shigaraki (鞍馬山保育園 の投稿者) - 144ページ目 (186ページ中)

仲直り

2012/06/15

昨日の午後2時頃、温湿度計を見たら気温23度、湿度40パーセント、天気は晴れ、蒼い空が広がり、風が優しく流れ、梅雨の真っ最中とは思えないさわやかさでした。梅雨の晴れ間に子どもたちは屋外での遊びを思いっきり楽しんでいたようでした。雨の季節はどうしても室内遊びが多くなりがちですが、雨の降るときにしか味わえない自然を経験するために、レインコートを着て積極的に屋外に出ようと思っています。濡れていると滑りやすい、木の枝が落ちてくることが多い。増水した川には近づかない。など、晴れているときと違って注意をしなくてはならないこともたくさんあります。そんなことも子どもたちと共有しながら歩けば、子どもたちが様々な危険を自分で回避する手助けの一つとなります。なにより雨の時にしか味わえない美しさや、おもしろさに出会うことができます。雨だから外で遊べない。というマイナスの面だけでなく、雨だからこそできるプラスの面を楽しむようにしてゆきたいと思います。

先日の雨の日、室内で遊んでいました。私が3・4・5歳児の保育室に行くと3歳児の2人SちゃんとRくんががなにやらもめているようです。けがをしている様子でもなかったので、どうしたのかと思ってしばらく見ていました。どうやら、なにかの弾みで2人がぶつかり、Sちゃんが転んでしまったようで、泣きながら足が痛いと訴えていました。Rくんはボクだって痛かったんだよと言わんばかりの顔でSちゃんをにらんでいます。アクシデントなのでどちらが悪いというわけではないのですが、お互い納得がいかなかったようで、ケンカになりそうでした。そろそろ2人の言い分を聞いてみようかな思っていたときです。トラブルが起こっていることに気がついた5歳児のKくんが、「どうしたん?」とやさしく声をかけてくれていました。

S:「あんな、Rくんが押さはったし、こけたん。」
K:「そうなんや。どこかいたいの?」
S:「足。」(自分の膝を触りながら)
K:「痛かったんやなー。でも、血も出てないし大丈夫やで。」
と言ったあと、Rくんにむかって「押したん?」
R:「・・・」
だまって首を横にふります。
K:「そうか、ぶつかっちゃったんやな」「ほな、ふたりともゴメンで仲直りやな。」

どうやら、私の出番はなくなったようでした。

ロッククライミング

2012/06/14

「魔女がいるかもしれない!」ファンタジーの世界でドキドキしながら登り始めた山道をそれぞれに楽しみながら登ります。どんどん先に登りたい子もいれば、いろいろなものをじっくり見つけながら登りたい子もいるので、自然と列が長くなります。それぞれの興味に従ってそれぞれのペースで歩けるのが良いのですが、あまり離れてしまうと困ります。そういうときは、先頭の方の子が気付いて、遅い子を少し待ってくれます。先に歩いていた子どもたちが山道を見下ろせるところから、「オーイ!こっちだよー!」と声をかけてくれるので、後ろの方の子どもたちは、どうすればあそこに行けるのだろうと行ってみたくなります。後ろの方を歩いている子どもたちが、早くあそこに行ってみたいと思えるステキな誘い方だなと感心しました。私など「早よ来な、ほっていくでー!」と不安をかき立てて進ませる声がけをしてしまいそうです。それじゃ「びびらせてなんぼ」的な考え方になるので、楽しくありませんよね。

ある程度登ったところで、みんなが最後尾の私を待っていました。私が追いついたらまた、道なりに登るのだと思っていたら、道から外れて山の中へ分け入ってゆきます。どこかにつかまらないと登ることができないくらいの斜面を、ずるっと滑りそうになりながらも子どもたちは登ります。しばらく登ると大きな岩が目の前に、えっ!まさかロッククライミング?この岩を?と思いましたが、子どもたちは平気です。園庭の石垣を登るのとは訳が違うのですが、実は上りやすいルートがあってこどもたちでも比較的簡単に登ることができるのです。私も3番目くらいに登って上で待っていました。怖がったり、しりごみしたりすることなく一人ずつ登ってきます。みんな登り切ったところで、帰る時間が近づいてきたので、岩の上から山道に戻りました。ロッククライミングをすると山道をショートかとできるのです。

子どもたちは、山歩きのおじさんたちと仲良しになっていましたし、私は子どもたちのたくましさを感じながら園に帰ってきました。

山に入ると

2012/06/13

4歳児たちが向かいの山にさんぽに出かけました。鞍馬川のほとりでみんなでノイチゴを分けて食べたあとは、いよいよ山に入りますが、その前に一工夫。みんな石段に座り込んで、ズボンの裾を足首に巻き付けて上から靴下で覆います。山に入るときには長袖長ズボンが基本ですが、裾から虫が入ってこないようにと考えてこうすることにしています。気温が高くなると生き物の活動も活発になって、いろいろな生き物に出会う機会が増える反面、虫に刺されたりすることも増えます。完全に防御することは難しいかもしれませんが、少しでも守れればと思います。自然は人間にとって都合の良いことばかりではないことを知り、自分の身を守る術を子どもたちが経験してくれると良いと思っています。準備が整ったら、登り口にあるお宮さんとお寺に手を合わせて、出発です。

登り始めてすぐのところに廃屋があり、子どもたちはそこに魔女が住んでいると信じています。京都の保育園児たちの間で魔女の住んでいるといえば、京都市保育園連盟の運営する八瀬野外保育センターの「魔女のいえ」でしょう。とても立派な建物があって、子どもたちの心にファンタジーの世界を広げています。しかし、薬王坂の登り口にあるのはちょっと気味悪い雰囲気のある廃屋です。なぜここに魔女が住んでいることになったのか、そのいきさつはよくわかりませんが、子どもたちはそう信じています。近くを通るときは静かにしないといけないらしく、私がイノシシが地面を掘ったとを見つけたので「イノシシの掘った穴があるよ」と近くの子どもに話しかけると、子どもたちから一斉に「シーッ!」「静かにせなあかんで!」といわれました。

ちょっと不思議な雰囲気の場所を通り過ぎ、山道を登ってゆく子どもたち、おもしろい形の石を拾ったり、葉っぱを見つけたりしながらゆっくりと進みます。山歩きをしている人に出会うと、ちゃんと「こんにちは」と挨拶をしていました。

石や虫、葉っぱ、花・・・ 自然のいろいろなもので遊んでいる子どもたちをじっくりと見ていると、それぞれの心にそれぞれの世界が広がっている気がします。もちろんいつもそうなのですが、特に「山にペンギンがいる」とか「あの木はお話ししてるんで」などと聞くと自然をみていると、そんな心が広がりやすいのかもしれないと思うのです。そのそれぞれの心の世界が子どもどうしの会話を通して重なり合って、さらに広がってゆく。二人で並んで、何人かで丸くなって、一つのものを見ている姿からそんなことが想像してしまいました。

散歩で見つけたいちご

2012/06/12

先日、4歳児の散歩について行ってみました。行き先は向かいの山の薬王峠です。鞍馬街道に出て少し北に行き、鞍馬川を渡り、地蔵寺というお寺の前から山道に入ります。

途中、鞍馬川から引いた水が各家の前を流れてまた川にもどるように作られた水路があります。以前はその水でちょっとしたものを洗うなど、生活に使われていた水路です。今でも散水などには使われています。いつもはかなりの水量がある水路なのですが、修復工事中だったようで、水が流れていませんでした。そこを通りかかった子どもたちは、早速水路の中を歩いていました。自分が水になって流れているつもりだったようです。

少し先に行き鞍馬川を渡りきったところでヘビイチゴを見つけて、摘んでいました。「先生食べられるの?」の声に「毒は無いから食べられないことはないけど、口の中がざらざらするよ」と伝えてあげると、恐る恐る口に入れましたが、しばらくして「うぇ!まず!」と顔をしかめて吐きだしていました。それを見ていて私も子どもの頃同じようなことをしていたのを思い出しました。ヘビイチゴは毒は無いので食べられないことはないのですが、ほとんど味がしないうえに表面のつぶつぶが口の中でざらざらして舌触りが良くありません。

一人の女の子がノイチゴを見つけたので、「これは食べても大丈夫」といって少し食べてみせると何人かで分け合って食べていました。といっても直径1センチほどの果実です。潰れているといってよいくらい小さくなってしまっても分けあっている姿に、少しでも友達にあげたいという優しさが感じられて心が温かくなりました。

子どもたちは毎日の生活でいろいろなこと、それも生活の中の小さな経験を積み重ねて大きくなってゆくのです。だからこそ、その経験が思いやりや、優しさに満ちた経験であると良いと思います。そんな小さな経験がやさしく思いやりに満ちた子を育てるのですね。

雨が降って

2012/06/11

昨日の午後、温湿度計を見たら気温20度、湿度60パーセントという、快適に過ごせる温湿度の範囲でした。しかし、近畿地方も梅雨入りが発表され、じめじめした季節がやってきます。湿度が高くカビが生えやすかったりするので注意が必要です。特に山の中にある当園は、気温はそれほど高くはなりませんが、湿気が多く湿度90パーセントということがよくあります。

雨も多く蒸し暑い梅雨はあまり過ごしやすくないので、敬遠されがちですが、見方を変えれば潤いの季節ともいえます。

5月下旬ごろからまとまった雨が降っていなかったので、かなり乾燥していて、園庭も砂埃が立ちやすい状態が続いていましたが6月8日の雨でしっとりしましたし、木々の緑の色が全く違います。葉の表面のほこりが洗い流されたというだけではなく、内側からいきいきしているという感じです。

テイカカズラ

お寺の参道には小さな白い星というかプロペラを地面にちりばめたようにテイカカズラの花が落ちていました。テイカカズラはキョウチクトウ科のつる性植物でちょうど6月頃に花を咲かせるそうです。樹液は有毒だそうですが、木や葉は見えないので子どもが直接樹液に触れ可能性はありません。もし、子どもたちが花を見つけたら、毒があることを伝えると良いのです。次に子どもたちが散歩に通るときにもまだあると良いのになと思いながら、地面に落ちた花を写真に撮りました。

以前も紹介しましたが、お寺の庫裏の池にモリアオガエルというカエルが産卵していました。5月下旬だったのですが、いつのまにかその卵塊がなくなっていました。なにかに食べられてしまったのかと想像しています。園児たちが見ると興味を持つかなと思ったので、もう少し卵が増えないかと待ちわびていたのですが、産卵には雨が必要なのでなかなか産卵しません。ところが8日に雨が降った後にはたくさんの白い泡の塊が木の枝にぶら下がっていたので安心しました。今日の午前中は天気も良かったので、早速2歳児が見に行っていたようです。

10日ほどすれば、孵化してオタマジャクシが出てくると思います。
子どもたちが、興味関心を持って、熱中できる、そこから感動が生まれる。そんな環境の一つになってくれるでしょうか。モリアオガエルさんよろしくお願いします。

モリアオガエルの卵 を包む卵塊

たくさん卵を産みました

コミュニケーション

2012/06/10

子どもの興味関心はそれぞれの子どもによって異なり、それぞれの興味関心に応じて子どもが熱中して取り組むということは、様々な物事のなかから、自分の好きなもの(それはその子の発達にとって必要なものなのですが)を自ら選び取って行うからこそできるのです。その中から、喜びを持って問題を自ら解決しようと挑戦する意欲が生まれてきます。ですから、保育者もいつも同じことを一斉にさせようとするのではなくて、一人ひとりの意欲に注目してゆく方が良いということを何回かにわたって書いてきました。

言い換えれば、一人ひとりの個性が輝くことが大切だということです。そう言うと、そんなことをしていると子どもがわがままになって、周りのことも考えずに自分の好きなことばかりやるようになってしまうのではないか、それぞれが勝手なことをしてバラバラになり集団ができなくなってしまうのではないかという声が聞こえてきそうです。

果たしてそうでしょうか。誰かが自分のやりたいことが自由にできるということはそのまま、他の誰かもその人のやりたいことを自由にできるということです。ですから、他の人の自由も保証するためには、自分の自由を制限する必要もあります。そこで、相手にお願いしたり、譲り合ったりすることが必要になってきます。その前提として話し合うこと、想いを伝えること、相手を受け止めることがなくてはなりません。つまり、コミュニケーションを深めることが必要です。
大人でもかなり意識し、努力してこれをやるようにしないと、コミュニケーション不足になって思わぬ誤解や、思いのすれ違いが生まれ、トラブルの原因となったりします。ですから、子どもの時に心を開いて話し合うこと、素直な心で自分の想いを伝えること、相手を受けとめることが楽しいと感じられる経験をする方が良いと思います。

大人が、子どもをダメダメと叱ってばかりいると、子どもも他の子どもに対して同じように禁止したり否定したりすることが多くなります。最初から強い口調で否定されたら、心を開いて話し合うことなんかできなくなってしまいます。子どものお手本としても、自分勝手な主張ばかりするのではなく、大人が自ら意識して、心を開き、相手を認め、素直な心で想いを伝え、コミュニケーションを深める必要があります。

それなら、子どもがそれぞれに好きなことをしていてはもっとコミュニケーションがとれなくなるという考えもあるでしょう。しかし、ある子どもが、興味関心のあることを見つけて、熱中して取り組んでいる姿は他の子どもを惹きつけます。一緒にやらせてと遊びに加わったり、どうすればできるのとたずねてみたりしながら、コミュニケーションを深めてゆきます。そうやって、友達と意見を交わしながら、力を合わせてなにかの課題に取り組むということを自然に行ってゆくのです。

先日も園庭の築山から水を流したり、ダムを造って水をせき止めたりしていましたが、何人かの子どもがああでもないこうでもないといいながら、工夫してダムを造ったり、水路を作ったりしていました。こういうところでこそコミュニケーション能力と、問題解決能力が高まるのだと思います。
つまり、子ども一人ひとりが興味・関心・熱中を中心としたその子らしい参加をすることが学びの場となりますし、チャレンジするところからコミュニケーションが生まれて豊かになり、子どもが集団の一員として育ってゆくのです。

それぞれ

2012/06/09

困った子とか気になる子ということがよく言われます。子どもを見ていると、できないところや問題点、不足しているところに目が向きがちです。そして、その不足しているところを埋めよう、引っ張り上げようとしがちです。あまり引っ張りすぎると「助長」になり、子どもは枯れてしまいます。

これは、大人の問題です。子どもを、例えばクラスという一つの枠だけでくくって、その中で全員が同じようにしないといけないという思い込みが強いと、そこから外れる子は、困った子、問題がある子と考えがちです。もちろんみんなと一緒に取り組むことが大切なのはいうまでもありません。しかし、大人に「やりなさい」と言われていやいややってもそれはみんなでやっていることにはなりません。心は離れています。

例えば、みんながダンスをしているとき、いくら誘っても一緒にしない子がいます。見た目は一緒にやっていませんが、後で同じ音楽を聞くと、みんなと一緒にやってなかったはずなのにちゃんと踊ることができたりします。みんながやっていたときは、なにかその子なりの想いがあってみんなと一緒に動くことはしなかったけれども、ちゃんとみんなの動きを見るという形で参加していたのです。目に見える形、大人の思うような形では参加していなくても、心では参加していたのです。その子なりの参加があるのだと思います。

どうしても、みんなが同じようにしなくてはならないという固定概念で、子どもをとらえがちです。もしかしたら、今の大人がそういう価値観の中で育ってきたのかもしれません。誰かに言われたことを忠実に行う、均質な労働力としての人材を育成するための教育こそが大切。そういった価値観から見れば、みんなと同じことを同じように行うことが必要で、同じように行わない人は問題です。そうしようと思うと、どうしてもできないところ、不得意なところに注目して、そこを強化しよう訓練しようという方向で考えてしまいます。できないところに注目してしまうのです。子ども本人がなにかに挑戦するという意欲を持って前向きに練習するのなら良いのですが、大人がそうさせようと思うといろいろな無理が生じてしまいそうです。

全員が一斉に同じことをやらなければならない条件の元では、一人ひとり異なる個性がそれぞれに輝くことは難しいと思います。

畑の苺を食べたよ

2012/06/09

苺の苗から皆で植えて育ててきた畑の苺が紅く色づき収穫時期をむかえました。上の(幼児)クラスから順番に頂き、遂に、すみれぐみ(1歳児)も頂くことに…。皆、苺を見るなり笑顔で美味しそうに頂いていて、絵本や紙芝居で苺が出てくると、「いちご」と嬉しそうに答えてました。また、0、1歳児できゅうりの苗から植えて育ててきた、きゅうりも子どもたちが、せっせと水やりをしてくれたので、黄色い花が咲き初め、昨日見たら、小さなきゅうりがつき初めてます。野菜の好きな子が多いので、また収穫できるのが今から楽しみです。

興味・関心・熱中・楽しい

2012/06/08

今朝はとても良く晴れて気持ちの良い朝でした。午前中は用事があって京都に行っていました。そう書くと変ですよね。もちろん鞍馬も京都市内です。子どもの頃、近所のおばあちゃんたちが、京都の町中に行くことを「京へ行く」とおっしゃっていたのを思い出したのでそう書いてみました。今、考えてみると「町中へ行く」という意識と、「鞍馬はあくまでも鞍馬!」という意識があったのかなと想像してしまいます。

市内は気温が30度を超える暑さでしたが、鞍馬に帰ってきたら25度でした。午後からは天気予報通りの雨になりました。久しぶりの雨で、自然の生き物は喜んでいるでしょう。特にモリアオガエルは産卵を始めるかもしれません。

お天気が良く、気温も比較的高かったここ数日は、子どもたちは園庭での遊びを思い思いに楽しんでいる姿が多く見られました。今、子どもたちがよくやっているのは、泥だんご作りと、水遊びです。ぴかぴか光る泥だんごを一生懸命作っている姿や、築山から水を流したり、せき止めてためてみたり、水の流れ道を作ったりと熱中してあそんでいます。こんな子どもが熱中している姿の中にこそ、子どもの大きな育ちや学びがあるのです。

大人が作った保育計画通りに子どもを動かすことが、子どもが育つことではないと思います。まず、子どもが興味関心を持っているか、熱中してして取り組んでいるか、そういう姿を見る必要があります。興味関心を持ち、熱中して取り組んでいることの中にこそ子どもの学びと育ちがあるからです。

子どもは一人ひとり異なる存在です。大人も人によって興味関心が異なるように、子どもだって異なります。ですから、大人が複数の子どもたちに一斉に同じことをやらせようとすると、興味関心のない子が出てきます。かといって一人ずつの興味関心の全てに対応できる環境や機会を用意するのは難しいと思います。ですから子どもが自分で何をして遊ぶのかを選び取ることができる選択肢を用意しておくと良いのです。そうすれば、興味関心を持つ機会が増えます。それだけ、一人ひとりの子どもが育つ機会、学ぶ機会が増えるということです。

子どもが遊び始めるのに、大人が誘いかけたり、一緒になって遊んだりするきっかけが必要なことはありますが、子どもが熱中しだしたら、大人は少しずつ離れていった方が良いと思います。

子どもが目をキラキラ輝かせて全身全霊をかけて取り組んでいる姿は、見ていても嬉しくなります。何かをさせようとしても、できない、しないからといって躍起になってやらせようと叱りつけているのは子どもも楽しくありませんし、大人も楽しくありません。誰も楽しくないしハッピーでもないことを一生懸命する必要はありませんものね。

泥団子作り

2012/06/08

いつもどうり園庭で遊んでいるとAちゃんが「先生一緒に団子作ろう」と誘ってくれたので一緒に団子作りスタート!!!

すると続々と園児が集まり5〜6人で作っていました。途中で壊れてしまう子、形が気にいらず潰してしまう子もいましたが、また最初からやり直していました。

私が一番感心した事はBちゃんが「お団子作りたい」とゆうと、みんながBちゃんに1から教えてあげている姿です。とってもかっこよく異年齢の関わりっていいもんだなあー。と思いました。

まだまだ完成までに時間はかかりますがみんなで少しづつ完成させ一緒に喜び合いたいと思います。

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