自然 アーカイブ - 鞍馬山保育園

自然との関わり

2012/01/26

今朝はとても冷え込み、氷点下5度近くまで気温が下がりました。天気予報は、しきりに大雪の予報を繰り返していますが、鞍馬ではほとんど積雪はありません。そのかわり、とても寒くなっています。感覚的なものかもしれませんが、雪が降ってしまった方が寒くないと思います。大雪で大変な地方もあるでしょう。被害が出ないことを祈ります。

寒さが厳しくなると、自然の中にはいろいろな変化が見られます。
毎朝、園児たちと一緒にお参りをしているのですが、お参りが終わった後で子どもたちに「保育園に来るときに何かみつけた?」と聞くようにしています。できるだけ自然の事象に目を向けて欲しいと願うからです。

当園はとても豊かな自然環境に囲まれており、この豊かな自然環境が、言ってみれば日常です。それは、いつでも豊かな自然に触れることができるというメリットがある反面、豊かな自然環境があたりまえになり、それに慣れてしまってあまり注意を払わなくなってしまうというデメリットもあります。

いくら、豊かな自然に囲まれていても、子どもがそれを意識したり触れたりする機会が少なければ、せっかくの環境も有効に保育に活かすことはできません。逆に都会にいても、自然に意識を向けている人は、都会の自然からでもたくさんのことを学ぶことができます。子どもが環境からおもしろいと感じるきっかけを作ったり、ヒントを示したり、子どもと環境を繋ぐのも保育者の仕事なのだと思います。
子どもは何も言わなくても興味のある物や事を、自然の中から見つけ出して遊ぶので、私が質問をするのは少しお節介なのかもしれませんが、子どもの意識が少しでも自然に向けばとの思いから、子どもに質問するようにしています。

昨日も今日もとても寒かったので、氷を見つけたかどうか聞いてみると、ほとんどの子がどこかで見つけているようです。つららができていたとか、水たまりに氷が張っていて踏んだら割れた。などといっていました。
お参りの後はみんな散歩に行っていったようで、昨日の散歩から帰ってきた3歳児は、帰ってきて一番に氷を見つけて遊んだことを報告してくれていました。今日、散歩に出かけた4・5歳児は、どこで見つけたのか大きな氷を持って帰ってきていました。私は出かけなくてはならず、4・5歳児の話しをゆっくり聞くことができなかったのが、残念です。
自然に心を向け、五感で触れて、たくさんのことを感じながら、育って欲しいと願います。

17年

2012/01/18

1月17日阪神淡路大震災から17年が過ぎ、神戸では地震が起こった5時46分に黙祷が捧げられ追悼行事が行われたという記事や、東日本大震災の被災者も招待し2つの震災の犠牲者を追悼したという報道がありました。あれから17年も経ってしまったという思いと、17年しか経ずに東日本大震災という大きな地震が起こってしまったのだという思いが交錯します。

突然襲ってくる災害で大切な家族を失った方にとっては、17年という歳月もその悲しみをいやしてくれるには十分ではないようです。阪神淡路大震災で夫と小学生の娘2人を亡くし、1人になってしまわれた女性が取材を受けていらっしゃいましたが、話を聞くだけで涙が出てきます。第三者でもそうなのですから、ご本人のつらさは、想像もできません。他にもそんな方が大勢いらっしゃるのです。阪神淡路大震災で辛い思いを抱えることになった方々が今でもたくさんいて、昨年の東日本大震災でさらに多くの人が悲しさや辛さに苦しんでいらっしゃるのです。突然、悲しみのどん底に突き落とされるのですから、なんと理不尽なことでしょう。しかし自然は突然それをもたらします。

地震が起これば、私たちの足下を支えてくれる地面は暴れ、建物は倒壊する。普段は穏やかで、多くの恵みをもたらしてくれる海が、津波となって襲ってくる。台風などによる大雨が河川の氾濫や土砂崩れをもたらす。

普段は美しく穏やかで人間に恵みをもたらしてくれる自然が突如として牙をむいて襲いかかってくる。そんな自然の驚異と理不尽さを日本人は長い歴史の中で経験してきました。昔から地震が多発し、雨が多い風土に暮らしてきたのです。

そのことが日本人の我慢強い国民性を培ってきたといわれています。それとともに、人間の力ではどうにもならない自然に畏敬の念を抱き、そこに八百万の神々を見てきたのです。そして自然に対して奢ることのなく謙虚な態度で接してきたのです。

そこからは、自然と人間が相対するのではなく、言い換えれば人間が一番偉いのではなく、人間も自然の一部、様々ないのちがそれぞれに役割を持っているのだという感覚が生まれたのではないでしょうか。

16年のうちに大きな震災を2度も経験した私たちは、自然をはじめ様々なものごとに対する畏敬の念や謙虚さ、包み込まれている感覚を思い出し、そこを出発点として考えることを始める必要があると思います。みんながそれぞれの役割をもって対等に繋がっているという世界観でとらえ直すこと、そこからみんなが幸せになれることを考えることが、震災の犠牲になった方々に報いることではないか。そんなことを思いました。

チャレンジ体験 4

2012/01/14

      中学生の写経

お寺に職場体験に来ている中学生の活動についてお伝えしています。前回は、午前中に行っている写経などの様子を書きましたが、午後は日によって内容が異なります。掃除だったり、山内の巡拝だったりするのですが、鞍馬の動植物についての調査研究を担当していらっしゃる方々から自然の話を聞く機会もあります。今回は話しだけではなく、実際に体験もしました。そのひとつは越冬するコウモリ探しです。お寺の建物のひとつにヒナコウモリというコウモリが毎年越冬する場所があります。(ヒナコウモリが一定の場所で越冬するのがわかっているのは、かなり珍しいようです)そこで、どこにコウモリがいるかを調査して記録をつけるという体験です。

壁とガラスの3センチくらいの隙間で頭を下にして越冬するヒナコウモリ

建物の建具の隙間に入って越冬しているヒナコウモリを3頭見つけていました。ひとつの部屋は直前まで作業が行われていて暖かかったので、しばらく見ていると少し動いたり、チッチッチと鳴いたりしていました。

私自身そこでコウモリが越冬をしていることは知っていましたが、あまりじっくりと見たのはなかったので、とても興味深く見ることができました。

もうひとつは、お寺の中にある博物館に行って自然科学系の展示を見ながら説明を聞きました。

標本の姿を美しく整えます。根気のいる作業です。

中学生の中には虫が好きではないという子がいて、気持ち悪いなどと言っていましたが、指導いただいている方から、どんな生き物もみんな何らかの形で関係しているので、極端なことをいえば、今気持ち悪がっている蛾が絶滅すると人間も生きてゆけないかもしれない。という説明を聞いて中学生は少し驚いていました。

虫が嫌いというのは幼い頃の環境によるところが多いと思います。まわりの人が気持ち悪いとか怖いといっているのを聞きながら育つと、嫌いになるのだと思います。みんなが虫を好きになる必要はないとは思いますが、幼少期の環境や体験が影響するのだと思います。

説明を聞いてから、昆虫標本のつくりかたを教えていただきましたが、標本にしているのは、主に窓辺で死んでいたりする虫を使うようにしているという話を聞き、死んでしまった虫も標本という姿になって、次のいのちを生きている(役割を果たしている)のだなと思いました。

中学生が、「こんな考え方もあるんだな」と感じてくれるといいなと思います。

野生動物 3

2012/01/09

鹿、猿と野生動物の話題が続いたので、その他の動物についても書いてみようと思います。鹿、猿以外の大型動物では猪に出会うことがあります。猪はもっぱら夜にしか見かけません。普通に歩いているときに出くわすと危険だと思いますが、幸い今まで猪を見かけたのは、車に乗っているときばかりでした。数年前、保育園前の参道で猪を見かけました。何かが道路を横切るのがヘッドライトに浮かび上がったので、よく見てみると体長1メートルくらいの大きな猪が1頭歩いています。車を止めてしばらく見ているともう1頭後から来ました。その後ろには小さなうりぼうが5〜6頭、きれいに1列に並んで歩いています。猪の家族だったのでしょうか。猪の子どもは生まれてから4ヶ月くらいは、からだに縞模様があってシマウリに似ているのでうりぼうと呼ばれるのですが、本当に瓜が並んで歩いているかのようで、とてもかわいらしかったのを覚えています。

別の日には、大きな猪がものすごい勢いで私の乗っている車に向かって突進してきたので、これはぶつかると思ったのですが、直前で猪が方向を変えてくれたのでぶつからずに済みました。まさに猪突猛進ということばが納得できる走り方でした。よく猪はまっすぐに走るといいますが、障害物はちゃんとよけます。

猪は土の中にいるみみずや昆虫、植物の根などを食べるために土を掘ります。落ち葉を集めておいて堆肥にしている場所にはミミズやカブトムシなどの幼虫がたくさんいるので、よく掘り返されます。以前に比べてカブトムシやクワガタムシを見かけることが少なくなったように思うのですが、猪が幼虫を食べてしまうからかもしれないと勝手に考えています。春になると竹やぶに少しだけ竹の子ができるのですが、最近はほとんど猪に食べられてしまって、採れなくなってしまいました。猪はいろいろなところを掘ります。結構固い地面でも鼻と牙を使って掘り起こしますし、かなり大きな石を動かすこともあります。

猪の肉は滋養強壮の効果があるといわれ、食用にされます。食べ方として最もポピュラーなのがぼたん鍋でしょう。鞍馬や貴船でもぼたん鍋を出しているお店があります。薄く切った猪の肉を皿に牡丹の花のように並べるので、ぼたん鍋と呼ばれるのです。冬にぼたん鍋をいただくと身体が温まるといわれています。このあたりは禁猟区なので、このあいだ見かけた猪が、お皿にのっているということはありません。ご心配なく。

山にはいろいろな動物がいます。

野生動物 2

2012/01/08

前回は鹿について書きましたので、今回は猿にします。猿は一昨年あたりから見かけることが少なくなりました。もう少し前には、ときどき群れでやってきて木の実を食べたり畑の作物を食べたりしていました。初めの頃はその程度で済んでいたのですが、だんだん人間に慣れてきて、誰かがお仏壇をお参りしていると思ったら猿が勝手に家の中に上がり込んで仏壇のお供え物を食べていたとか、店先に並んだ商品を失敬していったという話しも聞きました。

猿とのつきあい方もよく考えないとなりません。観光で来られた方が、興味半分でレジ袋からお菓子を出して猿に与えると、レジ袋やバッグなど人間の持っているものには食べ物が入っていると猿は思うのでしょう。それを奪いに来るようになります。ずいぶん前になりますが、園児が降園時に手に持っていたレジ袋を猿に取られるということがありました。幸いけがはなかったのですが、ヒヤッとさせられます。猿は爪や歯が鋭く、引っかかれたり噛まれたりすると大けがをすることがあります。野生動物に軽い気持ちで接するべきではないのです。

畑に網を掛けていなかった頃、作物が実って明日収穫しようと思っていると、収穫する直前に猿がやってきて食べてしまったり、園庭近くの栗の木に実がなって、取ろうと思っていると先に猿に取られたりということがよく起こっていました。なぜか猿はちょうど良いタイミングでやってくるのです。野生の勘でわかるのでしょうか…

地域でも畑を作っていらっしゃる方はたくさんいらっしゃったのですが、野生動物に食べられてしまうので近頃は作物を作らなくなってしまったようです。鹿や猪は柵を作れば、なんとか防ぐことができるのですが、猿は上からやってくるので、防ぐのが難しいのです。猿は本当に賢く、畑にフェンスを作り上に網を張ってこれで大丈夫と思っていたら、なんと子猿が畑に入って大暴れしていました。網の継ぎ目のほんのわずかな隙間を見つけ、そこを通り抜けられる子猿だけを中に入れて作物を食べさせていたのです。親猿たちはその周りで見張りをしていて、人が近づくと普段は逃げるのですが、この時ばかりはいつもより激しく威嚇されました。猿でも子を思う親の気持ちは強いのです。

そんな猿ですが去年はほとんど姿を見かけませんでした。昨秋は柿の生り年でたくさん実がなったのですが、今でもたくさんの柿の実が雪をかぶって枝に残っています。

猿の群れはかなりの広範囲で移動をしているようですがこのあたりはその範囲から外れてしまったのでしょう。畑で作物を作る人もほとんどいなくなって、食べるものも少なくなったので、来なくなったのかもしれません。

野生動物のとうまくつきあってゆくのは難しいものです。人間のその場だけの身勝手で対応すると、後々大変なことになりかねません。どうすればどうなると先を見通すのは難しいことですが、少なくても短期的局所的な視点ではなく長期的総合的な視点をもって、どうすれば共に生きてゆけるのかを考えることが必要なのだと思います。

野生動物

2012/01/07

当園は山の中にあるので、よく野生動物が近くに来ることがあります。昨日のブログでも鹿や猪、猿について書きましたが、人間の活動と直接関わりのある比較的大型の動物はこの3種類くらいです。もちろん山の中にはもっとたくさんの動物がいます。もう少し山深いところでは、時々熊が出るという話しも聞きます。

最近各地で鹿の食害が問題になっていますが、鞍馬でも例外ではありません。一昨年までは昼間でも園庭の近くや畑の上の山でよく鹿の姿を見かけました。鹿がそのあたりを歩いていることがあまりにも普通になっているので、動物園に行ったときに柵の中に鹿が入っているのを見て違和感を感じてしまったくらいです。

以前は鹿を見ることは少なかったのですが、数年くらい前から特によく見かけるようになった気がします。山に食べ物がなくなっているから里に下りてきていると言われますが、個体数も増えている感じがします。鹿が頻繁に見られるようになってから、山の様子が変わりました。草という草を食べ尽くすので、緑がほとんどなくなって山の中で目に入る色は茶色になっています。鹿は草がなくなると木の皮をむいて食べるので、木が枯れてしまうこともよくあります。また、鹿は適応力が高いのか、食べるものが少なくなるとそれまで食べることがなかったものまで食べるので、一部のシダ類や樒などを除いては草や低木がなくなってしまいました。

鹿の食害が増えた原因は温暖化、天敵であるオオカミの絶滅、杉や檜の植林と広葉樹林の減少による餌不足、狩猟の減少など様々な要素が複雑に絡み合っているのだと思いますが人間の様々な活動が関係していることが多いのではないでしょうか。

鹿による食害という問題が起こると、ただ単に鹿を駆除すれば良いという意見が出てくることがありますが、それほど短絡的なものではないようにも思います。増えたから減らす、減ったから保護するというような目の前の問題だけに対応する方法だけではなく、長く広い視点を持ち、どう共生してゆくのかを人間の上から目線ではなく、同じように生きている「いのち」という立場で、人間が全てをコントロールできるわけではないということを忘れずに考えてゆけると良いと思います。

畑

2012/01/06

保育園の園庭より少し高いところに畑があります。山の中で急な斜面が多いこのあたりでは、ある程度自由に使える貴重な平地です。ずいぶん前に畑として使い始めたのですが、せっかく種をまいても芽が出ると山から鹿が下りてきて全部食べてしまったり、猪が土を掘り返したりして作物を収穫することはできませんでした。そこで、畑の周りにフェンスを巡らしました。鹿や猪を防ぐこともできたので、子どもたちと大根を植えました。順調に育ってそろそろ収穫しようかといっていた矢先に畑が荒らされました。せっかく育った大根が全滅で、みんながっかりです。そうです。猿がやってきて全部食べてしまったのです。鹿や猪は周りを囲ってしまえば入ることはできませんが、猿は上からやってきます。作物を育てても野生動物が食べてしまうこともあると知るのも良いとも思いますが、作っても作っても猿に取られるのでは、子どもたちも楽しみがなくなってしまいます。そこで、男性保育士たちと網を張って猿も防ぐことができるようにしました。

そこまでした畑なのですが、どうも有効に活用できていないように思います。昨年はカボチャがたくさんできて、おいしくいただきましたが、他のものはうまくいきませんでした。十分な世話ができないのです。カボチャはほとんど世話ができなかったのに勝手にどんどん育ったという感じです。そんな畑を今年は少し有効に使うことができれば良いと考えています。

園芸や畑のことに少し詳しい職員とそんなことを話していたら、いろいろなものを育てるけれども、収穫をしたらそれで終わりになってしまうことが多くて残念だといいだしました。植えた種が芽を出して、花を咲かせて実が実る、そして種ができる。その種をまくとまた芽が出るということを経験してこそ、いのちの巡りが実感できるのにと言うのです。このことばを聞いて私はハットしました。まさにその通りです。子どもたちに体験して欲しいのはそこだったはずです。畑にその視点が欠けていたのだと思います。「みんなのいのちが輝く」と言っていながら、作物を食べることばかりに目が行って、作物が実るまでのいのちの働きを見つめることをおろそかにしていたのかもしれません。自分で育てて食べるという意味ではそれも良いのですが、そこにとどまることなくもっと大きな学びの機会があるはずなのに、近視眼的にしか見られていなかったのかもしれません。それに気付くことができたこと、そして何よりそのことを職員が提案してくれたことがとても嬉しく思いました。

本当は、みんなが同じ方向を向くことで職員間で気兼ねなく話しができ、みんなで「それがいいね」と納得できるともっといろいろなことが前に進み一番良いのですが、正直言ってまだそこまでたどりつけてはいません。前回のブログにも書いたように今年はみんなの気持ちを収束してゆくとに力を入れてゆきたいと思いますし、それと同時に畑を学びの場として有効活用してゆきたいと考えています。

でも、慌てない慌てない。自然はゆっくりとしか変化してゆきません。自分のせっかちをたしなめながらゆっくりと着実に進んでゆこうと思います。

森の保育園

2011/10/03

「森の保育園」という活動を展開されている保育園の園長先生から、公開保育をするので見に来ませんかと誘っていただいたので、男性保育士とはるばる秋田県まで行ってきました。この公開保育を行われた秋田チャイルド園は、子どもたち一人ひとりがより良く成長してゆくためには何をすべきかを第一に考え、子どもが主体的に活動することを中心とした保育、異年齢保育など当園と似た考え方で保育を行っていらっしゃる保育園です。

初日はまず「森の保育園」活動を見学です。北は仙台から南は沖縄まで、全国各地から集まった保育関係者約30名をバスで空港まで迎えに来てくださり、「森の保育園」活動が行われる森へ向かいました。この「森の保育園」は秋田チャイルド園の3歳児4歳児5歳児約70名が2グループに分かれ、毎月交代で森に入るという形で行われています。1人の子どもは2ヶ月に1回の割合で森を経験します。ですから、子どもたちにとっては日常ではなく待ち遠しい行事なのだろうと想像します。

活動の場となっている森は、十代以上にわたって農業林業を営んでいらっしゃる佐藤清太郎さんという方が、森林を活用して心身のリフレッシュを図ったり、森を歩くことでリハビリテーションが出来ないものかと考え「秋田森の会・風のハーモニー」という会を設立、ご自身の所有されている山林の一部を開放して活動されているところです。

出発地点となっている、佐藤さんのご自宅前広場に到着。秋田チャイルド園の子どもたちもちょうど到着したばかりでした。そこで、見学者は森に入る前に佐藤さんから注意事項を聞きました。1つ目は「森には、ハチもいますし熊もいます。ハチには自分で気をつけてください。刺されたときはあきらめてください。また、熊にあったら自分の力で逃げてください。助けることはできません。もし、森に入りたいならそれを覚悟した上でどうぞ。それがいやな方は森には入らないでください。」です。森に入るなら、誰かが助けてくれるだろうという無責任な考えは捨てて、自分の身は自分で守る覚悟が必要だということでしょう。また、森は様々な動物のテリトリーで、そこに人間が入らせていただくという感覚を忘れるなということだと思います。ドキッとしました。わたしもよく山に入りますが、その感覚を忘れかかっていたように思います。

それよりもっと衝撃的だったのは、「森では、子どもたちにそれをしてはダメと禁止をしたり、こうしなさいと指示、命令はしないでください。」ということばでした。これはいつも私が考えていることと同じで、そのことを保育を専門とされているのではない、森林のプロフェッショナルから聞いたことで、ショックを伴って心に響いてきました。

森はやさしくもあり、厳しくもあります。その中で活動する力は、子ども自身が自分で身につける必要があります。自分のできる範囲をわきまえる。危険を感じて回避する。そして、自分の興味に応じて楽しむ。これはいくら大人が頑張ってもしてあげられるわけではなく、子ども自身が身につけ、自立をしていないとできないことです。ですから、子どもの自立を妨げる、禁止や命令は、かえって子どもの力を奪ってしまうのです。それは森の中ではいのちを危険にさらすことにつながりかねないのです。

そんなうれしいショックを感じながら、森へ出発しました。

センス・オブ・ワンダー

2011/09/25

子どもたちの世界はいつも生き生きとして新鮮で美しく、驚きと感激にみちあふれています。残念なことに、わたしたちの多くは大人になるまえに澄みきった洞察力や、美しいもの、畏敬すべきものへの直感力をにぶらせ、あるときはまったく失ってしまいます。

もしわたしが、すべての子どもの成長を見守る善良な妖精に話しかける力を持っているとしたら、世界中の子どもに、生涯消えることのない「センス・オブ・ワンダー=神秘さや不思議さに目を見張る感性」を授けてほしいと頼むでしょう。

この感性は、やがて大人になるとやってくる倦怠と幻滅、わたしたちが自然という力の源泉から遠ざかること、つまらない人工的なものに夢中になることなどに対する、かわらぬ解毒剤になるのです。(『センス・オブ・ワンダー』新潮社P23)

 子どもたちの好奇心、探求心がいきいきと発揮される最良の方法のひとつは、自然の中で過ごすことです。子どもたちの感性に響くものやことがたくさんあって、子どもたちはそういったものを発見する天才です。背が低いからでしょうか、地面の上の不思議なものやおもしろいことをすぐに見つけます。そのときにその場で、そのよろこびや感激、不思議さを子どもたちといっしょに感じ、「すごいねー!」と一緒に感動する人が側にいることで、子どもたちがもともと持っている「センス・オブ・ワンダー」を鈍らせることは少なくなるのでしょうね。

現代の都市空間では、自然とは全く関係のないところで、きわめて快適な生活ができてしまいます。花の香りや鳥のさえずり、まとわりつくような湿度、冴え渡る月光、吹きすさぶ寒風や雪の美しさを感じたり意識しなくても普通に生活することができます。逆に蒸し暑さや凍てつくような寒さを感じないからこそ快適なのかもしれませんが…

いわば、自然の巡りを感じたり自然の営みから切り離されて生きていることが多いのです。このことが、様々な現代人のストレスの原因になっているように思います。ときには「自然という力の源泉」に近づき、自然の巡りを肌で感じ、人間も自然の一部である感覚を取り戻すことが必要なのではないでしょうか。

近代文明の発達とともに、自然を支配し、自然を思うままにできると過信してきた大人は、「センス・オブ・ワンダー」を鈍らせたか、なくしてしまったのでしょう。そのために、全てをわかったつもりになって自分たちが頂点に立っているような錯覚にとらわれているのではないでしょうか。その幻想の美酒に酔ってしまい、揺すられても水を浴びせられても、なかなか目が覚めない状態に陥ってしまっていないでしょうか。

自分自身の生活を振り返ることから、今一番大切にしなくてはならないものはなにかをもう一度見つめ直してみる必要があると思います。

巣

2011/08/14

毎年、夏になるといろいろな虫が巣を作ります。クモは美しい模様の巣を掛けていますし、いろいろなハチも巣を作ります。クモの巣は園舎の周りに毎日のように掛かっていて、とってもまたすぐに掛けています。木の枝から枝に美しい模様を描いている種類もいますし、クサグモが植え込みなどに綿のような巣を作ったりもしています。

ハチはスズメバチやアシナガバチ、ジガバチなどが巣を作っているのをよく見かけます。特に今年はハチの巣がとっても多いように思います。7月頃から建物の軒下にキイロスズメバチが巣を作り始めました。それも同じ軒の少し離れた場所に3つも作ったのです。スズメバチは巣を作るのがとても早く、作り始めたなと思っていたら、あっという間に大きくなり、ボールがぶら下がっているような形になります。朽ち木の樹皮などをかみ砕き、唾液と混ぜて団子のようにして持ち帰ってそれで巣を作るそうですが、よくあれだけ早く正確に作れるものだなと思います。設計図があるわけではないのに、すべてのハチがどのような形に作るのかを理解しているのでしょうか。ハチたちがみんなで力を合わせて見事なチームワークです。

アシナガバチの巣もたくさんみつかりました。木の枝や葉の裏などにつくります。スズメバチは巣の外側に覆いを作るので、ボール状になりますが、アシナガバチの巣は六角形の構造が見えます。髙い木の枝に作るものは細長いものが多く、巣によっては20センチ以上のものもあります。

ジガバチは子どもたちが水遊びをした後、園庭の濡れた土の上で盛んに何かしています。園庭に巣を作ろうとしているのでしょうか。それとも巣作りのための土を集めているのでしょうか。

真偽のほどは定かではありませんが、「カマキリが高いところに卵を産むとその冬は雪が多い」などといわれるように、動物は気候の変化などを感じて巣を作る場所を決めたりするといわれています。今年はハチの巣がとても多いのが不思議です。

スクロール