shigaraki (鞍馬山保育園 の投稿者) - 114ページ目 (186ページ中)

雪だるま

2013/01/15

お昼から年長さんと散歩に行った時の事。

二、三日前に降った雪が残っていたので、一人一人、小さな雪だるまを作る事にしました。

自分の思う雪だるまはどんななのか・・・それぞれ思い思いに作っていました。

ちょっとシャリシャリした雪になっていたので作りにくかったのですが、みんな一生懸命!

出来上がったのを全部並べてみると、なんともかわいく暖かい感じのが出来上がりました。

ポカポカ暖かい日だったので、すぐに溶けていったのですが、女の子達はそれも楽しみながら何度も見に行っていました。

中にはこけてしまった雪だるまに葉っぱの布団を掛けている姿もありましたよ!

この日の天気同様に、ニコニコ暖かいひと時でした。

伝える 受けとめる

2013/01/14

外交でも「相手の考えを聞き理解しようとする姿勢を長年続ければ、人脈も広がります。」と東郷氏。

理解のためには、発信する必要があります。受けとめるといっても黙っているだけでは、相互理解にはなりません。時には議論することも必要です。あたりさわりのないところだけで話していては、うわべだけになるので、素直な本心を使って相手に伝えることが大切です。

「今の小学生はいじめられることを極端に恐れ、ボスや周りの空気に合わせ、目立たないように振る舞うという。恐ろしいことです。子どもたちが自分で意見を言わず、周りに合わせる生き方を続ければ社会は縮小する。」と東郷氏は言います。

そうであるなら、幼児期に自分の思うことを伝える経験をたくさんして欲しいと思います。そのためには、まず子どもの言葉をしっかりと聴く必要があります。聴いてもらえるからこそ、子どもは話そうとするし、聴こうとするようになるのです。

「違った人間がいることをたがいにみとめ、火花を散らすことによって人間は成長する。若いうちから本を読んでものを考えろと、言葉を勉強して外国に出て自分の目で見てみろと。自分は自分であっていいんだと伝えていきたいですね。」と記事は締めくくられています。

当園の目指す子ども像には、「相手を受けとめられる子」「自分の想いを伝えられる子」という項目があります。相手を丸ごと受けとめ、真心で伝えられるそうなるためには、心を開いて伝えたことを丸ごと受けとめられることをたくさん経験してほしいと思っています。

51対49

2013/01/13

元外交官 東郷和彦氏へのインタビュー記事「対話のカタチ」2(京都新聞1月4日)を読んで、感じたことを書かせていただいています。理解すること、理解しようと努力し続けることの大切さを改めて心に思いました。そこから信頼関係が生まれてくるのですね。

東郷氏は祖父から三代続く外交官だそうです。東郷氏の祖父が大切にしていたことが取り上げられていました。それは「51対49」の哲学です。外交官は交渉の最前線にいて、相手の主張の本質や相手が譲れない線を一番よく知る立場にいます。相手に51を譲り、こちらは49で満足する気持ちで国内を説得することが、長い目で自国にとって一番良い結果になるという信念なのだそうです。

自分が51ではなく相手が51なのですね。どうしても、自分の考えを押し付けようとしたり、相手を自分の思うように動かそうとしてしまいます。それは「我」の自分が、我欲を通したいためにそうしてしまうからです。51どころか、80、90までも自分の思うようにしたくなります。でも、「我」の自分に流されているかぎりは、何も変わらないのでしょう。先ずは相手を受けとめ、理解しようとする努力が必要なのでしょう。そこから始まるのです。

子どもも、大人の思うようにしようなどと思ったら、無理が生じます。かといって放任してしまうと育つことができません。その子を丸ごと信じて受けとめ、その子が最も輝けるところを、磨き出せるようにサポートしたいものです。

本心で受けとめ理解する

2013/01/12

「相手を理解すること、それが外交において一番重要なこと」元外交官の東郷和彦氏は言います。

外交交渉と聞くと、自国の利益のために相手に条件をのませるといたイメージが強かったのですが、そうではなく相手を理解することが最も大切だというのです。当然といえば当然なのかもしれませんが、相手を本当に理解するというのはとても難しいことだと思います。相手を理解することは相手を受けとめることから始まるのでしょう。

自らが心を固く閉ざして相手を理解しようとせず、自分の考えだけを押し付ければ、相手も心を閉ざして主張するだけになってしまうかもしれません。そうなればただのぶつかり合いです。そこから良いものが生まれてくることは少ないでしょう。外交などといわず、日常生活でもよくあることです。

どうしても思い込みにとらわれている自分がいて、相手にもそれをさせようとしてしまうのです。それは、オレが(我)、わたしが(我)という「我欲」にとらわれ、動かされている自分がそうしているのではないでしょうか。

かといって、自分を殺して相手に合わせるのではなく、「我」にとらわれない自分の本心に素直でいる。素直な心で、相手を受けとめる、受けとめよう、理解しようとする姿勢をもつことができると良いと思います。

本心の自分と「我」にとらわれている自分、今の自分はどちらの自分なのか、いつも自分に問い続けていると、本心の自分がわかってくるのかもしれません。本心の自分で「受けとめよう、理解しよう」を実践してゆきたいものです。

今年の取り組み

2013/01/11

遅くなりましたが、明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願い致します。

長い冬休みが終わり始園日には元気な子ども達の姿が見られお正月どのように過ごしたかたくさん教えてくれました。

今年は去年あまり出来なかった事を中心に進めていけたらいいなと思っていますので宜しくお願い致します。

理解

2013/01/11

「対話のカタチ」2人目は、元外交官 東郷和彦さんです。東郷氏は外務省条約局長・欧亜局長・駐オランダ大使などを歴任し、現在は京都産業大学世界問題研究所長として活躍されています。

東郷氏は、外交の本質は「相手を理解する」ことであり、それは全ての人間関係の基本だと言っています。外交で一番重要なのは相手の立場も理解し、長期的に国益を考えてゆくこと。なのだそうです。同じ国の人間なら、関係性が悪化しても同じ価値観やルールのもと立て直しやすいが、外国人の場合は一度失敗すると立て直しが大変難しくなると言います。

同じ文化的基盤を持った日本人同士でも難しいことがあるのに、外国の方が相手となるとその難しさは想像もできません。ただ、ひとりの人間と人間との信頼関係が基本にあり、その上で交渉があるのだろうと感じます。その根本に「相手を理解する」ということが必要不可欠なのでしょう。しかし、「相手を理解することは思うほど易しくない」ともいいます。
確かに易しくはないし、そうとう努力する必要があると感じています。

「日本は主張すべきを主張していない」というのが最近の風潮ですが、こちらの考えを相手にガンガン言えばいい、それが外交だという考えは完全な間違いです。

とても反省させられることばです。外交のような大がかりなことではなくても、日常のコミュニケーションでさえ、ついつい自分の主張ばかりを一方的に押し付けようとしてしまいがちです。相手を理解するためには、自分の心を否定のバリアで囲わずに、相手を丸ごと受けとめることからはじめなければなりません。そこからがスタートのはずなのに・・・

日々のふり返りを大切にしながら、進んでゆくしかありません。

目に見えない世界

2013/01/10

京都新聞の新春特集「対話のカタチ」に掲載された河合俊雄氏の「グローバル化の中で」という記事が興味深かったので、取り上げてみました。

グローバル化に反比例して人々の視野は狭まり、自分に近いグループのことしか気にしなくなる。その背景には、同心円的な広がりをもつ共同体の崩壊があるといいます。河合氏はこうも言っています。健康な共同体がなくなってゆくと、それを保つため「暴力」という反動が生まれる。だからいじめ問題が絶えない。

共同体の崩壊は人と人との実質的なつながりが希薄になり、個々人がバラバラになってしまう状態なのでしょう。西洋では個人主義が強くても、個人がよって立つ基盤に「神につながる」という普遍性が残されました。遠くに、もしくは目に見えない世界にある普遍性がなくなると、人々は身の回りの自分に近い存在に依存するのでしょう。

河合氏は、「目に見えない世界」の普遍性に注目し、「自然科学で全てがわかるだけでは、人は生きる気力が湧きません。むしろ自然科学を超越した「全然違う次元」を知り、触れることで豊かになる。目には見えない夢や理想が生きる力になるのです。」と言っています。

河合氏はかつては宗教が果たしていた、目に見えない世界(異次元)とつなぐ役割を文学や芸術といった新しいクリエーションに求め、例えば村上春樹氏の小説を心理学的に読み解くといった研究を進めていらっしゃるそうです。

日々に追われていると、ついつい目の前で起こることだけに目を奪われがちですが、本来見つめるべきは、見えないものであったり、遠くにあるものなのだと思います。足下のでこぼこ道にばかり気を取られていて、遠くの目に見えないもの、普遍性を見据えることを忘れてしまわないようにしたいものです。

共同体

2013/01/09

京都新聞文化面で「対話のカタチ」という新春特集が組まれていました。様々な対立があらわになって来ている今こそ、対立を乗り越え、ともに前へ進むための対話が必要という観点から、歩み寄ることの難しさと可能性の大きさを知る5人に聞くというシリーズです。1月3日には、京都大学こころの未来研究センター教授の河合俊雄氏でした。

河合氏はまず、情報技術がグローバル化するのに反比例して、人間の視野は狭くなっているといいます。かつてあった共同体意識や原理、普遍性がなくなったことが背景にあるそうです。近代の前には共同体の暮らしの中で、共同体に属する人々のことを肌で感じることができました。日本では集落という共同体を中心として、集落を囲む山の向こうに「あの世」があり、その向こうに「目には見えない世界」が同心円的につながる共同体意識を持っていました。近代になって「個人」という概念が出てきてそれが大きく変わったと言います。

西洋では個人主義が強いのですが、個人がよって立つ基盤に神や自由、博愛という原理があり、人々はそれを共有しているといいます。近代化によって共同体意識はつぶれましたが、キリスト教に基づいた「神につながる」という普遍性は残されているのです。日本はそういったものまでなくしてしまったのでしょうか。

前近代的な共同体意識が意味を失った後に登場したのがグローバル主義ですが、共同体がなくなると皆がバラバラになり、ネットなどを介して偶然につながるだけの世界になってしまいます。そうして人間にとって必要な原理、普遍性が失われたから、人々は身の回りや自分に近い特定の存在に依存するようになるのだそうです。「かつてあった同心円的な広がりを持ったつながりではなく、日本の学生たちが自分のグループばかりを気にするように非常に小さな島になっているのです。」と河合氏は言っています。
(文責園長)

以前は共同体というお互いが物理的にも心理的にも近くつながりあい守り合う場があり、その外側に広い世界が、そして最も遠いところに宇宙とか目に見えない世界という普遍性があったのでしょう。ところが、共同体が意味を失ってグローバル化が進み、いきなり大海に放り出された個人は身近なものだけにしがみつこうとしているというのが、現代の状況なのだと理解しました。

だからこそ、グローバル化の荒海に放り出される前の子どもの時代に、身近な養育者との愛着関係をベースとして、子ども同士を中心に様々な人との関係を築く、様々な人と生活する共同体の体験が必要な気がします。その共同体で生活してゆくなかで、夢や理想を持って生きてゆく経験が大切になってくるのだろうと感じます。

冬休みの学童保育(めぐみ精舎)

2013/01/08

冬休みになるとめぐみ精舎(学童保育)も小学生も多くなり、毎日にぎやかです。イベントも多く、クリスマス会では映画鑑賞やクリスマスケーキ作りをしました。炊飯器でスポンジケーキを焼いて、みんなでトッピングを楽しみました。ケーキの甘い匂いが部屋に広がってとても幸せな気分になりました!

しめ縄作りにも挑戦しました。ワラに埋もれて1日がかりで作ったけれどいろんな形のしめ縄が完成。
お正月には家の門に飾ってもらえたかな?

保育園児と一緒にお餅つきもしました。

年が明けて第一日目は寺の本殿まで新春お参りに行きました。かがり火の所に網を持ってきてもらってオモチを焼いてたべました。
雪合戦にも熱が入ったね〜

めぐみ精舎で楽しい冬休みがすごせたかな。

七草がゆ

2013/01/08

「せり、なづな、ごぎょう、はくべら、ほとけのざ、すずな、すずしろ、これぞ七種」1月7日、春の七草をお粥に入れていただく七草がゆの習慣があります。

七草がゆの習慣は正月7日の人日(じんじつ)人を占う日に、7種の野菜を入れたあつものを食べた中国の習慣が伝わったものだそうです。日本に伝統的にあった若菜摘みの風習とも結びついたようです。江戸時代には幕府が人日の節句を他の節句と共に公式行事としたこともあって、一般にも広まりました。

雪を割って芽を出す早春の植物の生命力をいただき、新しい年の無病息災を祈ったのでしょう。昔の人は自然と近く、自然と共に生きていたのですね。

ちなみに、秋の七草は、おみなえし、おばな、ききょう、なでしこ、ふじばかま、くず、はぎの7つで、秋の草花が咲く花野を散策し、歌を詠むなどして楽しんだのです。

1月7日、調理担当者が、子どもたちに季節感を感じたり、昔からの風習に接してくれればとの思いから、七草がゆを作ってくれました。お昼のご飯をおかゆにするとおなかがすいてしまうかもしれないという配慮から、おやつにしたようでした。そんな心遣いが嬉しく感じられました。

七草がゆを食べつつ「なんではっぱがはいってんの?」と聞く子どもたちに、「これは七草がゆといってね・・・」と保育士が説明している様子がとてもステキに感じられ、

「あっ!ちっちゃい大根が入ってる!」と目を輝かせている子どもの笑顔が印象的でした。

スクロール