園長ブログ

心の深層

2013/05/05

芸術について何かを言えるほどの見識は持ち合わせていませんが、「佛心の造形 齊藤眞成展」を見学させていただいて感じたことを書かせていただいています。

佛心の造形でいう「佛心」というのは、人がそれぞれに持っている仏様の心、言い換えれば、心の奥深いところにある素直な心、本心ということだと思います。齊藤師はご自身の佛心、本心をみつめ、佛心、本心が赴くまま忠実に描いていらっしゃるのだろうと想像します。

長い間、齊藤師の作品を見続けていらっしゃる方が、以前は暗い色使いが多かったが、最近の齊藤師の作品は色使いが明るくなったとおっしゃっていました。明るく暖かな仏様の世界を感じながら描いていらっしゃるのかもしれません。

美術評論家の木村重信氏が、この展覧会の図録に寄せられた文書があります。そこには、齊藤眞成さんは「鬼」とか「業」の画家と言われ、鬼や地獄にまつわるイメージが濃かったが、近年抽象性がますます強まり、重く暗い画面は軽く明るい表情に変化した。とあります。

また、齊藤絵画は抽象ではなく非具象である。外見上は抽象絵画と変わらないように見えても、自然対象に徹底的に精神操作を加えて、心のるつぼのなかで溶かしてから出すので、抽象とは異なる。

と齊藤師の作品が「心」から生まれてくることをおっしゃっています。

また、齊藤絵画をビオモルフィック(生命形態的)と名付けたい。心理と生理、無機と有機が統一された形態を示すこと、そのような絵画を描くことによって齊藤さんは生命の生成の過程に立ち会ったのである。それは九十六歳の高僧にして達し得た画境でもある。と締めくくっておられます。

「生命の生成の過程に立ち会う」というところまでは、さすがに思いが至りませんが、精神活動の奥深いところ、(真理と言っても良いと思います)から生まれ出てくるのが齊藤師の芸術なのでしょう。

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