園長ブログ

共同体

2013/01/09

京都新聞文化面で「対話のカタチ」という新春特集が組まれていました。様々な対立があらわになって来ている今こそ、対立を乗り越え、ともに前へ進むための対話が必要という観点から、歩み寄ることの難しさと可能性の大きさを知る5人に聞くというシリーズです。1月3日には、京都大学こころの未来研究センター教授の河合俊雄氏でした。

河合氏はまず、情報技術がグローバル化するのに反比例して、人間の視野は狭くなっているといいます。かつてあった共同体意識や原理、普遍性がなくなったことが背景にあるそうです。近代の前には共同体の暮らしの中で、共同体に属する人々のことを肌で感じることができました。日本では集落という共同体を中心として、集落を囲む山の向こうに「あの世」があり、その向こうに「目には見えない世界」が同心円的につながる共同体意識を持っていました。近代になって「個人」という概念が出てきてそれが大きく変わったと言います。

西洋では個人主義が強いのですが、個人がよって立つ基盤に神や自由、博愛という原理があり、人々はそれを共有しているといいます。近代化によって共同体意識はつぶれましたが、キリスト教に基づいた「神につながる」という普遍性は残されているのです。日本はそういったものまでなくしてしまったのでしょうか。

前近代的な共同体意識が意味を失った後に登場したのがグローバル主義ですが、共同体がなくなると皆がバラバラになり、ネットなどを介して偶然につながるだけの世界になってしまいます。そうして人間にとって必要な原理、普遍性が失われたから、人々は身の回りや自分に近い特定の存在に依存するようになるのだそうです。「かつてあった同心円的な広がりを持ったつながりではなく、日本の学生たちが自分のグループばかりを気にするように非常に小さな島になっているのです。」と河合氏は言っています。
(文責園長)

以前は共同体というお互いが物理的にも心理的にも近くつながりあい守り合う場があり、その外側に広い世界が、そして最も遠いところに宇宙とか目に見えない世界という普遍性があったのでしょう。ところが、共同体が意味を失ってグローバル化が進み、いきなり大海に放り出された個人は身近なものだけにしがみつこうとしているというのが、現代の状況なのだと理解しました。

だからこそ、グローバル化の荒海に放り出される前の子どもの時代に、身近な養育者との愛着関係をベースとして、子ども同士を中心に様々な人との関係を築く、様々な人と生活する共同体の体験が必要な気がします。その共同体で生活してゆくなかで、夢や理想を持って生きてゆく経験が大切になってくるのだろうと感じます。

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