感謝の意をこめて、三日三夜に加えて七日七夜の念仏を行った。その後、貞国の家は繁栄した。これが十夜念仏の始まりであるとされている。(真如堂縁起より)

現在も11月5日から15日の10日間に渡り修されている。この期間は十夜鉦といわれる鉦が鳴らされ、大勢の参拝者で賑わう。

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