2012年 2月

雪遊び 2

2012/02/19

雪遊びの定番のひとつに雪だるま作りがあります。今年初めてのまとまった雪に子どもたちの何人かは雪だるま作りに興じていました。5歳児の女の子が「先生見て!」というので行ってみると、小さなかわいらしい雪だるまが座っていました。他の子も何人かで力を合わせて自分たちと背丈が同じくらいの雪だるまを作っています。「鼻は何で作ったらええかなー」と相談していました。
もっとたくさん雪が積もればかまくらを作ることもできるのですが、残念ながら少し雪不足です。

他にも楽しい雪遊びはたくさんありますが、子どもたちの人気はソリです。坂は園の前にお寺の参道があります。ソリは本格的なものは園にはないのでポリ袋を敷いて滑ります。単純ですがこれが結構滑れるのです。最初斜面が滑りやすく整うまではそうでもないのですが、何度か滑っているうちに、よく滑るようになります。

昨日は、まず2歳児を中心に挑戦していました。慣れないうちはどうすれば良いのかわからず、戸惑っていますがコツをつかむとどんどん滑ります。そのうち手が冷たくなって泣いてしまう子もいましたが、2歳児のYくんは、何度も何度もすごい勢いで滑っていました。

それも、おしりで滑るのではなくポリ袋のうえに腹ばいになり頭を下にしてスーパーマンが飛ぶようにして滑って行きます。体制こそ違いますが、黙々と滑っている姿は、まるでリュージュの選手がトレーニングをしているかのようでした。

3・4・5歳児は、毎月18日にお寺の貫主様と観音様の前でお参りをしています。お参りから戻ってきた子どもたちは、ソリ遊びをしたい子と園庭で雪合戦や雪だるま作りをしたい子に分かれて雪を楽しみました。ソリ遊びでは子どもたちは最初から大喜び、心の底から楽しくてしょうがないというような笑い声をあげて滑ってゆきます。その笑顔と歓声に、こちらも心の底から嬉しくなります。こどもたちのこの笑顔がもっとずっと輝き続けることを祈らずにはいられません。

雪遊び

2012/02/18

ついに雪が降って積もりました。昨夜11時近くになってから降り出して、みるみるうちに積もりました。今朝はもっとたくさん積もっているかと思ったのですが、測ってみると20センチでした。今冬初めての本格的な雪です。
しかし、1月末から2月始めにかけてのような寒さはありません。このあたりでは、寒すぎると雪は降らないといわれています。

木々の枝は雪の花が咲いたようになって青空に映えています。朝から雪かきで一汗かきました。指先がとても冷たくなりますが、終わったとはとてもさわやかな気分になります。雪かきは大変ですが、雪は好きです。雪に被われると、世界がちがって見えるからです。

園に行くと、子どもたちは早々と園庭で雪遊びを始めていました。雪合戦をしている子、雪の上を走り回っている子、それぞれに初めての雪を堪能しています。

大きなたらいに雪をたくさん詰めている子どもたちがいました。何をしているのと聞いても教えてくれません。しばらくすると、保育士が試験管とジュースを持って来ました。前にも紹介しましたが、

ジュースの入った試験管を雪のなかに

雪を使ってアイスキャンディーを作ろうとしているのです。5歳児は以前作ったことがあるので、何が起こるか知っているのですが、他の子には「どうなるかお楽しみ」になっていたようです。保育士は、子どもたちにどうなるか考えてもらおうと思って、いろいろと質問をしていました。
冷たくなるという子、なぜか暖かくなるという子、そして、おいしくなるという子もいました。おもしろいですね。

昼食後、できあがったアイスキャンディーをみんなで食べました。中身はいつも飲んでいるリンゴジュースですが、

   アイスキャンディーできあがり

雪を使ってみんなで作ったアイスキャンディーの味は格別だったようで、みんな目をキラキラさせて、おいしそうに食べていました。

     いただきまーす

小保連携 2

2012/02/17

小学校と保育園の連携で、5歳児が小学校に行き小学生と交流することで、園児が小学校は楽しいところだと感じたり、学校に行きたいと期待を持ったり、小学生がかっこいいとあこがれたりできることを紹介しました。また、活動のフィールドが同じであることによって子どもが安心できるという少し違った視点からの連携についても書きました。これらは全て、子どもが保育園から小学校に行ったときに、子どもの負担をすくなくすることに有効です。

子どもが、保育園から小学校に行くにあたっては、当然様々な変化を経験します。その変化を受けとめ、乗り越える力を保育園の間につけておく必要があります。それは自立という力と、自ら新しい環境に積極的に関わってゆく力です。

その力が育つ前提として、心の根っこの部分がしっかりと育つ必要があります。失敗してもここに帰ってくれば大丈夫という心の基地があってこそ、外界に向かって働きかける意欲や力が生まれるのです。その心の基地はお母さんやお父さんそして、園では保育者なのだと思います。そこの信頼関係をしっかりと築くことができたら、大人は少しずつ子どもに任せて、離れる必要があります。その距離感をしっかりと意識していないと、依存を生んでしまうことになるからです。いつも指示ばかりしていると指示がないと何もできなくなりますし、いつも守ってばかりでは、新しいことに挑戦する力がつきません。子どもの自立するために必要な経験とは何か。私たちはしっかりと心にとめておく必要があります。

しかし、あまりにも変化が大きいと、子どもたちは戸惑います。小学校と保育園の一番の違いは何でしょうか。それは大人が何を重視するかではないでしょうか。保育園では様々な活動を通じて、子どもがどんな経験をするか、その経験の質はどうだったかということに重点を置きます。別の言い方をすれば、学びのプロセスに注目します。学校の場合は、学ぶべきことがあり、授業ごとのめあてがあって、それを子どもたちが習得したかどうかが重要になってくるのだと思います。

小学校と保育園との連携を更に深めるのであれば、子どもどうしの交流に加えて、小学校の先生方と保育園の職員が交流できる場を持ってゆけると良いと思っています。そこから、少しずつお互いの違いを知り、理解しあうことができればもっと連携が深まり、子どもがスムーズに学校の環境に移行し、子どもがいきいきと学ぶためにはどうするのが良いのか、新しい発想も生まれてくるかもしれません。

小保連携

2012/02/16

先日、鞍馬小学校の研究発表会に参加して、先生方と話す中で小学校と幼稚園や保育園の連携という話になりました。最近はよく連携が話題に上ります。1年生が、学校になじめない、授業中立ち歩く、自分勝手なことをするなどの問題が1999年ごろから目立つようになり「小1プロブレム」と呼ばれるようになりました。このことをうけて、幼稚園、保育園と小学校が連携することに目が向けられたのです。

幼稚園、保育園から学校に行ったときにうまく適応できるように、5歳児が学校を訪れたり、小学生と協働して何かをしたりという交流活動が行われるようになりました。また、幼稚園や保育園から、園での子どもの成長の姿を小学校に伝えるという動きも出てきました。

当園でも5歳児が鞍馬小学校に行って、小学生とゲームやお店屋さんごっこで交流したり、学芸会に出演させて頂いたり、小学生が保育園に来て学習の成果を発表してくれたり、お互いに交流する機会を鞍馬小学校さんがリードして頂く形で持たせていただいています。もともと鞍馬小学校と当園の間では、連携ということが言われる前から小学生が保育園に来てくれたり、園児が小学校に行くという関係はできており、それが続いているという感じです。交流活動によって、園児が学校という雰囲気を味わえたり、小学生になることに憧れを持つことができるようになりました。小学校の学芸会を見ていた5歳児が「かっこいいな。あんな風に台詞を言いたいな。」と話しあっていたのを聞いたことがあります。

連携について、教頭先生が新しい視点を提供してくださいました。鞍馬小学校の子どもたちが全校ハイキングで山に登ったり、自然のフィールドに出ることが多いのですが、保育園の時に散歩や山登りで行った場所と同じ場所に行くことあるそうです。そうすると、子どもたちは「ここ保育園の時に来たことある。」と笑顔になるそうです。

つまり、活動のフィールドを小学校と保育園が共有することで、子どもが安心したり、自分の知っていることや保育園での体験を友達に伝えたり、自信を持てたりするということです。

どこへ行っても、環境が変わっても、それをしっかりと受けてとめて、いきいきと活動できる。保育園にいる間にそんな力をつけて欲しいと思っています。

避難訓練

2012/02/15

園で避難訓練が行われていました。担当の保育士が、今から地震が起きた想定で避難訓練をします。と知らせに来てくれたので、見に行きました。0・1・2歳児はみんなそれぞれに机の下に頭を隠して小さなおしりを並べ、地震が収まるのを待っていました。

3・4・5歳児はといえば、頭を守って、じっとしていました。地震が収まったので、みんなでランチルームに集まり、担当の保育士に地震の紙芝居を読んでもらっていました。子どもたちはみんな真剣に聞き入り、保育士の質問にも答えています。

私は、子どもたちがどれほど自分で考え、判断しているのか知りたいと思い、紙芝居が終わってから、少し時間をもらって3・4・5歳児と話をしてみました。

紙芝居の中で「倒れそうな物や落ちてきそうな物には近寄らないで」という話があったので、この部屋の中には、どんな倒れたり落ちてきそうな物があるか。と聞くと子どもたちは部屋を見渡して、ピアノ、雛飾り、壁掛け時計、壁に掛かった絵など、祭壇など的確に答えてくれました。障子の向こう側にある跳び箱も危ないと言ってくれた子もいました。

また、紙芝居には「頭を守って」という話も出てきたので、「みんなは何で頭を守る?」と聞くと、3歳児のYくんは「ボックス」と答えました。ボックスとは、子どもたちが自分の着替えを入れているプラスティックの箱で、それを頭にかぶると良いというのです。確かにヘルメットのようになりますし、着替えの服を何枚か使えば頭との間のクッションにもなります。よく考えたものです。

「では、今地震が起こったらどうする。自分で考えて動いてね」と言い終わるか終わらないうちに「地震です!」というと、子どもたちは、一斉に机の下に入ろうとしました。しかし小さな机なので、全員が入れるわけではありません。なんとか机の下に入ろうとする子もいましたが、無理だとわかるとすぐにイスで頭だけを被うようにした子もいました。

いつもは、保育士の指示で動いていますが、子どもが自分で考え判断するとどうなるのかと思ったので、子どもと相談してみると、子どもなりにいろいろなことを考えていることがわかりました。たとえ、保育士が指示を出すとしても、訓練のたびに子どもたちが考えられるようなことばがけをしてみると良いのかもしれません。そうすれば、なぜそうするのかが理解しやすいですし、子どもなりの良いアイデアも出ると思います。

変化

2012/02/14

今朝、外に出てみるととても暖かく感じたので、気温も高いのかなと思って温度計を見てみると1度でした。1度といえばそれほど暖かいわけではないのですが、しばらく氷点下の日が続いていたので、1度でも暖かく感じたのだと思います。人間の感覚って相対的なものなのだと思いました。

お寺の本殿前から比叡山を望むことができます。今朝は小雨が降っていたこともあり、手前の山は薄い綿かうすぎぬに被われたように霧がかかっていて、そのむこうに雲海がひろがり比叡山の頂だけが顔をのぞかせていました。何とも幻想的で美しい光景です。ところが、この光景は一瞬にして変わってしまいます。ほんの1〜2分後には、手前の山はうすぎぬを脱ぎ捨てていました。10分後には濃い霧が立ち上り、比叡山は全く見えなくなっていました。まさに刻々と景色が変わるということば通りです。

霧や雲はすぐに動くので、変化が早く、わかりやすいものです。しかし、一見動かないように見える山も動いています。富士山だって少しずつ浸食され姿を変えています。
私たち人間の身体は約60兆個の細胞からできていますが、少しずつ入れ替わっています。昨日の私と今日の私では、細胞の何割かは変わっていて、同じではないのです。富士山にしても、人間の細胞にしても、当たり前と言えば当たり前の話しですが、私たちは普段それをあまりそれを意識してはいません。昨日の私は今日の私だと思っています。

全てのものが変わってゆきます。ですから、私たちも変化に合わせて変わる勇気をもち、変える努力をする必要があります。保育や教育だって同じです。先日鞍馬小学校での研究報告会があり、そこで教育委員会の方と少し話しをする時間がありました。
私が、当園では子どもたちが自ら学ぶことを大切にしている。と伝えると。「昔は学校で子どもたちに知識を教え込むのが先生でしたが、先生の役割は教え込むことではなく、子どもの力を引き出すことなのです。しかし昔の教え込という考えから抜け出せない先生がたくさんいます。」と仰っていました。その話を聞いて、鞍馬山保育園の目指している方向は学校教育でも取り組もうとしていることなのだと理解し、心強く思いました。

均質な労働力や、命令通りに動く人をたくさん育てるのなら、教え込めば良いでしょう。しかし、より良い社会を構築するために自ら考え、他と認め合い、力を合わせる人を育てるにはどんな方法をとるのが良いのでしょうか。

変えてはならないこと、変えなくてはならないことをしっかりと見極め、必要なことは変える勇気を持ちたいと思います。

何のために?

2012/02/13

作品展について紹介し、お寺の職員さんなど、いろいろな方が関わってくださっていることを紹介しました。「他の人の手を煩わせるのは申し訳ない」という意見や「保育園の職員だけでもできる」という意見もありますが、私はいろいろな人が保育園に関わることを大切にしたいと思っています。
今は保育園の職員や保護者以外の人に園児と関わって頂くことは少ないのですが、いずれは、地域のいろいろな方々に園に来て子どもたちと関わって頂くことができることを願っています。様々な人とふれあい、関係を築くことがことが子どもたちにとって大切だと考えるからです。

行事を形にするためにはいろいろな要素があります。いつもそこで考えないといけないのは、「何のためにそれをするか。」ということです。それを明確にし、関わる人みんながその点を一番大切にすることを忘れなければ、形や方法は自ずとそこから導き出されてくるのではないでしょうか。などと、ことばで言うのは簡単ですが、実際はこれが難しいのです。
運動会でも発表会でも作品展でも「昨年までこうしていたから今年も同じことを行う。」という考え方があります。それが、例えば「毎年同じ子が同じことをすることによって、その子の発達の様子が見られ、それを保護者に感じてもらいたいから。」という理由があれば、同じで良いと思います。しかし、ただ「今までこうしていたから」という理由だけでは、一番大切なものを見失ってしまう可能性があります。

人はどうしても固定概念に縛られてしまい、「何のために」を考えるのを怠りがちになります。私はいつも行事の前には必ず職員に「この行事って何のために行うの?」と聞いています。残念ながら、今のところはそれを元に活発な議論が交わされているとは言えません。ここで議論が盛り上がれば、より多くの職員が納得したうえで方向性が絞り込まれてゆくと思います。そうすればお互いの心の距離が縮まり、もっと楽しく一体感を持って、担任という便宜上の枠を超えて、保育者みんなで全園児を保育することができると思います。
そのためにも、職員全員が「みんなのいのちが輝く」という理念を形にしたいと心の底から思い、どうすれば良いかを話し合って形にしてゆくことが大切です。

今はまだ発展途上ですが、きっと大丈夫!みんなを信じて、そうなる日がすぐに来るように、私も力を尽くします。

作品展 2

2012/02/12

いろいろな人のお力を借りて、作品展を開催することができました。

5歳児が描いた観音様のお姿は、モデルになって頂いた観音様の近くに全員の作品を並べて展示しました。そのまん中にいると、たくさんの観音様に囲まれ、見守られている気がするのが不思議です。子どもたちが描いたそのままで、作品というより観音様のお姿になっていらっしゃるように思えます。並べてみると、子どもたちが描いた観音様のお顔が、描いた子ども本人によく似ていることに気付きます。子どもたちの中にある菩薩様の心がお姿として顕現されたのかもしれないという気になります。

観音様のお姿を写しているときの子どもはとても集中しています。これほど集中できるものかと感心するくらいです。保護者に聞いた話ですが、観音様の絵を描いた日は疲れるのか、家では早く寝るそうです。そんな過程を知っているから、子どもたちの中の観音様が現れたように感じてしまうのでしょう。

ずらっと並んだ子どもたちの観音様をご覧になった保護者の皆様もしきりに感心されていました。「これを楽しみに作品展に来たんです。」とおっしゃってくださるおばあさまもいらっしゃいました。

3・4・5歳児の作った龍はといえば、園で完成させた龍を作品展前に会場まで運ばなくてはなりません。どうやって運ぶのかと思っていたら、頭を作っていた子どもたちが頭を持ち、その他の子どもたちは一列に並んで胴体を持ち上げ、おみこしのようにして運んでいました。私が園に向かって歩いているときにちょうど園から出発した龍の行列に出会いました。頭が少し離れて先行してはいましたが、龍が空を飛んでいるようでした。運んでいる子どもたちのとても楽しそうな、しかも壊しては大変という真剣な顔つきが印象的でした。

そうして運ばれた龍が飾られました。その近くには2歳児たちが泥で染めた布を使って作った洞穴があったり、0・1歳児が細く裂いたビーニールテープ(ビニール紐)を使って作った雲が置いてあり、まるで、龍が洞穴から飛び出し、雲を縫って天に昇ってゆくようです。0歳児から5歳児の子どもたちが作った昇龍を見ていて、職員も心と力を合わせてくれたのだと思うと、嬉しくなりました。

2・3歳児の作ったバスも、まわりに自分の顔や動物園の動物を描いて貼りつけ、動物園に行くときのわくわく感が再現されているようで、秋の遠足で動物園に行くのを楽しみにしていた子どもたちの顔を思い出しました。

ひとつの作品に子どもたち一人ひとりの気持ちが詰まっており、日々の生活が現れているのです。

作品展

2012/02/11

普段の保育の中で子どもたちが作ってきた様々な作品を展示して、保護者の皆様にご覧いただく作品展を行いました。お寺の施設を借りて、たくさんの作品を展示するので、かなり手間と時間がかかります。

ですから、施設のお掃除も含めてお寺の職員の方にお手伝いいただくことが多くなります。絵を貼っていただいたり、立体を並べて頂いたり、様々なことをお願いして手伝っていただきます。展示の仕方を細かく指定することもありますが、展示してくださる方にある程度お任せすることもあり、楽しんで展示してくださっています。おひなさま製作の展示をお願いしたら、いろいろなところから台や毛氈を持って来て、立派なひな壇にしてくださった方もありました。展示をしながら、子どもたちの作品を見て、おもしろいなとか、上手に作ってあると興味を持ってくださる方もあります。

様々な子どもたちの活動の様子を写真と文書で説明し、普段から保育室に貼って保護者や来園者に伝えていますが、それが年間を通してかなりの数になるので、他の作品と一緒に展示しています。その活動の様子を見て、感心したり、子どもの姿を楽しんで、展示してくださる方もありました。そうして、興味を持って頂いた方には、子どもたちの様子やエピソードを保育士が一緒に展示をしながら伝えています。もちろん保育士たちも子どもたちの作品をよくいて頂けるようにいろいろと工夫をして展示をしています。

作品展当日は、普段の保育は行わず、親子で自由な時間にご来場いただき、一緒に作品を見て頂くようお願いしています。今年度は会場や日程の関係で、2月10日の金曜日にしかできなかったので、保護者の皆様にはご迷惑をおかけしてしまいました。申し訳なく思っています。

小さな子には難しいのですが、ある程度年齢が上がると親子で作品を見ながら、子どもが保護者にその作品をどうして作ったのか、どんな思いでその絵を描いたのかなど説明できるので、できるだけ子どものことばで保護者に伝えてもらうようにしています。

子どもたちが伝えきれない部分は保育士が説明するようにして展示してある作品を見て頂くだけではなく、作品ができるまでの子どもたちの関わりや、背景にある子どもの想いや、製作段階での出来事などを知って頂けるよう、できる限り説明しています。もちろん様々な説明文を作ったりしますが、一人ひとりに対面で説明するのが一番よく伝わります。ただ、全ての来場者に詳しく説明できる訳ではないのが、残念です。作品の背景にあるドラマや子どもや保育士の思いをどうすればうまく保護者に伝えられるか、今後の課題です。

2012/02/10

「心をみがく集い」という活動があります。お寺が行っている活動で、地域の方、ご縁のある方、職員さんが華道、茶道、書道、水墨画などの文化的な活動を通して、いろいろな面で自分自身を高めてゆく機会を提供するものです。

保育園の職員も参加できますが、みんな忙しいのか現在参加しているのは、私と主任保育士だけです。そのなかに華道があります。お稽古は毎月2回あり、1回が約30分から1時間弱、その日の花材にあわせて華器を選んで華を活けます。

活け方の基本的な形や、配置はありますが、自然の花や木はそれぞれに違う形をしています。同じ花材でもひとつひとつ異なるので、種類や形の材料があるのかを見て、活ける姿を決めなくてはなりません。1本の枝でも途中で切って2本にして使うこともできます。どの花材をどう使うとその花材が一番活きるのか、全体の中でその良さを発揮できるのかを自分の感性をフルに使ってイメージしなくてはなりません。

千利休が説いた茶の湯の心得に利休七則というのがあります。その中に「花は野にあるように」というのがあり、それは、花をとってきてそのまま活ければ良いというのではなく、一輪の花に自然のなかで精一杯咲く花のいのちの尊さを感じて表す事だといわれています。私は、花を活けるときに一輪の花のいのちが、他の花や木との関係の中でいかに輝くか、その花がその花にしかできない役割を最大に果たせるにはどうするか、活ける人が心を使って想う事が大切なのだと解釈しています。

いろいろな種類の木や花がひとつの華器のなかで、それぞれに輝くからこそ、全体が美しく輝くことができるのです。人も同じではないのでしょうか。集団の中の個が輝くからこそ、その集団が輝くのです。人の場合には集団を構成する個がそれぞれにお互いを活かし合うことができます。そうするよう一人ひとりが意識し努力すれば良いのです。

お稽古をする中で、何をどこにどう活ければ良いのかわからなくなることがあります。そんなときは、花に「どう活けて欲しい」と聞くのですが、花の声が聞こえるはずもありません。苦心して活け上げても、どこか落ち着かない感じがします。そんなとき先生に見ていただいて、ほんの少し直していただくと見違えるようになるのが不思議です。花の向き、位置、角度をほんの少し変えただけで、全体のまとまり感や落ち着き感が全く異なるのです。先生には花の気持ちがわかるのではないかと思ってしまいます。

一輪一輪をよく見て、どうすればその一輪のいのちが最も輝くのか、よく考えたいと思います。

スクロール