2012年 2月

雪と水

2012/02/09

立春を過ぎて少しだけ暖かくなったかと思ったのもつかの間、また厳しい寒さが戻ってきました。京都府の北部には大雪警報が発令されています。節分前の大雪、その後の暖かさと雨、そしてまた厳しい寒さと大雪です。積雪が多いところの皆さんは大雪はもちろん雪崩や着雪など心配がつきないと思います。近頃自然の厳しさとその大きな力を思い知らされるような災害やできごとが多いように感じます。自然は優しさや癒し多くの恵みをもたらしますが、反面大きな脅威でもあります。その大きな力の前に、人間は為す術もありません。あたりまえのことえすが、つい忘れそうになります。

これだけ、大雪の情報が入ってくるにもかかわらず、鞍馬は全く雪がありません。昨年は雪が多かっただけに、全く雪がないのは、どこか変な感じがします。もちろん雪かきに悩まされることがないのでその点はとても助かるのですが、山に積もる雪が少ないと夏の渇水が気になります。

平成16年5月に鞍馬、貴船にも簡易水道が整備されてからは、用水を確保するための手間や苦労は大幅に軽減されましたが、それまでは個人で山水を引く、井戸を掘るなどして、自分の使う水を確保しなくてはなりませんでした。ですから、雨や雪が少ないと渇水を気にしなくてはならなかったのです。そういう意味では自然現象と生活の結びつきが密接だったといえます。

簡易水道といえども水が無限にあるわけではなく、水源の水量が減れば給水制限などが起こらないとは限りません。山が蓄えている水が少ないと、渇水になる可能性は高いのです。山が水を蓄えるためには、雪はとても重要な役割を果たします。降り積もった雪が4月頃までかかってじわじわと融けると、水がゆっくりと土にしみこんでゆき、山が水を蓄えやすくなるのです。最近はしとしと降る雨が少なく、降り方が激しいので、雨は地表を流れてしまい、地中に染みこみにくくなっています。ですから余計に雪が大切なのです。

たくさん降るととてもやっかいで危険も伴う雪ですが、ほとんど降らないと渇水が気になります。人間の勝手な言い分かもしれませんが、夏は暑く、冬は寒く雪が降り、梅雨には雨と、季節の巡りが順調なのが一番良いのだと思います。

2012/02/08

3・4・5歳児の部屋に行ってみると、ダンボール箱を筒のようにまるくして、いくつもつなぎ合わせたものが置いてありました。子どもたちが作品展に向けてみんなで力を合わせてひとつの物を作っているのです。
何を作っているのか子どもに聞いてみると「今年は辰年だから龍」と答えてくれました。新春のお参りにお寺に行ったときに貫主様から竜のお話を聞いたこと、境内にある龍を探したことが印象深かったようです。
そういえば、先日5歳児たちがダンボール箱をつなぎ合わせていたのを思い出しました。箱の底と蓋を開いて筒状にし、角をとって丸くしてガムテープを使ってつなぎあわせます。長くなったダンボールの筒の中から子どもが出てきました。中に入って遊んでいるのかと思ったら、ダンボールの継ぎ目を内側からもガムテープで固定しているのだそうです。そうしてできた筒はしっぽの方がちゃんと細くなっていました。
作る前に5歳児がそれぞれに龍のイメージ図を描いて、一番作りたいのを選んで完成予想図兼設計図にしたよそうです。

     完成予想図兼設計図

全員で役割を分担をし、工夫をしながら土台となる筒を龍らしくします。頭の部分を作る担当、胴体を装飾する担当、腕と足を作る担当にわかれ、ああでもない、こうでもないといいながら作っています。頭に角があったり、口から火を吐いていたりします。赤いポリ袋で作った火炎を見て、「ソーセージ食べてるみたい」と言って笑い合っている子がいました。顔はどことなく園の周りでよく見かける鹿のようでかわいらしい顔でした。

胴体は鱗に見立てた紙をたくさんかねて貼り、背中にはとげとげをくっつけていました。腕と足は関節から曲がっている部分を作るのに苦労していたようですが、筒状にしたダンボールをうまくつなぎあわせて、関節を表現していましたし、先の方には爪もつけていました。爪をつけるのは少し難しかったようで、保育士に「先生手伝って」と頼んでくっつけてもらっていました。作っているときの子どもたちの表情は真剣そのものです。時には意見がぶつかることもありますが、何とか自分たちで解決しているようです。

他の人と協働する力はとても大切です。なぜなら、人は社会をつくり力を合わせ助け合って生きてゆくようにできているからです。一人ひとりがそれぞれに自分の意見だけが正しいと言い張って他の人の意見を認めなければ、いつまでもバラバラです。それでは社会は成り立ちません。

気持ちと力を合わせれば、2人の力が3人分にも5人分にもなるのに、お互いが自分を主張しあうだけでは、2人力が1.5人分にしかならなかったり、お互いに足を引っ張り合って、0.5人分にしかならないことだってあります。それではつまらないことになってしまいます。

そうではなく、お互いを認め合い、話し合い、力を合わせてゆくことを子どもたちにたくさん経験して欲しいと思います。そのためには、まずは大人が我欲の衣を脱ぎ捨てて、お手本にならなくてはなりません。

それぞれ

2012/02/07

人は一人ひとり違います。姿形はもちろん、考え方や、好み、価値観、得意なこともあれば、苦手なこともあり、ステキな部分もあれば、そうでない部分もあります。あたりまえと言えばあたりまえのことです。そんなことはわかりきっているはずです。

でも、「人は自分とは違うのだ」ということを忘れてしまいがちです。私はよく忘れます。ついつい、他の人も自分が考えているように考えているという前提で話をしてしまうのです。ですから、話しがちぐはぐになったり、誤解を招いてしまうことがよくあります。

先日、職員の一人と、私の車の話をしていました。うちには17年間使いたおしてもうすぐ引退するワンボックスと、5年落ちくらいの小さな車があります。私は古いワンボックスのことを話していたつもりだったのですが、私の説明不足のせいで職員は小さな車の方をイメージしながら聞いていたようで、お互いなんとなくおかしいな、と思いながら話していました。しばらくしてからお互いの誤解に気付いて笑ってしまいました。私が話し始めるときに丁寧に説明しなかったのが原因です。

こんなことはあまりないとは思いますが、単語ひとつとっても人によってイメージの範囲は微妙に異なるはずですし、ニュアンスのとらえ方もちがいます。それなのに、「相手も自分と同じように考えているだろう」という思い込みをもったまま話を進めてしまうので、すれ違いばかりになったり、「こんなに説明しているのにどうしてわかってくれないんだ」という思いに繋がったりします。

そうならないためにも、ひとつひとつ丁寧に、相手にわかってもらえるようにとことばに心を込めて伝える必要があります。

また、話を聞く方も話をしている人の想いをしっかり受けとめようと、真心を持って「聴く」事が大切です。「傾聴する」ということばがありますが、まさに耳を傾けて聴くこと、たとえ、相手の意見が自分の想いとは違うものであっても、それを受けとめようと、心を傾けることが大切です。

伝えるために発信する努力、受けとめる努力が話をする方、聞く方、それぞれに必要です。そこから少しずつ認め合い、心を繋げてゆくことができるのです。

写真

2012/02/07

保育の中で写真を撮ることがよくあります。子どもどうしのステキな関わりが見られたり、とっても良い表情をしているとき、行事のとき、子どもたちのいきいきとした様子、輝く笑顔を保護者に伝えたい!そんな思いから写真を撮ります。

今でこそ、ほとんどがデジタルカメラになってしまいましたが、ついこのあいだ?まではフィルムを入れて撮影するのが当たり前でした。今、フィルムを買おうと思っても探すのが大変です。フィルムのころは、現像してからでないとどんな風に撮れているのかわからなかったので、狙って撮った写真ができあがってくるのを少しドキドキしながら待ったものです。私の場合できあがった写真を見てもたいてい場合、今ひとつということが多かったのですが、それでも楽しみに待っていたのを覚えています。

中学か高校の時に写真の授業というのがあって、夏休みの宿題に夏らしい風景を撮影してくるというのがありました。撮影したものを学校の写真室で現像、紙焼きするのです。もちろんモノクロです。何を撮って良いのかわからない私は、撮影技術もないのに、無謀にも五山の送り火を撮影することにしたのです。家にあったキャノンの古い一眼レフを持ち出し三脚に乗せ、フィルム1本分撮影したと思います。いろいろと考えて撮ったので、自分ではそこそこ撮れているだろうと思っていました。夏休みが終わって現像してみたら、なんとほとんどがブレているのです。とてもショックでした。仕方がないので、そのまま先生に見せたら、その中の1枚のブレ方に味があると言ってくださり、八つ切りくらいの大きさに焼かせてもらったのを思い出しました。

デジタルカメラは、撮った写真がその場で見られるので、何度でも取り直すことができますし、気に入らなければ、消去すれば良いので、つい気軽にたくさん撮ってしまいます。実はこれが曲者で、すぐに整理しないと膨大な数に膨れあがった写真をあとで整理しようと思うと大変なことになります。
フィルムの頃は、そう何枚も撮れないので、今よりは丁寧に撮っていたように思います。もちろんデジタルカメラでも丁寧に撮れば良いわけで、それは撮る人の心がけの問題なのですが・・・

フィルムからデジタルに変わっても、私は相変わらず写真を撮るのは下手です。
その点保育士たちはとてもステキな写真を撮ってくれます。保育士は、普段一緒に生活している子どもたちのことをよくわかっているからなのでしょう。特に子どもの表情や、子どもどうしの関わりをとても良いタイミングや画角で撮影していて、とてもいい写真をたくさん撮っています。被写体である子どもを、いかによく見ているかということにつきるのかと思います。

*本稿は2月6日(月)の分です。アップに手間取っている間に日付が変わってしまいました。

節分追儺式 2

2012/02/05

2月3日にお寺で行われた節分追儺式に、園児たちが出仕したことを紹介しました。鬼を追いはらう方相氏に従う侲子という重要な役割を果たしました。

園でのまめまきが終わったと早めの昼食を食べてお寺に上がって装束を着けます。装束を着けるのにしばらく待ち時間があるので、一緒に来てくださった保護者の方とかるたなどして遊んでいました。

みんな着替え終わると一緒に出仕される方々と対面です。金色の4つの目がついたお面をつけ、矛と盾をもったおおきな方相氏さんを見た子どもたちは一瞬顔がこわばりましたが、泣いたりすることはありません。

そこで、怖いお面をつけた人は方相氏といって悪い鬼を追いはらう人で、君たちはこの方相氏さんを手伝って鬼を追いはらう役割がある。その方法は方相氏さんといっしょに本殿のまわりを回って「オー!オー!オー!」と大きな声を出すことだと説明してもらっていました。

かけ声の練習をしますが、どうも方相氏さんが気になるようで、今ひとつ元気がありません。みんながしっかりとかけ声をかけると鬼が逃げてゆくんだよ。だからしっかりと大きな声をだして「オー!オー!オー!」って言ってね。と説明してもらうと、納得して元気な声を出していました。子どもたちは、ひとつひとつ丁寧に説明してあげるとよく理解してくれます。

午後2時、出仕の式衆、導師につづいて、陰陽師、斎郎、方相氏に続いて侲子役の園児たち、公卿、殿上人が行列を作って本殿に向かいます。本殿での読経のあと、陰陽師が「鬼は外、鬼は外、福は内、福は内」と言いながら豆をまき、続いて斎郎が桃の弓と葦の矢を頂いて公卿、殿上人に授けます。陰陽師が祭文を奉読すると、方相氏が立ち上がり、矛と盾を打ち合わせて「オー!」と一声上げた後、本殿外陣から向拝を3度回り、四隅で「オー!オー!オー!」と叫びます。最後に斎郎、公卿、殿上人が向拝に並んで桃の弓につがえた葦の矢を放ち見えない鬼を追います。

園児たちは、「オー!オー!オー!」と、とても元気な声をだしていました。「大きな声で鬼を追いはらうんだ!」という子どもたちの気持ちが伝わってくるようでした。

法要が終わったあとは、方相氏さんや他の出仕の方と一緒に写真を撮りましたが、そのときになっても、方相氏さんからは少し距離をおいている子どもたちの姿がおかしくもかわいらしかったのが印象的でした。

     出仕者のみなさん

   「オー!オー!オー!」

節分追儺式 1

2012/02/04

節分が過ぎ、立春を迎えて、昨日までよりは少しだけ、ほんの少しだけ暖かくなったように思います。日差しがたくさん降り注いだ分だけそう感じたのでしょうか。

節分は読んで字のごとく季節の分かれ目ですから、立春、立夏、立秋、立冬の前日なのですが、立春前の節分が、旧暦の大晦日前後だったことから、立春前日の節分が年の変わり目と結びついて、ことに重要視されるようになったのかもしれません。

節分といえば、鬼です。昨日のブログにも書いたように、保育園にも鬼が来ました。
鬼とは何でしょう。古来より季節の変わり目には邪気が生じると考えられ、この邪気が鬼です。その邪気を払う行事が「追儺」(ついな)といい、平安時代から宮中で大晦日に行われていた行事で「鬼やらい」「儺(な)やらい」ともよばれていました。

それは、方相氏(ほうそうし)〈大儺君ともいう〉と呼ばれる鬼を払う役が、金色の目が四つある面をつけ、黒い衣に朱色の裳を着用し、右手に矛左手に盾をもつ姿で、後ろに侲子(しんし)〈小儺君ともいう〉を従え、かけ声をかけて大内裏をまわり鬼を逐います。そして公卿等は方相氏に付き従い桃の弓で葦の矢を射て悪鬼を追ったというものです。

お寺では、この様子にできるだけ忠実に節分追儺式が奉修されており、保育園の5歳児たちがこの法会に出仕させていただいています。ここでは、子どもたちは侲子の役で方相氏に従って、目に見えない鬼を逐うという重要な役割を果たします。

鞍馬寺の節分追儺式には鬼は姿を現しません。方相氏は目に見えない鬼を追いはらう役割なのです。ところが、方相氏の恐ろしい姿を見て鬼だと勘違いされる方が多いのです。平安時代から時代が下るにつれて、この方相氏の異様な面や姿が鬼と間違えられ、次第に方相氏が公卿に射られるということが起こったようですから、それも仕方のないことかもしれません。

目に見えない鬼はどこにいるのでしょうか。

何よりも怖いのは、山から出てくる鬼ではなく、私たち一人ひとりの心の中に潜む鬼ではないでしょうか。

方相氏の後に続く侲子役の園児たち

まめまき

2012/02/03

寒さが厳しくなってきました。昨日は最高気温が氷点下3度でした。鞍馬から17キロメートルほど北の花脊から通っている職員が、朝の気温は氷点下12度だったと言っていました。とても寒いのですが、相変わらず雪は少なめです。

今日は節分、みんなでまめまきをします。しかし、先日紹介したように鬼から手紙が来ていたので、今日はもしかしたら保育園に鬼が来るかもしれません。子どもたちは朝からそわそわ、職員のブログにあるように、「鬼が来たらどうする。」「怖がらんと豆を投げつけなあかんで。」などと相談していました。

全園児が集まって、手遊びをしたり、歌を歌ったり、節分の話を聞いたりしたりしますが、みんなどことなくそわそわしています。見に来られた保護者や職員が出入りするのに扉を開けるたびに振り向いて出入り口を気にしていました。

話しを聞いた後は、5歳児の子どもたちが自分で作った鬼のお面をつけ、鬼役になって登場、他の子どもたちをおどかします。鬼のお面をつけた顔を0歳児のHくんの前に近づけて「ウォー!」といいますが、Hくんはキョトントしているだけでした。5歳児は懸命に脅かしますが、脅かされている方はあまり怖そうではありません。

しばらく5歳児鬼を相手にまめまきをしたあと、床に散らばったまめをみんなで拾い集めていると、どこからともなく太鼓の音が、そして「ウォー!」という叫び声、今度の声は5歳児のかわいらしいものとは違って、低く迫力のある大きな声です。子どもたちの顔がこわばったかと思うと、バーンと勢いよく障子が開いて、恐ろしい形相の二体の鬼が部屋に入ってきました。顔色を変えて逃げ惑う子、後ずさりしながらも鬼にまめをぶつける子、何が起こったか訳がわからずポカンと口を開けている子、勇敢にも鬼に向かっていって豆を投げつける子もいます。
豆を投げられても鬼はものともせず、金棒を振り回し、「ウォー!ウォー!」と叫びながら暴れまわります。鬼が来る前には強がりを言っていた子も、鬼に追い詰められ、顔を近づけて「ウォー」といわれると、怖くてたまりません。鬼に手をつかまれ子もいました。一人の保育士が鬼に連れて行かれそうになったときには、2人くらいの5歳児が助けようと鬼に向かっていっていました。
床に落ちた豆を拾っては投げ続けるうちに鬼も力がなくなってきたのか、退散して園庭から、畑の方へ逃げていってしまいました。

鬼が去ったと後は、泣きじゃくる友達の頭をなでて慰めるやさしい子の姿があちこちでみられ、とてもたのもしく、心が温かくなりました。

子どもにはとても怖い体験かもしれませんが、どうしようもなく怖いこと、自分ではどうにもならないことを体験することも必要かもしれません。

     鬼のお面をつけて・・・

     鬼がおおあばれ

みんなで作る

2012/02/02

この冬一番の寒気がやってきて、この冬一番の冷え込みになりました。今朝の気温は氷点下5.5度、11時頃でも氷点下4度です。各地で大雪が降って被害が出ているところもあるようです。被害が広がらないことを祈ります。鞍馬でも昨夜から粉雪が降ったりやんだりしていますが、積雪量は5センチほどにとどまっています。今度こそ20センチ以上積もるかと覚悟していたのですが、そうでもありませんでした。まだ強い冬型の気圧配置が続くそうなので、節分の朝にかけての積雪が心配されます。
外はとても寒いのですが、子どもたちは元気に過ごしています。

先日、ランチルームに大きな段ボールの箱が置いてあったので、何が始まるのかと思っていたら、2歳児と3歳児がいっしょにバスを作り始めました。作品展が近いと言うこともあるのでしょうが、2歳児と3歳児が一緒にひとつのものを作り上げることを経験して欲しいという保育士の願いがあったようです。

最初の日、みんなで青い絵の具を使ってダンボール全体を塗りつぶす計画で、ひとり一人筆を使って背丈より高いダンボールに着色していました。

なぜ、青いバスなのかというと、去年の秋、2歳児と3歳児は一緒に遠足に行きました。そのとき動物園へ行くのに使ったのが、青いバスだったのです。みんなで行った遠足を思い出してバスを作ろうということになったそうです。

どの子も手も足も真っ青にしながら、とても楽しそうに、でもとても集中して塗っています。みんなとても真剣な顔つきで、あっという間にきれいに塗り上げ、内側に入って塗っている子もいました。

バスを作ったことをきっかけに、遠足に行ったときのことを思い出したようで、動物園のこと、バスのこといろいろと話していたようです。「バスにはハンドルがあった。」「ハンドルはまわるんやで。」「アクセルとかブレーキもあった。」「タイヤもあるしな。」「みんなが座るイスもあった。」と話が弾んでいたよいうです。「園長先生に運転してもらわなあかんな。」と言っていた子もいたとか。たまたまその日は私が運転していったのをちゃんと覚えていたのです。

2日ほどおいて、絵の具が乾いたところで、シートやタイヤ、ハンドルなどを作って取り付けていました。回せるハンドルは難しかったようで、保育士に頼んで作ってもらったようです。

完成したところで、みんなでバスに乗ったのは良いのですが、ラッシュ時の電車のようにギュウギュウです。それでもみんな楽しそうに窓から手を振っていました。2歳児、3歳児という枠組みを超え、一人ひとりが楽しんでいました。

タイヤもつくろう

  乗り込めー!

進化

2012/02/01

子どもたちの遊びが進化しています。前にも紹介した5歳児のこままわしです。

保育士が「スタジアムが増えましたよ」というので朝の遊びの時間に見に行きました。5歳児の男の子を中心に熱心にこままわしに興じているグループがあります。「スタジアムが増えたんやて。」と聞くと「そうやで!見てみ!」と新しく増えたスタジアムを見せてくれました。

以前は20センチ角(周囲に幅2センチの縁がついているので、こまがまわる内寸は、16センチ四方)が最小だったのですが、15センチ角(内寸11センチ四方)、10センチ角(内寸6センチ四方)、2種類が増えていました。
ちなみに、このスタジアムには、「こま場スタジアム」という名前がついているそうです。よく知らなかった私は、前回「こまスタジアム」と書いてしまいました。訂正します。

子どもたちは、それぞれのレベルにあった広さのスタジアムで、こまをまわすのに果敢に挑戦していました。そこで遊んでいる子どもたちは、慣れた手つきでまわしています。子どもはすぐにうまくなるものです。私も挑戦したくなって、使っていなかった子のこまを借りてまわそうとしたら、おかたづけの時間になってしまいました。

保育士に聞くと、最初から一番小さいのを作らなかったのは、あまり目標が遠くにあると、達成できる見通しが立てにくくてあきらめてしまいがちなので、ある程度できるようになってからさらに小さいものを作るようにしたと言っていました。確かにそうでしょう。最初は、こまをまわすこと自体ができなくて練習していたのですから、狙ったところに投げて、そこでまわすなんて想像もできないと思います。ある程度まわせるようになって、20センチ角くらいの大きさなら狙えるようになってきたところで、さらに小さいものを見せてあげると、それにも挑戦してみようと思えるのでしょう。

もちろん子どもによって、すぐにできるようになる子もいれば、そうでない子もいます。こままわしにはあまり興味のない子もいます。その子の今の興味に合う環境を用意しておくと、子どもたちはそれぞれに楽しく遊べます。上手にできる子は更に上を目指し、そうでない子は上手な子を見て学び、教えてもらってできるようになるのです。

大切なのは、どんなことでも「やってみよう」「やってみたい」という気持ちだと思います。子どもが自分からやってみようと思って取り組めるようになるには何が大切か、よく考える必要があります。

小さいのが増えた「こま場スタジアム」

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