shigaraki (鞍馬山保育園 の投稿者) - 100ページ目 (186ページ中)

心の深層

2013/05/05

芸術について何かを言えるほどの見識は持ち合わせていませんが、「佛心の造形 齊藤眞成展」を見学させていただいて感じたことを書かせていただいています。

佛心の造形でいう「佛心」というのは、人がそれぞれに持っている仏様の心、言い換えれば、心の奥深いところにある素直な心、本心ということだと思います。齊藤師はご自身の佛心、本心をみつめ、佛心、本心が赴くまま忠実に描いていらっしゃるのだろうと想像します。

長い間、齊藤師の作品を見続けていらっしゃる方が、以前は暗い色使いが多かったが、最近の齊藤師の作品は色使いが明るくなったとおっしゃっていました。明るく暖かな仏様の世界を感じながら描いていらっしゃるのかもしれません。

美術評論家の木村重信氏が、この展覧会の図録に寄せられた文書があります。そこには、齊藤眞成さんは「鬼」とか「業」の画家と言われ、鬼や地獄にまつわるイメージが濃かったが、近年抽象性がますます強まり、重く暗い画面は軽く明るい表情に変化した。とあります。

また、齊藤絵画は抽象ではなく非具象である。外見上は抽象絵画と変わらないように見えても、自然対象に徹底的に精神操作を加えて、心のるつぼのなかで溶かしてから出すので、抽象とは異なる。

と齊藤師の作品が「心」から生まれてくることをおっしゃっています。

また、齊藤絵画をビオモルフィック(生命形態的)と名付けたい。心理と生理、無機と有機が統一された形態を示すこと、そのような絵画を描くことによって齊藤さんは生命の生成の過程に立ち会ったのである。それは九十六歳の高僧にして達し得た画境でもある。と締めくくっておられます。

「生命の生成の過程に立ち会う」というところまでは、さすがに思いが至りませんが、精神活動の奥深いところ、(真理と言っても良いと思います)から生まれ出てくるのが齊藤師の芸術なのでしょう。

映し出される心

2013/05/04

芸術作品から何を感じるのか?それは、見る人それぞれであって良い。ということを齊藤師の作品を拝見して、自分自身が感じたことと照らし合わせてみると、自分の内面が見えてくるようで、少し怖いような気持ちになりました。多くの作品から、和みや安らぎ、調和などが感じられました。特に動物の姿が描かれた作品には、ユーモラスさのようなものを感じました。

ところが「念」と題された作品に対したときは、何か自分自身の心に突き刺さるような感覚を覚えました。「念」は良い意味で、念ずること、祈ることなのかもしれませんが、私には、良くない「念」が描かれているように感じられてのです。

作品は、僧侶のような人が祈りを捧げているように見える構図です。私にはそう見えました。それはどんな祈りなのかはわかりませんが、私には、作品の中で人物の輪郭のように使われている青色の線が、気になって仕方なかったのです。その青色が、どうも自分の心の中の我が儘であったり。こうなってほしという自分勝手な都合、我が儘を表しているような気がして、思わず作品の前で立ち尽くしてしまいました。

まさに作品を見る人の感じ方です。自分自身の心が、反映されているのだろうと思います。

自分自身、心の中の我が儘な部分や我欲にとらわれている部分が、作品に反射して、自分に返ってきているのです。我欲を離れ、様々なことを素直な心で感じ受けとめられるようになれるとどんなに幸せなことでしょう。自分の中の我が儘な心にとらわれ振り回されることのないように、常に自分の心を見つめ、自分の心の状態を把握し、自分を律してゆくことが大切になってくるのでしょう。

感じるところ

2013/05/03

「佛心の造形 齊藤眞成展」を見学していたら、ある宗教紙の記者さんが取材に来ていらして、齊藤師にインタビューをしていらっしゃいました。展覧会を見学し終わり、オープニングパーティー会場に移動する途中、その記者さんと話す機会がありました。

「取材したことを記事にするのは難しいんでしょうね。」なんて話していたら、「齊藤先生に変なことを聞いてしまいました。」と少し後悔していらっしゃる様子だったので、どんな質問をされたのかに興味が湧いてきて、どんな質問をされたのか、尋ねてしまいました。

記者さんは、「それぞれの作品に何か伝えたいメッセージはあるのでしょうか。」と質問してしまった。そうしたら齊藤先生は「それは見る人がそれぞれに感じてくだされば、良いことなんです。それぞれの見方、感じ方をしてくださることが大切なのです。」とお答えになった。それを聞いて、なんて変な質問をしてしまったのだろうと、恥ずかしくなったとおっしゃっていたのです。

確かに、おなじ絵を見ても、見る人のその時の心の状態、感じ方によって、作品はさまざまに見えるし、感じられるのだろうと思います。それは、作者の意図がどうであれ、それがそのまま響くときも響かないときもあるはずです。むしろ、齊藤師のおっしゃるように作者の意図やメッセージよりも、受け手の心情の方が、受け止め方に影響するのだと思います。ですから見る人こそ自分自身が今、どんな気持ちなのか、自分自身をある程度把握していることが必要なのかもしれません。

いやもしかしたらそんなめんどくさいことを言わず、素直な自分の心がどう感じているかを、しっかりと見つめていることが大切なのかもしれません。

素直な心で

2013/05/02

齊藤眞成師の個展を見学させていただきました。齊藤師の作品を見るたびに思うのが、この造形はどのようにしてできあがるのだろうということです。そんなことを考えずにただ作品を感じれば良いのだと思いますが、ついそんな思いが浮かんできます。

以前、齊藤眞成師の個展が京都造形芸術大学で開催されていたときに、見学に伺ったことがありました。その時はたまたま見学者がいらっしゃらなくて、齊藤師と少し話すことができたので、失礼ながら、どのように作品を作られるのか思い切って尋ねてみました。そうしたら、「いろいろですが、思いつくままを描いてゆくのですよ。電話しながらメモに落書きすることがあるでしょ?あんな感じで描き始めたものが広がってゆくのですよ。」と答えてくださいました。包装紙に落書きするような気持ちで描いていたら、包装紙の模様がおもしろかったのでそれをそのまま作品になってしまったというエピソードも聞かせてくださいました。実際にそんな作品も見せていただきましたし、今回の個展にも出品されていました。

それを伺って、師はご自身の素直な心を解放して、作品に表現していらっしゃるのだと感じました。最初から最後まで素直な自分、ありのままの自分で作品を仕上げることはなかなかできる事ではないと思います。

私などは、少しでも良く見せたいとか、自分の我欲から出てくるいろいろな思いがすぐに邪魔をしてきます。自分の本心とはなにか、今感じていることが素直な自分の心から出てきていることなのか、常に自分の心に向き合い、心を見つめている必要がありそうです。知らず知らずのうちに我欲が心を覆い「我が儘」にしたくなってしまうからです。

齊藤師は、ご自身の心に向き合いながら作品を作っていらっしゃるのだろう。そんなことを思っていたことを、思い出しながら作品を見学させていただきました。

添い寝

2013/05/02

新学期が始まってそろそろ1ヶ月が過ぎようとしています。新入園児さんも少しずつ園の雰囲気に慣れ、笑顔がいっぱい出るようになってきました。

でも、先日乳児クラスでのお昼寝が始まる頃の事、1才児の新入園児○○君はご機嫌斜めで布団の中で泣いていました。

そこへ0才児の時から園にいる一才児の△△ちゃんが現れて、トントンしてあげたり布団をなおしてあげたり…

それでも泣きやまない○○君の横で添い寝してあげたりと、すっかりお姉ちゃん気分でお友達の面倒を見てくれてました。

このしぐさがとてもほほえましく、しばらく目が離せませんでした。

展覧会

2013/05/01

絵画の展覧会とそのオープニングパーティーの案内をいただいて、参加させていただきました。展覧会のタイトルは「佛心の造形 齊藤眞成展」、画家は齊藤眞成師です。齊藤眞成師は洛東の名刹 真正極楽寺(通称真如堂)の貫主を勤められたこともある高僧でしらっしゃいます。御年なんと96歳、今もなお矍鑠として作品を作り続けていらっしゃいます。平成15年に師がポルトガルで個展を開かれた際に、お供をさせていただいたことをきっかけに、現在でもありがたいご縁をいただいています。

師の作品は、一見抽象画のように見えるのですが、ご本人は抽象ではないとおっしゃっています。表現形式をどう呼ぶかはともかくも、芸術に対する造詣や見識、知識、見る目をまったくといって良いほど持ち合わせていない私にとってさえ、師の作品はどこか、心の奥底に訴えかけてくる魅力があり、よくわからないながらも見入ってしまいます。

うまく言い表せないことをわかったうえで、あえてどんなところに惹かれるかと言えば、その一つは作品に時々登場する犬や猫、鳥などの動物がどこかホッとできる存在なのです。もちろん色使いや、構図、一つのモチーフ(テーマといえばよいのでしょうか?)のように作品に登場する形(これは私が勝手に感じているだけだと思いますが)なども、心を惹かれる存在です。そして、経文であったり、梵字であったり、仏教的な要素が多く盛り込まれているのも、作品の特徴です。また、多くの作品が大きくてとても迫力があるのです。今回の展覧会で最も大きな作品は横2.5メートル、縦2メートルほどの作品でした。

大きな作品の製作には体力が必要だと思いますが、師の作画に対する情熱と、エネルギーは想像を遥かに超えています。そのエネルギーの源はどこにあるのでしょうか・・・

そんなことを思いながら、作品を配線しました。

「佛心の造形 齊藤眞成展」
京都展
会期:平成25年5月1日〜5月12日
会場:京都文化博物館
山形展
会期:平成25年5月30日〜6月9日
会場:山形県郷土館

カメ

2013/05/01

保育園ではカメを飼っています。
子どもの手のひらと同じくらい小さなカメです。

先日、年少クラスのMくんとカメを見ているときに水面から出ている甲羅がカラカラに乾いていることに気付き一緒に水を足すことにしました。

水を足し終え、カメの水槽をもとの場所に戻したときに
「ありがとう。カメさんもきっと喜んではるわ(^O^)」とMくんに言うと、
数秒後に「ほんまや!!カメさん喜んではる!!!」と驚きと喜びで目をキラキラと輝かせながらMくんが言いました。

私も“喜んではるカメさん”見たさにカメの様子を見にいきましたがカメはいつもの何とも言えない表情を浮かべ水中でジーッとしているだけでした。

きっと生き物に寄り添える心を持っていたからMくんにはカメが喜んでいるように見えたのでしょう。

その純粋な心に感動しました。

鳥たち

2013/04/30

山の上の池にカエルの観察に出かけた小学生たちが「寒かったー!」と言って帰ってきました。一緒に行った担当者に聞いていたら、寒かったものの子どもたちはヒキガエルの卵を見つけて興味を持っていたようです。ヒキガエルの卵はゼリー状の透明な細長い紐のようなものの中にポツポツと卵が並んで入っています。最初は気持ち悪いといって触ろうとしなかった女の子も、少しずつ慣れて来て、帰る前には普通に触っていたそうです。子どもは先入観が少ないので、すぐに慣れることができるのかもしれません。言い換えれば、変化に柔軟に対応することができるということです。

子どもたちは山に登るときに、木の枝でさえずっているオオルリに出会ったそうです。しかも長い間おなじ枝にとまっていたということです。オオルリは冬場は東南アジアなどの暖かいところで過ごし、この時期には日本にやってくる鳥です。雄はその名の通りとても美しい青色をしています。青色の羽も美しいのですが、そのさえずる声の美しさからコマドリ、ウグイスとともに日本三鳴鳥といわれています。

そういえば、今年は今のところウグイスの声を聞くことが少ないように思います。その年その年によって様々な条件で違うのでしょう。

このあたりでときどき見られるめずらしい鳥にアカショウビンがいます。この鳥も冬は南の方で過ごし、夏には日本に渡ってきます。その名の通り赤く美しい羽を持っており、赤く大きなくちばしも特徴です。昨年は5月頃によくさえずっていましたが、私は姿を見たことはありません。今年は姿を見てみたいものです。思い出のある鳥なので。

鞍馬にはいつもたくさんの鳥がいますが、今の季節は美しい声でさえずる鳥が多いように思います。新緑に包まれて鳥の声を聞いていると、とてもゆったりと落ち着いた気持ちになれます。

虫土土

2013/04/29

春はいろいろな花が咲いたり、木々が芽吹いたり、土の中から顔を出し始める生き物もいます。先日、学童保育に来ている小学生たちが、山のうえにある池に「虫土土」の観察に行きました。「虫土土」って何?と思いますよね。組み合わせて漢字一字にしてみてください。もうわかりましたよね。「蛙」です。学童の担当者が、「カエルの観察」ではおもしろくない。予定表になんとと書いてあったら、子どもたちが興味を示すだろうと考えて「虫土土」にたどり着いたようです。

遊び心たっぷりに案内に惹かれて、参加してくれた子どもたちは8名。事前のお知らせを参考にして万全の装備でやってきました。長そで、長ズボンに軍手、とにかく肌の露出を極力抑えた服装です。もちろんズボンの裾は靴下の中に入れます、ながぐつを持って来た子もいました。お弁当、水筒と、観察に必要な者を持っていざ出発。今回はお寺の自然に詳しい方が一緒に行ってくださったので、内容も楽しみです。私も行きたかったのですが、残念ながら留守番でした。

10時頃出発した子どもたちは、私が園から昼食を運んできて1人で寂しく食べ終わった1時過ぎに帰ってきました。帰ってきた子どたちの第一声は「寒かったー!」でした。その日は季節外れの寒気が流れ込んでいて山麓の保育園では少し肌寒いくらいだったのですが、山を登って峠を越えると、風も強くてとても寒かったのだそうです。冬には良くあることなのですが、山の南側では晴れていても、北側に行くと吹雪いていたりします。雪こそ降らないものの、山の上は寒かったようです。それでも、みんな楽しかったようで子どもたちや、職員の話を聞いているとわくわくしてきました。きっととても楽しんできたのでしょう。いきいきと話す子どもたちの顔が印象的でした。

芽吹き

2013/04/28

小さな芽が出てどんどん育っています

芽吹きの季節に様々な木々が芽を出し、元気に成長している様子をお伝えしました。そんな自然の木々に負けることなく冬にお寺の方が植え替えてくださった柿の木の枝から小さな若葉がたくさん顔をのぞかせています。無事に根付いたのでしょうか。

お寺の方々が寒い中苦労して植え替え、幹に藁を巻いてくださっただけに、最初小さな芽が出てきているのを見つけたときにはとても嬉しくなって、よく頑張ったね。と思わず声をかけてしまいました。柿の木を2本移植していただいたのですが、2本とも元気なようです。

1本の棒から芽がでてきました

このまま夏を越え、育ってほしいものです。

5歳児たちが畑を耕していたので見に行ったら、畑の入口に1メートルくらいの高さの木の枝が地面に立っていて、その途中から小さな芽が出ているのを見つけました。それは、植え替えの時に折れてしまった柿の枝を地面にさしておいたものでした。ちょうど挿し木をしたようになったのでしょう。それに気づいたときには、嬉しくて「わーすごい!」とことばが出てしまいました。子どもたちが集まって来たので、折れた枝をさしておいたら根が出てきて元気に生きているんだと説明したら、子どもたちはキョトントしていました。うれしさのあまり興奮して話したので、子どもたちは何のことかよくわからなかったのかもしれません。小さな枝がそうやってけなげに一生懸命生きていると思うと、とても愛しく感じると同時に、元気をたくさんもらうことができました。ありがとう。
                                                                                                                                            

     脇からももう一本

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