2012年 8月

フウセンカズラ 2

2012/08/28

フウセンカズラの風船部分がどんどん茶色くなってきました!

保育園のみんなにもフウセンカズラが定着し始め、「ふうせんかずら、ほしいなぁ~」と毎日毎日いろんな子ども達がやってきます。そして、風船部分が茶色くなってきたことでいよいよ私も大好きだった種取りが始まります。

めくるのが楽しかったり、種を集めるのが楽しかったりとそれぞれですが、やっぱり女の子は可愛さにはまってしまうようで、今は特にゆりぐみ(5歳児)の女の子たちが毎日フウセンカズラをチェックしては、種取りをしてペットボトルに集めてくれています。

きょうのごはん

2012/08/28

8月27日(月)の献立です。アップが遅れてすみません。
・ごはん

・クリームシチュー

・バナナ

大好き!ありがとう!

2012/08/28

学童保育に通ってきている小学生、10名ほどと一緒に地蔵寺にお参りに行きました。本堂に着くと子どもたちは、自ら背筋を伸ばして正座していました。般若心経を唱えてお参りし、ご住職の法話を聞きました。ご住職は最近晋山式を挙げられたばかりの尼僧さんです。地域のため檀家の皆様のためになにかできないかと心を砕き力を尽くしていらっしゃいます。

ご住職は「お地蔵様は、一生懸命お願いすれば、みんなの願いをかなえてくれるけど、お願いの方法があるからそれをみんなにも教えてあげよう。」と話し始められました。子どもたちはこのことばに引き込まれたようでした。

お願いの仕方の一つ目は、「お地蔵さま大好き」というのだそうです。一緒に声に出して言ってみてといわれて、少し恥ずかしがりながらことばにしていました。「もっと大きな声で言わないとお地蔵さまは聞こえないよ」といわれ今度は大きな声で言います。二つ目は「お地蔵さまありがとう」です。今度は、子どもたちは元気に声を出していました。

ご住職に確かめたわけではないので、私の勝手な解釈ですが「お地蔵さま大好き」というのは、お地蔵さまを信じきる。ということなのだと思います。信じるというと「子どもを信じる」ことがすぐに思い浮かびます。子どもを丸ごと信じる。大人が困るようなことをしても、「きっと大丈夫」と信じるということです。子どものすることは、不適切と思えることであっても必ず意味があるので、それがなにかを知ろうと子どもの気持ちになって考えてみるのです。もしかしたら「こっちを見て」とアピールしているのかもしれませんし、何かを伝えたいけれど伝えられなくて困っているのかもしれません。そんなことしちゃダメ!と叱るだけではなく、この子の心は何を求めているのだろうと思いを馳せるのです。そう考えると、子どもをとても好きになることができます。

「お地蔵さまありがとう」は文字どおり「ありがとう」です。こうして生きていること自体が有ること難いことですし、多くの人に支えられ、教えられ、生かされているのだと思います。いろいろなことやものに、感謝できれば、これほど幸せなことはありません。子どもを見ているといろいろなことを教えてくれます。自分の思うとおりに子どもを動かそうとして、その通りにならないといって子どもを叱ってしまいがちですが、子どもをよく見ていると、子どもの「ステキ」や「すごい」にたくさん出会うことができ、学ぶことはたくさんあります。子どもに「学ばせてくれてありがとう」といいたくなります。

そんなことを思いながら、ご法話を聞かせていただきました。「お地蔵さま大好き」「お地蔵さまありがとう」は、きっと子どもたちの心にも届いていることだと思います。

イヤイヤ期

2012/08/27

イヤイヤ期、いわゆる反抗期は個人差もありますが、2歳前後くらいに多く見られます。今まで素直にしていた子が1歳後半頃から次第にイヤイヤらしきものが出てきて、親も一体どうしたのだろうと、戸惑うことと思いますが、自分の意志が出きた証拠です。

2〜3歳頃には自我も芽生え、プライドがあるのに、こんなこと言われた、これだけできるのに、うまくいかないもどかしさ、葛藤の時期でもあります。本当に困っているのは子ども自身でもあるので、子どもの立場にたって考える事が大切な時期でもあります。

意志の疎通が出来てなかったり、ちょっとした自分のこだわりのずれがイヤイヤの原因を大きくし、子どもも言っているうちに訳が分からなくなってきたりする場合もあるので、イヤイヤをやってる中で子どもの気持ちを理解し、子どものタイミングを見て切り替えさせてあげることも大切になってきます。

親が全部してあげるのではなくて、イヤイヤって、なってる時に子どもに、どっちの服着る?など選択権をあたえてあげたり、行為の指示だけ言うのではなくて、次に楽しくなるような声かけだと急に切り替えられたりする姿があります。

その為には、気持ちを受け止めてもらう経験が大事になってくると同時に、イヤイヤして自分を出しきることも成長の上では大切な事なので、子どもの行動を理解しながら、寄り添い、本人が納得できるように導いてあげることが重要だと思います。

地蔵盆のお参りに行きたいな

2012/08/27

地蔵盆のころは園児たちは結構忙しく過ごします。今年は8月22日に鞍馬の地蔵寺というお寺で地蔵盆の行事があってお参りしてきましたし、23日は園の地蔵盆で、3回もお参りをします。次の24日には鞍馬の各町内の地蔵盆が行われるので、そのうちの1箇所にお参りをします。お参りをすると、必ず般若心経を唱えてお参りをするので、お参りだらけで、子どもたちは少し飽きてしまうかもしれません。しかし、子どもたちも園以外で般若心経を唱えて「上手だね」などといわれると、やはり嬉しいのか、張り切って唱えたりしています。普段、教えているわけではないのですが、毎日のお参りに参加して自然に覚えているようです。

22日の地蔵寺での地蔵盆の行事には、午前中は園児達、午後からは学童保育に来ている子どもたちもお参りしました。この日は、私とお寺の担当者と2人で学童保育にあたっていましたので、私が地蔵寺まで引率してゆく事になっていました。学童保育では、基本的に自分のすることを自分で選びます。ですから、お弁当を食べ終わって地蔵寺にお参りに行くかどうかを尋ねると、2〜3人が行かないと言いました。そうなると、私が引率して寺の担当者が残ることになります。ところが、寺の担当者が「まだ地蔵寺に行ったことがないから、行ってみたい。」と言い出しました。普通に考えると大人が子どもにあわせるのかもしれませんが、ここは敢えて「○○先生もお参りに行きたいと言っているけど、大人が二人ともいてしまうと、お参りには行かないという子どもたちだけが残ることになるけど、そんなことはできない。○○先生は行きたがっているけど、どうする。」と投げかけてみました。「行かない」と行った子は、しばらく考えている様子でしたが、寺の担当者の「ちょっとだけつきあってくれへん?一緒に来てくれたら嬉しいな」のことばに、軽くうなずいて靴をはきだしました。

子どもも自分がやりたいことを申告できるのですから、大人だって「行ってみたい。」ということもできるのです。自分の想いを素直に伝えること、相手の思いを受けとめることを実践して、大人が子どもの思いを受けとめて考え、子どもがやりたいことができるようにすることがあります。逆に大人の思いを子どもが受けとめて考え、「しょうがないな、つき合ってやるか」と思ってくれることもあって良いと思います。子どもたちは大人が思っているよりずっとしっかり考えていて、大人の願いを聞き入れてくれるのです。

こうして、その日学童に来ていた小学生と大人2人で地蔵寺にお参りに行きました。

きょうのごはん

2012/08/26

8月25日(土)の献立です。アップが遅れてすみません。
・パン

・ボルシチ

・とうもろこし

・ブドウ

地蔵盆

2012/08/26

八月の下旬といえば地蔵盆です。各町内にいらっしゃるお地蔵様を祀って礼拝し、子どもたちが集まって、ゲームや福引きをしたりして遊びます。鞍馬だけでも6箇所で地蔵盆の行事が行われます。普段は町内の祠などにいらして静に町内をお守りくださっているお地蔵様ですが、この日ばかりは会場となる家にしつらえられた壇の上にお出ましになって、集まってくる子どもたちをお守り、ご利益を授けてくださいます。

長い年月にわたり毎年続けられてきた地蔵盆で使われている様々な道具を見ると、その歴史がうかがえます。大正時代に作られた幕だったり、数珠繰りといって、みんなで一緒に一連の大きな数珠を持って輪になって座り、お地蔵様の真言を唱えながらその数珠をまわすことをします。その数珠繰りに使われている数珠の箱書きには江戸時代の年号と寄進した人の名前が入っています。

お地蔵様のおみぬぐいをする子どもたち

私が手伝っている町内だけでもそうなので、各町を回ってみると、それぞれに歴史のある道具が使われているのだと思います。ずっと昔からこの行事を受け継いできた人々の思いが詰まった伝統を感じずにはいられません。そうやって毎年繰り返し積み重ねてゆく事で伝統や歴史ができあがってゆくのです。毎年の積み重ねは、毎日の積み重ねの上にはじめて成り立ちます。何気ない日常を心を込めて丁寧に生きてゆく事の大切さを思いました。

保育園の前にも、童形六体地蔵尊というお地蔵様がいらっしゃって、

 たくさんのお供え物を頂きました

子どもたちが登降園のときに手を合わせています。散歩でよく通る参道にも、牛若丸が拝んでいたといわれる川上地蔵尊がいらっしゃるので、8月23日には子どもたちと地蔵盆のお参りをして園舎の二階で数珠繰りをします。

この園での地蔵盆のお参りに先駆けて、年長の子どもたちが童形六体地蔵尊のお身ぬぐいをしました。石のお地蔵様なので、水をかけて洗います。細かな凹凸があってきれいにするのは難しいのですが、子どもたちは1時間以上もかけて真剣に洗っていました。おかげで、お地蔵様はさっぱりときれいになってくださいました。

  みんなでお数珠繰りをしました

お顔も嬉しそうに見えます。さっぱりとしていただいた後は、六体のお地蔵様それぞれに新しいよだれかけをつけてさし上げます。今回のよだれかけは深いブルーにレースをあしらった爽やかで涼しげなデザインです。このよだれかけは卒園児の保護者が毎年地蔵盆前と年末に新調してご奉納くださるものです。もう15年以上も続けてくださっていると思います。年に2回とはいえ、それだけ続けるのは容易なことではありません。ここにも歴史が積み重ねられています。

また、保護者の皆様はじめ、お寺の関係の方々がたくさんのお供え物をくださいます。いろいろな人がご縁をつないでくださることで行われる地蔵盆。お地蔵様がみんなの心をつないでくださっているのだと思います。このお地蔵様のお心に違うことのないよう、多くの人と心をつなぐことを実践してゆかなくてはなりません。

2012/08/25

お昼寝後、むくっと起きた三歳児のmちゃん。

なんだか満足そうな表情です。

私と目が会うと「メリーゴーランドに乗ってる夢みた!」ととても幸せそうに教えてくれました。

メリーゴーランド知ってるんだ・・・しかも乗ってる夢見るだなんてイッチョマエ!!

夢って何歳から見るのかなぁ・・・

というより夢を見ることを意識し始めるのはいくつからなんだろう・・・

先日ある絵本を読んでいるときに「いのちって何??」と聞かれ返事に困ったので、そんなことを考えているってすごいなぁ・・と思いました。

きょうのごはん

2012/08/25

8月24日(金)の献立です。アップが遅れてすみません。
・三色どんぶり

・わかめの酢の物

・さつま汁

 

自然に学ぶ 〜つながり・助け合い〜

2012/08/25

畑で作物を育てることを通して自然の姿から学ぶことがたくさんありました。

何度も紹介しているように、園の畑は自然のままにしてあります。ですから、雑草と呼ばれる草もたくさん生えています。一般的に畑に雑草と呼ばれる草が生えていると、無精して手入れをしていない、恥ずかしいことだとか、良くないことだと思われるようです。
もちろん製品としての野菜を生産しようとするなら、いろいろな草が生えている畑では生産効率が下がるので、こんなやり方は不向きかもしれません。でも園では野菜という製品を生産しようとしているわけではなく、いろいろなものが生きていて、野菜もその中で生きていることを子どもたちに感じて欲しいだけなので、生産効率はあまり気にしなくて良いのです。

そんな訳で雑草と呼ばれるその他の草がジャングルのように繁った中で、今はトウモロコシ、トマト、ナス、大豆が生きています。その他の草は、人間からすると邪魔な存在かもしれません。しかし、そこに生えている植物たちがお互いに助け合っているようです。背が高くなった草を切ろうとしたら、成長して実をつけ始めた大豆が、蔓を伸ばして背が高くなった草に巻き付けていました。「これから実が大きくなると、重くなるからちょっと支えて」と頼りにしているようにみえました。

また大豆などのマメ科の植物は根に根粒というのがあり、そこで根粒菌という微生物が生活しています。根粒菌は空気中の窒素分子を窒素化合物に変えて土壌に固定する働きがあります。この窒素化合物が植物の肥料となり、根粒菌は大豆が光合成によって作り出す養分をもらうという共生関係ができているのです。大豆自身も根粒菌と助け合って生きていますし、その共生関係が生み出す窒素肥料が、土壌を肥やし、他の植物の役にも立っているのです。

トマトは水がありすぎることを嫌いますが、大豆は水が多いなら多いなりに少ないなら少ないなりに対応する力を持っているので、トマトと大豆を交互に植えておくと、トマトが必要としない水分を大豆が吸収してくれると聞きました。野菜同士もうまく組み合わせることで助け合うのです。

私のような素人が少し試しただけでも、畑の様子から植物のつながり助け合いを少し感じることができます。私には気がつかず、わからない助け合いの関係が、園の畑という狭い場所でも、たくさん繰り広げられているのだと思います。

自然は自然にしておくと、互いに助け合って生きているように見えます。人間も我欲や刷り込みの奴隷になってしまって、誰かを否定したり、争ったりすることではなく、互いに認め合い助け合うことを増やした方が、幸せに生きられるような気がします。

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