2013年 8月

夏休み

2013/08/11

夏休みが始まって、小学生が毎日学童保育に遊びにきています。多い時には20名近く、少ない時でも7〜8名が来訪し、それぞれに思い思いの時間を過ごしています。基本的に小学生たちは、1日に決まった時間に勉強と掃除はしますが、それ以外は自由に過ごしています。かといって、いつも好き勝手に遊んでいるわけではありません。スタッフが子どもたちが選ぶことのできるメニューを用意していることが多いですし、スタッフが企画する行事もあります。お寺から自然に詳しい方がいらしてくださった時には、ネイチャーウォークと称して自然観察に出かけたり、山の中にある朽木を崩してその中はどうなっているか調べていました。朽木を調べに行きたい子は行くし、部屋に残って他のことをしたい子はそれをしているといった具合に選ぶこともあります。

また、参加者全員でお寺に上がり、写経会の道場で一文字ずつ書写することができる般若心経一巻をみんなで書き上げることもしました。そして後日行われた写経会の結願法要にお参りして、自分たちの書写したお経にお供えをしました。また、日をおいて、写経が埋納された経塚の一部を巡拝することもしました。

こうして時々、全員参加で行う行事もあります。先に紹介したのは、写経をキーワードに3回シリーズで行われたものです。すべてに参加した子は、それなりに写経会のいろいろな要素を体験しています。

 映画のチラシ(学童保育スタッフ作)

スタッフの企画する行事はまだまだあります。
映画鑑賞会もその一つです。スタッフ自身が見たい、子どもと一緒に見たい映画を3本選びました。そして、スタッフそれぞれが独自の発想で選んだ映画のチラシを作成して、公開日の1週間ほど前から掲示しています。子どもたちは、そのチラシからどんな映画なのか想像したり話し合ったりしながら、映画鑑賞会の当日に投票して、見る映画を決定するという仕組みです。チラシを作る大人もそれぞれに楽しんで工夫を凝らしていましたし、チラシを見た子どもたちも、どんな映画なんだろうと想像力を働かせていました。

季節のうつろい

2013/08/10

立秋とはいうものの、毎日厳しい暑さが続きます。鞍馬では気温はそれほど高くならず、エアコンのない園舎でも1階なら30度を超えることはあまりありありません。

ところが、このところ湿度がとても高のです。常に80%くらいの湿度で、ときには90%近くになることがあります。学童保育で使っているめぐみ精舎には時計に附属しているデジタル湿度計が、計測不能に陥ったのか「HI」という表示になったそうです。まるで雨期の熱帯の島のような気候です。

少しくらい気温が高くても湿度が低いとそれほど過ごしにくいとは思わないのですが、湿度の高いのはちょっと困ります。ちょうど梅雨の終わり頃、例年の京都でいえば祇園祭の山鉾巡行の頃がこんな感じで、いたるところカビだらけになるのですが、今年は梅雨が早く明けた分、今頃こんな気候になっているのでしょうか。気候までどこか変です。

それでも、子どもたちは毎日水遊びをして、昼食後にはシャワーを浴びて、暑さに負けることなく元気に過ごしています。

暑さは続きますが園の周りの自然も、秋に向けて少しずつ移り変わってきました。いつの間にかネムノキが花をつけていますし、畑に行く途中、何気なく栗の木を見たら、早くも緑色のイガを枝の先にたくさんつけています。去年は花が咲いているのをみつけて、いつごろ実がなるのかと思っていましたが、今年は花が咲いたことにも気がつきませんでした。

時間は流れ、自然は移り変わってゆきます。忙しさに流されて、そういったことに心を運ぶことを忘れてしまうと、本当に大切にしないといけないことが見えなくなってしまうことがあります。心に余裕を持って、自然の移り変わりに気持ちを運ぶ、またそのことが心に余裕を与えてくれる。そんなことを大切にしてゆきたいと思います。

緊急地震速報

2013/08/09

携帯電話から突然聞き慣れない警報音が鳴り響きました。8月8日午後4時56分のことです。何事かと思って確認してみると、緊急地震速報が発令されていました。私はプライベートで大阪に行った帰りに京阪電車の駅にいたのですが、とっさにどうして良いかわからなくなりました。とにかく安全を確保しなくてはと思い。ホームの窓ガラスや、頭上に落下してきそうなものがあるところからは離れましたが、それ以上どうしようもありません。しばらく身構えていましたが、一向に揺れがこないので、それほど大きな地震ではなかったか、誤報だと思いました。ホームには何人かの人がいましたが、みんな落ち着いたというかあまり気にしていない様子でした。しばらくして、緊急地震速報を受信したため電車が止まっているという放送がありましたが、周りの人たちは我関せずといった感じでした。5分ほどして、電車は動きだし、乗ろうとしていた電車が数分遅れでホームに入ってきたので乗りました。

車内では「緊急地震速報を受信したため、電車の運行を止めました。お急ぎの所ご迷惑をおかけして大変申し訳ありません」というアナウンスが、何度も何度も流れていました。もちろん停車する駅で乗降する乗客がいるので、それぞれに伝えようと思えば、何度もアナウンスするしかないのはわかりますが、何度も聞いているうちに、それほど謝らなくても良いのではないかという気になってきました。乗客の安全を考えて電車を止めるという措置をとったのに、それほどまでに謝らなくても・・・と思ったのです。鉄道会社の誠意なのだと思いますが、そうして、何度も謝らないと、苦情を言う人が出てくるのでしょうか?もしそうだとしたら、少し悲しいように思います。地震は不可抗力ですし、いつ起こるかわかりません。緊急地震双方の発令に合わせて、電車を止めるという判断は、事故を予防する。つまり乗客の安全を守ろうと努力した鉄道会社の判断なのですから、多少遅れてもしょうがないと思うのですが、そう思わない人が多いのでしょうか?

都市化された、人工物ばかりの中で暮らしていると、何でも人のせいにしてしまうようになる。と何かに書いてあったのを思い出しました。

山の中を歩いていて、木の根につまづいて転んでも、「しょうがない」と思えるのに、人が作った階段で滑って転ぶと、滑り止めがしていない設置者が悪いと、人のせいにしてしまうことが多いというのです。もちろんみんながみんなそんなわけではありませんが、そんな傾向が強いのかもしれませんね。

何度も謝罪する車内放送を聞いていてそんなことを思いました。

にんじん

2013/08/08

耕すこともせず、全くといって良いほど手を加えていない自然のままの畑、その畑に種を蒔いただけで、ほとんど世話をしていないトウモロコシが小さな実をつけてくれました。世話と言えば、他の草が伸びすぎた時は少し草を刈ることと、元気に育ってね。と声をかけたくらいです。実は小さいですし、中の粒もまばらにしか入っていなかったりしますが、自分の力で育ったトウモロコシは生で食べてもとても味が濃く甘く感じました。種を取るために、少し残しておこうと思います。

花を咲かせていたにんじんはどうなったのかと探してみると、草の間でまだ何輪かの花を咲かせていました。花を咲かせなかった他のにんじんはどうなったのか探しました。背が高くなった草の間にあるひょろ長いにんじんの葉を探すのは大変ですが、目印に立てておいた棒が役に立ちました。葉っぱは元気に伸びています。地面の下ではにんじんはできているのかとても気になったので、一つ掘ってみました。草をかき分けながら、少しずつ土を取り除くと、小さなにんじんが顔を出しました。まわりを優しく掘って取り出すと、直径3センチくらい長さ10センチにも満たない小さなにんじんが出てきました。
トウモロコシと同様、そこに居合わせた子どもたちとじっくり観察したあと土をきれいに洗い落として、みんなで少しずつかじることにしました。なにせ小さいので、ほんの少しずつしかかじることができませんが、子どもたちは前歯をうまく使ってかじります。私も少し分けてもらいましたが、かなり濃くて癖のある味ですが、子どもたちはぼくもわたしもといってどんどん食べます。かなり癖がある味なのによくここまで食べるなと思うくらいでした。子どもたちには本当の美味しさがわかるのかもしれません。

前にも書きましたが、このにんじんは、私が蒔き時を間違えて、初冬に種を蒔いてしまい、発芽しないかと思っていたのが、初夏に何株かが発芽しているのを見つけてとてもうれしかったにんじんです。それが収穫できてうれしさもひとしおです。花が咲いた株からうまく種が採れると良いなと思っています。

トマトとトウモロコシ

2013/08/07

少し見ない間に畑の様子がずいぶんと変わっていました。大豆や黒豆は順調に大きくなっているようです。7月15日頃に蒔いた大豆もまだまだ小さいのですが、葉も増えてきました。

そういえば、他の草に負けそうになっていたトマトはとうなったのでしょうか。草をかき分けて探したら、いましたいました。草に埋もれそうになりながらも頑張って枝葉を伸ばしています。たしかもう一株トマトがあったと思って探してみたら、こちらも見つけました。草のあいだに隠れるように立っています。よく見ると先の方がちぎれたようになっていたので、もしかしたら、フェンスのすき間から外に出てしまって鹿に食べられたのかもしれません。葉っぱが一枚になっても元気を出して大きくなってほしいものです。少し離れたところに植えたサンマルッァーノという種類のトマトも一株だけが育っています。こちらも無事に実をつけてくれることを祈らずにはいられません。少しでも種を取りたいと思います。

    実をつけたトウモロコシ

トウモロコシも種を蒔いたまま、間引きもせず、実がついても摘果もしないで放っておいたので、小さい実がいくつかできていました。去年はそのままにしすぎて、茎についたまま発芽していたのもあったので、今年は3つくらい収穫してみました。近くにいた子どもに、先生の所に持って行って一緒に皮を剥いてみれば、と渡すと急いで持って行って中身を取り出していました。皮を剥いてみると、長さ10センチくらいの小さなトウモロコシが顔を出しましたが、トウモロコシの粒は半分くらいしかついていません。実がついたときに一つを残して摘果し、雄花が咲いたときにもう少し受粉を促すようにしてあげれば良かったのでしょう。

   採れたてのトウモロコシ

申し訳程度にしか実の入っていないものもありました。

それでも、子どもたちは生のまま一粒一粒大切そうに味わって食べていました。私も一粒分けてもらいました。生なので口に入れるとほんの少し青臭さはありますが、噛んでみると甘さが広がります。1歳の子どもも喜んで食べていました。

ほんの少しの収量しかありませんが、一粒一粒大切に味わって食べるという意味ではそれも良いのかもしれません。自然の、本当に人の手をほとんど加えていない自然のおいしさを味わうことができました。

ジャングル出現 2013

2013/08/06

 あっという間にジャングルになった畑

畑はどうなっているのだろう?種を蒔いたままで何もしていないトウモロコシは実がついているのだろうか。葉っぱが伸びていたにんじんは土の中でどうなっているかな?大豆は?黒豆は?そういえば、トマトが草に負けそうになりながらも頑張っていたよなー・・・ 頭の片隅にはあったのですが、なかなか畑に行くタイミングがつかめず、10日ほどそのままにしてありました。

そして、久しぶりに畑に行ってみると、前回見たときとは全く別の世界が広がっていました。作物以外の草が高く伸び、

 黒豆は葉がたくさん茂っていました

トウモロコシは背が高いので、よくわかるのですが大豆はかろうじてどこにあるかわかるくらいで、トマトやにんじんはどこにあるのか全くわからない状態です。今年もあっという間にジャングルが出現していました。10日ほどの間に畑の状態をこれほどまで変化させる植物の生命力、自然の力を見せつけられた感じがしました。

作物たちはどうなったのでしょう。腰くらいまでの高さの草をかき分けて進み、黒豆の所に行ってみました。黒豆は虫に食われながらも、80センチくらいに育ってたくさんの葉を茂らせていました。

虫に食われながらも大きくなった大豆

ところどころ花が咲いていたので、しばらくすると豆が実りそうです。黒豆と同時に種まきした大豆も順調に育っていて、こちらは小さな豆が実っていました。ちなみに、私が自宅でプランターに蒔いた大豆は順調に芽を出して花を咲かせ、小さな実をつけていますが、ひょろひょろで弱々しい感じです。畑の大豆は、実こそまだ小さいものの、たくさん葉が茂って力強い感じに育ちました。プランターと地植えではこれほど違うのですね。でも過酷な条件のプランターの方が豆が種を蒔いた時期は遅かったのに、先に豆が実りました。どんな条件がどう作用して、どんな差になって表れるのか全くわかりません。

  小さな豆が実った畑の大豆

剪定

2013/08/05

園庭入口付近にはアジサイとガクアジサイ、2株のアジサイがあります。少し前のブログにも取り上げましたが、今年はたくさんの花をつけて、私たちの目を楽しませてくれました。しかし、美しかった花も役目を終えるとだんだんと枯れてきます。そのままにしておくとどうなるのか観察し続けるのも一つの方法かもしれませんが、全体的に背が高くなりすぎていたので、今年は剪定するのが良いのかなと漠然と考えていました。ただ、闇雲に剪定するよりも調べてから剪定した方が良いのかなと思いながらも、そのままになっていたら、園芸に詳しい保護者の方が気にしてくださって、剪定しましょうかと仰ってくださいました。

渡りに舟とばかりにお願いをしたら、早速いらしてくださいました。来年、芽が出るところを残しつつ、短くすっきり苅ってくださいましたが、その手際の良いこと、早いこと。若い先生と私と2人で手伝うつもりでいましたが、私の出番はなさそうだったので若い先生に任せました。

子どもたちは早速、刈り取られた葉っぱや花で遊んでいましたし、葉の陰から現れたカタツムリと遊ぶ子もいました。子どもはすぐに遊びにしてしまいます。

こうして園庭のアジサイはスッキリとしたのでした。剪定してくださった保護者に感謝します。ありがとうございました。

保護者の皆様はそれぞれに知識や技術をお持ちです。それを保育に活かしていただける機会や場を増やしてゆきたいと考えています。それは、園が助かるからだけではありません。子どもがいろいろな人と関わる機会になります。様々な知識や技術に触れることで、学びの幅が広がります。また、職員も学ばせていただくことがたくさんあるはずです。

保護者の皆様が得意技を発揮していただく機会を作りたいと考えています。ご協力いただければ幸いです。

   剪定前のアジサイ

   剪定語のアジサイ

集中力

2013/08/04

写経をしているときは、集中していないとすぐに間違えてしまいます。「乗」が「乘」、「観」が「觀」、「即」が「卽」というように旧字がたくさん使われているので、文字を間違えることがありますし、ひどいときには途中からとなりの行に飛んでしまう事もあります。それはやはり他のことを考えてしまったりしているときにおこります、やはり、集中している必要があるのです。

もう一つ難しいのは、筆にどのくらいの朱を含ませるかです。写経会では動物性の膠を使った墨ではなく、朱を使って書写しますが、その朱を含ませる量をこまめに調整して書くと、同じ調子で書くことができて美しくなります。

もともと字が下手な私にはなかなか美しく仕上げることは難しいことですが、筆に含ませる朱の量をできるだけ一定に保ち、筆の先が紙の上を滑る感覚を意識する、筆の先に意識を集中すると間違いも少なく、一定の調子で書くことができて、ある程度美しく書写することができます。まず大切なのは集中力を切らさないことです。しかし、2時間以上集中力を保つのは難しいものです。

集中力といえば、子どもの集中力ほどすごいものはありません。子どもが自分の興味があることに取り組んでいるとき、それがその子にとっておもしろければおもしろいほど集中します。まわりで他の子が騒いでいても、少しぐらい声をかけても、見向きもせずに取り組んでいる姿が見られることがあります。それは、子どもが自分の興味を持なにかを見つけて、自ら取り組んでいるときによく見られる姿です。

なぜ、それほどまでに集中できるのでしょう。それは、子どもが選ぶことが、その子の今の発達に必要なことだからです。子どもは自分の発達にちょうど合ったものを選ぶ能力を持っています。それはその子にとって必要なことなのです。自分に必要なことを自分で選び取り、それを行うことで自ら発達してゆくのです。そして、発達は子どもによって少しずつ異なります。だからこそ、ひとり一人の子どもの発達に合う多様な環境が必要なのです。

集中して取り組んだ結果として満足感が得られ、それが自信や次への意欲につながってゆきます。

写経

2013/08/03

今年もお寺の行事、写経会の時期が巡ってきました。8月1日から3日までは、勤行と写経の日々です。一日中、板の間に正座しているので足が痛いこともありますが、写経会のことだけを考えて、写経会に関係することを一生懸命にするので、他のことを考える必要がありません。そういう意味では一つのことに集中できる環境は整っています。

よく、○○三昧といいますが、三昧とはサンスクリットのサマーディという語の音訳で、心を一つの対象に集中させて安定した精神状態。雑念を去って没入するという意味があります。

写経三昧というなら、写経に集中して心の状態が安定していたのかと問われると、100%自信を持って、そうだとは言えません。というより、写経をしていても睡魔が襲ってきたり、ついつい頭の中に他のことがいろいろと浮かんで来て、ぐるぐる回るのに心が引きずられたり、物音が気になったり、とても集中している状態とは言えませんでした。ですから、写経三昧ではありませんね。

余りにもいろいろなことが多すぎると、ついついいろいろなことを考えてしまいますが、あっちこっち考えると、かえって訳がわからなくなってしまいます。いろいろな問題があっても、今は何が一番大切なのか、それをしっかりと選んで、そのことに集中する。まさに心を一つの対象に集中させ安定した精神状態で取り組む必要があるのだと思います。そのことをやり切るまでは、そのことだけに集中して他のことは考えない方がよいのでしょう。

そして、一つのことをやりきってから次のことに移り、そしてまたそのことに集中すれば良いのですが、気になることが多すぎると、ついついいろいろなことが頭を駆け巡り、それに気を取られてしまいます。

写経をするときに、こんなことを試してみました。筆の先が紙の上を滑る感覚を想像しながら書くのです。もちろん筆の先は私の身体の一部ではありませんので、実際に筆が紙に触れる感覚というのは感じられるはずはないのですが、筆の毛先は自分の指の延長だと思いながら、書いてみたら少しは書くことに集中できたように思います。

おとまり保育〜心から楽しむ〜

2013/08/02

おとまり保育を楽しんだのは子どもだけではなかったことを紹介しています。
子どもたちの楽しみにしているキャンプファイヤーだって、何とかして子どもたちを驚かせるような方法で点火したいという思いから、用務の先生が昨年考案してくれた自動点火システムを今年も使うことになりました。ただ、それを使うには、薪を組むときに細工をしておく必要があるので、あらかじめ準備をしなくてはなりません。鞍馬は涼しいといっても夏の午後の日差しはやっぱり暑く、炎天下で汗だくになって準備をしながらも、「仕事中にこんな楽しいことをさせてもらって良いのかな?」とニコニコしながら準備をしている先生の顔がとても印象的でした。

大人も遊び心いっぱいで楽しんで仕事をするからこそ、その楽しさが子どもに伝わるのかもしれません。とはいっても、おもしろおかしいだけで仕事をしているわけではなく、好きなことだけやっているわけではありません。どんなことでもいかに楽しむか。わくわくしながらできるかが、大切なのだと思います。「ついついやらなくてはならない!」と思ってやっていると、目がつり上がって、苦しくなってきますし、余裕もなくなってしまいます。忙しくても忙しさに負けてしまわず、遊び心を持って楽しめば、余裕が生まれてくるのだと思います。

そんなことを言いながら、私自身ついつい眉間にしわを寄せて、しゃかりきになってしまっていることがあります。そんなときには、できるだけ早くそんな自分に気付いて、余裕を持って笑顔で楽しみながら、仕事をしたいものです。自分を知って、自分を律する。まだまだその練習をする必要がありそうです。

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