・野菜の煮物
・野菜のお浸し
・みそ汁
2012/06/07
2012/06/07
毎日、とても良い天気が続いています。昨日の京都の最高気温は28,8度、今日の予想最高気温は30度なので、市街地でははかなり暑くなってきているのでしょう。鞍馬では、動けば汗ばむものの戸外で気持ちよく過ごせる日が多く、子どもたちは園庭でそれぞれ様々な遊びに熱中しています。そろそろ雨が多くなり、梅雨入りのころですが、そんな気配もありません。雨が多くなる前に思いっきり外で遊べると良いですね。
子どものすることの結果に注目するのか、プロセスに注目するのかという話題を続けてきました。「ほめる」ことについても書きましたが、少しわかりにくかったかもしれませんので、整理しようと思います。
「ほめる」こと自体が全て好ましくないというのではありません。大切なのはどこをほめるか、どこに注目するかということです。
できる、できないといった結果ばかりに注目していると、子どもも結果ばかりを気にして、できないことはやらなかったり、失敗しそうなことにははじめから取り組まない、難しそうなことはすぐにあきらめてしまうという傾向が強くなります。こういう子どもたちを「結果志向」というそうです。逆に、取り組もうとしている姿勢や、あきらめずに挑戦する姿勢に注目すると、たとえできなくても失敗しても興味や関心を持って取り組み、結果ばかりを気にせず、取り組んでいること自体がおもしろい、楽しいと感じるようになるそうです。こういう子どもたちを「学び志向」というそうです。
いろいろなことで伸びるのは、学び志向の子どもたちだと思います。ですから、大人が子どものどこに注目するかで、子どもの育ちは大きく左右されてしまうのです。
それは保育の中でも同じです。大人が望む通りの結果を求めよう、大人が思うように子どもを動かそうと、結果ばかりに注目したり、結果ばかりをほめたりすると、ここでも子どもたちが結果志向になってしまいます。また、大人が子どもを操ろうという下心を持って発することばを子どもはすぐに感じ取ってしまいます。子どもを一人の人格として認め、素直な心で共感して発することばこそが子どもの心に届くのだと思います。大人が子どもを操ろうとして注目したり褒めたりすることは避けた方が良いと思います。もちろん、子どもを叱りつけて大人の思うように動かそうとするのは論外です。
2012/06/06
金星が太陽の前を横切る「金星の太陽面通過」がありました。鞍馬はとても良く晴れていたので、観測めがねを使って見ることができました。まるで太陽の顔にできたほくろがゆっくりと時間をかけて移動しているかのようでした。お寺の本殿前で観察していらっしゃる参拝者の姿もありました。最近は様々な天体ショーが繰り広げられ、人々の関心が宇宙や天体に向いているようです。特に、太陽に関する話題が多いよなので、太陽に注目する機会が多くなります。
子どもを見るときには、その子の興味関心と意欲、繰り返しチャレンジすることに注目したいと書きました。
大人が、子どもができるかできないかという結果ばかりに注目していると、子どもも結果ばかりを求めようとします。ですから、逆上がりができる子はどんどんやる一方で、少しやってみてできなかったら、できないという結果ばかりを気にして、あきらめてしまう。繰り返しチャレンジするということをしない子も出てきます。できたか、できないかという結果を重視するということは子どもを評価することに繋がります。
子どもを「ほめる」ことがあります。私は、子どもを勇気づけるという意味から「ほめる」と良いと思っていました。よく「○○ちゃんすごいね!」と子どもをほめることがあります。心からすごいと思って、素直に感動を伝えるのならそれは良いと思います。しかし、大人が自分の思うようにさせたいから、思うとおりに子どもを動かしたいから、大人が望む結果を示した子どもをほめてしまうことがあります。また、誰かをほめることによって他の子にも同じようにさせようとしがちです。それは大人が望む結果を子どもに強要してしまうことにはならないのかと考えてしまいます。
結果をほめることばかりだと、子どもは自分の興味や関心、意欲からではなく、大人にほめられるために、何かをやろうとするようになります。逆にほめてもらえないとやらなくなってしまいます。そうはなって欲しくないと思います。
ですから、「ほめる」というよりも「寄り添う」のが良いのかと思います。それとも「励ます」「勇気づける」でしょうか。結果だけに注目しない、結果だけで子どもを見ない。子どもを評価しないということを心にとめておきたいと思います。
2012/06/06
この間、仕事帰りの電車で「鞍馬の先生ですか?」と隣に座っていた女の人が声を掛けて下さいました。いきなりの事でビックリ!したのですが、小学校の先生で、「田植えされたんですか?」とも聞かれ、またまたビックリ!どうも妹、弟について親子遠足に来てくれていた小学生が学校で先生に話してくれていたようです。
小学生には楽しんで貰えてたのか少し心配していたので嬉しかったです。そして、卒園したこどもの名前が数名でてきて、「頑張ってますか?」と聞くと「みんな頑張ってますよ!」と答えて下さり、少しホッとして嬉しく思いました。
そしてなにより一人一人を認めて貰っていて、とても嬉しかったです。自分がしてきた保育はこれでよかったのか?とよく自問自答します。答えはすぐには見えません。でも自分達の力で一歩ずつ歩いて行ってるなと感じた時、よかったのかな・・・と少し思えます。こども達が笑い、頑張ってる姿を見ると私も頑張らないと!と思います。
2012/06/05
今日は二十四節季の芒種 (ぼうしゅ)です。穀物などの種をまく頃という意味だそうです。九州南部が梅雨入りしたというニュースが流れていました。潤いの季節がやってきます。
園庭で、懸命にのぼり棒に取り組んでいる3歳児たちの姿がみられます。真剣な顔つきで一生懸命に取り組む姿から溢れんばかりの意欲が感じられます。
子どもを見るときに「Aちゃんは○○ができる」「Bくんは△△ができる」という見方をしてしまうことがあります。できるかできないかは目に見えてわかりやすく、できないよりはできる方が良いとは思いますが「できるか、できないか」というのは結果です。
それに対して、「やってみる」ということがあります。「何かおもしろそう。」「やってみたい。」「むずかしそうだけどやろう。」という子どもの気持ちと、そこから導き出される挑戦や努力です。できるようになるかならないかは別として、その過程です。
どちらに重点を置いて見るかによって、子どもを見る目や、子どもの姿の見え方がずいぶんと違ってくるのではないでしょうか。
例えば、鉄棒で逆上がりをするということを見てみると、身体的能力の高い子はすぐに逆上がりができますが、運動が苦手な子はなかなかできません。なかなかできなくてもやりたいという意欲をもって、繰り返しチャレンジする姿をみることがあります。
すぐにできてしまう子は、できるという達成感を少しは味わえますが、何度もチャレンジする過程を経験することは少ないと思います。なかなかできない子は、できたという達成感を味わうまで時間はかかるかもしれませんが、チャレンジする過程をたくさん経験できます。単純にどちらが良いというのは難しいかもしれませんが、どちらかというと結果よりもやってみようという興味関心と意欲や繰り返しチャレンジすることに注目したいと思います。
2012/06/05
散歩先で長〜いアリの行列を見ながらの、年長の子との会話。
保「アリ達はどこに行ってるんやろうなぁ」
子「レストランちゃう?」「すごいお客さんの数やな」「ちがうで、みんなてんいんさんやで」「そっち側か!?」
みたいなやり取りをして散歩から園に戻ると、待っていたかのようにすごい雷雨になりました。こんな機会はめったに無い!昼間なのにとっても暗い二階の窓を空け、しばらくの間遠くの空の稲光を観察しました。「かみなりこわい、あっちいけ」と外に向かって言いながらも、10人の子ども達は黄色く光る空と大きな音に興味津々でした。
2012/06/04
2012/06/04
今年度は子どもたちがいろいろなものを育てています。0・1歳児は園庭のプランターでキュウリの栽培を始めました。小さな苗には、もう小さなキュウリができています。2歳児はフウセンカズラをテラスの軒下で育てて緑のカーテンを作るようです。また、畑ではニンジンを育てようと種を蒔いたようです。3歳児はスイカの苗を畑に植えていました。大きなスイカができて食べられると良いですね。去年もメロンやスイカをほぼ放置した状態で育てましたが、結構実が実りました。今年はどうなるのでしょうか。園庭ではアサガオが本葉を出しています。
5月に保護者の皆さんと一緒に作ったペットボトル稲はずいぶん大きくなりました。日当たりの良い畑に置いているので、水を欠かさないようにしなくてはならないと思います。
いろいろな作物を育てるためには、常に作物のことを気にかけておく必要があります。ついつい忘れて放置してしまうと、枯れたりうまく育たなくなります。かといって水や肥料をやりすぎるなど手を出しすぎると、かえってうまく育たなくなります。
助長ということばがあります。「物事の成長・発展のために外から力を添えること。」という意味もありますが、
もともとは中国の故事によるものです。『孟子』公孫丑上にある
宋の国に苗が伸びないのを心配して、手で引っぱって伸ばした男がいた。疲れ果てて家に帰り、「苗が早く伸びるように一本一本引っぱった」と話した。驚いた息子が走っていって見てみると、苗はすでにみな枯れていた。
という故事です。不必要な手助けをすることでかえって害してしまうとう意味です。
放置しても良くありませんし、不必要な手助けは逆効果です。
子どもも同じだと思います。放任することは良くありませんし、あれこれと手や口を出しすぎる過干渉も良くありません。心はしっかり運んで寄り添いながら、子どもの自ら育つ力を信じ、過剰に干渉することなく、必要なところで必要な関わりをすることが大切なのではないでしょうか。子どもを引っ張っり過ぎて枯らしてしまうことだけは避けたいと思います。
2012/06/04
散歩で道の無い山の中に入っていくと、子ども達の想像力も膨らんで、大きな木が龍に見えたりたくさん枝分かれした木が鹿の角になったりと、聞いている私までワクワクしてきます。枯れ木や枯れ葉を踏みしめ倒木を跨いだりくぐったりしながら進む散歩は探検に近いものがあり、リーダーシップをとる年長の子や、困ったときに近くの子に助けを求める子の姿も見られます。斜面は自分で登れそうだなと思う所を選んで進むので難易度はそれぞれ違います。平坦な道は少なく大人でもすぐに疲れてしまいそうですが、子ども達はすぐに音をあげたりしません。その理由はいろいろあるでしょうが、やはり一番の訳は散歩前に自分達で山の中に入ってぐんぐん進んで行くチームを選んで、自分で納得してついて来ているからかな?と思いました。
2012/06/03
3・4・5歳児の数名が園の周りでいろいろな物を探して遊んでいました。ドングリ、小石、さくらんぼ、ツツジのつぼみ、ハハコグサ、カタツムリのから、リュウノヒゲの真っ青な実、ヘビイチゴ、ユキノシタの花・・・何でも遊び相手にしてしまいます。毛虫が這ってるのを誰かが見つけるとみんながぐるっと取り囲んで見ています。小石を斜面に置くとどうなるのか、滑り落ちるのか、
転がるのか、どのくらい遠くまで行くのか、何度も何度もやってみて確かめています。引力と摩擦と加速度とはいいませんが、物理の実験をしているかのようです。小さな虫が、蜘蛛の巣にかかってもがいている姿をじっと眺める子、いもむしがどうしてこんなにきれいな色をしているのかと不思議がる子、石の色や形、表面の感触をじっくりと確かめている子。
ようく見ると、子どもたちは溢れんばかりのセンスオブワンダーで外界と関わり、理解しようとしている。まさに有能な学び手として学ぼうとしているのだと思います。ですから、おとなが子どもの興味や
関心、何をどう思っているのか、その心を深く考えることなく、危ないからダメ、汚いからダメといたずらに禁止することは避けたいと思うのです。今、何に興味を持ち何を考えているのか、一人ひとりの子どもたちの心に寄り添い、できるだけ子どもと同じ視線で感じ、一緒に驚き、一緒に不思議がり、一緒に感動する。そんな仲間でいたい。子どもたちの姿を見ていたらそんなことを改めて強く感じました。