2011年 10月

動物園

2011/10/21

2歳児と3歳児が遠足で動物園に行くことになりました。担任の保育士たちが、1ヶ月くらい前に「遠足は動物園に行きます」と子どもたちに発表したものですから、それは大変です。その日から「明日、動物園に行くの?」「今日、行くの?」「バスで行くの?」と、いろいろな子が会うたびに聞いてきます。行事の時などに職員が着るおそろいのトレーナーがあるのですが、たまたま私がそれを着ていただけで、「今日、動物園に行くの?」と尋ねられたくらいです。「園長があの服を着ているから、今日はきっと動物園に行くんだ!」そう思ったのでしょう。子どもの観察力には驚かされます。

「いつ動物園に行くの?」何度聞かれたかわかりません。その度に「まだずいぶん先だよ」と答えていた私は、内心「少し発表するのが早かったんじゃないの?」と思っていました。でも、そこには子どもたちの期待感を高めるという保育士たちの狙いがあったのです。

遠足の行き先を決める際には「動物に興味を持っている子が多い」という子どもたちの姿から考え、行き先を動物園に決定しました。興味を持っている子はもちろん、そうでない子も巻き込んでみんなが期待感を高めることで、より遠足の意義が深まり、こどもたちの満足度も増すと考えたのです。ですから、保育の中で動物園の歌を歌う、動物園を思い起こすような内容の絵本をを読むなどしていました。

     積み木の動物園

大人が「これって楽しそうじゃない!?」というきっかけを作ってあげ、それが子どもたちの興味に合っていたときには、展開は早いものです。あっという間に子どもたちの遊びに動物園に関するものが増えてきました。園庭ではバスに乗って動物園に行くと言いながら遊んでいたり、積み木で動物園を作ったりと様々です。子どもの姿から考えれば、環境を整え、少しきっかけを作ってあげるだけで、子どもが主体的に動き出します。子どもが自らやりたいと思って主体的に動いたときのパワーにはすごいものがあります。

保育士たちはさらに、下見の様子を子どもたちに話すとともに、写真や絵にしていました。子どもたちの期待感が更に高まったことは言うまでもありません。

 

 

 

 

 

 

ただひとつだけ心配なことがありました。それは、お天気です。「ここまで、盛り上がっていてもし雨が降ったらどうする?」と聞くと「多少の雨なら、レインコートを着て行きます。」答えたのは保育士ですが、子どもたちの気持ちを代弁していたのだと思います。だって、てるてる坊主まで作っていたのですから。

  遠足の日は晴れますように

畑で遊ぶ

2011/10/20

稲刈りが一通り終わった子は、もう1人の保育士と畑に生い茂った草を引き抜いたり、ひとりでに生えてきて畑を占拠してしまった瓜を収穫したりと大忙しです。

     重いから気をつけて

畑は園庭の一段高いところにあって、自然農法に取り組んでいます。と言いたいところですが、実際の所は全く面倒が見られていなくて、雑草と呼ばれる草たちが生い茂っています。ジャングルと呼ばれています。そのジャングルのなかにカボチャがゴロっとできていたり、夏にはメロンやスイカがころがっていました。あまりにも草の生え方がひどいので取ることにしたようで、子どもたちが草を引き抜いていました。みんなでどんどん抜いていったのですが、最後にとても大きくて太い、まるで小さな木のようなのが残りました。1人の子が引っ張るのですが、なかなか抜けないので、「おーい!みんな手伝って」と声をかけると他の子が集まってきて、手伝い始めました。どうするのかと思って見ていると、他の枝や幹の別の部分をもって引っ張るのではなく、2番目の子は幹を持っている子の腰を持って、3番目の子は2番目の子の腰をひっぱるという、絵本の『おおきなかぶ』のようになりました。保育士も、「AちゃんがSくんをひっぱって、をMちゃんがAちゃんをひっぱって・・・ うんとこしょ!どっこいしょ!」と声をかけるものですから、子どもたちも張り切って力いっぱい引っ張ります。1度引っ張るごとにだんだん列が長くなって、何度か挑戦しますが、まだまだ草はぬけません。「先生も手伝って!」の応援要請に保育士が少し手伝って根っこをゆるめた後にもういちどみんなで引っ張ると、今度は見事に抜けました。「やったー!」とみんなうれしそうです。

 うんとこしょ!どっこいしょ!

畑の草ひとつとることでも、これだけ楽しめてしまう、子どもの遊び心はたいしたものです。「遊びをせんとや生まれけむ」といいますが、子どもの仕事は遊ぶことです。遊びを通してこそ発達するのです。

年齢を重ねてゆくと苦しいこと辛いことの方が多くなるのか、心が堅くなってしまいがちですが、苦しいこと辛いことも、「遊び心」という調味料を使って、そのままで美味しくいただいてしまうことができる。そんな心の力を養いたいものです。

稲刈り

2011/10/19

畑の側に畳一枚ほどの小さな田んぼをつくって、稲を育てていました。ほとんど世話できなかったにもかかわらず、夏にはあざやかな緑色の葉の間から瑞穂が伸びて花が咲き、花の後にはちゃんと実が実りました。中にはカメムシの被害にあって白くなってしまった穂もありましたが、稲の力には感心させられます。
先日、そろそろ収穫しても良いだろうということで、5歳児と4歳児が、1人1束をはさみで切り取るという方法で稲刈りをしました。一通り説明を聞いたあとで、いざやるとなると、どういう順番で刈り取るのか、子どもたちは少し揉めていましたが、背の順、名簿順などいろいろな案を出し話し合いお互いに相談していました。以前はこういう場面で揉め続けて保育士が決めたりすることが多かったのですが、近頃はずいぶん話し合って自分たちで解決できるようになってきたと思います。

全員が刈っても半分近く残っていたので、どうするのかなと思っていたら、保育士が「もう1回やりたい人はどうぞ」といって子どもが自分で決められるように声がけしました。すると、もう1回やりたい子が何人か集まってきて、残った稲を順に刈っていました。
無事に収穫が済んで、今は園舎の軒先につり下げて乾かしています。乾燥したら脱穀してもみを取る作業が待っています。

植えたのは少しですし、収穫できたのはもっと少なく、実際にお米として食べられるのは本当にわずかだと思います。食べられるほどあるかどうかはわかりませんが、食べる段階になって子どもは何を思うのでしょう。稲作を通して、何を感じるのでしょう。子どもたちがどんな感想を持つのか、楽しみでもあり、怖くもあります。

毎日お参りをしている2階の祭壇の前に、収穫したばかりの稲穂がお供えしてありました。子どもたちが言い出したのか、保育士がだまって備えてくれたのか、それは聞いていませんが、その心配りをとてもうれしく感じました。

 

 

おたんじょうびおめでとう!

2011/10/18

月曜日の朝、登園途中の3歳児Kくんと一緒に園に向かっていると、同じように登園途中の5歳児Sくんが「Kくんおたんじょうびおめでとう!」といいながら駆け寄ってきて、一輪のシュウメイギクと折り紙で作ったプレゼント、誕生カードを渡しました。いきなりプレゼントをわたされたKくんは、最初キョトンとしていましたが「Kくんは土曜日がお誕生日だっていってたから、Sくんが覚えてくれててプレゼントくれたんやんか」というと、Kくんの顔がパーッと明るくなって、ちょっと恥ずかしそうに小さな声で「ありがとう」と言っていました。Sくんもうれしそうにニコニコ笑っています。周りにいた大人も思わずニコニコ。

誕生カードには、かわいらしいバースディケーキの絵が描かれており、折り紙も丁寧に折ってあります。土曜日にその日がKくんの誕生日だと知ったSくんは、それを覚えていて、週末にカードとプレゼントを作ったのでしょう。シュウメイギクは「朝家を出るときに庭に咲いていたのを取ってきたんです」と保護者がおっしゃっていました。

土曜日にともだちの誕生日を知ってプレゼントをあげようと思い、家に帰ってから作った。月曜日の朝それを渡そうと家を出たら、庭にきれいな花が咲いていたので、これもあげようと思って取ってきた。そんなSくんのあったかくやさしい気持ちの動きが想像できて、こちらの気持ちもほんわかと温かく、うれしくなりました。

誰かを思う気持ち、誰かに喜んでほしいという気持ちを子どもたちはたくさん持っているのです。そんな優しさやうれしさで心が満たされて育ってほしいと願います。そして、みんなのやさしい気持ち、うれしい気持ちが響き合い、高まってゆく。大人も子どももみんながハッピーを感じられて、心が温かくなる。いつもそうありたいですね。

ジョロウグモ

2011/10/17

この季節になると、大きなクモの巣があちらこちらで見られるようになります。巣のまん中では大きく色鮮やかなクモが獲物が掛かるのをじっと待っています。ジョロウグモです。

黄色と黒のまだら模様の足、黄色とくすんだ青緑色の模様がある背中、お腹には赤い部分もあり、かなり派手な姿です。秋の日差しを浴びて巣のまん中でどっしりと構える姿は、秋の女王といったところでしょうか。でも意外と臆病なのか、息を吹きかけたりするとすぐに逃げてゆきます。女王といいましたが、この大きくて派手な色のは雌なのです。雄は1/3くらいの大きさしかなく目立たない存在です。巣のまん中に大きな雌がいて、少し離れたところに雄がいるというところをよく目にします。雄は正面から雌に近づくと食べられてしまうので、交尾のためには背後から雌に近づくとか、交尾が終わると雌に食べられてしまうとかいわれています。

ジョロウグモは巣も立派で、直径が1メートル以上はあります。巣を作っている糸が黄色っぽいのか、光の当たり方によっては金色に輝いて見えることがあります。

先日、屋外で行われた式典に参加していたときのことです。少し離れたところにジョロウグモが大きな巣を掛けていたのが私の立っているところからよく見えました。黄金色に輝いていて、美しいなと思ってみていると、何がしたかったのか、巣のまん中にいたクモがどんどん上の方に登っていくのです。しばらく見ていると網の端までたどり着いたかと思うと、コロコロっと巣の上を転がりながら、下に落ちてしまいました。なんだかその様子がおかしくて、おかしくて、吹き出しそうになったのですが笑うわけにもゆかず、じっとこらえていました。そんなときほど笑いがこみ上げてきて、笑いを我慢するのに一苦労でした。

しばらくしてもクモは登ってこなかったのですが、その後どうなったのでしょう。クモの世界にもおっちょこちょいなのがいるんですね。

 

運動会で考えたこと

2011/10/16

市原野小学校で運動会がありました。14日の午後から15日未明にかけてずいぶん雨が降ったので、延期だろうと思い込んで仕事をしていたら、運動会決行という情報が飛び込んできたので、慌てて応援に行きました。

市原野小学校は当園から3.5キロメートルほど離れたところにある小学校で、この学区からたくさんの子どもたちが当園へ通ってきています。当然、卒園生もたくさん通っているので、行事の案内を頂くと参観に行っています。この地区は、宅地開発が進み、新しい住宅に若い世代の方々がたくさん入居され、子どもの数が増えています。

私が叡山電車に乗って小学校に着いたころには午前中の競技が半分ほど終わってしまっていて、3年生と4年生がダンスをしているところでした。人数が多いので迫力があります。9月に児童数の少ない鞍馬小学校の運動会を見ていたので、余計にそう思うのかもしれません。わずか2キロメートルほどしか離れていない2つの学校で、一方は児童が少なくて困っているのに、もう一方は児童が多すぎる状況です。

他の自治体なら統廃合させるところでしょうが、京都市の場合は、地域の意向を最大限に尊重しています。それは京都の小学校の成り立ちの特殊性によるものです。京都の小学校のはじまりは番組小学校といいます。明治政府が明治5年に学制を発布して学校制度をスタートさせましたが、それに先立つ明治2年に京都の町衆が当時の住民自治組織だった番組を単位として作ったのが番組小学校です。小学校は地域が作ったという伝統もあり、小学校は地域の学校という性格が強く、行政の都合だけで統廃合が決められるわけではないようです。だからこそ地域住民が学校をどうしたいのかを真剣に考える必要があります。また、学区の範囲が厳格に定められていて、特別な理由がある場合を除いては異なる学区の小学校には通うことは難しく、2キロメートルしか離れていない学校で過疎と過密が発生してしまうのです。

せっかく行政が地域の意向を尊重してくれるのですから、それ活かして地域と学校と保護者が「子どもの育ちにとって本当に大切なこと」をしっかりと見据えて共通理解をすすめ、そのためにそれぞれができることを行えるしくみが機能してゆくと本当の意味での地域の学校になるのではないでしょうか。

運動会の競技から、子どもたちが積極的に取り組んでいるという印象を受けました。PTAの競技というのもあって、たくさんの保護者の方がボール送りで盛り上がっていらっしゃる姿から、一体感が感じられました。卒園生を探すのですが、人数が多すぎてなかなか見つかりません。でもそれぞれの種目に全力で取り組んでいる子どもたちの姿を見ることができ、短いながらも楽しい時間を過ごすことができました。

雨のあと

2011/10/15

昨日は午後から雨となり、昨夜と今朝早くには激しく降っていました。台風12号による豪雨で被害を受け、未だ危険な状態が続いている地域が心配されます。鞍馬も山の中なので、あまり激しい雨が長時間降ると心配です。

明るくなる頃には雨は上がりました。雨の後、外には様々な変化があります。谷川の水かさは増していますが、降り始めの時のように濁っているわけではありません。お寺の参道の坂は砂利道なので、水の流れた後が深くついています。一度にたくさんの雨が降って、勢いよく坂を流れ下りたのでしょう。

こんな雨の後は、木の枝が落ちてくることが多いので、頭上を気にしながら歩きます。雨が降っているときもそうなのですが、雨があがってからも、なぜか木の枝が落ちやすいのです。

地面にオレンジ色のじゅうたんを敷きつめたようになっているところがありました。少し前までとても良い香りを放っていたキンモクセイの花が一斉に散って地面を飾っています。

雨のしずくが、木々のはや実にぶらさがり、まだどんよりとした空からの弱い光を集めてキラッと光っています。

雨の後の自然は様々な変化があって楽しいですね。

雨の後には「雨がいっぱい降ったけど、みんなの周りでいつもと違うところはあった?」と子どもたちに尋ねることがよくあります。様々な変化に気持ちを向けてほしいと思うからです。当園は自然に囲まれた恵まれた環境にあります。もちろんそこにいるだけでも良いとは思いますが、子どもたちが自然に気持ちを向けたり、五感をフルに使って関わる環境や機会を用意すれば、より深く、より楽しく自然と関われるのです。

身の回りのいろいろな出来事が当たり前になってしまってただ漫然と過ごすのではなく、より積極的に関わり、異なる視点で見つめることで、新たな不思議や発見にであうことができます。子どもはもともとそういう能力を持っていますが、大人が環境を用意し、きっかけを作ることで、その能力がさらに発揮されるのだと思います。

あご

2011/10/14

どうも顎の関節が痛いなと思っていたら、だんだん痛みがひどくなってきて、口があけずらい、物が噛みにくいという症状になってきました。常に痛みはあるし、何よりもご飯が美味しく食べられないのが辛かったので、診てもらうことにしました。

原因を考えてみたのですが、最近の口の周りの変化といえば、前歯の治療くらいです。今まで前歯が悪い状態で長い間放っておいたのが、治療をして急に新しい歯が入ったので、噛み合わせが変わって顎がびっくりしているのだろう。と勝手に判断して、歯医者さんに相談して、診てもらいました。

先生は私が症状を説明する前に「仕事頑張りすぎなんちがう」と尋ねられました。何のことかわからず「そうでもないです」と答え、「前歯の噛み合わせが原因なんですか」と尋ねると「それはない」とあっさり。先生は、前歯の治療の時に最初から噛み合わせをきっちりと合わせると良くないので、発音に支障が無い程度にしておいて、落ち着いてから調整するつもりだった。だから前歯が原因ではないとおっしゃるのです。先生はちゃんと次の段階まで考えて、治療してくださっていたのです。それを知らずに素人考えは禁物ですね。勝手に前歯だと思い込んでいました。

最近顎の関節のトラブル(顎関節症)を訴える人が急増しているそうです。特に10代から30代の若い人が増えたように思うと先生はおっしゃっていました。顎関節症の原因は、歯を食いしばる、歯ぎしりをする。左右どちらかの歯だけで噛む、頬杖をつく、噛み合わせが悪い、不適切な牽引(背骨を伸ばすのに顎にベルトを掛けて引っ張る)などがあるそうです。「パソコンの使いすぎじゃないですか。」と先生。パソコンを使っているときは無意識に歯を食いしばっていることが多いのだそうです。たしかに最近よく使っているかもしれません。また、ストレスで寝ている間に歯ぎしりをしていたり、歯を食いしばっていることがあり、気付かないうちに顎関節に負担をかけているそうです。

ストレス・・・ たまっているのかな・・・?と考えてしまいました。どこか思うようにゆかなかなくて、考え込んでいる自分が時々いるかもしれません。ストレスマネジメントできている思っていたのですが、全然できていなかったのです。「こうしたい」という自分の欲に縛られ、振り回され、「そうならない」ことにストレスを感じていたのかもしれません。我欲がつくる罠に落ちてしまうと、どんどん深みにはまってゆきます。お釈迦様は「我欲が生み出す執着から自由になることが苦を取り除く」とおっしゃっています。顎の痛みが、苦しみの深みにはまってもがいている自分に気付かせてくれました。

治療としては、マウスピースを作って頂いて、普段はそれをつけることで顎への負担を減らすスプリント療法という方法をとっています。おかげで。痛みはほとんど無くなりました。あとは、自分の心を上手くコントロールしてストレスをためないことです。これは自分にしかできません。

1日保育者体験

2011/10/13

「我が子の保育園での様子を知りたい。」よく耳にする保護者のご希望です。

「保護者に、子どもたちの園での様子をご覧頂き、子どもたちのすばらしさを感じていただきたい。」私たち保育者が願っていることです。

それなら、保護者に来園して保育を経験していただけばよい。そう思って始めたのが1日保育者体験です。できるだけ気軽に参加して園をご覧頂きたいので、見学していただいても、何か企画して行っていただいても良く、無理なく保育を体験して頂けるようにしています。

私の思いとしては、もう少し発展させて、保護者のお仕事や得意技を活かして保育して頂ける機会が増えると良いと願っています。今までにも染色に詳しいお父さんに藍などを使った染め物を指導をして頂いたこともありますが、もっといろいろな方が園に来て頂けるといいなと思っています。保護者もそれぞれの分野においてプロフェッショナルですし、そのプロの技なり、知識なりを園児に見せて頂いたり、お話を聞かせて頂きたいなと思っています。今はまだまだですが、徐々に充実してゆきたいものです。

この業界ではときおり保護者教育などということばが使われることがありますが、私はこのことばが好きではありません。何か上から目線のような気がしていやなのです。保護者の皆さんとは、子育てのパートナーとして、価値観を共有し、子どもたちの幸せのために力を合わせたい。と思っているからです。子どもを中心に、関わりのある人全員が得意なところを活かして、みんなで楽しくなりたい。輝きたい。保育園はそうありたいと願っているからです。

    琵琶湖岸でお弁当

先日のおいもほりには、お父さんが1人参加してくださいました。バスの中では子どもたちの先頭を切って歌を歌ってくださったり、畑では子どもが掘りやすいように、あらかじめ少し掘っておくことを手伝って頂いたり、琵琶湖岸でお弁当を食べた後は、子どもたちと思いっきり遊んでもくださいました。最後にはみんなで、鬼にタッチされると仲間に助けられない限り動けなくなる「バナナこおりおに」という鬼ごっこをしました。男性保育2人とお父さんの3人が鬼になり、参加した子どもたち全員を捕まえたら終了というルールです。これはかなりきついので、大変だろうなと思って見ていたら、おとうさんの元気なこと。子どもになんか負けてはいません。思いっきり走っていらっしゃいました。

お父さんも子どもも保育士も、みんなの笑顔が輝いていました。みんなで楽しさを分かち合う経験。大切にしたいですね。

   うゎー!海だ! ???

   大きな木でブランコ

おいもほり

2011/10/12

年中児と年長児あわせて22人がおいも掘りに行ってきました。滋賀県守山市にお住まいのお寺のご信徒が畑を提供してくださり、毎年春にいもの苗を植えて、秋に収穫させていただいています。今年は、いものつるや葉が生長した姿を見ようと、夏にも一度水をやりに行きました。広い畑にたくさん植え、たくさん収穫する経験できるので、毎年お世話になっています。

朝から少し曇りがちの天気となり、絶好の野良仕事日和です。みんなでバスに乗って出かけました。バスの中では保育士のギターに合わせて歌ったり、おしゃべりをしたり楽しく過ごしたので、畑までの45分はあっという間です。

畑に着くと、さっそく掘ります。畑の持ち主さんやお寺の方々が、よく茂ったつるや葉を前日に刈っておいてくださったので、すぐに掘ることができます。それでも、自分たちが植えた葉がどうなっているのかがわかるように一畝分だけはつるや葉を残してもらっていました。
大人の助けを借りずに自分の力で一株分を掘り出すことにみんなで挑戦しました。子どもたちはスコップをもっていないので、手で掘り出すしかありません。やってみるとわかるのですが、これが結構大変です。いもが見えたからといってあわてて引き抜こうとすると、ポキッと折れてしまいまうので、根気よくいもが全部見えるまでまわりの土を掘らなくてはなりません。やりはじめると子どもによって取り組む姿勢がいろいろです。黙々と土を掘り続ける子、「できない!できない!」と賑やかな子、少しやってみて手強いとわかると、あきらめて大人がスコップで掘ったところから次々といもだけ取り出す要領の良い子、隣の友達とのおしゃべりに夢中な子・・・ ほんとに、いろいろな姿があります。

子どもたちには、どうしてもできなくて、手伝ってほしかったら、「手伝って」と言ってね。と伝えてあります。しかし大人は「手伝って」といわれても必ずしもすぐに一緒に土を掘るわけではありません。「ずいぶん掘れたね」「おいもが見えてきたよ」「もう少しだね」とその子の努力を認めて励ます。「反対側の土もどけてみれば」とアドバイスをする。「おいもの先の方はどこまで続いてるのかな」と更に興味がもてるようにする。などすると、あきらめかけていた子どもたちは気を取り直してまた掘り始めます。何度かそれを繰り返すうちに、ほとんどの子は自力でいもを掘り出していました。もちろん、必要だと判断すれば一緒に掘ることもあります。どこでどんなふうに対応するかは、そのときそのときで違うので、状況を見極めて適切に判断する必要があります。

多くの子が、自分でいもを掘り出すまで取り組んでいました。中には大人に全く助けを求めず、40分以上も掘り続けていもを取り出していた子も何人かいて、その根気と集中力には驚きました。「すぐに結果を求めず、こつこつ努力をしなさい」と子どもが態度を以て諭してくれているように思え、自分を省みると同時に、ありがたくうれしい気持ちになりました。子どもっていろいろなことを教えてくれます。

スクロール