園長ブログ

感じるところ

2013/05/03

「佛心の造形 齊藤眞成展」を見学していたら、ある宗教紙の記者さんが取材に来ていらして、齊藤師にインタビューをしていらっしゃいました。展覧会を見学し終わり、オープニングパーティー会場に移動する途中、その記者さんと話す機会がありました。

「取材したことを記事にするのは難しいんでしょうね。」なんて話していたら、「齊藤先生に変なことを聞いてしまいました。」と少し後悔していらっしゃる様子だったので、どんな質問をされたのかに興味が湧いてきて、どんな質問をされたのか、尋ねてしまいました。

記者さんは、「それぞれの作品に何か伝えたいメッセージはあるのでしょうか。」と質問してしまった。そうしたら齊藤先生は「それは見る人がそれぞれに感じてくだされば、良いことなんです。それぞれの見方、感じ方をしてくださることが大切なのです。」とお答えになった。それを聞いて、なんて変な質問をしてしまったのだろうと、恥ずかしくなったとおっしゃっていたのです。

確かに、おなじ絵を見ても、見る人のその時の心の状態、感じ方によって、作品はさまざまに見えるし、感じられるのだろうと思います。それは、作者の意図がどうであれ、それがそのまま響くときも響かないときもあるはずです。むしろ、齊藤師のおっしゃるように作者の意図やメッセージよりも、受け手の心情の方が、受け止め方に影響するのだと思います。ですから見る人こそ自分自身が今、どんな気持ちなのか、自分自身をある程度把握していることが必要なのかもしれません。

いやもしかしたらそんなめんどくさいことを言わず、素直な自分の心がどう感じているかを、しっかりと見つめていることが大切なのかもしれません。

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