園長ブログ

17年

2012/01/18

1月17日阪神淡路大震災から17年が過ぎ、神戸では地震が起こった5時46分に黙祷が捧げられ追悼行事が行われたという記事や、東日本大震災の被災者も招待し2つの震災の犠牲者を追悼したという報道がありました。あれから17年も経ってしまったという思いと、17年しか経ずに東日本大震災という大きな地震が起こってしまったのだという思いが交錯します。

突然襲ってくる災害で大切な家族を失った方にとっては、17年という歳月もその悲しみをいやしてくれるには十分ではないようです。阪神淡路大震災で夫と小学生の娘2人を亡くし、1人になってしまわれた女性が取材を受けていらっしゃいましたが、話を聞くだけで涙が出てきます。第三者でもそうなのですから、ご本人のつらさは、想像もできません。他にもそんな方が大勢いらっしゃるのです。阪神淡路大震災で辛い思いを抱えることになった方々が今でもたくさんいて、昨年の東日本大震災でさらに多くの人が悲しさや辛さに苦しんでいらっしゃるのです。突然、悲しみのどん底に突き落とされるのですから、なんと理不尽なことでしょう。しかし自然は突然それをもたらします。

地震が起これば、私たちの足下を支えてくれる地面は暴れ、建物は倒壊する。普段は穏やかで、多くの恵みをもたらしてくれる海が、津波となって襲ってくる。台風などによる大雨が河川の氾濫や土砂崩れをもたらす。

普段は美しく穏やかで人間に恵みをもたらしてくれる自然が突如として牙をむいて襲いかかってくる。そんな自然の驚異と理不尽さを日本人は長い歴史の中で経験してきました。昔から地震が多発し、雨が多い風土に暮らしてきたのです。

そのことが日本人の我慢強い国民性を培ってきたといわれています。それとともに、人間の力ではどうにもならない自然に畏敬の念を抱き、そこに八百万の神々を見てきたのです。そして自然に対して奢ることのなく謙虚な態度で接してきたのです。

そこからは、自然と人間が相対するのではなく、言い換えれば人間が一番偉いのではなく、人間も自然の一部、様々ないのちがそれぞれに役割を持っているのだという感覚が生まれたのではないでしょうか。

16年のうちに大きな震災を2度も経験した私たちは、自然をはじめ様々なものごとに対する畏敬の念や謙虚さ、包み込まれている感覚を思い出し、そこを出発点として考えることを始める必要があると思います。みんながそれぞれの役割をもって対等に繋がっているという世界観でとらえ直すこと、そこからみんなが幸せになれることを考えることが、震災の犠牲になった方々に報いることではないか。そんなことを思いました。

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