2011年 9月

ケヤキ

2011/09/20

暑さ寒さも彼岸までと言いますが、今年は9月に入ってもとても蒸し暑い日が続いています。台風15号が通り過ぎると一気に季節が進んで、秋の空気に覆われてくるのかもしれません。しかし、台風12号で大きな被害のあった地域のことが心配です。これ以上被害が出ないことを祈るばかりです。

温暖化の影響なのか、気候が以前とは変わってきたように思います。気象庁によると、2010年の日本の年平均気温の1981~2010年平均基準における偏差は+0.63℃(20世紀平均基準における偏差は+1.23℃)で、1898年の統計開始以降、4番目に高い値となり、1990年代以降、高温となる年が頻出しているそうです。また、降水量も年ごとの変動が大きくなってきているそうです。

気候の変化との関連性は定かではありませんが、身の回りの自然にもいろいろな変化があります。最近気になっているのはケヤキの葉が急に茶褐色に枯れだしたのです。例年ですと10月下旬から11月頃に赤や黄色に色づいて美しいのですが、今年は突然、枝の元の方から茶色くなり出したのです。詳しく調べたわけではありませんが、程度の差こそあれ、鞍馬で目にするケヤキのほとんどがそうなっています。

緑の木々の中で目を引くケヤキの木

原因はよくわかりません。一時的に渇水状態になっているという説や急に気温が低くなった日があったからという説があります。確かに運動会前の9月7日8日ごろに、急に気温が低くなった日があり鞍馬では最低気温は15度以下になっていました。ヤノナミガタチビタマムシという虫による被害もあるそうですが、少しちがうようにも思います。

種々の条件が様々に関係し合って、一つの現象が起きているのだと思いますが、何がどうなっているのでしょうね。

 

茶色く枯れています

枯れて落ちたケヤキの葉

鞍馬小学校運動会

2011/09/19

鞍馬小学校で運動会が行われました。前日の夕方にひどい雨が降ったので、延期かと思っていたのですが、当日は朝から晴れ間ものぞくまずまずの天気でした。

会場で体育振興会の会長様にお目に掛かったので、当園の運動会を観覧いただいたことのお礼を申し上げると、「保育園の目指していらっしゃることがよくわかる、すばらしい運動会でした。」とのお言葉を頂き、感激しました。私たちにとってはとてもうれしいことばです。

子どももおとなも、みんなで準備体操

鞍馬では昔から小学校の運動会の日に合わせて、体育振興会主催の地域住民のための区民運動会が行われています。以前は午前中に小学校の運動会、午後から区民運動会という形で開催されていました。私が小学生の頃は学区内がいくつかの地区に分かれて地区別対抗でいろいろな競技が盛大に行われていました。最近は各種団体ごとにチームを作って皆さん楽しんでいらっしゃいます。

     全力で走ります

ところが、近年、小学校の児童数が激減したこともあって、3年ほど前から、小学校と区民運動会が朝から合同で競技を行う形になりました。ですから、プログラムには小学生の徒競走はもちろん、小学生が保護者と一緒に玉入れや綱引きをしたり、小学生対来賓の綱引きがあったり、各種団体対抗の大玉転がしがあったりと、とても多彩かつユニークな形で競技が行われます。小学生と保護者、小学校の先生方そして地域住民がみんなで同じ時間を過ごし、同じことで楽しむことができる一体感のある運動会だと思います。小学校の先生方も、楽しみながら参加されている様子です。特に今年は、とてもふんわりと温かな雰囲気のある運動会だと感じました。

      親子で綱引き

これも、多くの皆さんの熱い気持ちや懸命な努力に支えられているからこそだと思います。特にPTAの保護者の皆さんがとても積極的で、いろいろな行事に楽しんで取り組んでいらっしゃることが大きいのかもしれません。京都市小学校PTA連絡協議会左京区北部支部の行事のなかに、各校PTAのコーラス発表会が毎年あります。先日その練習があったそうですが、とてもたくさんの保護者が積極的に参加され、活動を楽しんでいらっしゃると聞き、すばらしいことだと思いました。ともすれば敬遠されがちなPTA活動ですが、保護者が積極的に一体となって活動を楽しむ姿勢が、学校のやわらかく温かな雰囲気の源になっているのではないかと思います。

地域のみんなが一体となって、子どもたちを見守っている。そんなまなざしを感じながら子どもたちはすくすくと成長しています。惜しいことはただ一つ、このすばらしい環境を享受できる子どもの数が少ないということです。

一時保育

2011/09/18

当園では現在一時保育を行っていません。在籍する園児の数が増えて、一時保育のお子さんを受け入れる余裕がないのです。しかし、この夏特別な事情でひとりのお子さんを1ヶ月だけお預かりしました。

5歳の女の子Aちゃん、最初は慣れてくれるかと少し心配しました。初日はもちろん緊張していたとは思いますが、みんなの前で紹介すると、はっきりと自分の名前を言い、2〜3日もすると表情も柔らかく笑顔も見えるようになってきて、友達と笑い会う姿も見られたので、安心しました。

子どもの力はすごいものです。すぐに仲良くなれるんです。この力って本当にすばらしいと思います。どうして大人はこの能力が低くなってしまうのでしょう。きっと人間には社会を築くために誰かと仲良くなる力、人と関わる力がもともと備わっていて、子どもはそれをフルに発揮してすぐに仲良くなれるのでしょう。大人は様々な刷り込みや我欲が増えてゆき、もともと持っていた誰とでも仲良くなる能力が輝きを失ってしまうのかもしれません。

ちょうどAちゃんがいた頃に子どもたちの間で鉄棒、特に逆上がりが流行っていたので、Aちゃんもやってみようと思ったのでしょう。よく挑戦していました。すると時々逆上がりの得意な子が側に来て、一緒に逆上がりしながら教えていました。少し教えたかと思うとその子はスッとどこかへ行ってしまい、またしばらくすると戻ってきてアドバイスをしていました。ずっと付きっきりではなく、必要なポイントだけ伝え、後は本人に任せていたのでしょう。きっとそれは意識してそうしていたのではなく、自然にそれができてしまうのだと思います。

一時保育の期間も残り少なくなってきたころ、運動会も近づいてきました。前にも書いたように、年長児は自分の目標に向かって、鉄棒、跳び箱、登り棒に挑戦していました。そうやってみんなで一緒に励まし合いながら取り組んできたこともあったのでしょう。Aちゃんは一時保育の期間が終わっていたにもかかわらず、友達が運動会で頑張るのを応援したいと運動会に来てくれました。友達のがんばりを応援したいという気持ちを持ってくれたことがとてもうれしく思えました。

先日、ご両親が来園されお話を伺っていたら、登り棒に挑戦していた子が運動会当日に頑張ってやり遂げたのを見て、Aちゃんは自分のことのように喜んでくれていたそうです。どうりで「ゆりぐみさんかっこよかったよ」というメッセージの入ったステキな手紙をくれたはずです。

たった1ヶ月のあいだ一緒に過ごしただけなのに、ここまで気持ちを通い合わせることができる。子どもってとてもステキですね。

2011/09/17

歯の治療というと、痛い、歯を削る音が嫌い、怖いなどといったマイナスイメージを持つ人が多いと思いますが、私はいつも診てもらっている歯医者さんに行くのが結構好きです。診療イスに座るとなぜか落ち着くのです。でも、なかなか時間がとれなくて長いあいだ行っていませんでした。

先日、久しぶりに、本当に久しぶりに歯医者さんに行ってきました。何年も前に治療した上の前歯に被せてあったものが外れたまま2年ほど放置していて、それがどうも調子が悪いので診てもらうことにしたのです。

診療イスに座ると、先生が、「ん?」と言う感じだったので、あまり長いこと放っておいたので歯が変になったのかな、と少し不安になりながら診てもらうと、前歯が随分前に出てきているとのこと。つまり、上の前歯が少しずつ左右に広がりながら前に出てきて出っ歯になってきていたのです。このまま放っておくと噛み合わせが悪くなるということで、早速前歯4本が小さく削られました。この小さくなった歯に人工的に作った歯を被せるという治療方法をとることになりました。

肩こりや腰痛がひどいという悩みをお持ちの方もあると思いますが、これらの原因として歯の噛み合わせが悪いことがあるそうです。噛み合わせが悪いと顔の形が変わってくるだけでなく、身体全体のゆがみに繋がっていろいろな症状を起こすことがあると聞きました。噛み合わせの狂いは様々な原因で起こります。例えば、食べるときに左右どちらかの歯ばかりで噛んでいる。あごの骨のバランスが狂ってしまった。私のように歯が抜けたのに放置しておいた。不適切な治療。その他にもいろいろあります。

歯が抜けたのを放置しておくと、その両隣の歯が抜けた歯の方へ傾いてくる、抜けた歯とかみ合っていた上または下の歯が伸びてくるのだそうです。歯がそんなに動くものとは思っていなかったので、ちょっと驚きました。

どのくらいの精度で噛み合わせを調整するのか興味があったので、「ミリ単位で調整するのですか。」と先生に尋ねたら、「噛み合わせが1ミリも狂ったら大変なことです。ミクロン単位で調整しないと!」と先生はおっしゃっていていました。本当に微妙なものなのですし、人の口の中でミクロン単位の調整ができるというのもすごいことです。

よく考えてみると当然のことですが、人間の身体は全体のバランスがとれているからこそ働いているのですね。脳や内臓は本当に微妙なバランスを保つことで機能していると聞いたことがありますが、身体全体がそうなのです。まるで宇宙です。そう思うと私たちがこうして生きているのが当たり前のように思いがちですが、絶妙のバランスの上に健康を保っている、逆に少しでもバランスが崩れると病気になるのです。健康でいられるのは当たり前ではなく、有ることが難い、ありがたいことなのだと改めて思いました。

義経祭

2011/09/16

源義経、幼名牛若丸は、6歳の時に鞍馬山の東光坊阿闍梨に預けられ、16歳で奥州に向かうまでの10年間を鞍馬山で過ごし、学問や剣術修行に励んだと言われています。鞍馬山を後にした牛若丸は自らの手で元服を行い、九郎義経と名乗りました。後の一ノ谷・八島・壇ノ浦の武勇は有名です。しかし、兄頼朝に疎まれ、衣川で最後を遂げます。悲劇のヒーローとして人々の同情をよんで、判官贔屓と言うことばも生まれました。

鞍馬では、義経公の御魂が幼少期を過ごした懐かしい鞍馬山にお帰りになっているとといわれており、破邪顕正を司る護法魔王尊の脇侍、遮那王尊として祀られています。

義経公の御魂をお慰めすること、破邪顕正のお力を表していただくことを願って、鞍馬寺では毎年、9月15日に義経祭が行われています。祭儀自体は昭和になってから始まったものですが、そのころは、自ら元服するしかなかった義経のために元服式を再現して行っていたようです。現在は元服式は行っていませんが、様々な奉納があります。今年も、法要の間に行われた舞の奉納、法要後に本殿前で行われた合気道の奉納や一絃琴の奉納演奏、天狗舞鼓という芸能奉納などが行われていました。

皆、それぞれにすばらしいのですが、なかでも一絃琴の音色には心を打たれるものがありました。その名の通り1本の絃を弾くことで音を出すのですが、その音の厚みというか深さは1本の絃の音とは思えないほどです。

この義経祭に保育園から年長児12名が参加しました。装束を着けて行列に加わり、お供え物を献じるという役です。子どもたちは慣れているのか緊張しすぎることもなく、凛々しくお供えをし、法要とそれに続く奉納の舞、約1時間のあいだ、一緒にお参りしてくれました。奉納の舞「賤の苧環」を興味深げに、ときおり所作を小さく真似ながら楽しんでみている子もいましたが、暑いなか、慣れない着物を着ての一時間は少し辛かった子もいたかもしれません。お寺の法要に参加することは、良い経験になるとは思いますが、どんな形で参加すると子どもが輝けるのか、少し考える必要があるかもしれないと思いました。

自分で考え自分でやってみる

2011/09/15

当園は鞍馬小学校の学区内にあります。前にも書いたように鞍馬小学校は少子化の危機に直面しています。子どもたち一人ひとりを大切にする個に応じた教育を実践されているのに、その教育を受ける子どもが少ないのが残念です。

鞍馬小学校にも部活動がいくつかあり、その一つに柔道部があります。近隣の小学校から練習に来ている子も何人かいるのですが、それでも人数が少ないので、練習には工夫が必要です。同じくらいの体格や力量の相手がいないので、実践的な練習をするのが難しいのです。

その柔道部を友人が指導をしていることもあって、私もたまに畳の上げ下ろしを手伝いに行くことがあります。昨日、久しぶりに練習を見に行ったら、子どもたちがとても上達していたのです。特に高学年の子が、さまになっているというのか、フォームが良いというのか、前と比べるとずっと柔道らしく、かっこよくなっています。

練習が終わって、指導をしている知人に「みんな上手くなったね」というと、最近練習方法を少し変えたというのです。詳しく聞いてみると、以前は指導者が一方的に教えるだけだったのが、どうすれば技がよくかかるか、子どもが自分で考えるようにしたそうです。子どもと指導者が実際に組んで、動きながら「この体制ならどの技がいいかな?」「こうなったときにはどう体をさばくといいかな?」「それがいいね。」「もう少し手を上げた方が良いかも。」と考えるのだそうです。

普通なら、指導者がこの技はこんな時にこうかけてと教え、子どもが何度も打込みや乱取りをして身につけてゆくのでしょうが、乱取りや打込みをする相手がいないのですからそれもかないません。そこで、無いものねだりをしてもしょうがないので、今の状況で何ができるかを考えた結果、子どもと指導者が一緒に技について相談しながら練習する方法を選んだようです。

そうすると、その子はどうすれば技がかかりやすいか、相手がどんな体制の時にどのタイミングで技をかけると有効なのかを随分考えたそうです。その考えたことを、指導者相手に試してみると、思った以上にその技が有効だったり、それほどでもなかったりというのを経験し、それを繰り返す中で技を自分のものにしていったそうです。

「一緒に乱取りをしているとき、少し気を抜いた瞬間にその子に本気で投げられた。投げられてやったのではなく、投げられた。何年も教えているけどこんなことははじめてだ。」とその指導者は言っていました。

なるほどと思いました。子どもが自ら考え試してみる。それがうまくいくとおもしろい。そうすると、今度はこれをやってみよう、次にあれはどうだろうと、いろいろ試す。そのうちに技に対する理解も進み、自分の身体も動くようになるのです。

一方的に教えられ、やらされているだけでは、この子どもの主体性は発揮しにくいと思います。

子どもが自ら考え、相談し試すことができる環境を整えることによって、その子が自ら伸びる力を発揮していったのだと思います。

組み体操

2011/09/14

当園では毎年の運動会に組み体操をしています。組み体操というと、一糸乱れぬ動きで、様々な形を作ってゆくことが美しく、価値とされていることも多いと思います。でも、当園の組み体操はそういったところにあまり価値をおいていません。大切にしたいのは、完成するまでに子どもたちが話し合って自分たちで作り上げるということです。

先生に言われて行ういわゆる集団行動の訓練をするのではなく、一人ひとりが活かされる集団でありたいと思うのです。

今年の組み体操をどんなふうにするのかは、ほとんど子どもたちが決定したようです。もちろん保育士も大まかなテーマを提示したり、少しアドバイスはしましたが、基本的には子どもたちが、ああでもない、こうでもないと言いながら相談し合って決めました。とてつもなく時間がかかりなかなか形にならなかったそうですが、保育士は「きっとステキにできる!」と子どもたちを信じて、じっと待ったそうです。

2人組の表現では一人が地面に手をつき、もう一人がその子の足を持ち上げる「手押し車」をしていた子もいましたし、かたぐるまをしていた子もいました。最後には7人〜8人のグループで、自分たちの干支である酉(鳥)戌(犬)亥(猪)を、表現しました。それぞれの動物の特徴をどうやって表すかずいぶん工夫したようです。鳥は、くちばしや羽を、犬はピンと立った耳やしっぽを、猪は牙やしっぽ、なんとお腹のしたには内蔵もあるのです。近所の猟師さんが猪を解体しているところを見ていた子がいて、そういう意見を出したのかもしれませんね。

みんなで話し合い、意見を出し合い、納得し、合意して一つのことを行う。そうして成し遂げることがうれしい。子どもたちには、そんな経験をたくさんしてほしいと思います。時には主張がぶつかることもあるでしょう、そのなかでお互いに譲り合ったり、矛の個が出した別の観点からの意見でまとまったりすることを経験してほしいと思います。

  1. 自分の思いを伝えること。
  2. 相手の思いを受け止めること。
  3. お互いに認め合い、みんなで一緒に力を合わせること。
  4. 決して暴力で解決しようとしないこと。

これをたくさん経験し、みんなが心と力を合わせて何かを成し遂げることのうれしさ、楽しさを感じてほしいと思っています。

この子たちが大人になったときに、そうなってほしい。そういう社会を築いてほしいと願うからです。

信じる

2011/09/13

最初から上手にできたり、練習してできるようになった子がスランプに陥ることがよくあります。今年もそんなことがありました。

運動会で跳び箱に挑戦したい人を募った中に運動が得意な子がいて、その子は少し練習しただけですぐに跳び越せるようになりました。しかし、軽いけがをしてしまいしばらく練習していなかったのです。けがもほぼ治りいざやってみると、前はあれほど簡単に跳べていた跳び箱が全く跳び越せなくなっているのです。勢いもあるしフォームもきれいなのですが、最後に手に重心をおいて体重移動するところができなくて、跳び越せないのです。

保育士は、離れたところから子どもたちを見ています。その子が跳び越せなくて、ちょこんと跳び箱の上に座ってしまうたびに、私は「こうした方がいいよ」と出そうになることばをぐっと飲み込みます。ちゃんとできているのに、最後のところでブレーキをかけてしまっているのがありありとわかるのです。それを見ているうちに、焦りが出てしまったのが私の間違いでした。よせば良いのに、その子に「この方が良いんじゃない?」と言ってしまったのです。

「このあいだまでできていたのにできなくなってる。なんで???どうしよう!?」と一番不安になっていたのはその子のはずなのに、それに追い打ちをかけるようなことをしてしまったので、その不安が堰を切って涙となってあふれ、それ以上できなくなってしまいました。

「見守ることが大切!」とあれほど言っているにもかかわらず自分自身それができていなかったことに気がつき、すぐにその子に謝りましたが、もう手遅れです。

あとは、その子が立ち直るのを信じて待つしかありません。

教えることより、その子の気持ちに寄り添い共感することが必要だったのに、「ああだよ」「こうだよ」「この方が良いんじゃない」と教えたくなってしまったのです。ことばにした方が良いのか、黙って見ている方が良いのかをよく考え、そのときその子に一番適当な方法を選ぶ必要があるのです。その前提は、子どもが自ら育つことを信じ、子ども主体で考えて、必要最小限のお手伝いをさせていただくというスタンスなのです。そんなことはわかっているはずなのに、できていなかったのです。頭でわかっているだけではなく、それを実践してゆくためには、焦りや、我欲に引きずられないよう、自分の心を律することが必要だということを改めて気付かされました。

翌日、その子は見事に立ち直り、運動会当日も軽々と跳び箱を跳び越していました。

運動会 2

2011/09/12

自分の目標に向かって進む。そんな子どもたちの姿はとてもステキです。

当園の園庭には鉄棒、登り棒、滑り台があります。普段から登り棒や鉄棒を使っていろいろな遊びを展開していますが、ある時期ひとつの遊びが流行ることがあります。誰かが逆上がりに挑戦してできるようになったりすると、他の子もやってみたくなって、何人かが逆上がりをし始めたりします。そうしているうちに子どもどうしで教え合ったりしてできるようになる子がいます。

運動会で、逆上がりをする。という目標を立てたけれど、なかなかできない。友達はどんどんできるようになっていくなか、できない自分を見られるのは恥ずかしいし、どうしよう。それなら友達が帰った後に練習しよう。そう決めて頑張っていた子がいました。来る日も来る日も練習していたある日、わたしのところに「逆上がりできるようになったよ。」と教えに来て、やってみせてくれました。まだ少し危なげでしたが、回り終わって鉄棒の上からこちらを見るその子の満足げな顔は、なんともいえないステキな笑顔でした。一度できてからも、その子は自分の身体に覚え込ませるかのように何度も繰り返していました。友達にも「できるようになった」といってやってみせていましたし、他の子もまるで自分のことのように喜んでいました。

登り棒や鉄棒は園庭でいつも練習ができるのですが、跳び箱は用意したときにしかできないので、練習の機会が限られてしまします。そこを保育士が配慮して、子どもたちが自分の好きなものに自由に取り組めるよう、跳び箱も自由に練習できる時間をとっていたようです。跳び箱に挑戦している子もいれば、鉄棒に取り組んでいる子もいる。リレーのときにどうすれば早くバトンが渡せるか相談していたり、リレーごっこを楽しんでいる子もいる。そうかと思えば、ありの巣を見つけて中がどうなっているのかと調べている子がいるし、大きな石を並べて遊んでいる子もいる。そんな子どもが自ら選んで取り組める環境を設定していたのです。

その中でずっと跳び箱を跳んでいる子がいました。その子は「跳び箱5段跳べるようになる。」と決めて練習をしていたのです。何度も何度も挑戦をするのですが、最後のところが超えられません。でも、あきらめることなく何十回も挑戦し、ようやく少しおしりが引っかかりながらも跳び越すことができるようになり、その後3回くらいできれいに跳び越せるようになりました。その瞬間を見ていた何人かの子どもが「やったー!」と大喜び、その場にいた大人も全員同時に喜びの声を上げていました。本人の努力に任せようと、教えることはできるだけ控えていましたが、片時も目を離せなかったのです。跳び箱越しに振り向いた本人の笑顔も最高に輝いていました。

その子は、よほどうれしかったのでしょう。「忘れないようにもう少しやっとく?」との保育士の声がけに、そのあとも何十回、いや百回くらい跳び越していました。私は「少し休憩すれば」と言ったほどです。

それにしても、子どもの力はすごいものです。この姿からたくさんの勇気と元気をもらいました。この子どもの力を信じて見守ってゆきたいものです。

運動会 1

2011/09/11

9月10日土曜日、運動会を行いました。週間天気予報に雲と傘のマークが出ていたので心配しましたが、晴れたり曇ったりのまずまずのお天気でした。ただ、週の前半とはちちがって、とても蒸し暑くなりました。それでも、たくさんの保護者や来賓を迎え、卒園生なども来てくれて、手狭な運動場がさらに狭くなるくらいの盛況でした。暑い中ありがとうございました。

最近はいろいろなことを「これって何のためにやるのだろう?」と考えることがよくあります。そのことで、誰かのいのちが、何かのいのちが輝くかな?と振り返りたいと思っているからです。ところで、運動会って何のためにやるのでしょう?

  • 子どもたちの運動面を中心とした成長を保護者に見ていただくため。
  • 子どもたちの生活の節目とするため。

いろいろな目的があるでしょう。でも子どもから考えたときには、やはり生活の節目ということが大きいかもしれません。子どもたちは運動会が大好きで、心待ちにしています。非日常を味わうお祭りみたいな感じなのかもしれません。みんなで何かをするのが楽しくてしょうがなかったり「運動会までには鉄棒で逆上がりができるようになるんだ」と目標を持って取り組む。そんなきっかけになっていると思います。

毎年運動会では年長児が跳び箱、鉄棒、登り棒を使って自分ができること、やりたいことを発表する機会を設けています。何をするかは子どもたちが自分で選んで取り組んでいますが、今年は子どもたちが自分で目標を設定し、自ら取り組めるようにと考えたとのことでした。どんなふうにしてに取り組んでいるのか保育士に聞いていたときに、こんなことを言っていました。

自分が子どもの時には運動が苦手だったにもかかわらず、みんなと同じように同じことをしなくてはならなかった。そのことが、あまり良い思い出として残っていない。だから、子どもたちが何を使って何をするかを自分で決めて、それに向かって自分から取り組んでほしいと思っている。

「逆上がりができるようになりたい」と目標を立てた子、「跳び箱を跳べるようになりたい」と決めた子、様々でした。運動会という機会があって、そこに向けて自ら立てた目標を達成できるよう自ら取り組む。そこには一人ひとりのドラマがありました。少しずつ紹介できればと思います。

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